ソフトウェアのコピー問題に注意を喚起した最初のプログラマはビル・ゲイツだった
約14年間アップルのデベロッパーとしてMac専門のソフトウェア開発会社を営んだ経験を振り返ると厄介なことのひとつはソフトウェアの不法コピー行為への対処だった。「ハードウェアは簡単にコピーできないから金を払って買うしかないがソフトウェアは簡単にコピーできるからいいね」と公言する輩も沢山いた...。
ソフトハウスをやっていると自社ソフトの不法コピーの問題には当然のことながら敏感にならざるを得ない。8万円で販売していたパッケージソフトが大手放送局で公然とコピーされ使われていることを知ればそれは抗議する権利と義務もある。問題を放置しては正規に買っていただいた多くのユーザーに申し訳が立たない。
1990年代の半ばの時代としておこう...ある日サポートに電話がかかってきた。聞けば自分の使っているアプリケーションをバージョンアップして欲しいという要請だった。型どおり名前とシリアルナンバーを聞いたところ登録ユーザーの名前とは違う人物だった。それを指摘すると悪びれることなく「部下からもらった」という(笑)。
それは不法コピーでありバージョンアップどころか法的に問題がある行為だから即刻使用を止めて欲しいと申し上げると居直ったか「コピーして何が悪い、皆やっていることではないか」と言いだした。
正規ユーザーの人は某放送局勤務の方であり、その国際部という部署に所属しているということがわかったが電話をしてきた当人は部長といった購入者の上司らしい。
これが個人なら「またか…」で粛々とそれは不正使用だから止めてくださいと型どおりの通知を出すところだが、大手放送局の国際部で自社開発のアプリケーションが公然とコピーされ配布されていることを知り、本来は著作物の権利を一番気にしなければならない類の仕事に就きながらその認識の甘さと無礼な物言いに久しぶりに頭にきて顧問弁護士から正式な警告の文書を送って貰った。
購入者本人からはすぐに正式な謝罪が届いたものの、上司から「お前それコピーして俺にもよこせ」と言われれば断りきれなかったらしい。問題は電話をかけてきたその上司で、こうした輩は権威に弱い(笑)。それまでずっと高飛車に出ていたが弁護士から使用の中止と謝罪がなければ正式に訴えを起こすと聞かされ、やっと謝罪と始末書を送ってきた。無論こうした輩はその性根がすぐに直るとは思われないが一矢報いなければこちらも気が済まない。いまでも記念品としてその文書は保管している...(笑)。
さて個人で所有するコンピュータがAltair8800で現実となった1975年以降だが、早くもソフトウェアの不法コピーに怒っていた人物がいた。それがあのビル・ゲイツ...正式にはウィリアム・ヘンリー・ゲイツ三世であった。

※若かりし頃のビル・ゲイツ
ビル・ゲイツとポール・アレンは1975年1月号のポピュラーエレクトロニクス誌にAltair8800の記事が出たことを知り、早速そのAltair8800用のBASICを開発してMITS社に売り込んだ。結果それがマイクロソフト社起業のきっかけとなったのである。

※Altair8800。写真は当研究所所有のAltair8800 clone
しかし彼らがMITSに使用権を売り商品化したAltair BASICはまたたく間にコピーされホームブリュー・コンピュータクラブなどを始めとしてばらまかれた。
MITS社が売れないボードと抱き合わせ販売するなどして単体価格が高かったことも原因だといわれるが、値段の高い安いはこの際問題ではない。高いから…買えないからコピーして良いという理屈はあり得ない。問題はこの時代のコンピュータクラブなどでは情報の共有が美徳と考えられていたこともコピーが広がった一因であった...。

※Altair BASICは当初こうした鑽孔テープで供給された。写真はその拡張BASIC版(当研究所所有)
そんな風潮の時代、「ホビイストたちへの公開状 ( "AN OPEN LETTER TO HOBBYISTS" )」を書きMITS社のユーザー向け会報誌「Computer Notes」などで文書公開したプログラマがいた。それがビル・ゲイツだった。
筆者の手元にある1976年2月号の「Computer Notes」にその一文が載っているが、それはかなり辛辣な文章であり当時のゲイツの怒りがよく表れているようだ。


