1943年制作映画「聖処女(The Song of Bernadette)」雑感
1943年制作映画「聖処女(The Song of Bernadette)」を観た。艶やかなモノクロ映画でルルドで聖母マリアに会ったという貧しい農夫の娘ベルナデットの話し。158分の長さに飽きるだろうと思ったが引き込まれてしまった。これぞ映画の醍醐味!
キリスト教の信者でなくとも "ルルド" とか "ルルドの奇跡" といった言葉は見聞きしたことがあるに違いない。このジェニファー・ジョーンズ主演の映画「聖処女(原題 : The Song of Bernadette)」はルルドが世界的に知られるようになるきっかけとなったベルナデット・スビルーの物語だ。
本作品は1943年度アカデミー賞5部門を受賞し、ベルナデッタ・スビルー(フランス語ではBernadette ベルナデット)を演じたジェニファー・ジョーンズも主演女優賞を受賞した...。

※20世紀フォックス映画「聖処女(The Song of Bernadette)」DVDパッケージ
「聖処女(The Song of Bernadette)」はその "ルルドの奇跡" として知られる原因となった貧しい農夫の娘ベルナデット・スビルーにまつわる物語だが、製作年代は1943年というから戦時中だ。しかしそのモノクロ映像は艶やかで、158分があっと言う間に過ぎたという感じだった。まあ今更ではあるが、見るに値する一本だと思う。
内容がキリスト教の奇跡の話しであり、当初はすぐに飽きてしまうと考えていたが、ジェニファー・ジョーンズ演じるベルナデットの素朴な美しさと押しつけがましくなく、奇跡を信じる人とかたくなに信じない人々を静かに描いていくストーリーに引き込まれてしまった。
したがって本映画に悪人は出てこない。確かに聖母マリアが出現したというベルナデットを尋問し早く騒ぎにけりをつけようとする警察や役人たち、司祭や牧師らの困惑はベルナデットにとって不幸ではあったが、現実社会の問題としてはそれぞれの立場と役割があり致し方なかったといえる。なにしろ両親もベルナデットの言動を信用せず、悪霊かも知れないと父は2度と洞窟に行くなと強く叱り、母は物差しで叩いたほどなのだから...。
ともあれキリスト教による奇跡の話しとなればかならず登場するルルドの逸話は若い頃から興味を持って見知っていたが、無論現地に行ったことはない。正直興味本位で無性に行きたかった時代もあったが、あっと言う間に歳を取ってしまった(笑)。
奇跡を信じるか否かという以前にベルナデットの前に現れた聖母マリア (ベルナデット自身は "あれ" とか "若くて美しい貴婦人" といっていたようだ)は本当に現れたのか...。いやひとつ確かなことはベルナデットにとっては真実だったことだ。
映画のストーリーがそのまま真実を語っているはずもない。例えばルルドの主任司祭で後にベルナデットの庇護者となったペラマール師は映画では死の床についたベルナデットに付き添い彼女が亡くなるのを見届けるが、史実ではベルナデットの亡くなる2年前の1877年9月8日に死去している...。
それはともかくジェニファー・ジョーンズ演じるベルナデットは素朴で愛らしく、かつ意志の強い少女を好演している。また両親をはじめ役人たちや医者、司祭らが奇異の目でベルナデットと対峙しつつ微妙に心境の変化の渦に飲まれていく様もとても面白い。
個人的にはベルナデットの生涯を知りたくて数冊の書籍も読んだが、この「聖処女(The Song of Bernadette)」を先に見ていればもっと理解が早かったのではないかと悔やんでいる。

※写真に撮られたカトリック教会最初の聖人となったベルナデット(タ)・スビルー。ウィキペディアより
