ラテ飼育格闘日記(460)
今更だが、飼い犬と信頼関係を築くということはどういうことなのだろうか...。一般的には訓練というか調教というか、飼い主が命令したことを忠実に守り、無視したり反抗したりしない関係を築くことだと理解されているようだがオトーサンは少し違った感じ方を持っている...。先日チワワを飼い始めたという飼い主さんから「どうしたら言うことを聞かせられるのか」と質問された。
飼い主はもとよりだが、人間に服従するワンコの姿はとても微笑ましく素敵だが、それは我々人間からの視点でありワンコは果たしてどのような気持ちで飼い主たちに服従しているのかについて考えてみる必要もあるかと思う。
食べ物を貰えるから、飼い主の喜ぶ姿を見たいから、叱られるのが怖いから...などなどと人間側から考えれば色々とありそうだが、無論ラテに聞いても教えてくれない(笑)。

※ワンコは我々人間ほどではないにしても喜怒哀楽は尻尾や耳だけでなく表情にも表れる
ラテと暮らし初め、右も左も分からないことだらけだったとき「犬の飼い方」といった類の本を多々読んだ。それらのほとんどは飼い主は強いリーダーシップを発揮しなければならないと強調していた。また叱ったり...ましてや折檻といった苦痛を与える体罰はすべきでなく誉めて教える...という主張も多かったがビギナーのオトーサンにはどうにもきれい事に思えた。
例えば目の前の家具を囓っているワンコにどうすれば囓らないように教え込むことができるのか...。囓り防止のスプレーをも舐めてしまうラテにどう教えたら防止できるのか。オトーサンも思いつく限りいろいろなことをやってみたが、一番効果があったのは "叱る" ことだった。無論体罰は別の話であるが...。
電気マッサージチェアの木製部分を囓った現行犯のラテをその場に座らせ、その顔をオトーサンの両手で軽く挟み拘束し、強くそして大きめの声を出し怒っていることをラテに分からせようとした。その直後に再び囓ろうとするラテをオトーサンは手加減しながらも手で払って遠ざけることを繰り返した。「ダメ!」という言葉と共に。ただし重要なことはその場で叱ることだ。
数分も経ってから「お前、これ囓っただろう。ダメじゃないか」と言ったところでワンコは何を叱られているのか分からないという。大変ではあるが、止めさせるべき行動をしたその瞬間に叱ることがポイントなのだ。
何しろ甘噛みも酷かったし拾い食いも頻繁だったから、訓練以前に危ない事を止めさせるのが第一だった。そうした中でオトーサンが学んだことは根気よく繰り返すことでしてはいけないことをラテも学ぶという事実だった。正直、1,2度手加減しながらも張り倒したこともあったが、なにしろフローリングの床にまで歯を当てるのだから...。
ラテが我が家に来て2週間ほどだったか、近所の河川沿いの道でビーグル犬を連れた男性と出会い立ち話をしたとき、オトーサンは思わず甘噛みが酷くて困っていると弱音が出た...。そのときその飼い主さんは「根気強く教えることしかない」と言い切ったが、その後で「きっとラテちゃんが10歳になった頃には今悩んでいることはとてもよい思い出になりますよ」と慰めてくれた。成犬になればそうした悪戯は影を潜めるものだという...。
いま「なるほどなあ」とオトーサンは思っている。


