ラテ飼育格闘日記(313)
この格闘日記もできることならそろそろ “仲良し日記” とでもしたいのだが、相変わらずラテとの毎日は格闘そのものである。ラテはオトーサンたちの事を知り尽くしているのかも知れないが、オトーサンたちはまだまだラテの能力のすべてを知ったわけではないし毎日が知恵比べてあり根比べといった感じなのだ。 ラテを飼う前、オトーサンはワンコなど...どのワンコも同じようなものだと大変誤った考えを持っていた。無論犬種により多少の気質の違いはあったとしてもワンコはワンコであり、飼い主に対する接し方や態度などに大きな違いがあるとは想像もしなかった。そして知能の高さと言ったことも漠然と知っていただけで誠に無知な飼い主だったといえるが、それだけにいまだに驚いたり関心したりすることも多く、毎日は刺激的である。
最近感心することのひとつは食事の食べ方だ。毎日朝晩の2食を通常オトーサンが用意する。ただしメニューの内容はラテがアトピーと診断され、食べてはいけない物が多く指摘されたことでもありシンプルなものになっている。
動物病院指定の低アレルゲン・ドッグフードに豚肉を焼いたものをトッピングとして少し乗せ、回りに茹でたブロッコリーをあしらうといった感じとなる。
これを差し出すと通常は待ってましたとばかり食器に近寄って食べ始めるが、面白いのは通常ドッグフードを数粒残すことだ…。

※この小さな頭の中で何を考えているのだろうか...
最初は単に飽きたとかお腹が一杯になったからかな…と思ったがそもそもダイエット中でもあり量は少なめでありラテが満足する量ではない。また内容が気にくわないのかも知れないとも考えたが次第にラテの行動の意味が分かってきた。ほとんど残すとか半分残すのではなく何故数粒なのかが疑問だったが、その鍵は女房にあった。
ラテが食べて良い物に限るが、我々が食事中にラテが寄ってくると少しではあるがおこぼれをラテにあげるという困った女房だが、我々の横に並びジッと視線を向けているその姿はなかなか無視できるものではない(笑)。これはワンコ最大の武器ではないかと思うほどで、人間の食べ物は基本的にあげてはならないと言われているがその視線の強さに負けて、少しおこぼれをあげてしまう…。
しかし本来、おこぼれを貰うことと主食を残すことの間に関連性はないはずだが、いつのまにかラテは少し残すとオカーサンがそこに何らかのおこぼれを追加してくれるという事を学んだようなのだ。
女房としては残さずに食べて欲しいという一念からドッグフードの上に我々の食べ物の切れ端を乗せる。ラテはそれを食べると共に思い出したように残したドッグフードも一緒に食べるということを繰り返しているうちに「残せば何か入れてくれる」ことを覚え期待するようになったらしい(笑)。したがって最近ではドッグフードをほんの2,3粒残すという技を使うようになったのだ…。

※オカーサンの手にある食べ物をねだり、にじり寄るラテ(笑)
しかし驚くことはオトーサンたちの主食がカレーだったりスパゲッティだったりするとラテへのおこぼれにする食材はないわけだが、これまた最近ではそうしたメニューのときは最初から自分の分は残さず食べたり、あるいはオトーサンたちの足元に近寄って食べ物を欲しがらないのだから感心してしまう。この臭いのときは貰えないということも学習したらしいことにオトーサンは驚いてしまった。
そして驚くといえばラテの水飲みに関することだ。以前も少し触れたと思うが、そもそもワンコとは本能のみで生き、その場その場を生き抜くだけで過去はもとより未来というものを持っていないという認識が多かったように思う。ワンコは”犬畜生”であり、彼や彼女にはいまこの瞬間しかないという考え方だ。
そこに食べられるものがあればお腹に入るだけ食べ、水が飲みたければ後先を考えずに飲むといった意味だ。しかしラテと毎日一緒に寝起きをしていると過去への記憶がきちんと残っていることも分かるし、我々人間と同様の意識ではないのだろうが未来への配慮をも考えていることを知らされるのだ。

