ラテ飼育格闘日記(457)
先日チワワを飼い始めたという初対面の飼い主さんから挨拶の後で「どうしたら言うことを聞かせられるのか」と質問された。やはり甘噛みやリードを引くのが強いので悩んでいるようだった…。今更だが、飼い犬と信頼関係を築くということと同時にやってはいけないことを教えるのは簡単ではない…。
飼い主はもとよりだが、人間に服従するワンコの姿はとても微笑ましく素敵だが、それは我々人間からの視点でありワンコは果たしてどのような気持ちで飼い主たちに服従しているのだろうか。食べ物を貰えるから、飼い主の喜ぶ姿を見たいから、叱られるのが怖いから...などなどと人間側から考えれば色々とありそうだが、無論ラテに聞いても教えてくれない(笑)。

※気温が低くなってきたら動きもキビキビしてきた
ラテと暮らし初め、右も左も分からないことだらけだったとき「犬の飼い方」といった類の本を多々読んだ。それらのほとんどは飼い主は強いリーダーシップを発揮しなければならないと強調していた。また叱ったり...ましてや折檻といった苦痛を与える体罰はすべきでなく誉めて教える...という主張も多かったがビギナーのオトーサンにはどうにもきれい事に思えた。
例えば目の前の家具を囓っているワンコにどうすれば囓らないように教え込むことができるのか...。囓り防止のスプレーをも舐めてしまうラテにどう教えたら噛むのを止めるのか。オトーサンも思いつく限りいろいろなことをやってみたが、一番効果があったのは "叱る" こと “怒っている” ことをラテに認知させることだった。ただし体罰は別の話である...。

※オトーサンと一緒!
電気マッサージチェアの木製部分を囓った “現行犯” のラテをその場に座らせ、その顔をオトーサンの両手で軽く挟み、視線を合わし、強くそして大きめの声を出しオトーサンが “怒っている” ことをラテに分からせようとした。その直後に再び囓ろうとするラテをオトーサンは手加減しながらも手で払って遠ざけることを繰り返した。「ダメ!」という言葉と共に。ただし重要なことはその場で叱ることだ。
その際、怒ってる…叱ってるということがラテに伝わらなければオトーサンの行為はラテには遊んでくれてると思われてしまう可能性がある。それではかえってラテを増長させてしまう。意識的に声を荒らげ、叱る姿勢を見せるのがポイントだと思う。
また数分も経ってから「お前、これ囓っただろう。ダメじゃないか」と言ったところでワンコは何を叱られているのか分からないという。大変ではあるが、止めさせるべき行動をしたその瞬間に叱ることがポイントなのだ。

※久しぶりだが、散歩中に見知らぬ女の子と至福の時を過ごした
何しろラテは甘噛みも酷かったし拾い食いも頻繁だったから、訓練以前に危ない事を止めさせるのが第一だった。そうした中でオトーサンが学んだことは根気よく繰り返しながら “してはいけないこと” をラテに学ばせることだった。しかしオトーサンも血の通った凡人であり、本当に頭にきて正直、1,2度手加減しながらもラテを張り倒したこともあった。なにしろフローリングの床にまで歯を当てるのだから...。
ラテが我が家に来て2週間ほどだったか、近所の河川沿いの道でビーグル犬を連れた男性と出会い立ち話をしたとき、オトーサンは思わず甘噛みが酷くて困っていると弱音を吐いた…。そのときその飼い主さんは「根気強く教えることしかない」と言い切ったが、その後で「きっとラテちゃんが10歳くらいになった頃には今悩んでいることはとてもよい思い出になりますよ」と慰めてくれた。確かにいま「なるほどなあ」とオトーサンは思っている。
ワンコの精神構造は不明ながら、やりたいことを禁止されるのはやはりストレスに違いない。しかし繰り返し繰り返し習慣づけることでやってよいこととやってはいけないことを学習させることはできると確信した。

