「クレーの日記」「クレーの手紙」に思うデジタルの危うさを思う
先週は訳あって20世紀を代表する画家、パウル・クレーについて調べていた。そうした過程で思いついたあれこれは近々当ブログにも反映したいと考えているが、クレーが残した膨大な日記や手紙の存在を見るにつけ、ある意味言い尽くされた感もあるが、あらためて現在のメールやデジタルにした資料の危うさが見えるようで考えさせられてしまった。
あらためて申し上げるまでもなく手元の書籍はもとより、ビジネス文書、領収書、名刺あるいはマニュアル類などなど、そのまま残しておくには煩雑であり保管スペースも必要だということでスキャナでデジタル化することがトレンドであり推奨されている。
確かにデジタルなら物理的なスペースは不要だし、検索も可能、そして他のシステムやソフトウェアと連携して整理整頓だけでなく二次利用にも便利だとされているし、事実多くの方々がその恩恵を被っているに違いない。

※「クレーの手紙 1893 ー 1940」南原実訳 (新潮社刊)
そうした利点について今更反論したり異論を唱えようとするものではないが、例えば残されている画家パウル・クレーの日記や手紙から彼の人生や人となり、あるいは芸術への思いと共に彼の内面世界をのぞき見ることができる有益さをひしひしと感じていると、昨今のデジタル化となったデータ類というものが果たして近未来において残り得るのかという不安に苛まれてくる。

※「クレーの日記」南原実訳 (新潮社刊)
クレーの残した日記や手紙は本来プライベートなものであり、後に第三者に読まれることを意識したものではないというのが普通の見方だ。しかし彼のことばに「芸術とは、眼に見えるものを再現するのではなく、眼に見えるようにすることなのだ」という主張があるが、そういう彼がエクササイズを通して進化していく過程は膨大な彼の作品群から汲み取れる以上に日記や手紙から引き出すことができ、後世の我々が勉強の糧とすることができるように思う。
クレーは文章を書くのが好きだったようだが、昔の人の多くは現代の我々とは桁違いに筆まめだった。クレーが日記を付けていたのは自己省察のためだったが、彼の死後に遺された4冊のノートは息子であるフェリックスによって編集され、「クレーの日記」(1956)として刊行された。
そこから我々は彼の生い立ち、交友関係、絵画技法への取り組み、あるいは育児や軍隊生活に至るまで…文字通り画家となるまでの過程や数々の原体験を克明に読み取ることができる。まるでテキストによるひとつの大作を見るようだ...。
また「クレーの手紙」は13歳から死の直前にいたるまで家族にあてた手紙を中心に47年間にわたる書簡集であり膨大な量が集約されている。そこには当然のことながら彼の仕事や芸術に対する苦悩と喜びが、そして音楽、文学、交友関係についてなど、とりわけ「クレーの日記」以後、晩年の私的な生活を知り得る貴重な資料でもある。
今回は「クレーの日記」「クレーの手紙」の内容に触れるのが目的ではないので中身についてはスルーさせていただくが、クレーの息子が言うようにクレー自身が度を超した整理魔だったとしても、そして編集し後世の我々が読めるように努力をした息子の力があったとはいえ、そもそも現代の我々から見れば本人直筆の日記や手紙がよくぞこれだけ残っていたものだとまずは不思議に思うのではないだろうか...。
その理由は間違いなく日記や手紙の類が紙ベースの "物" として大切に保管されていたからに違いない。

