ラテ飼育格闘日記(415)
今年も11月12日が来た...。この日はオトーサンたちにとって忘れ得ない特別の記念日なのだ。それは8年前(2006年)のこの日、横浜のとある動物病院で開催されたワンコの里親会で初めてラテと出会った日だからである。無論その時についていた仮りの名前は "ラテ" ではなかったが、生後5ヶ月ほどの雌だと教えられた...。
8年前のこの日は日曜日だった。ためにオトーサンは女房と共に横浜の動物病院に向かった。勿論初めて行く場所であり、そもそもが動物病院は当然としてもこれまでワンコの里親会なる催しに出たこともなかった。ワンコを探していたところネットで知り合った方が、そうした会があるので参加してみたら...と紹介いただいたことがきっかけだった。

※季節は秋...ラテは元気です!
いや、昨日の夕飯は何を食べたか...でさえなかなか思い出せない時があるというのに初めてラテに会ったときのことはどういうわけか鮮明に覚えているのだ。里親会に出向いたとはいえオトーサンたちに具体的な希望があるわけでもなかった。ワンコなど犬種が違ってもそうそう大きな差はないだろうといった程度のいい加減な思いで出かけたし、キャバリエでもダックスでも気があえばどのようなワンコでも良いと思っていた。ただしオトーサンはできることなら雌のワンコが良いと考えてもいた。
そのワンコは雌がよい...といった希望はオトーサンの勝手な思い込みだけではないのである。 例えば1973年にノーベル賞を受賞した動物行動学の世界的権威であるコンラート・ローレンツ博士は名著「人 イヌにあう」でいみじくも次のように言っている。
「よく心得たイヌの飼い主はみな、雌イヌがその性格のいくつかの点で雄イヌより好ましいという私の意見に同意されるだろうと思う」とした後で「雌イヌは雄イヌより忠実だし、その心の仕組みはより美しく、豊かで、複雑であり、その知力は一般にすぐれている。私は非常に多くのイヌを知っており、そのうえで確信をもっていうことができる。あらゆる生き物のうち、ものごとをわきまえる点ですぐれていること、および真の友情を分かちあえる能力において人間にもっとも近いのは雌イヌである」と...。
オトーサンもそう思いたいし、そうであって欲しいと願うが、ローレンツも男性であることを差し引かなければならないかも知れない...(笑)。
ともあれ度を超した擬人化は避けるべきなのだろうが、「娘と一緒に」といったシチュエーションに拘りたかったのだ(笑)。
とはいえ実際に里親会にどのようなワンコが集まるのかも知らなかったし予備知識もゼロだった。ただただネットの写真で見るだけでなく実際のワンコと対面しなければ相性も含めて分からないことだらけだからと参加した次第だった。
動物病院のエントランスから本来は待合室のスペースに我々と同様ワンコを探しに来た人たちが所狭しと集まっていたし、ワンコも様々な犬種に見えたが十匹程度はいたのではないかと思う。ただしダックスとかキャバリエといった犬種に見えても厳密には雑種のワンコがほとんどだったようだ。そして考えさせられたが、純血種ではなくてもキャバリアとかダックスらしい外見をしているワンコは申込み者が多いことだった。
そんな訳だからオトーサンたちが「あのワンコがいいかなあ」と考えたにしろ、そのほとんどは既に里親が決まったり、数組の家族が申込みをしたことから抽選になる...といった有様だった。反面見るからに雑種然としたワンコはなかなか里親がきまらないでいた。オトーサンたちはその場に約2時間ほどいたと記憶しているが、複数のワンコが喧嘩をしないように、あるいは個別に相対することができるようにとまだ決まっていない参加者たちに数匹のワンコのリードが預けられ、混乱しないようにとお手伝いすることになっていた。
オトーサンたちも「この子をお願いします」と大型犬の太いリードに繋がれた子犬が渡された...。それがラテだった...。係の人に聞いてみるとまだ里親は決まっていないらしく「元気だけは保証します」といった程度の説明しかなかったがいま思うと実に不思議なワンコだった。
生後5ヶ月ほどの時期だったからだろう、見るからに頭でっかちで両耳は垂れていた。周りのワンコは動き回ったり吠えたり、中には粗相をしたりと騒がしかったが、オトーサンの手に委ねられた子犬は実に大人しかった。

