未来のApple〜個人用コンピュータ40年に思う初夢
個人の手にコンピュータを...という夢を現実とした製品は1975年1月に登場したMITS社のAltair 8800だった。そして翌年1976年にはスティーブ・ウォズニアックの手によりApple 1がリリースされ、さらに1977年にApple II が登場した。そう考えると今年は個人向けコンピュータの歴史が認識されてから40年ということになる...。
1977年にワンボード・マイコンを手にしたのをきっかけにコンピュータの世界にはまった私だが、本場アメリカから遠く離れたこの極東でよくもまあマイコンだのパソコンだのといったものに興味を持ったものだとつくづく思う。
その長い時間の中でコンピュータと個人がどのように分かり合えるのかについて懐疑的になった時期もあったが、状況は想像もつかない形でいま我々の眼前に広がってきた。10年あるいは20年前に夢想したあれこれがいまだに実現していないこともあれば、思いもよらない展開を見せられたこともある。

※個人用コンピュータはAltair8800で幕開けしApple 1を経てApple II で開花した
新年の第一報…初夢としてAppleの未来について占ってみようと思う。ただしここでいう “未来” が10年先のことなのか、あるいは半世紀先のことなのかは私にとってあまり重要なことではない。なぜなら10年はともかく、コンピュータに囲まれ、Macのソフトウェアを開発する会社を起業し、紆余曲折の末に現在に至った私だが、多分に後20年とか30年もの長い時間は残されていないからだ。
個人的にはいわゆる人工知能の完成形をMacで実現できるような時代にまで生きていたいが、こればかりは残念ながらどうしようもない…(笑)。
さて、これまで文化としてあるいはテクノロジーとして惹かれてきたAppleという企業が今後どのような方向に向けて舵取りされるのかは私らなどより投資家たちが神経を使うことに違いない。ただし一時は消滅するかと思われたAppleがここまで成功し企業として盤石の体制が整ったいま、5年先あるいは10年先の変化は凄まじいものになる気がして仕方がない。
事実Appleはスティーブ・ジョブズ存命時とは違った戦略を進め始めている。過日我が国の総理大臣にリークされた横浜に研究所を設けるといったこともそうした一環だろう。それはこれまでにない…さらなる未来に向けた投資でありAppleがまだまだ躍進しようとしている証しでもある。また必要があればその膨大な手持ち資金を活用し企業買収等の手段も行使できるだろうから、最先端のテクノロジーは益々Appleに一極集中となるような気がする。
しかし振り返って見ればAppleという会社自体、法人となってからたったの38年しか経っていないのだ。私がワンボード・マイコンを手にした1977年のその年にAppleは法人化しApple II を発表した訳だがその後、Apple III、Lisa、Macintosh(デスクトップ)、Newton、PowerBook、PowerMac、MacBookといったいわゆるパソコン製品に留まらず、ご承知のようにiPod、iPhoneそしてiPadと世界を変える製品群を生み出した。
面白いといっては語弊があるが、例えばiPodの登場は当初単なるMP3プレーヤーをAppleが作っただけ…という認識しか多くの人たちは持たなかったが、iTunesの存在と共に我々の音楽シーンと日常を一変しただけでなくiPhone開発への布石となった。
いまAppleはデスクトップのMacとノート型Mac、そしてiPod、iPhoneそしてiPadというラインナップを持ち、今年早々にはApple Watchが登場する。思うに10年後にはこうした製品ラインナップがどのようになっているか、それに伴い私たちの日常はどのように変わっているか...あるいは変わっていないかが気になってくる。
ではそのAppleの未来はどんな風になっているのだろうか…。初夢だからと言うわけではないが想像の翼を大きく広げ、勝手な希望を膨らませて考えてみたいと思う。
まず、10年後のAppleではどのようなプロダクトがあるのだろうか。一時はデスクトップ機の類が消滅するのではないかと言われたが、私は名称はともかく現行のiMac的なデスクトップ機あるいはMacBookといったノート型は現在以上に評価というか必要性が望まれ存続しているように思う。反対にiPadとiPhoneの存在は無くなっているというより大きく形や目的が変わると共にその存在意義も違ったものになっているのではないかと想像している。
余談だが個人的に携帯電話を使い始めて長いが、数年前と現在を比べてもその携帯電話というものの使い方は確実に違ってきていることに気づかされる。