※紅葉を眺めているのではなく視線の先にはカラスが...
その顕著な一例として水の飲み方があげられる…。
ワンコの育児書などにもよく「新鮮な水をいつでも飲めるようにしておくこと」と書かれているし、我々と同様に生きていく上で水分補給は大切な要素だ。そして食事の後などにはラテも音を立てて水をがぶ飲みするのが通例だが、ことはそうそう単純ではないのである。
特に問題となる点は夕方のさ散歩から戻った後、翌朝の散歩に出るまでラテは室内でオシッコをしないために我慢することになるわけだ…。無論ラテが我が家に来た当初からオトーサンは同じ場所にシートを敷き、いつでもオシッコができるようにしてあるのだが、ある時期から室内ではしなくなってしまった。
したがって翌朝まで12時間ほどオシッコをしないわけで、これはちょっと心配なのだ。だから夕方の散歩が天気やラテの体調あるいはオトーサンの都合などで早めに切り上げたときには寝る前にまた近所にラテを連れ出すこともある。
特にこうした冬場になると空気が乾燥して喉が渇くのは人間もワンコも一緒である。
まずラテのホームポジションであるリビングで寝るときにはそこに新鮮な水を用意しているので好きなときに飲んでいるが、ラテがオトーサンたちと一緒に2階で寝ようとするときには必ずといってよいほどまずは水を飲んでから2階に上がることだ。これは2階に上がれば自由に水が飲めないことを知っていることになる。

気温が低くなったらラテは歩くこと、歩くこと。オトーサンは大変である
また前記したように夜遅くにオシッコのために数分外に出て戻ってきたときにも膀胱が空になったからか安心した表情で水を飲む。そして夜中にラテが口が渇いたことを示すようにピチャピチャと口を舐めるような時があるが、オトーサンが水を2階に持ち込んでも舌先でチョロッと舐める程度で水は飲まない…。明らかに喉が渇いているのだろうがオシッコを我慢する関係上、水は飲めないということらしい。
さらに夕方の散歩に出かけようとするとき、これまた決まったようにラテは水を飲み出すが、無論それはオトーサンが散歩の支度を始めたからすぐ外に出られると思うからだ。
こうして考えると水を飲むというごく日常的な行為にもラテは自身の経験を踏まえて未来…というのが奥がましいのなら先を見越して行動を起こしていることになる。飲みたいときに水を飲んで、オシッコがしたいならいつでもどこでもすれば良いというのがいわゆる一般的な動物というのなら、ラテの行動はかなり違ったものだということになる。
無論その判断基準は人間同様に倫理とか道徳あるいは恥ずかしいといった感情ではなく、あくまでオシッコを我慢する “つらさ” を軽減する目的だとしても、いまこの瞬間瞬間にしか考えが及ばない単純な生き物ではないことがわかる。そして「いまここで水を飲んだら後が辛くなるから我慢」といった心情が働くならそれは例え数時間後のことだとはいえ未来に気を向けているということになるのではないか。
前記したドッグフードを数粒残すことや水を飲む時間を自分の生活サイクルを元に考えていることなど、因果関係を意識しているように思えてオトーサンは感心することしきりなのである。
最近感心することのひとつは食事の食べ方だ。毎日朝晩の2食を通常オトーサンが用意する。ただしメニューの内容はラテがアトピーと診断され、食べてはいけない物が多く指摘されたことでもありシンプルなものになっている。
動物病院指定の低アレルゲン・ドッグフードに豚肉を焼いたものをトッピングとして少し乗せ、回りに茹でたブロッコリーをあしらうといった感じとなる。
これを差し出すと通常は待ってましたとばかり食器に近寄って食べ始めるが、面白いのは通常ドッグフードを数粒残すことだ…。

※この小さな頭の中で何を考えているのだろうか...
最初は単に飽きたとかお腹が一杯になったからかな…と思ったがそもそもダイエット中でもあり量は少なめでありラテが満足する量ではない。また内容が気にくわないのかも知れないとも考えたが次第にラテの行動の意味が分かってきた。ほとんど残すとか半分残すのではなく何故数粒なのかが疑問だったが、その鍵は女房にあった。
ラテが食べて良い物に限るが、我々が食事中にラテが寄ってくると少しではあるがおこぼれをラテにあげるという困った女房だが、我々の横に並びジッと視線を向けているその姿はなかなか無視できるものではない(笑)。これはワンコ最大の武器ではないかと思うほどで、人間の食べ物は基本的にあげてはならないと言われているがその視線の強さに負けて、少しおこぼれをあげてしまう…。
しかし本来、おこぼれを貰うことと主食を残すことの間に関連性はないはずだが、いつのまにかラテは少し残すとオカーサンがそこに何らかのおこぼれを追加してくれるという事を学んだようなのだ。
女房としては残さずに食べて欲しいという一念からドッグフードの上に我々の食べ物の切れ端を乗せる。ラテはそれを食べると共に思い出したように残したドッグフードも一緒に食べるということを繰り返しているうちに「残せば何か入れてくれる」ことを覚え期待するようになったらしい(笑)。したがって最近ではドッグフードをほんの2,3粒残すという技を使うようになったのだ…。

