1988年ゼロワンショップ発行「WINDOW誌」に見る思い出
今回は1988年11月20日、キヤノン販売が発行した「WINDOW」というゼロワンショップのニューズレターがテーマだ。誌名からWindows関連誌だと思われるかも知れないがWindowsとは関係がない…。当時Macintoshというパソコンもやっと少し認知され始めた時代だったが、この「WINDOW」から往時を思い出してみたい。
本誌はキヤノン販売(株)のゼロワン推進本部が発行していたもので手元に残っているのはそのNo.4だけである。価格は200円と記されているが現実は全国のゼロワンショップで無料配布されたものではないだろうか。
ではなぜNo.4号だけが残っているかといえば、当時小さな貿易商社に勤務していた一介のサラリーマンだった私がキヤノン販売の担当者から声をかけていただき、対談が本誌に載ったからである。

※キヤノン販売ゼロワン推進本部発行「WINDOW」No.4表紙(1988年)
これまでの「WINDOW」、そしてその後の「WINDOW」がどういったものなのかについては不明だが、このNo.4号は特集が「Mac・エンターテインメント」となっている。また目次を兼ねた扉には「WINDOWは、MacintoshII, Macintosh Plus, LaserWriter II NTX, IX-12と以下のソフトによって作成されています」と明記され、続いて「TeachText, EGWord, Outlook, PageMaker-J, Illustrator88, SuperPaint, MacScan, MacDraw, Excel, HyperCard-J」とある。
さらに「表紙は Illustrator88で作成し、Linotronicでフィルムを打ち出しました。」と書かれ、往時のハードウェアならびにソフトウェア環境が偲ばれる…。しかしSuperPaintはまだしも、TeachTextというのも...すごい(笑)。
ともかく、ポストスクリプト対応のLaserWriterの登場で、一躍MacintoshはDTPの世界で注目されるようになり、各方面で本格的な使い方とその可能性を探り始めていた時期だった。
では内容を駆け足で見てみよう。
まず「特集 Mac・エンターテインメント」と題してMIDIをターゲットにしたコンピュータミュージックの解説と紹介記事が巻頭にある。そして新作GAME紹介として「Shufflepuck Cafe」と「Advanced Flight Trainer」「The Colony」「Tetris」そして「バランス・オブ・パワー」が紹介されている。
ちなみに蛇足だろうが念のために記せば、「Shufflepuck Cafe」はいわゆるエアーホッケーゲームのMacintosh版であり、また「Advanced Flight Trainer」はフライトシミュレータ、「The Colony」はアドベンチャーゲーム、「Tetris」はいわずと知れた凸凹を旨く組合わせて消すパズルゲーム、そして「バランス・オブ・パワー」もブームになったが核戦争を起こさずに任期を満了できるかが問われるシミュレーションゲームだ。

※「バランス・オブ・パワー」の画面例

※「Shufflepuck Cafe」のプレーヤー相手を選ぶ画面
続いて「ユーザールポ●第4回 インターアーツ」と題し、インターアーツ社のMacintoshとサウンドにこだわる取材記事がある(タイトルの中の●は原文のまま)。
さて、続いて私の出番となる。題して「Macで楽しむ方法~ゲームとグラフィックスについて語ろう」といった内容であり、当時キヤノン販売アップル販売企画部:石川雅康氏の司会で、私とゲームプレゼンテーター:多摩豊氏の対談が6ページに渡って載っている。
そこでは多摩豊氏がMacintoshによるゲーム論を、そして私がMacintoshによる絵画論を展開しているわけだが、知っていただきたい事としてその当時はMacintoshもやっとカラー時代に突入したばかりであり、まだPhotoshopも無かった時代なのだ。
司会者から「お勧めのソフトウェアは?」と問われた私の答えが、PixelPaintやStudio 8なのだから、まさしく時代がわかるし、個室での対談だったとはいえ多摩豊氏の指には常時タバコが挟まれ紫色の煙が揺らいでいた時代だった(笑)。

