ビジネス回顧録〜銀行との思い出

銀行...というと行員の方々には申し訳ないが悪い印象しかないという人も多い。雨の日に傘を貸す商売だと揶揄され、肝心なときに裏切られるという印象か。私もサラリーマン時代と会社経営時代を合わせると26年間ほど銀行の外為担当と付き合ってきたが、時代を経るにつれ銀行も世知辛くなったようだ。今回は仕事上の銀行との思い出を綴ってみる...。


先般とある事業主の方から取引銀行との付き合いで悩んでいるという話しを伺った。余計な事とは思ったがいくつかアドバイスを申し上げたが、古傷が疼くような…エピソードをいくつか思い出したので今回は銀行との付き合い方に努力した時代を振り返ってみた。

いま事業を遂行する場合、業種や規模にもよるだろうが、銀行に依存することなくビジネスを遂行することは不可能ではないだろう。借入金はなし、約束手形や小切手の発行もないとすれば銀行は単にお金のやり取りの場として口座を持っているだけとなる。

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※東京都新宿区住吉町にある都営地下鉄「曙橋駅」。2000年までこの近隣に本社をかまえていた


しかし私らが起業した時代は売上げ代金の回収に約束手形を受け取らざるを得ないことも多かった。例えばソニーとの取引でもある一定額以上の集金額の場合には手形だった。その約束手形を期日まで持っているにしろ期日前に割引を依頼するとなれば銀行を抜きにしては成り立たない...。
あるいは海外に送金の場合、海外からの入金の授受と換金などなど銀行の介在を無視してはビジネスが成り立たないように世の中はできているようだ(笑)。

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※ソニーへ売上金の集金に出向く際に必要な「領収印印鑑登録」証。正式な取引先である証明でもあった


個人的に銀行とはどのような組織なのか、銀行にとって何が善で何が悪なのか、何が喜ばれて何が嫌われるのかについて12年間ほどのサラリーマン時代に幾多の体験から自分なりに身につけたことがある。スムーズにそして目的に従って業務遂行を考え、それに支障のないような取引を銀行と続けるにはどのようなことがポイントなのかはすぐに分かってきた。

要は申し上げるまでもなく銀行とてビジネスである。利益を追求する企業だからして自分たちに益のあることには揉み手をして近づくが、損になるような事や依頼については拒否するという至極当たり前の前提がある。ただし銀行には企業を後押しして経済を活性化するという社会的な責任もあるはずで、そうした意味で私たちは銀行に期待するだけでなく依存する気持ちが強くなってしまう点が問題なのだろうか...。

簡単にいうなら、銀行にきちんと相手をしてもらえるようになるには「上客」になることなのだ(笑)。いつ潰れるかも分からない企業に資金の融通はもとより、よい顔をするはずもないではないか。
サラリーマン時代はともかくとして自身で起業し、文字通りのマイクロ企業を立ち上げたとき私には銀行との付き合いに関してひとつの目標があった。

それは超マイクロ企業とはいえ企業の代表として銀行窓口に出向いたとき、カウンターで用は済むとしても奥の応接室に通されてお茶の一杯でも出して貰えるようになりたい...という目標であった(笑)。銀行と日々お付き合いしている人たちならこの感触は理解していただけるものと思う。

しかし...である。資本金も僅かな超マイクロ企業が銀行にとって上客であるはずもないと考えるのが普通だ。いくら景気がよい時代だったとはいえ会社の売上高とて知れている。そんな弱小な組織が銀行とまともな関係を構築することができるのだろうか...。
それは無理なことではないと考える。実際私の会社でも数年間ではあったが地域の銀行と大変良好な関係を築けた時代があった。

無論そのための条件を整える必要もあるし簡単なことではないが、いくつか例を上げてご紹介してみたい。
まず会社そのものの業績を黒字体質にする必要がある。これは銀行のためではなくそれが企業の大きな目的のひとつなのだから当然である。

2つ目は起業時の取引銀行ならびに取引する支店を厳選することだ。とはいえ現在は銀行も統合が進み選択肢が大変少なくなったので私らの時代の考え方がそのまま通じるとは思っていないが、銀行ならびに支店を選ぶのは決して無駄なことではない。都市銀行か地方銀行かはもとより、地域性や担当者により対応や扱いが違ってくるのは当然だからである。