※オカーサンの手にある食べ物をねだり、にじり寄るラテ(笑)
しかし驚くことはオトーサンたちの主食がカレーだったりスパゲッティだったりするとラテへのおこぼれにする食材はないわけだが、これまた最近ではそうしたメニューのときは最初から自分の分は残さず食べたり、あるいはオトーサンたちの足元に近寄って食べ物を欲しがらないのだから感心してしまう。この臭いのときは貰えないということも学習したらしいことにオトーサンは驚いてしまった。
そして驚くといえばラテの水飲みに関することだ。以前も少し触れたと思うが、そもそもワンコとは本能のみで生き、その場その場を生き抜くだけで過去はもとより未来というものを持っていないという認識が多かったように思う。ワンコは”犬畜生”であり、彼や彼女にはいまこの瞬間しかないという考え方だ。
そこに食べられるものがあればお腹に入るだけ食べ、水が飲みたければ後先を考えずに飲むといった意味だ。しかしラテと毎日一緒に寝起きをしていると過去への記憶がきちんと残っていることも分かるし、我々人間と同様の意識ではないのだろうが未来への配慮をも考えていることを知らされるのだ。

※紅葉を眺めているのではなく視線の先にはカラスが...
その顕著な一例として水の飲み方があげられる…。
ワンコの育児書などにもよく「新鮮な水をいつでも飲めるようにしておくこと」と書かれているし、我々と同様に生きていく上で水分補給は大切な要素だ。そして食事の後などにはラテも音を立てて水をがぶ飲みするのが通例だが、ことはそうそう単純ではないのである。
特に問題となる点は夕方のさ散歩から戻った後、翌朝の散歩に出るまでラテは室内でオシッコをしないために我慢することになるわけだ…。無論ラテが我が家に来た当初からオトーサンは同じ場所にシートを敷き、いつでもオシッコができるようにしてあるのだが、ある時期から室内ではしなくなってしまった。
したがって翌朝まで12時間ほどオシッコをしないわけで、これはちょっと心配なのだ。だから夕方の散歩が天気やラテの体調あるいはオトーサンの都合などで早めに切り上げたときには寝る前にまた近所にラテを連れ出すこともある。
特にこうした冬場になると空気が乾燥して喉が渇くのは人間もワンコも一緒である。
まずラテのホームポジションであるリビングで寝るときにはそこに新鮮な水を用意しているので好きなときに飲んでいるが、ラテがオトーサンたちと一緒に2階で寝ようとするときには必ずといってよいほどまずは水を飲んでから2階に上がることだ。これは2階に上がれば自由に水が飲めないことを知っていることになる。

気温が低くなったらラテは歩くこと、歩くこと。オトーサンは大変である
また前記したように夜遅くにオシッコのために数分外に出て戻ってきたときにも膀胱が空になったからか安心した表情で水を飲む。そして夜中にラテが口が渇いたことを示すようにピチャピチャと口を舐めるような時があるが、オトーサンが水を2階に持ち込んでも舌先でチョロッと舐める程度で水は飲まない…。明らかに喉が渇いているのだろうがオシッコを我慢する関係上、水は飲めないということらしい。
さらに夕方の散歩に出かけようとするとき、これまた決まったようにラテは水を飲み出すが、無論それはオトーサンが散歩の支度を始めたからすぐ外に出られると思うからだ。
こうして考えると水を飲むというごく日常的な行為にもラテは自身の経験を踏まえて未来…というのが奥がましいのなら先を見越して行動を起こしていることになる。飲みたいときに水を飲んで、オシッコがしたいならいつでもどこでもすれば良いというのがいわゆる一般的な動物というのなら、ラテの行動はかなり違ったものだということになる。
無論その判断基準は人間同様に倫理とか道徳あるいは恥ずかしいといった感情ではなく、あくまでオシッコを我慢する “つらさ” を軽減する目的だとしても、いまこの瞬間瞬間にしか考えが及ばない単純な生き物ではないことがわかる。そして「いまここで水を飲んだら後が辛くなるから我慢」といった心情が働くならそれは例え数時間後のことだとはいえ未来に気を向けているということになるのではないか。
前記したドッグフードを数粒残すことや水を飲む時間を自分の生活サイクルを元に考えていることなど、因果関係を意識しているように思えてオトーサンは感心することしきりなのである。
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