※散歩中にオカーサンがコンビニで買った「生どら焼き」のひとかけらに夢中...
例えば道路(歩道)を歩いているとき向こう側に渡る際には信号の有る無しはともかく横断歩道を渡る。勿論我々はそれが安全だからという理由...あるいは規則だと考えてやっているわけだが、当然ラテはそんなことは知る由もない。しかしオトーサンと一緒に歩いた積み重ねはラテにしてもこの場所で道路向こう側に渡る際にはどこから渡るかを学習しているわけで、結果として横断歩道を渡るようになる...。
また排泄する場所もワンコ任せとはいえ人家の玄関先や商店街の人通りの多い場所では申し上げるまでもなく大変な迷惑をかけてしまう。しかしこれも排泄をしてはいけない場所を通過する際は意図的にリードを短くして引き、排泄する姿勢を取りにくくすることで防ぐことが出来るとオトーサンは考えている。
ワンコも緊急時はともかく排泄すべき場所は本来心得ているものだ。ただ「ここはだめ」という人間側の理屈は分からないわけで、それは教えなければならない。
要は排泄して良い場所を教えるのは困難だが、してはならない場所は窮屈な姿勢を取らすことで覚えさすことは出来ると確信している。そもそもワンコは自分のテリトリー内では排泄は嫌うものらしい。テリトリーとは決して自宅とか犬小屋というだけでなく行きつけのカフェのテラスといったお気に入りの場所をも意味する。
結果論だが、ラテは幼犬時代の1,2度を別にすればこの9年間、自宅で粗相したことは1度もないし行きつけのカフェのテラスで粗相したこともない。
勿論すべてをワンコに任せるということではなく、例えばカフェにラテを連れて行くとするならその直前までになるべく排泄を済ませておくよう心がけるのも飼い主の役割に違いない。
そしてリードなどによるサインと同時にオトーサンは「ダメ!」と短い言葉を言うようにしてきたが、ラテは「ダメ!」は禁止の意味だということをすぐに覚えた。

※まあまあ、いまだにオトーサンに反抗して言うことを聞かないときもある(笑)
肉球を囓っているとき、オトーサンの仕事部屋の奥に入り込んで遊ぼうとするときオトーサンの「ダメ!」の一言で叱られたと理解する。無論いつもいつも1度の「ダメ!」で行為をストップするわけではないが、オトーサンが止めろと言っていることは分かっているようだ。
ともあれ、飼い主は遊んでくれる嬉しい仲間であると共に食事を供給してくれる人、そして守ってくれる人といった信頼関係を作るのが第1段階であろうか...。
ワンコの性格にもよるが、基本的に人を頼りにするワンコと出来ることなら距離をおきたいというワンコがいるように思える。まあ、飼い犬の信頼を確かなものにするにはやはりインスタントな方法はなく、毎日の接し方の積み重ねによるしか方法はないといえる。
ワンコ好きだった作家コナン・ドイルはシャーロック・ホームズに「犬はその家の生活を反映する。陰気な家には陽気にじゃれつく犬はいないし、明るい家庭には、悲しそうな犬はいない。がみがみどなる飼い主には、歯をむきだしてうなる犬、危険な人間には危険な犬がつきものだ」と「這う男」の中で言わせている。オトーサンはそれって真実だと思っている。
そう考えればラテはオトーサンたちの鏡でもあることになる…。となれば、日々の付き合いを疎かにできなくなる(笑)。
飼い主はもとよりだが、人間に服従するワンコの姿はとても微笑ましく素敵だが、それは我々人間からの視点でありワンコは果たしてどのような気持ちで飼い主たちに服従しているのだろうか。食べ物を貰えるから、飼い主の喜ぶ姿を見たいから、叱られるのが怖いから...などなどと人間側から考えれば色々とありそうだが、無論ラテに聞いても教えてくれない(笑)。

※気温が低くなってきたら動きもキビキビしてきた
ラテと暮らし初め、右も左も分からないことだらけだったとき「犬の飼い方」といった類の本を多々読んだ。それらのほとんどは飼い主は強いリーダーシップを発揮しなければならないと強調していた。また叱ったり...ましてや折檻といった苦痛を与える体罰はすべきでなく誉めて教える...という主張も多かったがビギナーのオトーサンにはどうにもきれい事に思えた。
例えば目の前の家具を囓っているワンコにどうすれば囓らないように教え込むことができるのか...。囓り防止のスプレーをも舐めてしまうラテにどう教えたら噛むのを止めるのか。オトーサンも思いつく限りいろいろなことをやってみたが、一番効果があったのは "叱る" こと “怒っている” ことをラテに認知させることだった。ただし体罰は別の話である...。

※オトーサンと一緒!
電気マッサージチェアの木製部分を囓った “現行犯” のラテをその場に座らせ、その顔をオトーサンの両手で軽く挟み、視線を合わし、強くそして大きめの声を出しオトーサンが “怒っている” ことをラテに分からせようとした。その直後に再び囓ろうとするラテをオトーサンは手加減しながらも手で払って遠ざけることを繰り返した。「ダメ!」という言葉と共に。ただし重要なことはその場で叱ることだ。
その際、怒ってる…叱ってるということがラテに伝わらなければオトーサンの行為はラテには遊んでくれてると思われてしまう可能性がある。それではかえってラテを増長させてしまう。意識的に声を荒らげ、叱る姿勢を見せるのがポイントだと思う。
また数分も経ってから「お前、これ囓っただろう。ダメじゃないか」と言ったところでワンコは何を叱られているのか分からないという。大変ではあるが、止めさせるべき行動をしたその瞬間に叱ることがポイントなのだ。

