Apple設立39周年に思うAppleとの出会い

少し話題が遅くなったが、今月4月1日はご承知の方も多いようにAppleが創立39周年を迎えた日である。ところで39年前の1976年、Apple Compiter Companyはスティーブ・ジョブズ、スティーブ・ウォズニアックそしてロン・ウェインの三人で設立された。その同年私は初めて個人向けのコンピュータというものを意識したことでもあり、今回は私とAppleの接点を思い出してみた。


私自身の39年前すなわち1976年は決して良い年ではなかった。翌年の1977年に結婚式を挙げる事になっていたが、勤務していた会社を辞める決心をしていた時期でもあったからだ...。そして金もなかった(^_^;)。
そんなもやもやしていたときにいわゆるマイコンと出会うことになる。そしてNEC TK80というマイクロコンピュータ・トレーニングボードが発売されたのがその1976年8月なのだ。

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※NEC TK80 マイクロコンピュータ・トレーニングボード (株式会社技術少年出版提供)


価格は88,500円だった。しかしこの組み立てキットを知ったものの、ハンダごてを使う組立に自信がなかったことと予算の問題で結局翌年1977年12月(結婚の翌月)に組立済みとして販売された富士通FACOM LKit-8を秋葉原に出向いて電源込み100,000円で購入した。

記憶もすでに薄れてしまったがこの1976年とか1977年にApple Computer社とかApple 1 あるいはApple II といった類の情報を知っていたかどうかについては正直心許ない。
但し1978年にはすでに「I/O」とか「マイコン」といった月刊誌を読み、簡単なプログラムなどを投稿していたからそうした雑誌の端端から最新情報は得ていたはずだ。

そしてこの年の12月にコモドール社のPET2001というオールインワンコンピュータを298,000円で購入したが、その購入に際してはじめてApple IIをはっきりと意識したことを記憶している。
何故なら本当はカラーをサポートしていたApple IIを欲しかったがあまりにも高価で手が出ずにPET2001を購入することにしたからだ。したがって1978年にはApple IIというパーソナルコンピュータの存在を文字通り高嶺の花として知ったことになる。

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※コモドール PET2001。画面は最初期の麻雀ゲーム


私がApple IIの実物を最初に見たのはその1978年であり、場所は池袋の西武百貨店だった。
いまから思えば至極単純でアニメーションというよりスライドショーとも思えるものだったが店頭にディスプレイされたモニターTVには、ワインあるいはウィスキーのボトルから確か...シャンパングラスに色づけされた中身が注がれるという映像だった。無論ボトルもグラスも3Dなどではなく単なる線画だったが私の目にはそれが大変美しく映った。そしてパソコンで絵を描き動画を作れる可能性を発見して驚喜した。

結局私がApple IIの構成部品を秋葉原で買い求め、いわゆる非合法のコピー品を組み立てたのが1982年6月、そして自責の念から(笑)何とか本物のApple II J-Plusを買ったのが同年12月であった。
その間に前記したPET2001の他、シャープのポケットコンピュータPC-1210、カシオのデスクトップコンピュータFX-9000Pなども手元を通過していったがApple IIは特別の存在であり多くの夢を与え続けてくれた。

私はこのApple IIやその後のApple IIeでゲームは勿論、カラーグラフィックス、ビデオデジタイザ、ミュージック・シンセサイザー、3D、音声認識と音声合成、アニメーション、ネットワーク、ワードプロセッサ、スプレッドシートなどを実体験しただけでなくBASICを始めとするTINY Pascal、LOGO、LISPといったいわゆる当時の高級言語とよばれる開発環境を勉強しパーソナルコンピュータの可能性に大いに触発されたのだった。

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※本来は計測用機材だったビデオ・デジタイザで写真や図版を取り込むことをApple II で始めた(1982年)


今から思えば「パソコンで絵を描く」「パソコンでアニメーションを作る」といった夢がそのまま続き、結局パーソナルコンピュータのソフトウェア開発を仕事にしてしまったそもそものきっかけがApple IIだったといえる。
但し振り返ってみると当時はApple IIという製品そのものに興味のほとんどが向いており、それを開発したApple Computerという企業や、ましてやスティーブ・ジョブズならびにスティーブ・ウォズニアクたちのアメリカンドリーム云々の話には興味はなかった。というよりそうした情報がほとんど入ってこなかったことも原因だろう。

そもそもAppleという会社のイメージは良いものではなかった(笑)。価格が高いのはともかく、製品にバラツキがありサポートも不十分で漏れ聞こえる噂からは傲慢なベンチャー企業といった感じを受けていた。そして手元にあるApple IIというパソコンをいかに使うかといった情報以外の情報は遠い米国の話であり、私たちには関係のないことと認識していた。

私がApple Computerという企業を意識し始めたのはやはりMacintoshが登場した1984年以降であった。そして企業としてのAppleをきちんと意識せざるを得なくなったのはこれまた私が起業しアップルコンピュータのデベロッパーとして活動を開始した1989年からである。さらに1987年に3Dの祭典SIGGRAPHに出向いたことを皮切りに翌年からサンフランシスコやボストンで開催されるMacworld Expoに出向くようになった。そうした関係から国内にはなかなか入ってこない幾多の最新情報に直接触れることができるようになったことがAppleへの興味を増幅させることになった。

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※1987年7月米国ロサンゼルス/アナハイムのSIGGRAPHイベント会場前にて。初めての渡米だった


今から思えばApple IIに...Macintoshに出会っていなければ現在の私は存在しなかったはずだ。そして結果論ではあるが1989年から2003年の間、どっぷりとAppleあるいはアップル業界に両足を...否、頭の先まで突っ込むはめになった(笑)。
その足かけ14年間は僭越ながらデベロッパー各社の中でも常にアップルビジネスの最前線で活動でき、良くも悪くも激動のその場その場にいたことを今では誇りに思っている...。

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※前記SIGGRAPH '87の展示会場にはAppleのブースもあった


とはいえ正直に言えばそれらのビジネスで受けた様々な経験・体験は楽しい事ばかりではなく現在でも公言することがはばかれる幾多の出来事もあった。
いずれそうした心的封印が解ける時期もくるだろう。その時にこそ日本のアップル市場を俯瞰した目で眺めながら私なりの「実録アップル/ソフトハウス物語」でも書いてみようと思っている(^_^)。

この4月はご承知のようにApple Watchが販売開始となるが、あらためて「よくもまあ...公私ともに...飽きずにAppleとつきあってきた」とつくづく思う。
そのApple Watchが予定どおり到着したらそのApple Watchと共に30数年もAppleと付き合ってきた自分に祝杯をあげようと思っている...。



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Author:mactechlab
主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。また直近では「木挽町お鶴捕物控え」を発表している。
2018年春から3Dプリンターを複数台活用中であり2021年からはレーザー加工機にも目を向けている。ゆうMUG会員