※大塚国際美術館にてパウル・クレーの作品コーナー部分
そうだとすれば、果たして現代の作家たちの残した手紙や日記がもしデジタルなら、残念ながら後世にこれだけ生々しく残りそして伝えることが可能だとは思えない...。
したがって例えば21世紀のクレーがいかに偉大だったとしても彼の偉業を後世に残したいとその息子が孤軍奮闘したとしてもそれは困難に違いない。
何故なら申し上げるまでもなく現実の「クレーの手紙」のように13歳から死の直前にいたるまでの電子メールが残っているとは到底思えない点があげられよう。
我々がそうであるように数十年の間には幾多パソコンの機種換えがあり、かつその記録メディアもフロッピーディスクやMO、ハードディスクやCD-RあるいはUSBメモリ、さらにクラウドなどと変わってきたし、その途中でパソコンだけでなくメディアの故障やトラブルに遭遇しなかったユーザーは珍しいのではないか。第一クラウドサービスだっていつまで続くか保証はない(笑)。
そうしたトラブルの際にそれまでのデータを失うことなど珍しいことではないことはほとんどの方が体験済みだ。これはCD-Rなどにバックアップを取っていたとしてもかなり神経質に取り扱わなければ数十年の間には読めなくなったりすることは十分想像できるから、21世紀のクレーもそれは当然同じに違いない。
そしてまた電子メールが妻はもとより息子や孫の手に渡り後世に語り継がれる…というのも現実味に欠ける。何故なら現代においてパソコンやスマホはそれぞれ個人の持ち物であるだけでなく息子や妻といった家族でさえもプライバシーの壁もあって扱うことは困難だ。例え親の iPhoneに残された多くのメッセージがあったとしても息子や家族にパスコードを知らせるとは思えない(笑)。ということは本人自身が生前にデータの整理は勿論、他者が扱える形にしてその存在を知らしめておくか、生きている内に出版するのでなければ世の中に公開するのは難しい…。
あっ、死人の指で指紋認証を解除する...ってのはナシにしての話しだけど(笑)。
さらに致命的なこととして電子メールなどをプリントアウトしたものだけではそれが本当に21世紀のクレーからの手紙なのかは第三者に分からないという現実がある。直筆による鑑定などできようもないからだ。
いや…そうした論議はもはや言い尽くされたものであり時代錯誤か。貴重なのは直筆であるかどうかではなくその内容であるはずだ…。という反論もあるに違いない。まさしくその通りだが、生身の人間が偉人や天才の功績を思うとき、そこには納得しうる "真実味" がなければならない。
真筆が残っていることの重要性は、それが活字になったとしても本物としての裏付けとなるからだ。

※クレーの筆跡。前記「クレーの日記」より
Twitterで成りすましが可能なように、第三者があたかも21世紀のクレーとメールのやりとりをしていたようにでっち上げる可能性もあり得るだろう。したがって単に電子メールを集約し編集したところでどうにも信憑性に欠けるように思う。
ということで現代の天才たちの偉業が半世紀、1世紀後にリアルに残るかどうかは甚だ疑問であり難しいことのように思えるのだ。
とはいえ視点を変えれば、次の時代はテキストで何かを残すというより映像で自分たちの存在証明を記録していく時代なのだろうとは思うが、まあ…この話し…憂いは今更といった感があるだけでなく、私などが心配することではないということで…オチとしようか(笑)。
あらためて申し上げるまでもなく手元の書籍はもとより、ビジネス文書、領収書、名刺あるいはマニュアル類などなど、そのまま残しておくには煩雑であり保管スペースも必要だということでスキャナでデジタル化することがトレンドであり推奨されている。
確かにデジタルなら物理的なスペースは不要だし、検索も可能、そして他のシステムやソフトウェアと連携して整理整頓だけでなく二次利用にも便利だとされているし、事実多くの方々がその恩恵を被っているに違いない。

※「クレーの手紙 1893 ー 1940」南原実訳 (新潮社刊)
そうした利点について今更反論したり異論を唱えようとするものではないが、例えば残されている画家パウル・クレーの日記や手紙から彼の人生や人となり、あるいは芸術への思いと共に彼の内面世界をのぞき見ることができる有益さをひしひしと感じていると、昨今のデジタル化となったデータ類というものが果たして近未来において残り得るのかという不安に苛まれてくる。

※「クレーの日記」南原実訳 (新潮社刊)
クレーの残した日記や手紙は本来プライベートなものであり、後に第三者に読まれることを意識したものではないというのが普通の見方だ。しかし彼のことばに「芸術とは、眼に見えるものを再現するのではなく、眼に見えるようにすることなのだ」という主張があるが、そういう彼がエクササイズを通して進化していく過程は膨大な彼の作品群から汲み取れる以上に日記や手紙から引き出すことができ、後世の我々が勉強の糧とすることができるように思う。
クレーは文章を書くのが好きだったようだが、昔の人の多くは現代の我々とは桁違いに筆まめだった。クレーが日記を付けていたのは自己省察のためだったが、彼の死後に遺された4冊のノートは息子であるフェリックスによって編集され、「クレーの日記」(1956)として刊行された。
そこから我々は彼の生い立ち、交友関係、絵画技法への取り組み、あるいは育児や軍隊生活に至るまで…文字通り画家となるまでの過程や数々の原体験を克明に読み取ることができる。まるでテキストによるひとつの大作を見るようだ...。
また「クレーの手紙」は13歳から死の直前にいたるまで家族にあてた手紙を中心に47年間にわたる書簡集であり膨大な量が集約されている。そこには当然のことながら彼の仕事や芸術に対する苦悩と喜びが、そして音楽、文学、交友関係についてなど、とりわけ「クレーの日記」以後、晩年の私的な生活を知り得る貴重な資料でもある。
今回は「クレーの日記」「クレーの手紙」の内容に触れるのが目的ではないので中身についてはスルーさせていただくが、クレーの息子が言うようにクレー自身が度を超した整理魔だったとしても、そして編集し後世の我々が読めるように努力をした息子の力があったとはいえ、そもそも現代の我々から見れば本人直筆の日記や手紙がよくぞこれだけ残っていたものだとまずは不思議に思うのではないだろうか...。
その理由は間違いなく日記や手紙の類が紙ベースの "物" として大切に保管されていたからに違いない。