※20Kgもあるラテを抱き上げる際一番注意することは落とさないのは勿論だが(笑)オトーサンの腰を痛めないように注意することか(上)。ラテは希望が叶って満足そうだ(下)
ワンコの精神構造は不明ながら、やりたいことを禁止されるのはやはりストレスに違いない。しかし繰り返し繰り返し習慣づけることでやってよいこととやってはいけないことを学習させることはできると確信した。
例えば道路(歩道)を歩いているとき向こう側に渡る際には信号の有る無しはともかく横断歩道を渡る。勿論我々はそれが安全だからという理由...あるいは交通法規に則っているからだと考えてやっているわけだが、当然ラテはそんなことは知る由もない。しかしオトーサンと一緒に歩いた積み重ねはラテにとって “この場所” で道路向こう側に渡る際にはどこから渡るかを学習しているわけで、結果として横断歩道を渡ろうとするようになる...。
また排泄する場所もワンコ任せとはいえ人家の玄関先や商店街の人通りの多い場所でしては申し上げるまでもなく大変な迷惑だ。しかしこれもそうした排泄をしてはいけない場所を通過する際は意図的にリードを短くして排泄する姿勢を取りにくくすることでほぼ防ぐことが出来るとオトーサンは考えている。
ワンコは「ここはだめ」という人間側の理屈は分からないわけで、それは教えなければならない。
排泄して良い場所を教えるのは難しいが、してはならない場所は窮屈な姿勢を取らすことで覚えさすことなら容易だとオトーサンは確信している。そもそもワンコは自分のテリトリー内では排泄は嫌うものらしい。テリトリーとは決して自宅とか犬小屋というだけでなく、行きつけのカフェのテラスといったお気に入りの場所をも意味する。
結果論だが、ラテは幼犬時代の1,2度を別にすれば自宅で粗相したことは1度もないし無論行きつけのカフェのテラスで粗相したこともない。
ただしすべてをワンコに任せるということではなく、例えばカフェにラテを連れて行くとするならその直前までになるべく排泄を済ませておくよう心がけるのも飼い主の責任に違いない。
そしてリードなどによるサインと同時にオトーサンは「ダメ!」と短い言葉を言うようにしてきたが、ラテは「ダメ!」は禁止の意味だということをすぐに覚えた。
例えば肉球を囓っているとき、あるいはオトーサンの仕事部屋の奥に入り込んで遊ぼうとするときオトーサンの「ダメ!」の一言で叱られたと理解する。無論いつもいつも1度の「ダメ!」でストップするわけではないが、オトーサンが止めろと言っていることは分かっているようだ。
ともあれ、遊んでくれる嬉しい仲間であると共に食事を供給してくれる人、そして守ってくれる人といった信頼関係を作るのが第1段階であろうか...。
そして第二段階は体のどこを触っても怒らないように訓練することだろう。このことは飼い主はどのような場合においても自分(ワンコ)に危害は加えないという信頼を得ることになる。そして信頼が深まれば段三段階、すなわち物理的な苦痛にあっても飼い主に従順であることに繋がるだろう。

※幼犬時代から可愛がってくれた中学生女子に数ヶ月ぶりに出会ったラテは狂喜乱舞(笑)
長い人生、犬生の中には病気もするし怪我もするかも知れない。その治療はもとより耳掃除といった異物を入れられ、場合によっては不快感はもとより苦痛や痛みを伴う場合でも飼い主を攻撃したりせず従順でなければよい結果は出せない。
ラテにしても最初の頃は傷の手当てをする際に度々歯を当てられた。噛みつこうとまではしなかったが鋭い犬歯が当たればオトーサンの手の甲はその度に出血する。
しかし次第に同じ事をしてもときに「ウッ!」と声を出して歯茎をむき出しにしてもオトーサンに歯を当てることはしなくなった。いま痛くされているのは虐待ではなく治療なのだということが何となく分かっているような気がする。
事実昨年くらいまでラテは目薬をさすのに苦労した。オトーサンが手にしている目薬を奪おうと唸りながら歯をむき動くのでなかなか目的を達成できなかった。

※散歩が通学時と重なったため多くの子供たちと一緒に歩いた。一人の愛らしい女の子が「噛みませんか?」と声をかけてくれた。オトーサンが「噛まないよ」と答えるとはにかみながらも嬉しそうにラテを撫でた...
それが最近は大人しく目薬をさせるようになったし、綿棒に洗浄液を染み込ませて耳穴に入れ掃除させてくれるようにもなった。大きな変化である。
まあ、飼い犬の信頼を確かなものにするにはやはりインスタントな方法はなく、毎日の接し方の積み重ねによるしかないといえる。
そしてワンコの性格の基本はそれとして飼い主の気質や家族の雰囲気を敏感に接しながら成長するワンコは早い時期に飼い主の性格ならびに...大げさに言うなら生き様や家族の雰囲気といったものをしっかりと身につけるようだ。それに併合し溶け合うしか飼い犬が快適に生活していくことはできないからでもある。
ワンコ好きだったコナン・ドイルはシャーロック・ホームズに「犬はその家の生活を反映する。陰気な家には陽気にじゃれつく犬はいないし、明るい家庭には、悲しそうな犬はいない。がみがみどなる飼い主には、歯をむきだしてうなる犬、危険な人間には危険な犬がつきものだ」と「這う男」の中で言わせている。オトーサンはそれって真実だと思っている。
正しくラテはオトーサンたちの鏡でもあるわけだ...。そう考えれば日々疎かにできないではないか(笑)。
飼い主はもとよりだが、人間に服従するワンコの姿はとても微笑ましく素敵だが、それは我々人間からの視点でありワンコは果たしてどのような気持ちで飼い主たちに服従しているのかについて考えてみる必要もあるかと思う。
食べ物を貰えるから、飼い主の喜ぶ姿を見たいから、叱られるのが怖いから...などなどと人間側から考えれば色々とありそうだが、無論ラテに聞いても教えてくれない(笑)。

