ビンテージ・カメラ、VOIGTLANDER Vag(ヴァグ) 9 x 12 Folding Plate Camera雑感
手元に1台の古いカメラがある。1925年製 VOIGTLANDER(フォクトレンダー)のフォールデング・カメラだ。正式な製品名は “VOIGTLANDER Vag (ヴァグ)” といい、画面サイズは9×12cmでスコパー(Skopar) F/4.5のレンズが付属している乾板用カメラだ。ビンテージカメラではあるものの特に高価な代物ではないが、その魅力の一端をご紹介する。
1週間後の6月1日は "写真の日" だという。日本写真協会により1951年(昭和26年)に制定されたもので当然日本独自の記念日だ。ということでこじつけのようだが、今回はフォクトレンダーというオールドカメラの話しをしたい。
カメラという光学機器の歴史を紐解くときそれはパソコンの歴史など泡沫であるかのように深淵だ。本編の主役であるフォクトレンダー社の創業はなんと1756年であり、その1月27日にはあのヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが誕生している。和暦にすれば宝暦6年というから大変な歴史を抱えているわけだ…。
またカメラに関してはパソコン以上に本格的なコレクターやマニアといった詳しい人たちが沢山存在する。したがって知ったかぶりをして恥をかくつもりはないが、雑感としてお伝えしたい。
※1925年製フォクトレンダー "Vag" の雄姿
さて、カメラの歴史を直接紐解くとそれこそ大変なことになるので適当に端折るが、まずはルイ・ジャック・マンデ・ダゲールにより1839年に発表された世界初の実用的写真撮影法がダゲレオタイプであり、その技法を使った世界初の写真用カメラ「ジルー・ダゲレオタイプ」から近代の写真技法が進化していく。ただしジルー・ダゲレオタイプカメラに使われたレンズは大変暗く、当時の感光材では昼間の野外でも撮影に20分ほどを要したため肖像写真などを撮影するには不向きだった。したがって肖像写真の場合、モデルの頭を固定する装置を必要としたほどでその滑稽な撮影風景は多くの風刺の対象となった。
※レンズユニット部を収納した例
しかし早くもその2年後の1841年、フォクトレンダー(VOIGTLANDER)社が同社カメラ製品第1号である「肖像撮影用新ダゲレオタイプ装置」を完成し世界で始めて数学的計算に基づいて開発された明るい写真用レンズが装備された。そのカメラはジルー・ダゲレオタイプカメラが20分を要していた撮影時間を1分程度にまで短縮したという…。
こうした背景のキモは、ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールが六千フランの終身年金を受けることを条件にその特許権を放棄したためでもあった。したがってアマチュアはもとより多くの写真機材を製造するメーカーが登場しセンセーショナルを巻き起こすことになった。フォクトレンダー社もそのひとつだった。
※完全に外箱に収納しiPhone 6 Plusとのサイズ比較
また写真は複合的な発明だといわれている。当時ドーバー海峡を挟んだイギリスには独自の写真術研究を進めていた人物がいた。ウィリアム・ヘンリー・フォックス・トールボットだ。さらにフランスの発明家、ニセフォール・ニエプスの業績も忘れてはならない…。
ダゲレオタイプは1度の撮影では1枚の写真しかできなかったが、トールボットが開発しカロタイプと名付けられた方法では1度ネガを作れば理論的には何枚でもポジを焼き増しすることができた。これが写真というメディア最大の特徴・利点と考えられた複製技術の時代へとつながっていく...。
フォクトレンダー社は、カメラが発明される以前の18世紀から活躍していた光学機器メーカーでオペラグラスは独占商品で大成功をおさめた。当初1756年にオーストリアのウィーンに設立され、後にドイツに移転。1839年に世界最初のカメラがフランスで発売されると、前記したようにその翌年には独自のカメラを完成させ、1841年から発売を開始している。その後もカメラと写真用レンズの開発を続けた企業であり、まさしく写真の歴史とともに歩んできた世界で最古のカメラメーカーのひとつなのだ。無論カメラ好きならそのレンズ群は現在も多くの写真家に使われていることをご存じだろう。