例えば渋谷の駅を出てハチ公前を通ったと思っていただきたい。待ち合わせに使われる場所だけあっていつも結構な人数が携帯電話を使って話しをしていた…。「もう着いてるよ」「早く来いよ」「時間がないから先に行くぞ」などなど、それぞれが電話で連絡を取り合い、中には場所をも顧みずに大声を出しているオヤジもいた。
しかし最近はどうだろうか…。無論スマートフォンで通話をしている人もいるが数年前と比較すれば静かなものだ。何故なら携帯電話やスマートフォンを手にしていても彼ら彼女らはメールやSNSを使って情報交換しているからだ。電話…通話というリアルタイムにその時間に相手を縛ることになる行為、そして少なからず他人に会話を知られるという行為は自然に敬遠されていったように思える。
そのうち「スマートフォンって通話ができるんだ!」などと言い出す人がいるかも知れないし、”フォン” とか “電話” という名称が使われなくなってしまうかも知れないと夢想してしまう。
その大きな牽引力としてApple Watchを代表とするウェアラブルなデバイスが台頭するに違いない。時計型であれ眼鏡型であれ、普段はそれらのガジェットを身につけていることすら忘れるほど違和感のない軽くて小さな機器である。iPhoneにしろApple Watchにしろこれからの主要機能はゲームやエンタテインメントではなく医療やヘルスケアに関係する点が重要になってくると考える。

※Apple Watchのリリースが待たれる...
現在の日本では医療器具としての実用性を考えるとなればその壁は高くて厚いが、次の時代に進むためにはこれまでの制度や規制を見直すと共に新しいテクノロジーや企業の参入を加速せざるを得ないだろうしAppleは医療向け製品とファッション市場への野望を秘めているように思えるのだ。
またMac単体でも当然のことながらSiriをフルサポートするに違いないし、何らかのAIが搭載されるだろう。
そうなればかつてジョン・スカリーが在籍していた時代のAppleが盛んに未来のMacの理想像としてアピールしていた “Knowledge Navigator” の姿が現実味を帯びてくる。
Siriが本格的な人工知能テクノロジーである Mac AI あるいは iAI と結び付けば一昔前にはあくまで想像の世界だった “Knowledge Navigator” が意外と早く身近になるような気もする。我々は自然な会話で必要な情報を検索し、コミュニケーションできるようになる。

※Knowledge Navigator
ただし過日、理論物理学者のスティーヴン・ホーキング博士が発言した通り、究極の人工知能が完成した暁にはそれによって人類の存在が危ぶまれることになるかも知れないという危惧はついて回る。しかし人類の飽くなき探求は良くも悪くも行き着くところまで進むだろうしそれが未来の人類にとって栄光となるかあるいは悪魔の所行となるかは不明だが、まあ私はこの世に存在しない時代のことなので心配はしていない(笑)。
しかしデータやコンテンツの可視化に関しては現行のディスプレイの延長線以外にどのようなものが登場するかを考えるとどうにもSF的になってしまう。
それを承知でもう少し魅力的な発想をするなら、Apple Watchがホログラフィック・ディスプレイあるいは仮想ディスプレイをサポートし、グラフィックや写真あるいはメッセージなどを机上や壁面、あるいは空間に生成できる日が意外と早い時期に現実となるかも知れない。そうであればデバイスの小さなことは不便に繋がらない…。あるいは自分の分身であるアバターが本人は自宅にいながら世界中を駆け回って人と会い、情報を集めてくれるのかも知れない。
したがって身につけるデバイスは未来のApple Watchと音声を外に出したくない場合には耳に超小型で骨伝導タイプのワイヤレス・イヤフォンを付けておけばあらゆる通話相手と会話ができるだろうがリアルタイムの通話自体、前記したように次第に使われなくなっていくように思える…。ともかくデータ容量が嵩むものは自宅やオフィスのMacに転送しておけばよい理屈だ。
そのApple Watchは当然のことながらApplePayに利用できるだけでなく将来は個人を特定するための公的なデバイスと認定されるまでになるだろう。だとすれば単なる買い物の支払時にクレジットカード代わりやコンサートのチケット代わりだけでなく交通、金融、医療、教育なども含めての個人認証、身分証明にもなるだろう。すでに米国ではスマートフォーンのアプリが運転免許証代わりとして使える州が登場したという。こうした傾向は弾みが付く形で浸透していくに違いない。
こうなると当然個人の情報に関するセキュリティもより重要になってくるし消費者としては心配事も多くなる。何故ならこれまで ITに関わるビジネスは可能な限り顧客のデータ…すなわち住所や名前は勿論、生年月日から配偶者の有無、趣味趣向にいたるまで可能な限りのデータを集めることがビジネス成功の鍵だと考えられてきた。そして時にそうした個人情報が大量に不正流出するという現実もあった…。
