ジョブズ学入門講座「成功の秘密」【10】〜 死と向き合い続けた真剣さ

スティーブ・ジョブズ成功の秘密に迫ろうとこれまでジョブズ学入門講座「成功の秘密」として9編のアーティクルを紹介してきたが、切りが良い10編ということで今回は終章のつもりで書いてみた。ジョブズはグッド・ジョブズとバッド・ジョブズという極端な二面性を持っていたが、特にバッド・ジョブズの生き様は死を常に眼前にぶら下げていた気負いの姿であったのかも知れない。


スティーブ・ジョブズの生涯を俯瞰すると2つの大きく異なる章にわかれる。無論その第一章はアップルを起業しApple II で大成功しつつもMacintoshをリリースした翌年の1985年にアップルを去るまでのジョブズである。
第二章は1996年末、当時アップルのCEO ギルバート・アメリオに請われNeXT社の買収と共にジョブズもアドバイザーという肩書きでアップルに復帰してから死すまでのスティーブ・ジョブズである。

このアップルから離れていた11年間、ジョブズはNeXT社およびPixar社を率いていたもののなかなか苦しい時代であった。為にその間に出会った様々な人たちや出来事からジョブズはジョブズなりに学んだことも多かったと思われる。
後にジョブズは「アップルをクビになったことは人生最良の出来事だった」と振り返ったが、自虐的な発言かも知れないものの確かに彼の人生における強力なカンフル剤となったに違いない。そして反省はともかく、彼なりに多くのことを考えるきっかけとなっただろう。

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※1977年、第1回 WCCF(ウェスト・コースト・コンピュータ・フェア)でのスティーブ・ジョブズ


さてスティーブ・ジョブズがスティーブ・ジョブズたらしめるエピソードは多々あるが、実の妹で作家のモナ・シンプソンは追悼文の中で「兄は激情の人でした。病と闘っているあいだも、兄の美的感覚、兄の慧眼、兄の見識は揺るぎませんでした。67 人も看護師を替えて、気持ちが通じる人をみつけたのです」というくだりはさすがにジョブズだと感嘆する。
そういえば入院中、酸素マスクのデザインが気に入らないとクレームをつけ、5種類のマスクを集めさせて選んだという話もある。命のやり取りをしている病院のベッドでもそこまで拘るのは彼ならではだ...。

そしてあのスタンフォード大学での有名なスピーチが真実なら、スティーブ・ジョブズは少年時代から「今日一日を人生最後の日だと思って過ごしていれば、いつの日かその通りになるだろう」と毎朝鏡に向かい「もし今日が人生最後の日だとして、今日やろうと思っていることを自分はやりたいだろうか?」と自身に問いかけ続けていたという。

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※2005年6月、スタンフォード大学卒業式で伝説となるスピーチを行ったスティーブ・ジョブズ


それが本当ならスティーブ・ジョブズは常に "死" というものを身近に感じ早く言えば「いつ死ぬか分からないのだから自分のやりたいことを最優先すべき」という思いにとらわれ続けていたといえる。
そうしたエピソードのひとつとして妻となるローリーンとの出会いがある…。

1989年10月のこと、スタンフォード大学のビジネススクールにスティーブ・ジョブズが登壇した際に新入生のローリーン・パウエルと出会う。その日はその後に仕事の約束があったが、ジョブズは「仕事か彼女か」をと考えた末、本当に自分の心に忠実にと約束をキャンセルして彼女を食事に誘った。

スティーブ・ジョブズは「生き急いだ」のかも知れない...。
「今日が人生最後の日になるとしたら、いま何をしたいのか、するべきか」を常に考えることが身についていたとするなら、突飛なあるいは無礼な言動のジョブズ自身は他人からどう思われようといま感じたこと、いま思ったことを素直に行動に移しただけなのかも知れない。まあ一般の社会人に許されることではないが…。

ところでジョブズが死というものをリアルに感じていた背景は当時の世相も大きく影響したに違いない。それはベトナム戦争が当時の社会、特に若者たちに大いなる不安をもたらしたからだ。世界各国で大規模な反戦運動が発生し、社会に大きな影響を与えた。
当時ヒッピーでもあったスティーブ・ジョブズもそうした世相を無視することは出来なかっただろう。結局ベトナム戦争はリチャード・ニクソン大統領が1973年にアメリカ軍を撤退させたものの北ベトナム・南ベトナム解放民族戦線と南ベトナムとの戦闘は続き、ベトナム戦争終結は1975年4月30日のサイゴン陥落によってであった。

そうした時代、当然のことのように徴兵忌避と反戦運動はピークだった。1968年11月、リチャード・ニクソンが大統領に選ばれたがその頃ベトナムに派遣された米軍は54万人にもなっていたという。無論70年代に入ってもスティーブ・ジョブズにも徴兵の可能性はあったし事実友人のスティーブ・ウォズニアックは1968年に徴兵検査を受けた。ただしその頃現実にはベトナムからの撤退が打ち出されており、理屈はともかくジョブズたちの徴兵の可能性はほとんどなかったが…。