※ゲイツの公開状が載った「Computer Notes」1976年2月号トップページ(上)とゲイツの公開状【クリックで拡大】(下)
「...大半のホビースト達が承知のように、彼らは自分たちの使うソフトウェアを盗んでいる...」とホビイスト達を真っ向から盗人呼ばわりした。販売するMITS社も効果的な対策を講じなかったことでもありAltair BASICの記録された紙テープはコピーされ続けた。
しかしゲイツの痛烈な批難は「金の亡者め」といった批判こそあれホビイスト達には何ら効果がなかった。当時は個人所有のコンピュータがやっと手に入るようになったばかりであり、ソフトウェアを開発してビジネスにする...と考えた人はビル・ゲイツやポール・アレンくらいしかいなかったようだ。それに当時の世相も反映していたに違いない。
例えば少し後の時代の話しだがAppleの創業者でApple 1やApple IIの開発者で知られるスティーブ・ウォズニアックは自身の設計図やROMのデータなどを惜しげもなくホームブリュー・コンピュータクラブなどで公開していた。そしてそれは美徳であり、いまでもウォズニアックが気前よく情報公開したことは彼の人間性評価のポイントにもなっている(笑)。無料で公開することは善であり、金を取ろうとすることは悪だというどこか都合の良い図式が浸透していた時代でもあった。
ただしボビーストらにも言い分があった。それは...BASIC言語自体は、米国のダートマス大学のJohn.G.KemenyとThomas E.Kurtzが初心者用のプログラミング言語として1964年に開発したもので、すでにパブリック・ドメイン・ソフトウェアとして無償公開されている。ゲイツとアレンはそれをAltair8800上で動くように移植をしただけではないか...。「盗っ人猛々しいとはゲイツらのことではないか」という主張だ。
さらにゲイツらは移植に際してハーバード大学のコンピュータを利用したからそのタイムシェアリングのコストがかかっているというが「実際その大学のシステムは米国国防省先端技術研究計画局が提供したものであり、いわばコンピュータの利用料金は米国国民の税金で支払われたに等しいではないか」と主張しゲイツらに強く反発したのだった。
「ホビイストたちへの公開状」の反応に一番驚いたの当のゲイツであったに違いない。批難したつもりが本人が悪者にされているという事実に...(笑)。
早速彼は「Computer Notes」の1976年4月号に「A Second and Final Letter」という一文を掲載する。それまでの間、どのような反論や苦情あるいは罵倒があったのかはともかく大きな論争となったことは間違いない。しかしそれがすべてゲイツ個人に向けられた罵詈雑言であったようで、ゲイツは「自分はMITSの従業員ではない」と断りながら、当のMITSの誰もが私(ゲイツ)の考え方に同意していないと嘆いている。