さてさて手元にある “VOIGTLANDER Vag (ヴァグ)” だが、同社の “ベルクハイル” や ”アバス” の普及機という位置づけの製品だったが、大名刺判と大手札判とがあった。筆者のは大手札判でありサイズは横幅12.4×高さ15.8×奥行き5.2 cm(格納時)で重さが850gである。レンズはスコパー(Skopar) F/4.5、シャッターはイブソールだ。またワイヤーフレームファインダが付いている。ちなみに製造は1925年といわれているが、同年はライカIの生産が開始された年でもある。
※レンズはスコパー(Skopar) F/4.5、シャッターはイブソールが使われている
したがっていわゆる蛇腹式の乾板フォールディングカメラでレンズユニット部を箱形ボディに収納すれば持ち運びも容易だ。とはいえこれらの組立式暗箱タイプは手持ち撮影が可能であることから好事家は勿論、職業写真家、旅行者などが使っていたようだ。事実 “ベルクハイル” はパリで活躍した写真家、ブラッサイ(1899年9月9日 ~ 1984年7月8日)も使っていたという…。
ちなみにフォクトレンダーのことを詳しく知りたいと手に入れた1991年4月発行「クラシックカメラ専科 No.17 フォクトレンダーのすべて」(朝日ソノラマ刊)によれば、”Vag” はフォクトレンダーの数少ない普及機的性格のカメラだと解説されているが、可笑しなことに「フォクトレンダーのすべて」といったタイトルにしてはベルクハイルやアバスの写真は多々載っているものの普及機 ”Vag (ヴァグ)” の写真がない…。普及版ということで大事にされず、逆に残存しているものが少ないのだろうか(笑)。
※1991年4月発行「クラシックカメラ専科 No.17 フォクトレンダーのすべて」(朝日ソノラマ刊)表紙
しかしさすがにこの種のカメラで状態の良いものは当然のこと少ないはずだし現代のカメラとは異質なそのデザインはレトロと一口で切り捨てるにはもったいない魅力を湛えている。幸い私の手元にあるVOIGTLANDER Vagは実際の撮影には適さないものの1925年製とは思えないほど各部の状態もよくシャッターもきちんと動作する。
※ワイヤーフレームファインダを引き出したところ。右はフィルムフォルダ類
フォクトレンダー社のその後だが、1925年にドイツ化学大手企業のシェリングが大株主となったが、1956年5月16日株式がシェリングからカール・ツァイス財団に売り渡され1965年10月にはツァイス・イコンとカルテルを結成し「ツァイス・イコン・フォクトレンダー販売会社」を発足したものの1969年10月1日、ツァイス・イコンに吸収合併され新生ツァイス・イコンのブラウンシュヴァイク工場となった。
しかし早くも1972年ブラウンシュヴァイク工場の操業は停止。フォクトレンダーの商標権はローライに譲渡移転されたが、ローライも1981年倒産したことで商標権はドイツのプルスフォト(PlusFoto GmbH )に移転。
1999年になり日本の光学機器メーカーであるコシナが商標権の通常使用権の許諾を受けカメラおよび交換レンズの製造販売とブランド戦略を展開してきた。コシナは以後ライカMシリーズとレンズマウントの互換性を持ったフォクトレンダー・ベッサやカール・ツァイスと共同開発したツァイス・イコンなどを発売しフォクトレンダーの商標はカメラメーカーとしてのコシナの名を広める功績を果たした。
1925年といえば大正14年で翌年は昭和元年だ。国内では3月22日に東京放送局(後の日本放送協会)がラジオ放送開始、4月22日には 治安維持法公布、5月5日には普通選挙法公布(25歳以上の男子に選挙権)、12月27日に鈴木商店(後の味の素)設立そして12月28日に大日本相撲協会(後の日本相撲協会)が設立…といった出来事があった。
また海外の出来事としては2月17日にハワード・カーターがエジプトの王家の谷でツタンカーメンの王墓を発見する。6月6日に米国でクライスラー社設立そして7月18日にはアドルフ・ヒトラー「我が闘争第1巻」が公表…。
そんな時代、私の手元にある “VOIGTLANDER Vag” のレンズに映ったのはどのような世相、あるいはどのような人々だったのだろうか…。
【主な参考資料】
