iPhoneは電話機として最良のデザインなのか?iPhoneの未来は?!
過日インダストリアルデザイナーでMacユーザーでもある方と仕事に関する打ち合わせをしていたが、いつの間にか話題は iPhoneとなり、iPhone 6sでは見かけがほとんどiPhone 6と変わらなかったという話しからもっと根本的なデザイン的形状の話となった。要は現行iPhoneのような板状のデバイスはハンドセットには向かないと意見が一致した…(笑)。
2007年1月にスティーブ・ジョブズが iPhoneを発表したとき「電話機の再発明」と言った。それは背面が丸みを帯びた板状のデザインといった形状のことだけでなく、画面を指でタッチして操作するといったGUI を含めての自負だった。
無論それまでにも携帯電話はあったがいま振り返って見ればある種棒状のデザインあるいは二つ折りの製品にしてもそれらはどこか長い間私たちが使ってきたいわゆる電話機のハンドセットやトランシーバーといったものを彷彿とさせる形だったと思える。


※2007年1月に発表された初代iPhone (日本では未発売)。当研究所所有
しかし、 iPhoneが登場したとき「電話」「iPod」そして「インターネット」という3つの機能をひとつに集約したデバイスだという主張だったわけだが、やはり我々が一番興味があったのは電話の機能だった。
期待が膨らみ、批判する気持ちも吹き飛んだのかも知れないが(笑)そのiPhoneの形状は耳に当てて通話するには決して適切なデザインではなかった…(ハンズフリー通話もできるが)。

※iPhoneを発表するスティーブ・ジョブズ
確かに耳に当てると液晶が消えるといったギミックは我々を驚かせたが、なぜこの縦長の板状になったのだろうか。その一番の要因はフロントを全面液晶デイスプレイとしたコンセプトの結果に違いない。ハードウェア的なキーボードや幾多のコマンドボタンなどはまったくなく、フロントで目立つのは液晶画面以外はホームボタンだけだ。事実筐体のフレームぎりぎりまでディスプレイとするために完成間際だったデザインを作り直しまでさせたジョブズだった。
ところで iPhoneはいわゆるワイヤレスの電話機であるからしてカールコードが付いているわけではない。したがって手を滑らせば間違いなく落下し、立っていたり路面がコンクリートだったりすれば致命的な破損に繋がる...。しかし面白いというか大胆というか、iPhoneには “人間工学” といった立場ならありがちな滑り止めの材料を使う配慮とか、指でホールドしやすいよう形状に絞りを入れる…などといった工夫はまったく見られない。
こうしたデザイン第一主義とも思える物作りはあの初代 iMacにおける円形マウスを思い出させる。誰が考えても手を置いただけではマウスの前後位置が分かりにくく大変使いづらいのだ。為にサードパーティから円形マウスに被せるカバーまで発売されたほどである。無論これはジョナサン・アイブの仕事だった…。
ともかくスティーブ・ジョブズはiPhoneにケースを被せるとか液晶保護フィルムを使うことを嫌っていたというが、いみじくも多くのユーザーが何らかの形で使っているケース類が落下防止に役立っているし、万一落下した場合の被害を多少でも和らげているのは皮肉なことではないだろうか。
そういえば初代 iPodも四角い形状だった。しかしそれは本体にスピーカーはなかったから必ずイヤフォンを繋ぎ耳にあてて利用するデバイスであり、常に掌の中にあるものではない。通常はポケットの中だったりバッグに入れるから問題はなかった。しかしiPhoneは通常自身の手でホールドし、自身の耳にあてて使う。私はメディアやジャーナリズムが当時「こんな高価な電話機など売れやしない」などと言っていたもののそのiPhoneのデザイン...形にはシンプルだとかアップルらしいといった賛美が多かったことを不思議に思ったものだ。

※手でホールドした初代 iPhone
多機能のデジタルデバイスとして情報を液晶ディスプレイに表示するとなればその形状は必然的にこのようなデザインになるのだろうとは納得したが、こと電話...通話機・受話機としては使いづらいのではないかという第一印象を持った。
古くさいとかアナクロニズムと言われようが、通話のための道具として「持ちやすく」「落としにくく」「疲れにくい」形としてはやはり旧態依然のヘッドセットの形が一番ではないだろうか(笑)。