※公開状の反応に対するゲイツの思いが載った「Computer Notes」1976年4月号トップページ(上)とゲイツの公開状「A Second and Final Letter」【クリックで拡大】(下)
そして「Micro-Softも含めて開発に必要な莫大な時間という投資に見合う合理的な収益なしで大規模なソフトウェアを開発することができない」としながら、この問題による不当な反撃を収束したかったのだろう "To avoid an endless dialogue, and to keep the current controversy centered on the primary issue, this is the last open letter I will write on this subject." と…これが最後の公開状であるとし、自分の意図はこの種の問題を喚起することにあったとしている。
後にMITS社がPertic社に身売りする際、Altair BASICの所有権の問題でビル・ゲイツとMITS社が争うことになり事件は調停に付されゲイツの主張が支持され結局MITS社はゲイツに20万ドルほどを払って所有権を取得したという。
こうしたあれこれを記すといつの時代もゲイツが悪者になりがちだが、盗人呼ばわりはともかくソフトウェアには著作権があり所有者がいることを当時のホビイスト達に喚起した功績は大きかったのではないだろうか。ただし前記したとおり実用的な効果があったかどうかについては疑わしい…。
どうもソフトウェアはハードウェアを買えば付属するものであり、それはお互いが無償で共有し合うべきだという意識が強く当時のクリエイティブなユーザー、市場の立役者たちにもあったことは不思議に思える。逆にいえばビル・ゲイツはそのソフトウェアに価値を見いだし、巨大なソフトウェア王国を築いたたわけで、先見の明があったことは認めなければならない。
ともあれソフトウェアとは何ものなのか、これは現在でも時々クライアントらと意見が対立する古くて新しい問題である…。
【主な参考資料】
・マグロウヒル社刊「パソコン革命の英雄たち」
・MITS社発行「Computer Notes」
ソフトハウスをやっていると自社ソフトの不法コピーの問題には当然のことながら敏感にならざるを得ない。8万円で販売していたパッケージソフトが大手放送局で公然とコピーされ使われていることを知ればそれは抗議する権利と義務もある。問題を放置しては正規に買っていただいた多くのユーザーに申し訳が立たない。
1990年代の半ばの時代としておこう...ある日サポートに電話がかかってきた。聞けば自分の使っているアプリケーションをバージョンアップして欲しいという要請だった。型どおり名前とシリアルナンバーを聞いたところ登録ユーザーの名前とは違う人物だった。それを指摘すると悪びれることなく「部下からもらった」という(笑)。
それは不法コピーでありバージョンアップどころか法的に問題がある行為だから即刻使用を止めて欲しいと申し上げると居直ったか「コピーして何が悪い、皆やっていることではないか」と言いだした。
正規ユーザーの人は某放送局勤務の方であり、その国際部という部署に所属しているということがわかったが電話をしてきた当人は部長といった購入者の上司らしい。
これが個人なら「またか…」で粛々とそれは不正使用だから止めてくださいと型どおりの通知を出すところだが、大手放送局の国際部で自社開発のアプリケーションが公然とコピーされ配布されていることを知り、本来は著作物の権利を一番気にしなければならない類の仕事に就きながらその認識の甘さと無礼な物言いに久しぶりに頭にきて顧問弁護士から正式な警告の文書を送って貰った。
購入者本人からはすぐに正式な謝罪が届いたものの、上司から「お前それコピーして俺にもよこせ」と言われれば断りきれなかったらしい。問題は電話をかけてきたその上司で、こうした輩は権威に弱い(笑)。それまでずっと高飛車に出ていたが弁護士から使用の中止と謝罪がなければ正式に訴えを起こすと聞かされ、やっと謝罪と始末書を送ってきた。無論こうした輩はその性根がすぐに直るとは思われないが一矢報いなければこちらも気が済まない。いまでも記念品としてその文書は保管している...(笑)。
さて個人で所有するコンピュータがAltair8800で現実となった1975年以降だが、早くもソフトウェアの不法コピーに怒っていた人物がいた。それがあのビル・ゲイツ...正式にはウィリアム・ヘンリー・ゲイツ三世であった。

※若かりし頃のビル・ゲイツ
ビル・ゲイツとポール・アレンは1975年1月号のポピュラーエレクトロニクス誌にAltair8800の記事が出たことを知り、早速そのAltair8800用のBASICを開発してMITS社に売り込んだ。結果それがマイクロソフト社起業のきっかけとなったのである。

※Altair8800。写真は当研究所所有のAltair8800 clone
しかし彼らがMITSに使用権を売り商品化したAltair BASICはまたたく間にコピーされホームブリュー・コンピュータクラブなどを始めとしてばらまかれた。
MITS社が売れないボードと抱き合わせ販売するなどして単体価格が高かったことも原因だといわれるが、値段の高い安いはこの際問題ではない。高いから…買えないからコピーして良いという理屈はあり得ない。問題はこの時代のコンピュータクラブなどでは情報の共有が美徳と考えられていたこともコピーが広がった一因であった...。

※Altair BASICは当初こうした鑽孔テープで供給された。写真はその拡張BASIC版(当研究所所有)
そんな風潮の時代、「ホビイストたちへの公開状 ( "AN OPEN LETTER TO HOBBYISTS" )」を書きMITS社のユーザー向け会報誌「Computer Notes」などで文書公開したプログラマがいた。それがビル・ゲイツだった。
筆者の手元にある1976年2月号の「Computer Notes」にその一文が載っているが、それはかなり辛辣な文章であり当時のゲイツの怒りがよく表れているようだ。