※大塚国際美術館にてパウル・クレーの作品コーナー部分
そうだとすれば、果たして現代の作家たちの残した手紙や日記がもしデジタルなら、残念ながら後世にこれだけ生々しく残りそして伝えることが可能だとは思えない...。
したがって例えば21世紀のクレーがいかに偉大だったとしても彼の偉業を後世に残したいとその息子が孤軍奮闘したとしてもそれは困難に違いない。
何故なら申し上げるまでもなく現実の「クレーの手紙」のように13歳から死の直前にいたるまでの電子メールが残っているとは到底思えない点があげられよう。
我々がそうであるように数十年の間には幾多パソコンの機種換えがあり、かつその記録メディアもフロッピーディスクやMO、ハードディスクやCD-RあるいはUSBメモリ、さらにクラウドなどと変わってきたし、その途中でパソコンだけでなくメディアの故障やトラブルに遭遇しなかったユーザーは珍しいのではないか。第一クラウドサービスだっていつまで続くか保証はない(笑)。
そうしたトラブルの際にそれまでのデータを失うことなど珍しいことではないことはほとんどの方が体験済みだ。これはCD-Rなどにバックアップを取っていたとしてもかなり神経質に取り扱わなければ数十年の間には読めなくなったりすることは十分想像できるから、21世紀のクレーもそれは当然同じに違いない。
そしてまた電子メールが妻はもとより息子や孫の手に渡り後世に語り継がれる…というのも現実味に欠ける。何故なら現代においてパソコンやスマホはそれぞれ個人の持ち物であるだけでなく息子や妻といった家族でさえもプライバシーの壁もあって扱うことは困難だ。例え親の iPhoneに残された多くのメッセージがあったとしても息子や家族にパスコードを知らせるとは思えない(笑)。ということは本人自身が生前にデータの整理は勿論、他者が扱える形にしてその存在を知らしめておくか、生きている内に出版するのでなければ世の中に公開するのは難しい…。
あっ、死人の指で指紋認証を解除する...ってのはナシにしての話しだけど(笑)。
さらに致命的なこととして電子メールなどをプリントアウトしたものだけではそれが本当に21世紀のクレーからの手紙なのかは第三者に分からないという現実がある。直筆による鑑定などできようもないからだ。
いや…そうした論議はもはや言い尽くされたものであり時代錯誤か。貴重なのは直筆であるかどうかではなくその内容であるはずだ…。という反論もあるに違いない。まさしくその通りだが、生身の人間が偉人や天才の功績を思うとき、そこには納得しうる "真実味" がなければならない。
真筆が残っていることの重要性は、それが活字になったとしても本物としての裏付けとなるからだ。

※クレーの筆跡。前記「クレーの日記」より
Twitterで成りすましが可能なように、第三者があたかも21世紀のクレーとメールのやりとりをしていたようにでっち上げる可能性もあり得るだろう。したがって単に電子メールを集約し編集したところでどうにも信憑性に欠けるように思う。
ということで現代の天才たちの偉業が半世紀、1世紀後にリアルに残るかどうかは甚だ疑問であり難しいことのように思えるのだ。
とはいえ視点を変えれば、次の時代はテキストで何かを残すというより映像で自分たちの存在証明を記録していく時代なのだろうとは思うが、まあ…この話し…憂いは今更といった感があるだけでなく、私などが心配することではないということで…オチとしようか(笑)。
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