・朝日ソノラマ刊「クラシックカメラ専科No.17フォクトレンダーのすべて」
・講談社現代新書刊「写真美術館へようこそ」飯沢耕太郎著
・フィルームアート社刊「映画の考古学」C.Wツェーラム著/月尾嘉男訳
1週間後の6月1日は "写真の日" だという。日本写真協会により1951年(昭和26年)に制定されたもので当然日本独自の記念日だ。ということでこじつけのようだが、今回はフォクトレンダーというオールドカメラの話しをしたい。
カメラという光学機器の歴史を紐解くときそれはパソコンの歴史など泡沫であるかのように深淵だ。本編の主役であるフォクトレンダー社の創業はなんと1756年であり、その1月27日にはあのヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが誕生している。和暦にすれば宝暦6年というから大変な歴史を抱えているわけだ…。
またカメラに関してはパソコン以上に本格的なコレクターやマニアといった詳しい人たちが沢山存在する。したがって知ったかぶりをして恥をかくつもりはないが、雑感としてお伝えしたい。
※1925年製フォクトレンダー "Vag" の雄姿
さて、カメラの歴史を直接紐解くとそれこそ大変なことになるので適当に端折るが、まずはルイ・ジャック・マンデ・ダゲールにより1839年に発表された世界初の実用的写真撮影法がダゲレオタイプであり、その技法を使った世界初の写真用カメラ「ジルー・ダゲレオタイプ」から近代の写真技法が進化していく。ただしジルー・ダゲレオタイプカメラに使われたレンズは大変暗く、当時の感光材では昼間の野外でも撮影に20分ほどを要したため肖像写真などを撮影するには不向きだった。したがって肖像写真の場合、モデルの頭を固定する装置を必要としたほどでその滑稽な撮影風景は多くの風刺の対象となった。
※レンズユニット部を収納した例
しかし早くもその2年後の1841年、フォクトレンダー(VOIGTLANDER)社が同社カメラ製品第1号である「肖像撮影用新ダゲレオタイプ装置」を完成し世界で始めて数学的計算に基づいて開発された明るい写真用レンズが装備された。そのカメラはジルー・ダゲレオタイプカメラが20分を要していた撮影時間を1分程度にまで短縮したという…。
こうした背景のキモは、ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールが六千フランの終身年金を受けることを条件にその特許権を放棄したためでもあった。したがってアマチュアはもとより多くの写真機材を製造するメーカーが登場しセンセーショナルを巻き起こすことになった。フォクトレンダー社もそのひとつだった。
※完全に外箱に収納しiPhone 6 Plusとのサイズ比較
また写真は複合的な発明だといわれている。当時ドーバー海峡を挟んだイギリスには独自の写真術研究を進めていた人物がいた。ウィリアム・ヘンリー・フォックス・トールボットだ。さらにフランスの発明家、ニセフォール・ニエプスの業績も忘れてはならない…。
ダゲレオタイプは1度の撮影では1枚の写真しかできなかったが、トールボットが開発しカロタイプと名付けられた方法では1度ネガを作れば理論的には何枚でもポジを焼き増しすることができた。これが写真というメディア最大の特徴・利点と考えられた複製技術の時代へとつながっていく...。
フォクトレンダー社は、カメラが発明される以前の18世紀から活躍していた光学機器メーカーでオペラグラスは独占商品で大成功をおさめた。当初1756年にオーストリアのウィーンに設立され、後にドイツに移転。1839年に世界最初のカメラがフランスで発売されると、前記したようにその翌年には独自のカメラを完成させ、1841年から発売を開始している。その後もカメラと写真用レンズの開発を続けた企業であり、まさしく写真の歴史とともに歩んできた世界で最古のカメラメーカーのひとつなのだ。無論カメラ好きならそのレンズ群は現在も多くの写真家に使われていることをご存じだろう。
さてさて手元にある “VOIGTLANDER Vag (ヴァグ)” だが、同社の “ベルクハイル” や ”アバス” の普及機という位置づけの製品だったが、大名刺判と大手札判とがあった。筆者のは大手札判でありサイズは横幅12.4×高さ15.8×奥行き5.2 cm(格納時)で重さが850gである。レンズはスコパー(Skopar) F/4.5、シャッターはイブソールだ。またワイヤーフレームファインダが付いている。ちなみに製造は1925年といわれているが、同年はライカIの生産が開始された年でもある。