※黒電話のハンドセットを模したiPhone用USB接続のレトロなハンドセット
とはいえ、モバイルデバイスが大きかったり妙な形では逆に利用しづらいに違いないが、iPhoneに限らず現在の板きれのような形状は長い進化の中では過渡期なのかも知れない。この種のデバイスはApple Watchを代表するようにもっと小型化され、スパイク・ジョーンズ監督・脚本によるアメリカSF恋愛映画「her/世界でひとつの彼女」ではないが、通話機は耳の中に収まってしまうのではないかとも思う。
そもそも電話...通話というリアルタイムに相手と音声で直接コミュニケーションするという行為自体、次第に無くなっていくのかも知れない。私自身はもとより、回りの人々を見ても10年前と比べると通話による情報交換の時間・頻度は激減しているように思うのだが…。お互いにその時間をリアルタイムに束縛する電話という情報ツールは敬遠されつつあるのではないか。
Apple WatchにしてもiPhone...すなわち日々メールやメッセージに追われ、電話に拘束される我々の時間を軽減するため…という開発目的があったとも言われている。
iPhoneは現在Appleの稼ぎ頭であり、どのような形であれしばらくはその存在が無くなることは考えられない。しかし次第にApple Watchやその後に登場するであろう近未来のデバイスにその役割が集約されて消えて行くのではないだろうか。

※Apple WatchはiPhoneを手にする頻度を激減させる
リアルタイムに人間と通話するにしろ、「her/世界でひとつの彼女」のようにサーバー内に存在する人工知能と会話するにしろ "物" を手に持ったり耳にあてるというデバイスではなく、何らかのウェアプルデバイスとなるに違いない。
人のアイデアや思いを形にし、日常生活をアシストしてくれる “存在” は後20年もすれば iPhoneに代表されるようなあからさまにデバイスとしての自己主張は必要なくなっていくものと思われる。
そんな近未来を思い描くと手元の最新型 iPhone 6s Plus は急に古めかしく感じられるが(笑)、Apple Watchの登場は大げさに言えばiPhoneという情報伝達のためのデバイスから我々を徐々に解放してくれるための第一歩なのだ。
2007年1月にスティーブ・ジョブズが iPhoneを発表したとき「電話機の再発明」と言った。それは背面が丸みを帯びた板状のデザインといった形状のことだけでなく、画面を指でタッチして操作するといったGUI を含めての自負だった。
無論それまでにも携帯電話はあったがいま振り返って見ればある種棒状のデザインあるいは二つ折りの製品にしてもそれらはどこか長い間私たちが使ってきたいわゆる電話機のハンドセットやトランシーバーといったものを彷彿とさせる形だったと思える。


※2007年1月に発表された初代iPhone (日本では未発売)。当研究所所有
しかし、 iPhoneが登場したとき「電話」「iPod」そして「インターネット」という3つの機能をひとつに集約したデバイスだという主張だったわけだが、やはり我々が一番興味があったのは電話の機能だった。
期待が膨らみ、批判する気持ちも吹き飛んだのかも知れないが(笑)そのiPhoneの形状は耳に当てて通話するには決して適切なデザインではなかった…(ハンズフリー通話もできるが)。