※グラフィックソフト「PixelPaint」の画面

※グラフィックソフト「Studio 8」の画面
この対談は強く記憶に残った対談であった。なぜなら私がアマチュア時代の経験であったことも原因だが、対談相手の多摩氏は1997年12月18日に若くして他界されたからだ..。享年35歳だった。 また "多摩豊" という名はペンネームだと知らされたのは後になってからだったが、編集者、ゲームデザイナー、ゲーム評論家、翻訳家であり、1986年には安田均氏と共に日本初のテーブルトークRPG月刊情報誌「ウォーロック」を創刊、編集長の職を1989年11月まで務めた人だった。
またパソコン通信ニフティサーブのSFフォーラムを管理する初代シスオペであり、私がMacのCGフォーラムのシスオペだったこともあって面識もあった。そしてこれまた後に知ったことだが、彼は20歳の頃から膠原病を罹い闘病生活を続けながらの執筆活動であったという...。

※左ページに筆者の写真、右ページに多摩豊氏の写真が載っている対談ページ
その他の記事としては、「Macintosh入門講座~プリンター選びの基礎知識」、「ビジネス講座1 Excel 現金出納システム」、「ビジネス講座2 HyperCard~スタックウェアを作ろう」、「ビジネス講座3 DeskTopPublishing~ページメーカーをビジネスに使う」といった記事が並んでいる。
1988年という時代におけるAppleをあらためて振り返れば、その前年にHyperCardを発表したAppleは、1988年1月に「Knowledge Navigator」構想と「ハイパーメディア」コンセプトを発表する。そして近未来のMacintoshの姿を強烈にそしてリアリティあふれる形でユーザーにアピールした年だった。
また現実の製品としてはApple CD SCによりCD-ROMドライブのプラグ&プレイを印象づけた年でもあった。 そして当時最新のMacintoshは最初のカラーMacであるMacintosh II、そしてMacintosh SEの時代であり、日本における環境を振り返れば、そのOSはまだ漢字Talk 2.0だったのである。
というわけで「WINDOW誌」はMacのPR誌ではあったが、その裏表紙にはキヤノンのワープロ専用機「キヤノワード」の一面公告が載っているという時代であった。
本誌はキヤノン販売(株)のゼロワン推進本部が発行していたもので手元に残っているのはそのNo.4だけである。価格は200円と記されているが現実は全国のゼロワンショップで無料配布されたものではないだろうか。
ではなぜNo.4号だけが残っているかといえば、当時小さな貿易商社に勤務していた一介のサラリーマンだった私がキヤノン販売の担当者から声をかけていただき、対談が本誌に載ったからである。

※キヤノン販売ゼロワン推進本部発行「WINDOW」No.4表紙(1988年)
これまでの「WINDOW」、そしてその後の「WINDOW」がどういったものなのかについては不明だが、このNo.4号は特集が「Mac・エンターテインメント」となっている。また目次を兼ねた扉には「WINDOWは、MacintoshII, Macintosh Plus, LaserWriter II NTX, IX-12と以下のソフトによって作成されています」と明記され、続いて「TeachText, EGWord, Outlook, PageMaker-J, Illustrator88, SuperPaint, MacScan, MacDraw, Excel, HyperCard-J」とある。
さらに「表紙は Illustrator88で作成し、Linotronicでフィルムを打ち出しました。」と書かれ、往時のハードウェアならびにソフトウェア環境が偲ばれる…。しかしSuperPaintはまだしも、TeachTextというのも...すごい(笑)。
ともかく、ポストスクリプト対応のLaserWriterの登場で、一躍MacintoshはDTPの世界で注目されるようになり、各方面で本格的な使い方とその可能性を探り始めていた時期だった。
では内容を駆け足で見てみよう。
まず「特集 Mac・エンターテインメント」と題してMIDIをターゲットにしたコンピュータミュージックの解説と紹介記事が巻頭にある。そして新作GAME紹介として「Shufflepuck Cafe」と「Advanced Flight Trainer」「The Colony」「Tetris」そして「バランス・オブ・パワー」が紹介されている。
ちなみに蛇足だろうが念のために記せば、「Shufflepuck Cafe」はいわゆるエアーホッケーゲームのMacintosh版であり、また「Advanced Flight Trainer」はフライトシミュレータ、「The Colony」はアドベンチャーゲーム、「Tetris」はいわずと知れた凸凹を旨く組合わせて消すパズルゲーム、そして「バランス・オブ・パワー」もブームになったが核戦争を起こさずに任期を満了できるかが問われるシミュレーションゲームだ。