※ゲイツの公開状が載った「Computer Notes」1976年2月号トップページ(上)とゲイツの公開状【クリックで拡大】(下)
「...大半のホビースト達が承知のように、彼らは自分たちの使うソフトウェアを盗んでいる...」とホビイスト達を真っ向から盗人呼ばわりした。販売するMITS社も効果的な対策を講じなかったことでもありAltair BASICの記録された紙テープはコピーされ続けた。
しかしゲイツの痛烈な批難は「金の亡者め」といった批判こそあれホビイスト達には何ら効果がなかった。当時は個人所有のコンピュータがやっと手に入るようになったばかりであり、ソフトウェアを開発してビジネスにする...と考えた人はビル・ゲイツやポール・アレンくらいしかいなかったようだ。それに当時の世相も反映していたに違いない。
例えば少し後の時代の話しだがAppleの創業者でApple 1やApple IIの開発者で知られるスティーブ・ウォズニアックは自身の設計図やROMのデータなどを惜しげもなくホームブリュー・コンピュータクラブなどで公開していた。そしてそれは美徳であり、いまでもウォズニアックが気前よく情報公開したことは彼の人間性評価のポイントにもなっている(笑)。無料で公開することは善であり、金を取ろうとすることは悪だというどこか都合の良い図式が浸透していた時代でもあった。
ただしボビーストらにも言い分があった。それは...BASIC言語自体は、米国のダートマス大学のJohn.G.KemenyとThomas E.Kurtzが初心者用のプログラミング言語として1964年に開発したもので、すでにパブリック・ドメイン・ソフトウェアとして無償公開されている。ゲイツとアレンはそれをAltair8800上で動くように移植をしただけではないか...。「盗っ人猛々しいとはゲイツらのことではないか」という主張だ。
さらにゲイツらは移植に際してハーバード大学のコンピュータを利用したからそのタイムシェアリングのコストがかかっているというが「実際その大学のシステムは米国国防省先端技術研究計画局が提供したものであり、いわばコンピュータの利用料金は米国国民の税金で支払われたに等しいではないか」と主張しゲイツらに強く反発したのだった。
「ホビイストたちへの公開状」の反応に一番驚いたの当のゲイツであったに違いない。批難したつもりが本人が悪者にされているという事実に...(笑)。
早速彼は「Computer Notes」の1976年4月号に「A Second and Final Letter」という一文を掲載する。それまでの間、どのような反論や苦情あるいは罵倒があったのかはともかく大きな論争となったことは間違いない。しかしそれがすべてゲイツ個人に向けられた罵詈雑言であったようで、ゲイツは「自分はMITSの従業員ではない」と断りながら、当のMITSの誰もが私(ゲイツ)の考え方に同意していないと嘆いている。


※公開状の反応に対するゲイツの思いが載った「Computer Notes」1976年4月号トップページ(上)とゲイツの公開状「A Second and Final Letter」【クリックで拡大】(下)
そして「Micro-Softも含めて開発に必要な莫大な時間という投資に見合う合理的な収益なしで大規模なソフトウェアを開発することができない」としながら、この問題による不当な反撃を収束したかったのだろう "To avoid an endless dialogue, and to keep the current controversy centered on the primary issue, this is the last open letter I will write on this subject." と…これが最後の公開状であるとし、自分の意図はこの種の問題を喚起することにあったとしている。
後にMITS社がPertic社に身売りする際、Altair BASICの所有権の問題でビル・ゲイツとMITS社が争うことになり事件は調停に付されゲイツの主張が支持され結局MITS社はゲイツに20万ドルほどを払って所有権を取得したという。
こうしたあれこれを記すといつの時代もゲイツが悪者になりがちだが、盗人呼ばわりはともかくソフトウェアには著作権があり所有者がいることを当時のホビイスト達に喚起した功績は大きかったのではないだろうか。ただし前記したとおり実用的な効果があったかどうかについては疑わしい…。
どうもソフトウェアはハードウェアを買えば付属するものであり、それはお互いが無償で共有し合うべきだという意識が強く当時のクリエイティブなユーザー、市場の立役者たちにもあったことは不思議に思える。逆にいえばビル・ゲイツはそのソフトウェアに価値を見いだし、巨大なソフトウェア王国を築いたたわけで、先見の明があったことは認めなければならない。
ともあれソフトウェアとは何ものなのか、これは現在でも時々クライアントらと意見が対立する古くて新しい問題である…。
【主な参考資料】
・マグロウヒル社刊「パソコン革命の英雄たち」
・MITS社発行「Computer Notes」
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