説明の必要もないとは思うが、例えば大手町のビジネス街にオフィスを構えることができたとしてもそうした地域には大企業が雲霞の如く存在する。そんな環境下で小さな企業に目を向けてもらえる可能性は限りなく小さい。銀行の選択はオフィスの場所選びと連動する重要なことだと当時の私は考えていた。

交通の便やオフィスの環境やその賃貸料といった重要なことと共に近隣の銀行と支店をも考慮にいれた考え方は意味のあることだった。そうしたあれこれを総合的に考えた上で最初のオフィスは新宿の曙橋という場所に決めた。いや、実際にはオフィスひとつ決めるのも新規に立ち上げる小さな会社としてはいろいろと厄介なこともあったが、作戦的には成功したと思っている。

現在では株式会社設立は大変容易になったし法的な手続きも簡素化されたようだが、当時は起業するにしてもその資本金預かりの証明は銀行に依頼する必要があったので勤務先に近い第一勧業銀行で最初の手続きは行った。そして実際に曙橋にあるマンションの一室で仕事をはじめたとき、その延長線上として近隣にあった第一勧業銀行のとある支店に口座を開設することになった。

そこは商店街の中にあった小ぶりな支店だったが、我々に不足があるはずもなく当初は淡々としたビジネスライクのお付き合いが続いた。日常の運営に必要な小口現金の引き出しなどは担当スタッフに依頼していたが、前記した有名銘柄の約束手形等を持ち込む際には極力時間を作って私自身が出向いた。なにしろ我々がどのような仕事をしているかを知ってもらうのは当時大変だったからだ。

自分たちの仕事ぶり、市場との接し方、顧客からの評価といったあれこれを我々自身がきちんと認識し評価すること自体、易しいことではない。ましてや銀行はもとより普段我々のビジネスを裏方で応援してくれる人たちに認識していただくことは言葉による説明ではほとんど無理だと感じた。

そうした思いを形にしたいと例えば札幌でプライベートイベントを開催する際には、デザイナー、ソフトウェア流通企業担当者はもとより、公認会計士、顧問弁護士などと共に銀行担当者にも仕事の一環として参加を依頼し続けた。
勿論往復の航空運賃や滞在地のホテル確保といった基本的な経費はすべて私の会社で負担した。それは確かに物入りではあるが、小さな企業のビジネスがどのようなものなのかを直に知っていただくことで普段の仕事により深い愛着と使命感を持っていただく縁となったと確信している。

ただし残念ながら、さすがに...と言っては憚れるが銀行の担当者が遠隔地でのイベントに同席してくれたことはなかった...。ただし幕張で開催されたMacworld Expo/Tokyoに初回から10年間ブースを持ったが、数度取引銀行の担当者がわざわざ立ち寄ってくれた。
勿論銀行の出席欠席にかかわらず、そうしたイベントの模様や成果については別途報告書を持参して我々の活動の一端を知っていただき、理解を求める努力を続けた。

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※幕張メッセにおける1997年のMacworld Expo/Tokyo 自社ブース


しばらくすると銀行の営業がマンションの一室を訪ねてくるようになった。銀行としてもどのような場所でどのような仕事をしているのか...といった情報を得る必要もあったに違いないし、超マイクロ企業にしては取引先が大企業ばかりなのに気づいたらしい(笑)。

まだまだマイクロコンピュータとかIT産業といった概念が知られていない時代である。ましてやアップルコンピュータのMacintoshというパソコン向けのソフトウェア開発といったところで一体どんなビジネスなのか、銀行の調査部あたりでも納得する情報は得られなかったようだ。

面白いことに銀行担当者の訪問は直接我々の業績や仕事に関わる情報取得のためだけでなくパーソナルコンピュータやソフトウェアといったものに対する興味のためであることがわかってきた。

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※新宿本社の一風景。2000年頃の撮影


いくら頑張ったところで我々が銀行のメリットになるような資金の運用などできるはずもない。しかし銀行にとって大切なのは金の問題だけでなく業界・業態の情報なのだ。現在のようにインターネットが当たり前である時代ではなかったしそもそも大切で重要な情報はネットに多々載っているはずはない。

まだまだパソコンが目新しい時代、銀行あるいはその担当者たちにとっても知りたいことは山ほどあった。しかし実際にその最先端のビジネスに手を染め、大企業と対等なビジネスをしている企業は珍しい時代だった。事務所をかまえて数ヶ月で私はこの業界の情報は銀行相手にも武器になるものと確信した。
どういうことかといえば、例えばサンフランシスコのMacworld Expoに出向いたとすればその動向を銀行が興味を持つであろう視点から簡単なレポートを作り帰国後に機会を作って銀行に持参するといった具合にだ...。

