Apple Computer社が創立された1976年はこんな世相だった!
アップル(Apple Computer Company)という会社が出来たのはすでにご承知のとおり1976年4月1日であり、スティーブ・ジョブズ、スティーブ・ウォズニアックそしてロン・ウエインの3人が発起人だった。その切っ掛けや出会いなどに関してこれまでにも多々論じてきたが、今回はその1976年がどんな時代・世相だったかを追ってみた。
前回のアーティクルでは横浜で開催された "70's バイブレーション YOKOHAMA" をご紹介したが、Appleという会社ができたのも1976年...すなわち70年代なのだ。ではこの「1976年はどのような年だったのか」とはいっても米国の世相や出来事を述べてもピンとこないに違いない。したがってここでは日本の出来事を追って1976年の時代背景を感じ取っていただきたい…。
ちなみに私個人にとっての1976年は振り返るととても厳しい時代だった。その数年前に勤務先の上司に勧められその会社に取締役として勤務し始めたが、話しは随分と違い毎月の給与が滞るようになったこともあって辞める決心をした時期だった。


※Apple 1を前にしたスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアック(上)。Apple 1のマニュアルに載っている回路図(1976年製)には DRAWN BY : R.WAYNE、DESIGN ENGINEER:S.WOZNIAK、PRODUCT ENGINEER:S.JOBSと創業者3人の名前と担当部署および年月日が記されている(下)
翌年1977年に小さな貿易会社に就職し予定していた結婚も無事果たしたが、人生とは面白いもので不遇な出来事が次のチャンスを生むという積み重ねで12年後にMac専門のソフトウェア開発会社を自身が起業することになるのだから...。
ともあれ後述するように1976年にはNECからマイコンキットの「TK-80」が発売され、我が国のマイクロコンピュータブームの火付け役となったが、翌年9月には早くも徳間書店から「使いかた楽しみかた~マイコンがわかる本」(橋本尚著)が出版された。

※マイコン・トレーニングキット TK-80 (写真提供:株式会社技術少年出版)
しかしブームという言葉が正しいかは疑問である。確かにマスコミに “マイコン” というワードが登場し始めたにしろそれらを実際に手にするのはまだまだ極一部の人たちに過ぎず、ましてや “マイコン” とか “パソコン” が我々の日常生活やビジネスに浸透してこれほど世の中を変えうる力になるとはほとんどの人の意識に登らなかったに違いない。
その1976年といえばすでに39年前であり、お若い方にとっては当時の世相など歴史の出来事として教科書上の記憶でしかないと思うが、Appleが会社を創立した1976年という年がどのような世相であったかをご一緒に眺めてみよう...。
●まず「物価」に目を向けてみようか...。
郵便の封書は50円でハガキは20円だった。また今のJRはまだ国鉄の時代であり最低初乗り料金が60円だった。ちなみにビールは195円、たばこ(ハイライト)は120円。
●この年のヒット商品に目を転じれば...。
世界初のCPU搭載一眼レフカメラ「キヤノンAE-1」81,000円がヒット。無論デジカメではない。
またビクターからは初のVHS方式のビデオデッキ「ビデオカセッターHR-3300」が256,000円で発売される。またNECからはマイコンキット「TK-80」が発売され日本のマイクロコンピュータブームの火付け役となる。ちなみに私自身は翌年の1977年に富士通のワンボードマイコン「FACOM Lkit-8」を購入してこの世界に足を踏み入れた...。
●さて月毎に大きな出来事、事件を紐解いてみよう...。
・1月8日:中国、周恩来首相が死去。
・1月31日:鹿児島市立病院で5つ子が誕生。
・2月5日:ロッキード事件発覚
米国上院小委員会でロッキード社が日本などの有力者に航空機の売り込みをめぐって多額の資金をばらまいたことを暴露。その後、児玉誉士夫を代理人として政府高官に賄賂を贈ったことも発覚、さらに小佐野賢次国際興業社主も関与していたことなどが明らかにされた。