こうしたビッグデータといった人の生死にまでかかわる情報をAppleが牛耳るようになる時代がくるのかも知れないと危惧していたが、それは我々が知っているこれまでのAppleではなく、かつてスティーブ・ジョブズが嫌ったビッグ・ブラザーそのものになってしまうという危惧であった。
ただし我々の日常や仕事のやり方あるいはアプローチも変わっていくだけでなくIT関係に限らずビジネスのあり方および価値観そのものも急速に変容していくに違いない。そして既成のビジネスのあり方を変えるのはやはりというか…Appleなのかも知れない。
なぜならAppleはApplePay発表時に「顧客のデータはもう収集しない」と公言しているからだ。デバイスやガジェットだけでなくそのサービスが世界中に支持されることで今後益々Appleのプロダクトとビジネスの手法はその業界のスタンダードになっていくだろう。そのAppleがビジネスに顧客データを頼りにすることは時代遅れと言っているようなものだ。まあどこまで本気で宣っているのかは現時点で不明だが、逆に未来はプライバシーという概念そのものが無くなっている可能性もある。
街に出れば多くのセンサーに自身の健康状態から感情にいたるまでがリアルタイムに把握されているかも知れないからだ。
それはともかくAppleは製品そのものをデザインや機能あるいはユーザーインターフェースそしてパッケージに至るまで拘った新機軸を開きそれが市場の大きな支持を得ると共にスタンダードとなってきたが、そのAppleはプロダクトだけでなくサービスや企業のあり方、ビジネスの手法、価値観にいたるまでを根底から覆すパワーを持っている。業界のリーダーというより良くも悪くも世界中のビジネスの指針となっていくに違いない。
Appleとその製品は私らがユーザーとなったその昔、ホントに知る人しか知らない企業だった。それが電車の中で周りを見渡せばスマホを使っているそのほとんどがiPhoneだという時代になった。マイナーなApple、分かる人しか分からないApple…それが我々の愛するAppleだったが、現在の繁栄は正直嬉しい反面、どこか黎明期の香りを恋しく思っている自分がいる…。
Appleに危惧する点があるとすればジョブズ時代とのギャップではないか。無論ジョブズはAppleの創業者だし復帰後瀕死のAppleを救った張本人だったが現CEOのティム・クックはそのDNAを引き継いでいるとは言え自身の血の中に創業の志は流れていない。

※Appleの現CEO、ティム・クック
一部のユーザーと向き合いつつ、最高最良のプロダクトを作り出そうとしてきたAppleは突如世界一の企業となったしそのプロダクトは世界のスタンダードになりつつある。今後は少々特異な企業、ユニークなメーカーといったことだけでは済まされず様々な点で市場や業界、競合他社の攻撃の矢面に立たされ、追われる立場を多々味わうことになるだろう。
私達にとってAppleは、単なるコンピュータや携帯電話を提供してくれるメーカーではないのだ。黎明期にはアメリカの最先端の香りと文化を伝えてくれたが、それだけでなく世界を変える...いや自分を変えるツールを提供できる他に類のない特異なメーカーなのだ。
それが出来たのは何といっても創業者であるスティーブ・ジョブズの力があったればこそだ。別に無い物ねだりをするつもりはないし企業も時代と共に変容していかなければならないから昔のままでいろというわけではない。しかしこれからも世界を、我々の日常をより良いものに、より楽しいものに変えうるパワーを持ちうるかという点について申し上げればそれは簡単な事ではないと考えている...。
世間、業界、消費者は輝いているものには飛びつくが飽きるのも早いものだ。Appleが巨大な普通の企業になっていくとすれば突如市場やユーザーに飽きられそっぽを向かれる時代がくるかも知れない...。それが少々気がかりでもある。
ということで勝手な想像はまだまだ膨らむが、きりがないのでこの辺にしておくことにしよう…。いずれにしても今年はこれまで以上にAppleから目を離せない1年となりそうだ。
1977年にワンボード・マイコンを手にしたのをきっかけにコンピュータの世界にはまった私だが、本場アメリカから遠く離れたこの極東でよくもまあマイコンだのパソコンだのといったものに興味を持ったものだとつくづく思う。
その長い時間の中でコンピュータと個人がどのように分かり合えるのかについて懐疑的になった時期もあったが、状況は想像もつかない形でいま我々の眼前に広がってきた。10年あるいは20年前に夢想したあれこれがいまだに実現していないこともあれば、思いもよらない展開を見せられたこともある。

※個人用コンピュータはAltair8800で幕開けしApple 1を経てApple II で開花した