さて問題のその日、1858年2月11日にそれは起こった。映画のストーリーを史実で補完しながら当時の状況を見てみよう...。
栄養失調気味で病弱な14歳のベルナデットは、妹のマリーと隣家のジャンヌとともに、昼飯の支度のための薪をひろいにマッサビエルの洞窟に向かった。川を渡るため靴下を脱ごうとした瞬間風を感じて振り向く...。しかしなにごともなかったのでもう片方の靴下も脱ごうとすると再び風を感じ、ふと洞窟の暗い凹みを見ると白い服、青い帯をしてロザリオを手にした若い女性が両手を広げ微笑みながら手招きをしていたという。貴婦人は15分ほどで金色の雲に覆われて姿を消した。
洞窟を一心に見つめ祈っているベルナデットの姿を見た2人の少女たちは「何していたの」と聞く。ベルナデットは口外しないという約束を交わしていま見た事を妹たちに話した。ところが若い2人が約束を守れるはずもなく、話しはまたたく間に町中に知れ渡ることになる。
噂を聞いた人たちが洞窟に押し寄せるようになるにつれルルドの警察は治安上の問題として脅威をおぼえ、ベルナデットを連行して尋問する。なにしろその貴婦人はベルナデットしか見ることはできないのだから回りが懐疑的なのは当然だ。
情緒が不安定な少女期特有の白昼夢ではないか、あるいは沢山の人の目を向かわせ貧困からの脱却を図る意図ではないか、それとも誰かが「こう喋るように」と唆したのか...などなど疑りの目が強くなる。
2月25日の第9回目の出現のときにはすでに洞窟の前には350人以上もの人々が集まった。この時ベルナデットは洞窟の前の地面を掘り始め、土で汚れた水を数回すくいその水を口に含んだ。泥まみれになったベルナデットの顔を見て多くの人たちは幻滅し、あざけりながら去って行ったが水は絶えることなく湧き出でて綺麗な水になっていく。
検事もベルナデットを連行して尋問するがそもそも法律違反を犯しているわけでもなく釈放せざるを得なかった。そしてベルナデットが掘った場所から湧き出た水が奇跡を起こし始める...。後にノーベル賞を受賞した医師らの立ち会いや検証の中でも全身麻痺の子供が治癒し、視覚障害をはじめ聴覚障害、知能障害、皮膚病、婦人病などに類する治癒を眼前にし混乱はさらに大きくなる。
しかし教区の司祭であるペラマール神父がベルナデットに「貴婦人に名前を聞くように」と依頼したことがベルナデットの行く末を大きく変えることになる。なぜなら再びベルナデットの前に現れた貴婦人は自らを「Que Soy Era Immaculada Councepciou」と答える。これは「私は無原罪の御宿りです」の意味だった。
文字も読めず、正規の学校教育を受ける時間もなく少女時代を過ごしてきたベルナデットは三位一体の意味すら知らなかった。
また当時の教会用語はラテン語であったから、標準のフランス語すら解さなかったベルナデットが4年前に信仰箇条としてローマ教皇ピオ9世によって正式に宣言されたばかりの「無原罪の御宿り」の教義やその意味を知るわけもなかった。ベルナデットは意味がわからないまま、貴婦人の名を忘れないよう繰り返して口にしつつペラマール神父にその旨を伝えた。
ペラマール神父はカトリック司祭の立場から不用意に聖母マリアの出現や奇跡といったものを信じる立場ではなかったしルルドの泉に出かけることもしなかった。しかしベルナデットの報告に司祭は驚愕し、聖母マリアの出現に間違いないと確信。以後ベルナデットの話しを信じるだけでなく庇護者となる。
結局、聖母出現から130年間のルルドにおける治癒例報告の中で、カトリック教会により約2,500例が「説明不可能の治癒」と記録され、そのうちの65例が「奇跡的治癒」と認定された。
静かで小さな町だったルルドは観光客はもとより現在も年間数百万人もの人たちが訪れるカトリック最大の巡礼地となった...。