銀行の本部と支店がどのような情報ネットワークを持っているのか…など知る由もないが、小さな支店とはいえ営業成績の良し悪しは勿論としても様々な目新しい情報を日々望んでいることがわかったこともあって、取引先などとの秘密保持契約などに抵触しないように注意をしつつ、業界の動きや変わった出来事などを雑談のなかにも折り込むようにしたし、銀行側からも「デジタルカメラってものになりますか?」「カラープリンタの性能は?」といった具体的な質問が飛び出すようになった。

それと、私自身が銀行の外為部署に向かうときにはまず電話を入れ、これから伺うので支障なく対応してくれるかを聴いた上で訪問していた。だからというわけでもないのだろうが、銀行のドアを開けてフロアに入ると顔見知りの行員が「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」と奥の応接室に案内され支店長が顔を出すようになった。無論お茶も出た(笑)。

だからといって簡単に借金ができたわけでもないものの小さいながらも企業人として、あるいは企業の代表者として僅かばかりではあるのだろうが信頼を勝ち得るようになったということだ。この種のことは当時自社スタッフたちでさえ知る由もなかっただろうが、日常業務を円滑に進めるために代表者でしか出来得ない仕事のひとつだった。

しかし私の会社も経営的に影が差すようになった頃、金融業界自体にも大きな変革のうねりが襲ってきた。超マイクロ企業の代表者として資金繰りに日々苦慮していることに支店長は個人的に同情してくれたし「本店を札幌に移して何とか生き延びようと考えている…」といった相談にも真摯に対応してくれた。

ある日の午後、銀行のドアを押したときの情景はいまでも記憶に焼き付いている。いつものように応接室で支店長と相対した私は新宿の事務所を正式に閉鎖する旨を伝えた。勿論それは当該支店との取引終了をも意味することだった。
私より年長の支店長は「長い間お世話になりました」とリップサービスとは思えない口調で私を慰めてくれながらつぶやいた…。

「我々にも松田さんの心境はよく分かるし他人事ではないんですよ」という。それは前記のように銀行業界の再編が現実となり、第一勧業銀行、富士銀行そして日本興業銀行が全面的に統合することが決まったことでその支店自体が消滅することになったという。

社長にしろ支店長にしろ、トップは常に気の休まるときはないですね...といいつつ、支店長は「当行の行員全員の新しい職場を確保するのは大変だったが幸いすでに決まった」と安堵の表情を見せつつ「実は私自身の行き場所が未定なんでよ」とため息をついた。
「統合した支店に支店長は2人いりませんからねぇ」と寂しそうに呟いた...。当該支店の斜め向かいには富士銀行の支店があったわけで、統合が完了すればどちらかひとつは不要となる理屈だからだ。

ともあれどこの馬の骨かもわからないようなマイクロ企業としては限られた年数ではあったものの取引銀行にも恵まれたことは確かだったしその努力も実を結んだことも事実だった。勿論銀行は銀行だ...。不要なときに金を借りてくれという依頼があるかと思えば必要なときに借入申込みを断られたときもあった。
正直、銀行とはなんと理不尽な組織だと腹を立てたときもあるが、担当者らとは常によい関係を築く努力は惜しまなかった。

そういえばサラリーマン時代にお付き合いした協和銀行の外為担当者とはお互いが職場を離れた後も個人的に年賀状のやりとりが続いた。男性の外為担当者は和菓子屋の倅だったからか野暮なところがなく銀行員としては粋な人だったしカウンターで笑顔を送ってくれた長い髪が素敵な女子行員は銀行員の鏡みたいな出来る女性だった。

しかし銀行業務も厳しい時代となったのだろうが、担当者たちの質はその後確実に落ちてきたように思う。仕事のやり方が変わり、価値観が変わり、ノルマはより激しくビジネスは多様性を極めてきた。そんな時代に気持ちが通じる付き合いなどなかなかできない相談なのかも知れないが、変わったのは銀行だけでなく世の中すべてなのだから仕方がないことなのか...。
とはいえ単に昔は良かったという話しで終わりたくないが、当時を思い出しつつ現状を振り替えると些か寂しい思いがつのってくる...。



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Author:mactechlab
主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。また直近では「木挽町お鶴捕物控え」を発表している。
2018年春から3Dプリンターを複数台活用中であり2021年からはレーザー加工機にも目を向けている。ゆうMUG会員