※ワンコは我々人間ほどではないにしても喜怒哀楽は尻尾や耳だけでなく表情にも表れる
ラテと暮らし初め、右も左も分からないことだらけだったとき「犬の飼い方」といった類の本を多々読んだ。それらのほとんどは飼い主は強いリーダーシップを発揮しなければならないと強調していた。また叱ったり...ましてや折檻といった苦痛を与える体罰はすべきでなく誉めて教える...という主張も多かったがビギナーのオトーサンにはどうにもきれい事に思えた。
例えば目の前の家具を囓っているワンコにどうすれば囓らないように教え込むことができるのか...。囓り防止のスプレーをも舐めてしまうラテにどう教えたら防止できるのか。オトーサンも思いつく限りいろいろなことをやってみたが、一番効果があったのは "叱る" ことだった。無論体罰は別の話であるが...。
電気マッサージチェアの木製部分を囓った現行犯のラテをその場に座らせ、その顔をオトーサンの両手で軽く挟み拘束し、強くそして大きめの声を出し怒っていることをラテに分からせようとした。その直後に再び囓ろうとするラテをオトーサンは手加減しながらも手で払って遠ざけることを繰り返した。「ダメ!」という言葉と共に。ただし重要なことはその場で叱ることだ。
数分も経ってから「お前、これ囓っただろう。ダメじゃないか」と言ったところでワンコは何を叱られているのか分からないという。大変ではあるが、止めさせるべき行動をしたその瞬間に叱ることがポイントなのだ。
何しろ甘噛みも酷かったし拾い食いも頻繁だったから、訓練以前に危ない事を止めさせるのが第一だった。そうした中でオトーサンが学んだことは根気よく繰り返すことでしてはいけないことをラテも学ぶという事実だった。正直、1,2度手加減しながらも張り倒したこともあったが、なにしろフローリングの床にまで歯を当てるのだから...。
ラテが我が家に来て2週間ほどだったか、近所の河川沿いの道でビーグル犬を連れた男性と出会い立ち話をしたとき、オトーサンは思わず甘噛みが酷くて困っていると弱音が出た...。そのときその飼い主さんは「根気強く教えることしかない」と言い切ったが、その後で「きっとラテちゃんが10歳になった頃には今悩んでいることはとてもよい思い出になりますよ」と慰めてくれた。成犬になればそうした悪戯は影を潜めるものだという...。
いま「なるほどなあ」とオトーサンは思っている。