新年の第一報…初夢としてAppleの未来について占ってみようと思う。ただしここでいう “未来” が10年先のことなのか、あるいは半世紀先のことなのかは私にとってあまり重要なことではない。なぜなら10年はともかく、コンピュータに囲まれ、Macのソフトウェアを開発する会社を起業し、紆余曲折の末に現在に至った私だが、多分に後20年とか30年もの長い時間は残されていないからだ。
個人的にはいわゆる人工知能の完成形をMacで実現できるような時代にまで生きていたいが、こればかりは残念ながらどうしようもない…(笑)。
さて、これまで文化としてあるいはテクノロジーとして惹かれてきたAppleという企業が今後どのような方向に向けて舵取りされるのかは私らなどより投資家たちが神経を使うことに違いない。ただし一時は消滅するかと思われたAppleがここまで成功し企業として盤石の体制が整ったいま、5年先あるいは10年先の変化は凄まじいものになる気がして仕方がない。
事実Appleはスティーブ・ジョブズ存命時とは違った戦略を進め始めている。過日我が国の総理大臣にリークされた横浜に研究所を設けるといったこともそうした一環だろう。それはこれまでにない…さらなる未来に向けた投資でありAppleがまだまだ躍進しようとしている証しでもある。また必要があればその膨大な手持ち資金を活用し企業買収等の手段も行使できるだろうから、最先端のテクノロジーは益々Appleに一極集中となるような気がする。
しかし振り返って見ればAppleという会社自体、法人となってからたったの38年しか経っていないのだ。私がワンボード・マイコンを手にした1977年のその年にAppleは法人化しApple II を発表した訳だがその後、Apple III、Lisa、Macintosh(デスクトップ)、Newton、PowerBook、PowerMac、MacBookといったいわゆるパソコン製品に留まらず、ご承知のようにiPod、iPhoneそしてiPadと世界を変える製品群を生み出した。
面白いといっては語弊があるが、例えばiPodの登場は当初単なるMP3プレーヤーをAppleが作っただけ…という認識しか多くの人たちは持たなかったが、iTunesの存在と共に我々の音楽シーンと日常を一変しただけでなくiPhone開発への布石となった。
いまAppleはデスクトップのMacとノート型Mac、そしてiPod、iPhoneそしてiPadというラインナップを持ち、今年早々にはApple Watchが登場する。思うに10年後にはこうした製品ラインナップがどのようになっているか、それに伴い私たちの日常はどのように変わっているか...あるいは変わっていないかが気になってくる。
ではそのAppleの未来はどんな風になっているのだろうか…。初夢だからと言うわけではないが想像の翼を大きく広げ、勝手な希望を膨らませて考えてみたいと思う。
まず、10年後のAppleではどのようなプロダクトがあるのだろうか。一時はデスクトップ機の類が消滅するのではないかと言われたが、私は名称はともかく現行のiMac的なデスクトップ機あるいはMacBookといったノート型は現在以上に評価というか必要性が望まれ存続しているように思う。反対にiPadとiPhoneの存在は無くなっているというより大きく形や目的が変わると共にその存在意義も違ったものになっているのではないかと想像している。
余談だが個人的に携帯電話を使い始めて長いが、数年前と現在を比べてもその携帯電話というものの使い方は確実に違ってきていることに気づかされる。
例えば渋谷の駅を出てハチ公前を通ったと思っていただきたい。待ち合わせに使われる場所だけあっていつも結構な人数が携帯電話を使って話しをしていた…。「もう着いてるよ」「早く来いよ」「時間がないから先に行くぞ」などなど、それぞれが電話で連絡を取り合い、中には場所をも顧みずに大声を出しているオヤジもいた。
しかし最近はどうだろうか…。無論スマートフォンで通話をしている人もいるが数年前と比較すれば静かなものだ。何故なら携帯電話やスマートフォンを手にしていても彼ら彼女らはメールやSNSを使って情報交換しているからだ。電話…通話というリアルタイムにその時間に相手を縛ることになる行為、そして少なからず他人に会話を知られるという行為は自然に敬遠されていったように思える。
そのうち「スマートフォンって通話ができるんだ!」などと言い出す人がいるかも知れないし、”フォン” とか “電話” という名称が使われなくなってしまうかも知れないと夢想してしまう。
その大きな牽引力としてApple Watchを代表とするウェアラブルなデバイスが台頭するに違いない。時計型であれ眼鏡型であれ、普段はそれらのガジェットを身につけていることすら忘れるほど違和感のない軽くて小さな機器である。iPhoneにしろApple Watchにしろこれからの主要機能はゲームやエンタテインメントではなく医療やヘルスケアに関係する点が重要になってくると考える。

※Apple Watchのリリースが待たれる...