しかし懐疑論者からすれば奇跡などお笑いぐさであり、ルルドの人たちの中にもあからさまにベルナデットを批難する人たちもいた。治るべき人が治っただけなのだと...。
映画でも医師と検事とがルルドの泉で起こった奇跡について侃々諤々の論議をしているとき、一緒にいた司祭は「何年同じ論争を続けたら気が済むのか。無駄だと思うがね...。神を信じない者にはいくら説いても意味はないんだ」と吐き捨てるシーンがある。
ところで、旅という言葉にひとつの夢があり、巡礼という言葉に郷愁を誘うのは「巡礼」は「旅」のふるさとだからだ...とは「奇跡の泉ルルドへ」の著者である竹下節子氏が同書冒頭に述べていることだ。そして旅が日常的になった現代でも巡礼は消滅したわけでもなく事実いまも世界で最大の巡礼地といえば、バチカンでもイスラエルでもメッカでもなく、フランス西南部のスペイン国境に近いピレネー山脈の山麓にある小さな都市...ルルドなのだそうである。
肝心のベルナデットだが、フランス全土で有名になり毎日訪問者たちの好奇の目に悩まされ続けることになった。そして皮肉にもベルナデットは聖母に愛されたゆえに残りの短い一生を孤独に生きなければならなかった。
司祭たちの説得により1866年7月、ブルゴーニュ地方にあるヌヴェール愛徳修道会へ斡旋されたベルナデットは修道女となり看護の手伝いや雑用に従事したが右膝結核性関節腫瘍などに悩まされつつ1879年4月16日、結核のため35歳で死去した。
映画では2度と会えないと考えていたあの聖母マリアが意識が薄れる瞬間に出現するが、史実のベルナデットはどうだったのだろうか。ともあれ確かなことはベルナデットという特異な人物が実在したことだ。
映画はベルナデットが司祭や修道女たちに見守られつつ息を引き取ったところで終わるが、実は彼女の物語はこれで終わりとはならなかった。その史実については別途ご紹介してみたい...。
【主な参考資料】
・竹下節子著「奇跡の泉ルルドへ」NTT出版刊
・小林珍雄著「聖ベルナデット」エンデルレ書店刊
・ルネ・ローランタン著「ベルナデッタ」ドン・ボスコ社刊
キリスト教の信者でなくとも "ルルド" とか "ルルドの奇跡" といった言葉は見聞きしたことがあるに違いない。このジェニファー・ジョーンズ主演の映画「聖処女(原題 : The Song of Bernadette)」はルルドが世界的に知られるようになるきっかけとなったベルナデット・スビルーの物語だ。
本作品は1943年度アカデミー賞5部門を受賞し、ベルナデッタ・スビルー(フランス語ではBernadette ベルナデット)を演じたジェニファー・ジョーンズも主演女優賞を受賞した...。

※20世紀フォックス映画「聖処女(The Song of Bernadette)」DVDパッケージ
「聖処女(The Song of Bernadette)」はその "ルルドの奇跡" として知られる原因となった貧しい農夫の娘ベルナデット・スビルーにまつわる物語だが、製作年代は1943年というから戦時中だ。しかしそのモノクロ映像は艶やかで、158分があっと言う間に過ぎたという感じだった。まあ今更ではあるが、見るに値する一本だと思う。
内容がキリスト教の奇跡の話しであり、当初はすぐに飽きてしまうと考えていたが、ジェニファー・ジョーンズ演じるベルナデットの素朴な美しさと押しつけがましくなく、奇跡を信じる人とかたくなに信じない人々を静かに描いていくストーリーに引き込まれてしまった。
したがって本映画に悪人は出てこない。確かに聖母マリアが出現したというベルナデットを尋問し早く騒ぎにけりをつけようとする警察や役人たち、司祭や牧師らの困惑はベルナデットにとって不幸ではあったが、現実社会の問題としてはそれぞれの立場と役割があり致し方なかったといえる。なにしろ両親もベルナデットの言動を信用せず、悪霊かも知れないと父は2度と洞窟に行くなと強く叱り、母は物差しで叩いたほどなのだから...。