24日に東京地検、警視庁、東京国税庁が強制捜査に踏み切り、戦後最大の汚職事件となった。
・4月5日:北京で天安門事件。7日、鄧小平副主席が解任。
・6月25日:新自由クラブ結成。
・7月27日:田中角栄前首相逮捕
東京地検特捜部は丸紅から受けた5億円の外為法違反の容疑で田中角栄前首相を逮捕。16日、受託収賄罪、外為法違反で起訴。17日、保釈金2億円で保釈。
他の政府高官としては佐藤孝行運輸政務次官、橋本登美三郎元運輸大臣が8月に逮捕される。
・9月6日:ミグ25亡命事件
ソ連の最新鋭戦闘機ミグ25に乗ってペレンコ中尉がアメリカに亡命のため北海道・函館空港に強行着陸。
・10月22日:ニセ電話事件
現職京都地裁の鬼頭史郎判事補の「ニセ電話事件」が発覚。8月4日夜に検事総長の名で三木首相に電話しロッキード事件に関し「指揮権を発動してはどうか」と促したという。10月23日、最高裁が事情聴取。東京地検は軽犯罪法違反で起訴。
・12月25日:昭和天皇在位50年。
●この年のベストセラーを見てみると...。
「翔ぶが如く」(司馬遼太郎)、「不毛地帯」(山崎豊子)、「限りなく透明に近いブルー」(村上龍)、「火宅の人」(檀一雄)など。
●テレビ番組では以下のような番組が大人気だった...。
クイズ・ダービー(TBS)、大河ドラマ 風と雲と虹と(NHK)、ドラマ 大都会(日本テレビ)、ドラマ 男たちの旅路(NHK)、ドラマ アルプスの少女ハイジ(NHK)、連続テレビ小説 雲のじゅうたん(NHK)、バラエティ 欽ちゃんのどこまでやるの!(NET=現テレビ朝日)
●日本での映画では「男はつらいよ・寅次郎夕焼け小焼け」、「犬神家の一族」、「不毛地帯」、「烏呼!!花の応援団」、「はだしのゲン」そして「あにいもうと」などが話題となる。
●外国映画としては「ロッキー」、「カッコーの巣の上で」、「タクシー・ドライバー」そして日本初のハード・コア「愛のコリーダ」が刑法への配慮からまずパリで封切りとなった。
●この年のヒット曲にはどんなものがあったのだろうか...。
春一番(キャンディーズ)、おゆき(内藤国雄)、昔の名前で出ています(小林旭)、ビューティフル・サンデー(田中星児)、東京砂漠(内山田洋とクール・ファイブ)、北酒場(五木ひろし)、横須賀ストーリー(山口百恵)、山口さんちのツトム君(川橋哲史)、嫁にこないか(新沼謙治)、東村山音頭(平田満)、四季の歌(芹洋子)、ペッパー警部(ピンクレディー)、青春時代(森田公一とトップギャラン)、S・O・S(ピンクレディー)、デンセンマンの電線音頭(デンセンマン、伊東四朗、小松政夫)などなど。 特筆すべきは、子門真人が歌った「およげたいやきくん」が453万枚という大ヒットになった。
●スポーツ関連では10月11日に巨人軍の王貞治が715号ホームランを放ちベーブルースの記録を抜いた。
そして2月4日から15日にかけ、オーストリアのインスブルックで第12回冬季オリンピックが開催された。しかし日本選手のメダル獲得はゼロだった(^_^)。
7月17日から8月1日まではカナダのモントリオールで第21回オリンピックが開催され日本は体操で5回連続の団体総合優勝を果たしメダルも金9、銀6、銅10を獲得。ただし話題独占は体操で驚異の10点満点を取得した14歳のコマネチだった。 またアントニオ猪木対モハメド・アリの異種格闘技戦も記憶に残っている。
こんな時代にApple Computer社はスタートをきったのだ...。ただしマイク・マークラの資金援助を受けて法人化できたのは翌年1977年1月3日であった。無論当時Apple製品はApple 1しかなかった。Apple II が発表されるのは1977年4月16日、第1回ウエストコーストコンピュータフェア(WCCF)においてだった。

※Apple 1の利用環境を再現。当研究所所有のApple 1(clone)
とはいえ1976年という年は振り返って見ると何とも象徴的で刺激的な年である。アップルが生まれ、日本初のマイコン専門雑誌「I/O」が発刊、前記のようにNECからマイコン・トレーニングキットとしてTK-80が発売となった。