現在の日本では医療器具としての実用性を考えるとなればその壁は高くて厚いが、次の時代に進むためにはこれまでの制度や規制を見直すと共に新しいテクノロジーや企業の参入を加速せざるを得ないだろうしAppleは医療向け製品とファッション市場への野望を秘めているように思えるのだ。
またMac単体でも当然のことながらSiriをフルサポートするに違いないし、何らかのAIが搭載されるだろう。
そうなればかつてジョン・スカリーが在籍していた時代のAppleが盛んに未来のMacの理想像としてアピールしていた “Knowledge Navigator” の姿が現実味を帯びてくる。
Siriが本格的な人工知能テクノロジーである Mac AI あるいは iAI と結び付けば一昔前にはあくまで想像の世界だった “Knowledge Navigator” が意外と早く身近になるような気もする。我々は自然な会話で必要な情報を検索し、コミュニケーションできるようになる。

※Knowledge Navigator
ただし過日、理論物理学者のスティーヴン・ホーキング博士が発言した通り、究極の人工知能が完成した暁にはそれによって人類の存在が危ぶまれることになるかも知れないという危惧はついて回る。しかし人類の飽くなき探求は良くも悪くも行き着くところまで進むだろうしそれが未来の人類にとって栄光となるかあるいは悪魔の所行となるかは不明だが、まあ私はこの世に存在しない時代のことなので心配はしていない(笑)。
しかしデータやコンテンツの可視化に関しては現行のディスプレイの延長線以外にどのようなものが登場するかを考えるとどうにもSF的になってしまう。
それを承知でもう少し魅力的な発想をするなら、Apple Watchがホログラフィック・ディスプレイあるいは仮想ディスプレイをサポートし、グラフィックや写真あるいはメッセージなどを机上や壁面、あるいは空間に生成できる日が意外と早い時期に現実となるかも知れない。そうであればデバイスの小さなことは不便に繋がらない…。あるいは自分の分身であるアバターが本人は自宅にいながら世界中を駆け回って人と会い、情報を集めてくれるのかも知れない。
したがって身につけるデバイスは未来のApple Watchと音声を外に出したくない場合には耳に超小型で骨伝導タイプのワイヤレス・イヤフォンを付けておけばあらゆる通話相手と会話ができるだろうがリアルタイムの通話自体、前記したように次第に使われなくなっていくように思える…。ともかくデータ容量が嵩むものは自宅やオフィスのMacに転送しておけばよい理屈だ。
そのApple Watchは当然のことながらApplePayに利用できるだけでなく将来は個人を特定するための公的なデバイスと認定されるまでになるだろう。だとすれば単なる買い物の支払時にクレジットカード代わりやコンサートのチケット代わりだけでなく交通、金融、医療、教育なども含めての個人認証、身分証明にもなるだろう。すでに米国ではスマートフォーンのアプリが運転免許証代わりとして使える州が登場したという。こうした傾向は弾みが付く形で浸透していくに違いない。
こうなると当然個人の情報に関するセキュリティもより重要になってくるし消費者としては心配事も多くなる。何故ならこれまで ITに関わるビジネスは可能な限り顧客のデータ…すなわち住所や名前は勿論、生年月日から配偶者の有無、趣味趣向にいたるまで可能な限りのデータを集めることがビジネス成功の鍵だと考えられてきた。そして時にそうした個人情報が大量に不正流出するという現実もあった…。
こうしたビッグデータといった人の生死にまでかかわる情報をAppleが牛耳るようになる時代がくるのかも知れないと危惧していたが、それは我々が知っているこれまでのAppleではなく、かつてスティーブ・ジョブズが嫌ったビッグ・ブラザーそのものになってしまうという危惧であった。