※iPhoneを発表するスティーブ・ジョブズ
確かに耳に当てると液晶が消えるといったギミックは我々を驚かせたが、なぜこの縦長の板状になったのだろうか。その一番の要因はフロントを全面液晶デイスプレイとしたコンセプトの結果に違いない。ハードウェア的なキーボードや幾多のコマンドボタンなどはまったくなく、フロントで目立つのは液晶画面以外はホームボタンだけだ。事実筐体のフレームぎりぎりまでディスプレイとするために完成間際だったデザインを作り直しまでさせたジョブズだった。
ところで iPhoneはいわゆるワイヤレスの電話機であるからしてカールコードが付いているわけではない。したがって手を滑らせば間違いなく落下し、立っていたり路面がコンクリートだったりすれば致命的な破損に繋がる...。しかし面白いというか大胆というか、iPhoneには “人間工学” といった立場ならありがちな滑り止めの材料を使う配慮とか、指でホールドしやすいよう形状に絞りを入れる…などといった工夫はまったく見られない。
こうしたデザイン第一主義とも思える物作りはあの初代 iMacにおける円形マウスを思い出させる。誰が考えても手を置いただけではマウスの前後位置が分かりにくく大変使いづらいのだ。為にサードパーティから円形マウスに被せるカバーまで発売されたほどである。無論これはジョナサン・アイブの仕事だった…。
ともかくスティーブ・ジョブズはiPhoneにケースを被せるとか液晶保護フィルムを使うことを嫌っていたというが、いみじくも多くのユーザーが何らかの形で使っているケース類が落下防止に役立っているし、万一落下した場合の被害を多少でも和らげているのは皮肉なことではないだろうか。
そういえば初代 iPodも四角い形状だった。しかしそれは本体にスピーカーはなかったから必ずイヤフォンを繋ぎ耳にあてて利用するデバイスであり、常に掌の中にあるものではない。通常はポケットの中だったりバッグに入れるから問題はなかった。しかしiPhoneは通常自身の手でホールドし、自身の耳にあてて使う。私はメディアやジャーナリズムが当時「こんな高価な電話機など売れやしない」などと言っていたもののそのiPhoneのデザイン...形にはシンプルだとかアップルらしいといった賛美が多かったことを不思議に思ったものだ。

※手でホールドした初代 iPhone
多機能のデジタルデバイスとして情報を液晶ディスプレイに表示するとなればその形状は必然的にこのようなデザインになるのだろうとは納得したが、こと電話...通話機・受話機としては使いづらいのではないかという第一印象を持った。
古くさいとかアナクロニズムと言われようが、通話のための道具として「持ちやすく」「落としにくく」「疲れにくい」形としてはやはり旧態依然のヘッドセットの形が一番ではないだろうか(笑)。

※黒電話のハンドセットを模したiPhone用USB接続のレトロなハンドセット
とはいえ、モバイルデバイスが大きかったり妙な形では逆に利用しづらいに違いないが、iPhoneに限らず現在の板きれのような形状は長い進化の中では過渡期なのかも知れない。この種のデバイスはApple Watchを代表するようにもっと小型化され、スパイク・ジョーンズ監督・脚本によるアメリカSF恋愛映画「her/世界でひとつの彼女」ではないが、通話機は耳の中に収まってしまうのではないかとも思う。
そもそも電話...通話というリアルタイムに相手と音声で直接コミュニケーションするという行為自体、次第に無くなっていくのかも知れない。私自身はもとより、回りの人々を見ても10年前と比べると通話による情報交換の時間・頻度は激減しているように思うのだが…。お互いにその時間をリアルタイムに束縛する電話という情報ツールは敬遠されつつあるのではないか。
Apple WatchにしてもiPhone...すなわち日々メールやメッセージに追われ、電話に拘束される我々の時間を軽減するため…という開発目的があったとも言われている。
iPhoneは現在Appleの稼ぎ頭であり、どのような形であれしばらくはその存在が無くなることは考えられない。しかし次第にApple Watchやその後に登場するであろう近未来のデバイスにその役割が集約されて消えて行くのではないだろうか。

※Apple WatchはiPhoneを手にする頻度を激減させる
リアルタイムに人間と通話するにしろ、「her/世界でひとつの彼女」のようにサーバー内に存在する人工知能と会話するにしろ "物" を手に持ったり耳にあてるというデバイスではなく、何らかのウェアプルデバイスとなるに違いない。
人のアイデアや思いを形にし、日常生活をアシストしてくれる “存在” は後20年もすれば iPhoneに代表されるようなあからさまにデバイスとしての自己主張は必要なくなっていくものと思われる。
そんな近未来を思い描くと手元の最新型 iPhone 6s Plus は急に古めかしく感じられるが(笑)、Apple Watchの登場は大げさに言えばiPhoneという情報伝達のためのデバイスから我々を徐々に解放してくれるための第一歩なのだ。
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