※「バランス・オブ・パワー」の画面例

※「Shufflepuck Cafe」のプレーヤー相手を選ぶ画面
続いて「ユーザールポ●第4回 インターアーツ」と題し、インターアーツ社のMacintoshとサウンドにこだわる取材記事がある(タイトルの中の●は原文のまま)。
さて、続いて私の出番となる。題して「Macで楽しむ方法~ゲームとグラフィックスについて語ろう」といった内容であり、当時キヤノン販売アップル販売企画部:石川雅康氏の司会で、私とゲームプレゼンテーター:多摩豊氏の対談が6ページに渡って載っている。
そこでは多摩豊氏がMacintoshによるゲーム論を、そして私がMacintoshによる絵画論を展開しているわけだが、知っていただきたい事としてその当時はMacintoshもやっとカラー時代に突入したばかりであり、まだPhotoshopも無かった時代なのだ。
司会者から「お勧めのソフトウェアは?」と問われた私の答えが、PixelPaintやStudio 8なのだから、まさしく時代がわかるし、個室での対談だったとはいえ多摩豊氏の指には常時タバコが挟まれ紫色の煙が揺らいでいた時代だった(笑)。

※グラフィックソフト「PixelPaint」の画面

※グラフィックソフト「Studio 8」の画面
この対談は強く記憶に残った対談であった。なぜなら私がアマチュア時代の経験であったことも原因だが、対談相手の多摩氏は1997年12月18日に若くして他界されたからだ..。享年35歳だった。 また "多摩豊" という名はペンネームだと知らされたのは後になってからだったが、編集者、ゲームデザイナー、ゲーム評論家、翻訳家であり、1986年には安田均氏と共に日本初のテーブルトークRPG月刊情報誌「ウォーロック」を創刊、編集長の職を1989年11月まで務めた人だった。
またパソコン通信ニフティサーブのSFフォーラムを管理する初代シスオペであり、私がMacのCGフォーラムのシスオペだったこともあって面識もあった。そしてこれまた後に知ったことだが、彼は20歳の頃から膠原病を罹い闘病生活を続けながらの執筆活動であったという...。

※左ページに筆者の写真、右ページに多摩豊氏の写真が載っている対談ページ
その他の記事としては、「Macintosh入門講座~プリンター選びの基礎知識」、「ビジネス講座1 Excel 現金出納システム」、「ビジネス講座2 HyperCard~スタックウェアを作ろう」、「ビジネス講座3 DeskTopPublishing~ページメーカーをビジネスに使う」といった記事が並んでいる。
1988年という時代におけるAppleをあらためて振り返れば、その前年にHyperCardを発表したAppleは、1988年1月に「Knowledge Navigator」構想と「ハイパーメディア」コンセプトを発表する。そして近未来のMacintoshの姿を強烈にそしてリアリティあふれる形でユーザーにアピールした年だった。
また現実の製品としてはApple CD SCによりCD-ROMドライブのプラグ&プレイを印象づけた年でもあった。 そして当時最新のMacintoshは最初のカラーMacであるMacintosh II、そしてMacintosh SEの時代であり、日本における環境を振り返れば、そのOSはまだ漢字Talk 2.0だったのである。
というわけで「WINDOW誌」はMacのPR誌ではあったが、その裏表紙にはキヤノンのワープロ専用機「キヤノワード」の一面公告が載っているという時代であった。
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