※レンズはスコパー(Skopar) F/4.5、シャッターはイブソールが使われている
したがっていわゆる蛇腹式の乾板フォールディングカメラでレンズユニット部を箱形ボディに収納すれば持ち運びも容易だ。とはいえこれらの組立式暗箱タイプは手持ち撮影が可能であることから好事家は勿論、職業写真家、旅行者などが使っていたようだ。事実 “ベルクハイル” はパリで活躍した写真家、ブラッサイ(1899年9月9日 ~ 1984年7月8日)も使っていたという…。
ちなみにフォクトレンダーのことを詳しく知りたいと手に入れた1991年4月発行「クラシックカメラ専科 No.17 フォクトレンダーのすべて」(朝日ソノラマ刊)によれば、”Vag” はフォクトレンダーの数少ない普及機的性格のカメラだと解説されているが、可笑しなことに「フォクトレンダーのすべて」といったタイトルにしてはベルクハイルやアバスの写真は多々載っているものの普及機 ”Vag (ヴァグ)” の写真がない…。普及版ということで大事にされず、逆に残存しているものが少ないのだろうか(笑)。
※1991年4月発行「クラシックカメラ専科 No.17 フォクトレンダーのすべて」(朝日ソノラマ刊)表紙
しかしさすがにこの種のカメラで状態の良いものは当然のこと少ないはずだし現代のカメラとは異質なそのデザインはレトロと一口で切り捨てるにはもったいない魅力を湛えている。幸い私の手元にあるVOIGTLANDER Vagは実際の撮影には適さないものの1925年製とは思えないほど各部の状態もよくシャッターもきちんと動作する。
※ワイヤーフレームファインダを引き出したところ。右はフィルムフォルダ類
フォクトレンダー社のその後だが、1925年にドイツ化学大手企業のシェリングが大株主となったが、1956年5月16日株式がシェリングからカール・ツァイス財団に売り渡され1965年10月にはツァイス・イコンとカルテルを結成し「ツァイス・イコン・フォクトレンダー販売会社」を発足したものの1969年10月1日、ツァイス・イコンに吸収合併され新生ツァイス・イコンのブラウンシュヴァイク工場となった。
しかし早くも1972年ブラウンシュヴァイク工場の操業は停止。フォクトレンダーの商標権はローライに譲渡移転されたが、ローライも1981年倒産したことで商標権はドイツのプルスフォト(PlusFoto GmbH )に移転。
1999年になり日本の光学機器メーカーであるコシナが商標権の通常使用権の許諾を受けカメラおよび交換レンズの製造販売とブランド戦略を展開してきた。コシナは以後ライカMシリーズとレンズマウントの互換性を持ったフォクトレンダー・ベッサやカール・ツァイスと共同開発したツァイス・イコンなどを発売しフォクトレンダーの商標はカメラメーカーとしてのコシナの名を広める功績を果たした。
1925年といえば大正14年で翌年は昭和元年だ。国内では3月22日に東京放送局(後の日本放送協会)がラジオ放送開始、4月22日には 治安維持法公布、5月5日には普通選挙法公布(25歳以上の男子に選挙権)、12月27日に鈴木商店(後の味の素)設立そして12月28日に大日本相撲協会(後の日本相撲協会)が設立…といった出来事があった。
また海外の出来事としては2月17日にハワード・カーターがエジプトの王家の谷でツタンカーメンの王墓を発見する。6月6日に米国でクライスラー社設立そして7月18日にはアドルフ・ヒトラー「我が闘争第1巻」が公表…。
そんな時代、私の手元にある “VOIGTLANDER Vag” のレンズに映ったのはどのような世相、あるいはどのような人々だったのだろうか…。
【主な参考資料】
・朝日ソノラマ刊「クラシックカメラ専科No.17フォクトレンダーのすべて」
・講談社現代新書刊「写真美術館へようこそ」飯沢耕太郎著
・フィルームアート社刊「映画の考古学」C.Wツェーラム著/月尾嘉男訳
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