1976年はパーソナルコンピュータが一般大衆に向け爆発的に広がるトリガーのような年だったのである。
前回のアーティクルでは横浜で開催された "70's バイブレーション YOKOHAMA" をご紹介したが、Appleという会社ができたのも1976年...すなわち70年代なのだ。ではこの「1976年はどのような年だったのか」とはいっても米国の世相や出来事を述べてもピンとこないに違いない。したがってここでは日本の出来事を追って1976年の時代背景を感じ取っていただきたい…。
ちなみに私個人にとっての1976年は振り返るととても厳しい時代だった。その数年前に勤務先の上司に勧められその会社に取締役として勤務し始めたが、話しは随分と違い毎月の給与が滞るようになったこともあって辞める決心をした時期だった。


※Apple 1を前にしたスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアック(上)。Apple 1のマニュアルに載っている回路図(1976年製)には DRAWN BY : R.WAYNE、DESIGN ENGINEER:S.WOZNIAK、PRODUCT ENGINEER:S.JOBSと創業者3人の名前と担当部署および年月日が記されている(下)
翌年1977年に小さな貿易会社に就職し予定していた結婚も無事果たしたが、人生とは面白いもので不遇な出来事が次のチャンスを生むという積み重ねで12年後にMac専門のソフトウェア開発会社を自身が起業することになるのだから...。
ともあれ後述するように1976年にはNECからマイコンキットの「TK-80」が発売され、我が国のマイクロコンピュータブームの火付け役となったが、翌年9月には早くも徳間書店から「使いかた楽しみかた~マイコンがわかる本」(橋本尚著)が出版された。

※マイコン・トレーニングキット TK-80 (写真提供:株式会社技術少年出版)
しかしブームという言葉が正しいかは疑問である。確かにマスコミに “マイコン” というワードが登場し始めたにしろそれらを実際に手にするのはまだまだ極一部の人たちに過ぎず、ましてや “マイコン” とか “パソコン” が我々の日常生活やビジネスに浸透してこれほど世の中を変えうる力になるとはほとんどの人の意識に登らなかったに違いない。
その1976年といえばすでに39年前であり、お若い方にとっては当時の世相など歴史の出来事として教科書上の記憶でしかないと思うが、Appleが会社を創立した1976年という年がどのような世相であったかをご一緒に眺めてみよう...。
●まず「物価」に目を向けてみようか...。
郵便の封書は50円でハガキは20円だった。また今のJRはまだ国鉄の時代であり最低初乗り料金が60円だった。ちなみにビールは195円、たばこ(ハイライト)は120円。
●この年のヒット商品に目を転じれば...。
世界初のCPU搭載一眼レフカメラ「キヤノンAE-1」81,000円がヒット。無論デジカメではない。
またビクターからは初のVHS方式のビデオデッキ「ビデオカセッターHR-3300」が256,000円で発売される。またNECからはマイコンキット「TK-80」が発売され日本のマイクロコンピュータブームの火付け役となる。ちなみに私自身は翌年の1977年に富士通のワンボードマイコン「FACOM Lkit-8」を購入してこの世界に足を踏み入れた...。
●さて月毎に大きな出来事、事件を紐解いてみよう...。
・1月8日:中国、周恩来首相が死去。
・1月31日:鹿児島市立病院で5つ子が誕生。
・2月5日:ロッキード事件発覚
米国上院小委員会でロッキード社が日本などの有力者に航空機の売り込みをめぐって多額の資金をばらまいたことを暴露。その後、児玉誉士夫を代理人として政府高官に賄賂を贈ったことも発覚、さらに小佐野賢次国際興業社主も関与していたことなどが明らかにされた。
24日に東京地検、警視庁、東京国税庁が強制捜査に踏み切り、戦後最大の汚職事件となった。
・4月5日:北京で天安門事件。7日、鄧小平副主席が解任。
・6月25日:新自由クラブ結成。