※久しぶりだが、散歩中に見知らぬ女の子と至福の時を過ごした
何しろラテは甘噛みも酷かったし拾い食いも頻繁だったから、訓練以前に危ない事を止めさせるのが第一だった。そうした中でオトーサンが学んだことは根気よく繰り返しながら “してはいけないこと” をラテに学ばせることだった。しかしオトーサンも血の通った凡人であり、本当に頭にきて正直、1,2度手加減しながらもラテを張り倒したこともあった。なにしろフローリングの床にまで歯を当てるのだから...。
ラテが我が家に来て2週間ほどだったか、近所の河川沿いの道でビーグル犬を連れた男性と出会い立ち話をしたとき、オトーサンは思わず甘噛みが酷くて困っていると弱音を吐いた…。そのときその飼い主さんは「根気強く教えることしかない」と言い切ったが、その後で「きっとラテちゃんが10歳くらいになった頃には今悩んでいることはとてもよい思い出になりますよ」と慰めてくれた。確かにいま「なるほどなあ」とオトーサンは思っている。
ワンコの精神構造は不明ながら、やりたいことを禁止されるのはやはりストレスに違いない。しかし繰り返し繰り返し習慣づけることでやってよいこととやってはいけないことを学習させることはできると確信した。

※散歩中にオカーサンがコンビニで買った「生どら焼き」のひとかけらに夢中...
例えば道路(歩道)を歩いているとき向こう側に渡る際には信号の有る無しはともかく横断歩道を渡る。勿論我々はそれが安全だからという理由...あるいは規則だと考えてやっているわけだが、当然ラテはそんなことは知る由もない。しかしオトーサンと一緒に歩いた積み重ねはラテにしてもこの場所で道路向こう側に渡る際にはどこから渡るかを学習しているわけで、結果として横断歩道を渡るようになる...。
また排泄する場所もワンコ任せとはいえ人家の玄関先や商店街の人通りの多い場所では申し上げるまでもなく大変な迷惑をかけてしまう。しかしこれも排泄をしてはいけない場所を通過する際は意図的にリードを短くして引き、排泄する姿勢を取りにくくすることで防ぐことが出来るとオトーサンは考えている。
ワンコも緊急時はともかく排泄すべき場所は本来心得ているものだ。ただ「ここはだめ」という人間側の理屈は分からないわけで、それは教えなければならない。
要は排泄して良い場所を教えるのは困難だが、してはならない場所は窮屈な姿勢を取らすことで覚えさすことは出来ると確信している。そもそもワンコは自分のテリトリー内では排泄は嫌うものらしい。テリトリーとは決して自宅とか犬小屋というだけでなく行きつけのカフェのテラスといったお気に入りの場所をも意味する。
結果論だが、ラテは幼犬時代の1,2度を別にすればこの9年間、自宅で粗相したことは1度もないし行きつけのカフェのテラスで粗相したこともない。
勿論すべてをワンコに任せるということではなく、例えばカフェにラテを連れて行くとするならその直前までになるべく排泄を済ませておくよう心がけるのも飼い主の役割に違いない。
そしてリードなどによるサインと同時にオトーサンは「ダメ!」と短い言葉を言うようにしてきたが、ラテは「ダメ!」は禁止の意味だということをすぐに覚えた。

※まあまあ、いまだにオトーサンに反抗して言うことを聞かないときもある(笑)
肉球を囓っているとき、オトーサンの仕事部屋の奥に入り込んで遊ぼうとするときオトーサンの「ダメ!」の一言で叱られたと理解する。無論いつもいつも1度の「ダメ!」で行為をストップするわけではないが、オトーサンが止めろと言っていることは分かっているようだ。
ともあれ、飼い主は遊んでくれる嬉しい仲間であると共に食事を供給してくれる人、そして守ってくれる人といった信頼関係を作るのが第1段階であろうか...。
ワンコの性格にもよるが、基本的に人を頼りにするワンコと出来ることなら距離をおきたいというワンコがいるように思える。まあ、飼い犬の信頼を確かなものにするにはやはりインスタントな方法はなく、毎日の接し方の積み重ねによるしか方法はないといえる。
ワンコ好きだった作家コナン・ドイルはシャーロック・ホームズに「犬はその家の生活を反映する。陰気な家には陽気にじゃれつく犬はいないし、明るい家庭には、悲しそうな犬はいない。がみがみどなる飼い主には、歯をむきだしてうなる犬、危険な人間には危険な犬がつきものだ」と「這う男」の中で言わせている。オトーサンはそれって真実だと思っている。
そう考えればラテはオトーサンたちの鏡でもあることになる…。となれば、日々の付き合いを疎かにできなくなる(笑)。
- 関連記事