※2006年11月12日(日曜日)、横浜の動物病院で開催された里親会でラテを選んだ後に女房と記念撮影した1枚
他のワンコをも見回しながら、隣にいる子犬の背に手を置いたり、頭を撫でたりしていたオトーサンだったが、ラテは被っていたキャップが気に入ったのか甘噛みし気がついたら唾液でベトベトにしていた。そして顔を近づけると躊躇なくオトーサンの顔も舐めた。
試しにと口開けて指を入れても噛むようなこともなくフレンドリーだった。
周りの人たちは次々に里親となるワンコが決まっていく中でオトーサンたちの選択肢は限られたものとなっていく。勿論この場で決めなければならないはずもなく、次の機会にまた参加してワンコを選ぶことも考えたがオトーサンとしては来月引っ越しを決めていたことでもあり、なるべく早く決めたかった...。
女房はラテを撫でながら「ワンコらしくて、いいんじゃない」という。その一言でラテは我が家の家族ときまった。そして翌月12月の10日に仮預かりしてくださっていたボランティアのご夫婦が茨城からラテを連れてきて下さった。
車酔いして途中吐いたというラテは1ヶ月前に里親会で会ったときより体毛も伸び、少しだけ大人びていたが未知の場所に連れてこられてさぞや不安なことだったに違いない。

※茨城から車で連れてこられたラテは酔って吐いたそうだが、すぐ元気になった。2006年12月10日に我が家で撮影
そのとき、オトーサンは初めて気がついた...。
里親会のとき、ラテは綺麗にトリミングされ毛並みも整えられ、お洒落してその場に臨んだということに...。仮預かりをしてくださっていた方々の気遣いとご苦労を思いつつ、もしかしたらラテ自身も本能的に里親会の場は生きるために重要な場である事を感じ取っていたのではないかとも思った。

※我が家に連れてこられたラテは初日の夜も夜泣きなどせず、マッサージチェアの座で爆睡した(2006年12月10日撮影)
一言も吠えず、ひたすら素直にオトーサンたちの側で大人しくしていたラテ。尻尾を少し引っ張っても、お尻や腹を撫でたり口を開けても初対面の我々にうなり声も上げずにされるままにしていたラテ。オトーサンと目が合うと顔を舐めていたラテ。子犬だからフレンドリーだったのかも知れないが、その少しはれぼったく見えた茶色の目はオトーサンの視線を外そうとはしなかった...。
後日ボランティアの方は「ラテは感情豊かで演技派だから、術中にはまらないように」とアドバイスを下さった。ワンコが演技派とは思いもしなかったが、確かにその日のラテは犬のくせに猫をかぶっていたのかも知れない(笑)。
その娘と暮らし始めて早くも丸8年になろうとしている。ラテにとってこの8年間は我々の4倍5倍の時間を意味するとすれば、どのような人生...いや犬生だったかとその寝顔を眺めながらオトーサンはラテに頬ずりするのだった。
8年前のこの日は日曜日だった。ためにオトーサンは女房と共に横浜の動物病院に向かった。勿論初めて行く場所であり、そもそもが動物病院は当然としてもこれまでワンコの里親会なる催しに出たこともなかった。ワンコを探していたところネットで知り合った方が、そうした会があるので参加してみたら...と紹介いただいたことがきっかけだった。

※季節は秋...ラテは元気です!
いや、昨日の夕飯は何を食べたか...でさえなかなか思い出せない時があるというのに初めてラテに会ったときのことはどういうわけか鮮明に覚えているのだ。里親会に出向いたとはいえオトーサンたちに具体的な希望があるわけでもなかった。ワンコなど犬種が違ってもそうそう大きな差はないだろうといった程度のいい加減な思いで出かけたし、キャバリエでもダックスでも気があえばどのようなワンコでも良いと思っていた。ただしオトーサンはできることなら雌のワンコが良いと考えてもいた。
そのワンコは雌がよい...といった希望はオトーサンの勝手な思い込みだけではないのである。 例えば1973年にノーベル賞を受賞した動物行動学の世界的権威であるコンラート・ローレンツ博士は名著「人 イヌにあう」でいみじくも次のように言っている。
「よく心得たイヌの飼い主はみな、雌イヌがその性格のいくつかの点で雄イヌより好ましいという私の意見に同意されるだろうと思う」とした後で「雌イヌは雄イヌより忠実だし、その心の仕組みはより美しく、豊かで、複雑であり、その知力は一般にすぐれている。私は非常に多くのイヌを知っており、そのうえで確信をもっていうことができる。あらゆる生き物のうち、ものごとをわきまえる点ですぐれていること、および真の友情を分かちあえる能力において人間にもっとも近いのは雌イヌである」と...。
オトーサンもそう思いたいし、そうであって欲しいと願うが、ローレンツも男性であることを差し引かなければならないかも知れない...(笑)。
ともあれ度を超した擬人化は避けるべきなのだろうが、「娘と一緒に」といったシチュエーションに拘りたかったのだ(笑)。
とはいえ実際に里親会にどのようなワンコが集まるのかも知らなかったし予備知識もゼロだった。ただただネットの写真で見るだけでなく実際のワンコと対面しなければ相性も含めて分からないことだらけだからと参加した次第だった。
動物病院のエントランスから本来は待合室のスペースに我々と同様ワンコを探しに来た人たちが所狭しと集まっていたし、ワンコも様々な犬種に見えたが十匹程度はいたのではないかと思う。ただしダックスとかキャバリエといった犬種に見えても厳密には雑種のワンコがほとんどだったようだ。そして考えさせられたが、純血種ではなくてもキャバリアとかダックスらしい外見をしているワンコは申込み者が多いことだった。
そんな訳だからオトーサンたちが「あのワンコがいいかなあ」と考えたにしろ、そのほとんどは既に里親が決まったり、数組の家族が申込みをしたことから抽選になる...といった有様だった。反面見るからに雑種然としたワンコはなかなか里親がきまらないでいた。オトーサンたちはその場に約2時間ほどいたと記憶しているが、複数のワンコが喧嘩をしないように、あるいは個別に相対することができるようにとまだ決まっていない参加者たちに数匹のワンコのリードが預けられ、混乱しないようにとお手伝いすることになっていた。
オトーサンたちも「この子をお願いします」と大型犬の太いリードに繋がれた子犬が渡された...。それがラテだった...。係の人に聞いてみるとまだ里親は決まっていないらしく「元気だけは保証します」といった程度の説明しかなかったがいま思うと実に不思議なワンコだった。
生後5ヶ月ほどの時期だったからだろう、見るからに頭でっかちで両耳は垂れていた。周りのワンコは動き回ったり吠えたり、中には粗相をしたりと騒がしかったが、オトーサンの手に委ねられた子犬は実に大人しかった。