ともあれキリスト教による奇跡の話しとなればかならず登場するルルドの逸話は若い頃から興味を持って見知っていたが、無論現地に行ったことはない。正直興味本位で無性に行きたかった時代もあったが、あっと言う間に歳を取ってしまった(笑)。
奇跡を信じるか否かという以前にベルナデットの前に現れた聖母マリア (ベルナデット自身は "あれ" とか "若くて美しい貴婦人" といっていたようだ)は本当に現れたのか...。いやひとつ確かなことはベルナデットにとっては真実だったことだ。
映画のストーリーがそのまま真実を語っているはずもない。例えばルルドの主任司祭で後にベルナデットの庇護者となったペラマール師は映画では死の床についたベルナデットに付き添い彼女が亡くなるのを見届けるが、史実ではベルナデットの亡くなる2年前の1877年9月8日に死去している...。
それはともかくジェニファー・ジョーンズ演じるベルナデットは素朴で愛らしく、かつ意志の強い少女を好演している。また両親をはじめ役人たちや医者、司祭らが奇異の目でベルナデットと対峙しつつ微妙に心境の変化の渦に飲まれていく様もとても面白い。
個人的にはベルナデットの生涯を知りたくて数冊の書籍も読んだが、この「聖処女(The Song of Bernadette)」を先に見ていればもっと理解が早かったのではないかと悔やんでいる。

※写真に撮られたカトリック教会最初の聖人となったベルナデット(タ)・スビルー。ウィキペディアより
さて問題のその日、1858年2月11日にそれは起こった。映画のストーリーを史実で補完しながら当時の状況を見てみよう...。
栄養失調気味で病弱な14歳のベルナデットは、妹のマリーと隣家のジャンヌとともに、昼飯の支度のための薪をひろいにマッサビエルの洞窟に向かった。川を渡るため靴下を脱ごうとした瞬間風を感じて振り向く...。しかしなにごともなかったのでもう片方の靴下も脱ごうとすると再び風を感じ、ふと洞窟の暗い凹みを見ると白い服、青い帯をしてロザリオを手にした若い女性が両手を広げ微笑みながら手招きをしていたという。貴婦人は15分ほどで金色の雲に覆われて姿を消した。
洞窟を一心に見つめ祈っているベルナデットの姿を見た2人の少女たちは「何していたの」と聞く。ベルナデットは口外しないという約束を交わしていま見た事を妹たちに話した。ところが若い2人が約束を守れるはずもなく、話しはまたたく間に町中に知れ渡ることになる。
噂を聞いた人たちが洞窟に押し寄せるようになるにつれルルドの警察は治安上の問題として脅威をおぼえ、ベルナデットを連行して尋問する。なにしろその貴婦人はベルナデットしか見ることはできないのだから回りが懐疑的なのは当然だ。
情緒が不安定な少女期特有の白昼夢ではないか、あるいは沢山の人の目を向かわせ貧困からの脱却を図る意図ではないか、それとも誰かが「こう喋るように」と唆したのか...などなど疑りの目が強くなる。
2月25日の第9回目の出現のときにはすでに洞窟の前には350人以上もの人々が集まった。この時ベルナデットは洞窟の前の地面を掘り始め、土で汚れた水を数回すくいその水を口に含んだ。泥まみれになったベルナデットの顔を見て多くの人たちは幻滅し、あざけりながら去って行ったが水は絶えることなく湧き出でて綺麗な水になっていく。
検事もベルナデットを連行して尋問するがそもそも法律違反を犯しているわけでもなく釈放せざるを得なかった。そしてベルナデットが掘った場所から湧き出た水が奇跡を起こし始める...。後にノーベル賞を受賞した医師らの立ち会いや検証の中でも全身麻痺の子供が治癒し、視覚障害をはじめ聴覚障害、知能障害、皮膚病、婦人病などに類する治癒を眼前にし混乱はさらに大きくなる。