ただし我々の日常や仕事のやり方あるいはアプローチも変わっていくだけでなくIT関係に限らずビジネスのあり方および価値観そのものも急速に変容していくに違いない。そして既成のビジネスのあり方を変えるのはやはりというか…Appleなのかも知れない。
なぜならAppleはApplePay発表時に「顧客のデータはもう収集しない」と公言しているからだ。デバイスやガジェットだけでなくそのサービスが世界中に支持されることで今後益々Appleのプロダクトとビジネスの手法はその業界のスタンダードになっていくだろう。そのAppleがビジネスに顧客データを頼りにすることは時代遅れと言っているようなものだ。まあどこまで本気で宣っているのかは現時点で不明だが、逆に未来はプライバシーという概念そのものが無くなっている可能性もある。
街に出れば多くのセンサーに自身の健康状態から感情にいたるまでがリアルタイムに把握されているかも知れないからだ。
それはともかくAppleは製品そのものをデザインや機能あるいはユーザーインターフェースそしてパッケージに至るまで拘った新機軸を開きそれが市場の大きな支持を得ると共にスタンダードとなってきたが、そのAppleはプロダクトだけでなくサービスや企業のあり方、ビジネスの手法、価値観にいたるまでを根底から覆すパワーを持っている。業界のリーダーというより良くも悪くも世界中のビジネスの指針となっていくに違いない。
Appleとその製品は私らがユーザーとなったその昔、ホントに知る人しか知らない企業だった。それが電車の中で周りを見渡せばスマホを使っているそのほとんどがiPhoneだという時代になった。マイナーなApple、分かる人しか分からないApple…それが我々の愛するAppleだったが、現在の繁栄は正直嬉しい反面、どこか黎明期の香りを恋しく思っている自分がいる…。
Appleに危惧する点があるとすればジョブズ時代とのギャップではないか。無論ジョブズはAppleの創業者だし復帰後瀕死のAppleを救った張本人だったが現CEOのティム・クックはそのDNAを引き継いでいるとは言え自身の血の中に創業の志は流れていない。

※Appleの現CEO、ティム・クック
一部のユーザーと向き合いつつ、最高最良のプロダクトを作り出そうとしてきたAppleは突如世界一の企業となったしそのプロダクトは世界のスタンダードになりつつある。今後は少々特異な企業、ユニークなメーカーといったことだけでは済まされず様々な点で市場や業界、競合他社の攻撃の矢面に立たされ、追われる立場を多々味わうことになるだろう。
私達にとってAppleは、単なるコンピュータや携帯電話を提供してくれるメーカーではないのだ。黎明期にはアメリカの最先端の香りと文化を伝えてくれたが、それだけでなく世界を変える...いや自分を変えるツールを提供できる他に類のない特異なメーカーなのだ。
それが出来たのは何といっても創業者であるスティーブ・ジョブズの力があったればこそだ。別に無い物ねだりをするつもりはないし企業も時代と共に変容していかなければならないから昔のままでいろというわけではない。しかしこれからも世界を、我々の日常をより良いものに、より楽しいものに変えうるパワーを持ちうるかという点について申し上げればそれは簡単な事ではないと考えている...。
世間、業界、消費者は輝いているものには飛びつくが飽きるのも早いものだ。Appleが巨大な普通の企業になっていくとすれば突如市場やユーザーに飽きられそっぽを向かれる時代がくるかも知れない...。それが少々気がかりでもある。
ということで勝手な想像はまだまだ膨らむが、きりがないのでこの辺にしておくことにしよう…。いずれにしても今年はこれまで以上にAppleから目を離せない1年となりそうだ。
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