※2006年11月12日(日曜日)、横浜の動物病院で開催された里親会でラテを選んだ後に女房と記念撮影した1枚
他のワンコをも見回しながら、隣にいる子犬の背に手を置いたり、頭を撫でたりしていたオトーサンだったが、ラテは被っていたキャップが気に入ったのか甘噛みし気がついたら唾液でベトベトにしていた。そして顔を近づけると躊躇なくオトーサンの顔も舐めた。
試しにと口開けて指を入れても噛むようなこともなくフレンドリーだった。
周りの人たちは次々に里親となるワンコが決まっていく中でオトーサンたちの選択肢は限られたものとなっていく。勿論この場で決めなければならないはずもなく、次の機会にまた参加してワンコを選ぶことも考えたがオトーサンとしては来月引っ越しを決めていたことでもあり、なるべく早く決めたかった...。
女房はラテを撫でながら「ワンコらしくて、いいんじゃない」という。その一言でラテは我が家の家族ときまった。そして翌月12月の10日に仮預かりしてくださっていたボランティアのご夫婦が茨城からラテを連れてきて下さった。
車酔いして途中吐いたというラテは1ヶ月前に里親会で会ったときより体毛も伸び、少しだけ大人びていたが未知の場所に連れてこられてさぞや不安なことだったに違いない。

※茨城から車で連れてこられたラテは酔って吐いたそうだが、すぐ元気になった。2006年12月10日に我が家で撮影
そのとき、オトーサンは初めて気がついた...。
里親会のとき、ラテは綺麗にトリミングされ毛並みも整えられ、お洒落してその場に臨んだということに...。仮預かりをしてくださっていた方々の気遣いとご苦労を思いつつ、もしかしたらラテ自身も本能的に里親会の場は生きるために重要な場である事を感じ取っていたのではないかとも思った。

※我が家に連れてこられたラテは初日の夜も夜泣きなどせず、マッサージチェアの座で爆睡した(2006年12月10日撮影)
一言も吠えず、ひたすら素直にオトーサンたちの側で大人しくしていたラテ。尻尾を少し引っ張っても、お尻や腹を撫でたり口を開けても初対面の我々にうなり声も上げずにされるままにしていたラテ。オトーサンと目が合うと顔を舐めていたラテ。子犬だからフレンドリーだったのかも知れないが、その少しはれぼったく見えた茶色の目はオトーサンの視線を外そうとはしなかった...。
後日ボランティアの方は「ラテは感情豊かで演技派だから、術中にはまらないように」とアドバイスを下さった。ワンコが演技派とは思いもしなかったが、確かにその日のラテは犬のくせに猫をかぶっていたのかも知れない(笑)。
その娘と暮らし始めて早くも丸8年になろうとしている。ラテにとってこの8年間は我々の4倍5倍の時間を意味するとすれば、どのような人生...いや犬生だったかとその寝顔を眺めながらオトーサンはラテに頬ずりするのだった。
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