※20Kgもあるラテを抱き上げる際一番注意することは落とさないのは勿論だが(笑)オトーサンの腰を痛めないように注意することか(上)。ラテは希望が叶って満足そうだ(下)
ワンコの精神構造は不明ながら、やりたいことを禁止されるのはやはりストレスに違いない。しかし繰り返し繰り返し習慣づけることでやってよいこととやってはいけないことを学習させることはできると確信した。
例えば道路(歩道)を歩いているとき向こう側に渡る際には信号の有る無しはともかく横断歩道を渡る。勿論我々はそれが安全だからという理由...あるいは交通法規に則っているからだと考えてやっているわけだが、当然ラテはそんなことは知る由もない。しかしオトーサンと一緒に歩いた積み重ねはラテにとって “この場所” で道路向こう側に渡る際にはどこから渡るかを学習しているわけで、結果として横断歩道を渡ろうとするようになる...。
また排泄する場所もワンコ任せとはいえ人家の玄関先や商店街の人通りの多い場所でしては申し上げるまでもなく大変な迷惑だ。しかしこれもそうした排泄をしてはいけない場所を通過する際は意図的にリードを短くして排泄する姿勢を取りにくくすることでほぼ防ぐことが出来るとオトーサンは考えている。
ワンコは「ここはだめ」という人間側の理屈は分からないわけで、それは教えなければならない。
排泄して良い場所を教えるのは難しいが、してはならない場所は窮屈な姿勢を取らすことで覚えさすことなら容易だとオトーサンは確信している。そもそもワンコは自分のテリトリー内では排泄は嫌うものらしい。テリトリーとは決して自宅とか犬小屋というだけでなく、行きつけのカフェのテラスといったお気に入りの場所をも意味する。
結果論だが、ラテは幼犬時代の1,2度を別にすれば自宅で粗相したことは1度もないし無論行きつけのカフェのテラスで粗相したこともない。
ただしすべてをワンコに任せるということではなく、例えばカフェにラテを連れて行くとするならその直前までになるべく排泄を済ませておくよう心がけるのも飼い主の責任に違いない。
そしてリードなどによるサインと同時にオトーサンは「ダメ!」と短い言葉を言うようにしてきたが、ラテは「ダメ!」は禁止の意味だということをすぐに覚えた。
例えば肉球を囓っているとき、あるいはオトーサンの仕事部屋の奥に入り込んで遊ぼうとするときオトーサンの「ダメ!」の一言で叱られたと理解する。無論いつもいつも1度の「ダメ!」でストップするわけではないが、オトーサンが止めろと言っていることは分かっているようだ。
ともあれ、遊んでくれる嬉しい仲間であると共に食事を供給してくれる人、そして守ってくれる人といった信頼関係を作るのが第1段階であろうか...。
そして第二段階は体のどこを触っても怒らないように訓練することだろう。このことは飼い主はどのような場合においても自分(ワンコ)に危害は加えないという信頼を得ることになる。そして信頼が深まれば段三段階、すなわち物理的な苦痛にあっても飼い主に従順であることに繋がるだろう。

※幼犬時代から可愛がってくれた中学生女子に数ヶ月ぶりに出会ったラテは狂喜乱舞(笑)
長い人生、犬生の中には病気もするし怪我もするかも知れない。その治療はもとより耳掃除といった異物を入れられ、場合によっては不快感はもとより苦痛や痛みを伴う場合でも飼い主を攻撃したりせず従順でなければよい結果は出せない。
ラテにしても最初の頃は傷の手当てをする際に度々歯を当てられた。噛みつこうとまではしなかったが鋭い犬歯が当たればオトーサンの手の甲はその度に出血する。
しかし次第に同じ事をしてもときに「ウッ!」と声を出して歯茎をむき出しにしてもオトーサンに歯を当てることはしなくなった。いま痛くされているのは虐待ではなく治療なのだということが何となく分かっているような気がする。
事実昨年くらいまでラテは目薬をさすのに苦労した。オトーサンが手にしている目薬を奪おうと唸りながら歯をむき動くのでなかなか目的を達成できなかった。

※散歩が通学時と重なったため多くの子供たちと一緒に歩いた。一人の愛らしい女の子が「噛みませんか?」と声をかけてくれた。オトーサンが「噛まないよ」と答えるとはにかみながらも嬉しそうにラテを撫でた...
それが最近は大人しく目薬をさせるようになったし、綿棒に洗浄液を染み込ませて耳穴に入れ掃除させてくれるようにもなった。大きな変化である。
まあ、飼い犬の信頼を確かなものにするにはやはりインスタントな方法はなく、毎日の接し方の積み重ねによるしかないといえる。
そしてワンコの性格の基本はそれとして飼い主の気質や家族の雰囲気を敏感に接しながら成長するワンコは早い時期に飼い主の性格ならびに...大げさに言うなら生き様や家族の雰囲気といったものをしっかりと身につけるようだ。それに併合し溶け合うしか飼い犬が快適に生活していくことはできないからでもある。
ワンコ好きだったコナン・ドイルはシャーロック・ホームズに「犬はその家の生活を反映する。陰気な家には陽気にじゃれつく犬はいないし、明るい家庭には、悲しそうな犬はいない。がみがみどなる飼い主には、歯をむきだしてうなる犬、危険な人間には危険な犬がつきものだ」と「這う男」の中で言わせている。オトーサンはそれって真実だと思っている。
正しくラテはオトーサンたちの鏡でもあるわけだ...。そう考えれば日々疎かにできないではないか(笑)。
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