しかし教区の司祭であるペラマール神父がベルナデットに「貴婦人に名前を聞くように」と依頼したことがベルナデットの行く末を大きく変えることになる。なぜなら再びベルナデットの前に現れた貴婦人は自らを「Que Soy Era Immaculada Councepciou」と答える。これは「私は無原罪の御宿りです」の意味だった。
文字も読めず、正規の学校教育を受ける時間もなく少女時代を過ごしてきたベルナデットは三位一体の意味すら知らなかった。
また当時の教会用語はラテン語であったから、標準のフランス語すら解さなかったベルナデットが4年前に信仰箇条としてローマ教皇ピオ9世によって正式に宣言されたばかりの「無原罪の御宿り」の教義やその意味を知るわけもなかった。ベルナデットは意味がわからないまま、貴婦人の名を忘れないよう繰り返して口にしつつペラマール神父にその旨を伝えた。
ペラマール神父はカトリック司祭の立場から不用意に聖母マリアの出現や奇跡といったものを信じる立場ではなかったしルルドの泉に出かけることもしなかった。しかしベルナデットの報告に司祭は驚愕し、聖母マリアの出現に間違いないと確信。以後ベルナデットの話しを信じるだけでなく庇護者となる。
結局、聖母出現から130年間のルルドにおける治癒例報告の中で、カトリック教会により約2,500例が「説明不可能の治癒」と記録され、そのうちの65例が「奇跡的治癒」と認定された。
静かで小さな町だったルルドは観光客はもとより現在も年間数百万人もの人たちが訪れるカトリック最大の巡礼地となった...。
しかし懐疑論者からすれば奇跡などお笑いぐさであり、ルルドの人たちの中にもあからさまにベルナデットを批難する人たちもいた。治るべき人が治っただけなのだと...。
映画でも医師と検事とがルルドの泉で起こった奇跡について侃々諤々の論議をしているとき、一緒にいた司祭は「何年同じ論争を続けたら気が済むのか。無駄だと思うがね...。神を信じない者にはいくら説いても意味はないんだ」と吐き捨てるシーンがある。
ところで、旅という言葉にひとつの夢があり、巡礼という言葉に郷愁を誘うのは「巡礼」は「旅」のふるさとだからだ...とは「奇跡の泉ルルドへ」の著者である竹下節子氏が同書冒頭に述べていることだ。そして旅が日常的になった現代でも巡礼は消滅したわけでもなく事実いまも世界で最大の巡礼地といえば、バチカンでもイスラエルでもメッカでもなく、フランス西南部のスペイン国境に近いピレネー山脈の山麓にある小さな都市...ルルドなのだそうである。
肝心のベルナデットだが、フランス全土で有名になり毎日訪問者たちの好奇の目に悩まされ続けることになった。そして皮肉にもベルナデットは聖母に愛されたゆえに残りの短い一生を孤独に生きなければならなかった。
司祭たちの説得により1866年7月、ブルゴーニュ地方にあるヌヴェール愛徳修道会へ斡旋されたベルナデットは修道女となり看護の手伝いや雑用に従事したが右膝結核性関節腫瘍などに悩まされつつ1879年4月16日、結核のため35歳で死去した。
映画では2度と会えないと考えていたあの聖母マリアが意識が薄れる瞬間に出現するが、史実のベルナデットはどうだったのだろうか。ともあれ確かなことはベルナデットという特異な人物が実在したことだ。
映画はベルナデットが司祭や修道女たちに見守られつつ息を引き取ったところで終わるが、実は彼女の物語はこれで終わりとはならなかった。その史実については別途ご紹介してみたい...。
【主な参考資料】
・竹下節子著「奇跡の泉ルルドへ」NTT出版刊
・小林珍雄著「聖ベルナデット」エンデルレ書店刊
・ルネ・ローランタン著「ベルナデッタ」ドン・ボスコ社刊
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