・7月27日:田中角栄前首相逮捕
東京地検特捜部は丸紅から受けた5億円の外為法違反の容疑で田中角栄前首相を逮捕。16日、受託収賄罪、外為法違反で起訴。17日、保釈金2億円で保釈。
他の政府高官としては佐藤孝行運輸政務次官、橋本登美三郎元運輸大臣が8月に逮捕される。
・9月6日:ミグ25亡命事件
ソ連の最新鋭戦闘機ミグ25に乗ってペレンコ中尉がアメリカに亡命のため北海道・函館空港に強行着陸。
・10月22日:ニセ電話事件
現職京都地裁の鬼頭史郎判事補の「ニセ電話事件」が発覚。8月4日夜に検事総長の名で三木首相に電話しロッキード事件に関し「指揮権を発動してはどうか」と促したという。10月23日、最高裁が事情聴取。東京地検は軽犯罪法違反で起訴。
・12月25日:昭和天皇在位50年。
●この年のベストセラーを見てみると...。
「翔ぶが如く」(司馬遼太郎)、「不毛地帯」(山崎豊子)、「限りなく透明に近いブルー」(村上龍)、「火宅の人」(檀一雄)など。
●テレビ番組では以下のような番組が大人気だった...。
クイズ・ダービー(TBS)、大河ドラマ 風と雲と虹と(NHK)、ドラマ 大都会(日本テレビ)、ドラマ 男たちの旅路(NHK)、ドラマ アルプスの少女ハイジ(NHK)、連続テレビ小説 雲のじゅうたん(NHK)、バラエティ 欽ちゃんのどこまでやるの!(NET=現テレビ朝日)
●日本での映画では「男はつらいよ・寅次郎夕焼け小焼け」、「犬神家の一族」、「不毛地帯」、「烏呼!!花の応援団」、「はだしのゲン」そして「あにいもうと」などが話題となる。
●外国映画としては「ロッキー」、「カッコーの巣の上で」、「タクシー・ドライバー」そして日本初のハード・コア「愛のコリーダ」が刑法への配慮からまずパリで封切りとなった。
●この年のヒット曲にはどんなものがあったのだろうか...。
春一番(キャンディーズ)、おゆき(内藤国雄)、昔の名前で出ています(小林旭)、ビューティフル・サンデー(田中星児)、東京砂漠(内山田洋とクール・ファイブ)、北酒場(五木ひろし)、横須賀ストーリー(山口百恵)、山口さんちのツトム君(川橋哲史)、嫁にこないか(新沼謙治)、東村山音頭(平田満)、四季の歌(芹洋子)、ペッパー警部(ピンクレディー)、青春時代(森田公一とトップギャラン)、S・O・S(ピンクレディー)、デンセンマンの電線音頭(デンセンマン、伊東四朗、小松政夫)などなど。 特筆すべきは、子門真人が歌った「およげたいやきくん」が453万枚という大ヒットになった。
●スポーツ関連では10月11日に巨人軍の王貞治が715号ホームランを放ちベーブルースの記録を抜いた。
そして2月4日から15日にかけ、オーストリアのインスブルックで第12回冬季オリンピックが開催された。しかし日本選手のメダル獲得はゼロだった(^_^)。
7月17日から8月1日まではカナダのモントリオールで第21回オリンピックが開催され日本は体操で5回連続の団体総合優勝を果たしメダルも金9、銀6、銅10を獲得。ただし話題独占は体操で驚異の10点満点を取得した14歳のコマネチだった。 またアントニオ猪木対モハメド・アリの異種格闘技戦も記憶に残っている。
こんな時代にApple Computer社はスタートをきったのだ...。ただしマイク・マークラの資金援助を受けて法人化できたのは翌年1977年1月3日であった。無論当時Apple製品はApple 1しかなかった。Apple II が発表されるのは1977年4月16日、第1回ウエストコーストコンピュータフェア(WCCF)においてだった。

※Apple 1の利用環境を再現。当研究所所有のApple 1(clone)
とはいえ1976年という年は振り返って見ると何とも象徴的で刺激的な年である。アップルが生まれ、日本初のマイコン専門雑誌「I/O」が発刊、前記のようにNECからマイコン・トレーニングキットとしてTK-80が発売となった。
1976年はパーソナルコンピュータが一般大衆に向け爆発的に広がるトリガーのような年だったのである。
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