また国内でも “きな臭い” 事件が多々起こった。例えば1969年5月21日にはUCバークレー近くの公園をめぐりカウンターカルチャーを信奉する反体制派と当時のカルフォルニア州知事ドナルド・レーガン側が衝突し2700名の警官と州兵が派遣され、7千人の反体制派が衝突するはめになった。徹底した弾圧により数百人が逮捕されたが、そうした中に後にアタリ社でジョブズの上司となったアル・アルコーンもいた。
さらにこの事件がきっかけとなり1970年4月7日、オハイオ州のケント州立大学で反戦派の学生に州兵が発砲し4人の学生が死亡し9人が重傷を負うという結果となった。

例えばノア・ワイリー主演の映画「バトル・オブ・シリコンバレー」の冒頭では1971年UCバークレー校でベトナム戦争への抗議デモに参加した400名を越え暴徒化した学生たちを鎮圧するため警察が催涙弾を発射するという大混乱のシーンから始まる。映画ではその混乱の中、スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックはブルー・ボックスを手にしながら「ヤバイ」と催涙弾の煙を避けながら逃げ去る…。そうした時代背景だった。

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※ノア・ワイリー主演の映画「バトル・オブ・シリコンバレー」DVDパッケージ


少々くどいほど当時の時代背景をご紹介したが、スティーブ・ジョブズならずとも未来が約束されていたはずもなくそれこそ一寸先は闇といった時代だった。万一徴兵されれば泥沼状態になったベトナムで命を落とすかも知れないのだ。したがってある意味死はいつも身近な存在だったのである。スティーブ・ジョブズは誰よりもそうした時代に敏感に反応したのかも知れない。

「今日が人生最後の日になるとしたら」悠長なことはやっていられない。新製品の開発に関してもジョブズの頭の中には実現不可能なことも含めて多くの希望とアイデアが湧き出ていたに違いない。しかしそれらを実現するには長い時間はかけられない。何故なら今日で寿命が尽きるかもしれないからだ...。
必然的にジョブズは性急になり、悠長にかまえている周りの人物たちを鼓舞するだけでなく怒鳴り散らすことになる。

限られた時間でどこまでできるか。スティーブ・ジョブズの思惑は果てしないものだったに違いない。そのジレンマが彼をして強烈な人生を送る原動力になったのではないだろうか。そうした漠然とした不安が2003年に現実のものとなる。膵臓癌と診断されたからだ…。
短い人生、限られた時間で彼は世界というか宇宙に自分の痕跡を残したかったに違いない。スティーブ・ジョブズという人間がこの世にいたこと、コンピュータだけでなく音楽やCG映画においても業界...世界を変えた男として名を残したかったのではないか。

人は成功し金持ちになると残された望みは自身の生きた証しを歴史に残す...残したいと思うものらしい。そうして考えればジョブズがウォルター・アイザックソンに伝記を書かしたのも頷けるが、それが思い通りに成功するかどうかはまた別の問題だが(笑)。
ただし特に後半生のジョブズはやりたい放題に思える言動の中でも筋を通すべきことにはきちんと気を遣っていた...。

例えばディズニーのCEO ボブ・アイガーがジョブズの葬儀の際に述べたスピーチは心を打つ。アイガーはディズニーによるピクサー買収の契約を結ぶわずか30分前、ジョブズと2人でピクサーキャンパス内を散歩したときのことを語った。その際ジョブズは自分の癌が再発したことを話し、「このことは妻ローリーンと医師しか知らないものの、この事実を貴方が後で知ったら契約を取り止めたくなるかも知れないから教えなければならない」と打ち明けられたという。
アイガーは「そこまで気を遣ってくれるとは...」と感激した。

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※ジョブズの死を知った1000人もの人たちが自宅前に花を添えてその死を惜しんだ。「People」誌 October 24,2011月号より


スティーブ・ジョブズは「生き急いだ」。
今日が最後の日になるかも知れないと...。大きなプレッシャーはもとよりだろうが、覚悟とジレンマが結果としてスタッフを週90日間働かせたり、周りの人たちを不快にさせたりしたものの皮肉なことにその性急さが強い拘りを生み、強い説得力となり優秀なスタッフたちに支えられて世界を変える製品群を生み出したのだ。

【主な参考資料】
・ウォルター・アイザックソン著/井口耕二訳「スティーブ・ジョブズ(I)」講談社刊
・畠山雄二著「英文徹底解読 スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学卒業式講演」ベレ出版刊
・脇英世著「スティーブ・ジョブズ 青春の光と影」東京電機大学出版局刊



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Author:mactechlab
主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。また直近では「木挽町お鶴捕物控え」を発表している。
2018年春から3Dプリンターを複数台活用中であり2021年からはレーザー加工機にも目を向けている。ゆうMUG会員