ラテ飼育格闘日記(465)
9年前の11月12日、横浜のとある動物病院で開催された里親会でラテと出会った。最初期の日記にもそのときのあれこれを生々しく記したつもりだが、あらためて経緯などを振り返り記憶を絞り出してみようと思う。時間が経ったからこそ分かる道理もあるに違いない…。
ワンコを飼うことは生涯の願望だったが様々な壁があって実現できないでいた。2006年という年はオトーサンにとって自分の会社を畳んでから丸3年経ったときであり、数々の心労も少しずつ和らいできた時期だった。反面体力はもとよりだが自分でも気力というか、大げさにいうなら新たな生き甲斐を見つけないとただただ老いていくだけのオヤジになってしまうと自分でも危惧し始めた時期でもあった。

※好きな猫を発見し、見つめるラテ。それにしても随分と顔が白くなった...
ただしそうは言ってもワンコを飼うということは様々な覚悟が必要だったし、なによりも女房の許可と協力がなくては実現できることではなかった。
2006年はオトーサンは機会ある毎に「犬を飼いたい、ワンコが飼いたい」と口癖になってきた感があるほど思いがつのってきた時期だった。
たぶんこのままではオトーサンが腑抜けになってしまうと女房が危惧したのではないかと思うが(笑)、犬猫といった動物を怖いと思っていた女房がワンコを飼うことに同意してくれたのだった。飛び上がるほどオトーサンは喜んだがことは簡単ではなかった。
まずそのときに住んでいたマンションは犬猫を飼うことは禁止されていたからだ。埼玉県川口市に移り住んで早くも26年経っていたが、まずは犬を飼うことができる住居を探すことから始めたオトーサンたちだった。とはいえワンコが飼えればどこでも良いというわけにもいかない。

※少しずつ木々が赤く色づきつつある中をラテと散歩
オトーサンはともかく女房は新宿へ通勤していたし、当然のことながら金銭面も制約がある。したがって駅やバス停から遠くならともかく駅近隣で探した範囲では納得のいく住居は見つからなかった。
結局新宿へ出るのに不都合がない範囲で別の場所を探そうということになった。どっちみちワンコと生活するならコンクリートジャングルでは可哀想だから可能な限り緑も多い場所がいいと、まあ贅沢なことを考え始めたのである。
というわけで女房がネットで探し出したのが多摩市内のタウンハウスだった。戸建て形式の2階建てだったがワンコもOKだったし女房と下見をしに出向いた環境も気に入った。結局生涯初の庭付き二階家に住むことになった…。ワンコを飼うために引越をすることになったが、それは家計にも大きな負担を強いることになるわけで女房に大きな迷惑をかけることになった。
しかし可笑しな事に肝心のワンコが見つからないのだ(笑)。
何も知らないオトーサンは当初ペットショップで気に入ったワンコを探そうと考えていた。ある日、本屋で犬の飼い方といったムックを見つけて買ってみたらその後ろのページに保健所に保護され飼い主が現れず、毎年多くのワンコが殺処分されていることを知り、たった1匹だが命をつなぐ縁を繋ごうと思った。
ちなみにネットでその種の情報をググるといくつかの里親募集掲示板といったサイトがあることを知り、そこから紹介してもらおうと単純に考えたが、これまた何も知らないオトーサンは肩すかしを喰ってしまった...。
すでに引っ越し先の住居は決まり、その引っ越しは契約も済み12月の初旬と決めていた。したがって引越してからワンコを引き取ろうと考えた。
しかしサイトに登録されている数匹にコンタクトしてみたが、すでに申込み者がいるケースはもとより、そもそも1ヶ月も待てないという。要はそうしたボランティアで一時預かりしている方は1日でも半日でも早くワンコが片付かないと預かって欲しいワンコが後ろに多々控えているらしい。それだけ人間の勝手で生まれた子犬が多いと言うことなのだ。
引越ししてまでワンコを飼おうとしたのに住居は決まったものの肝心のワンコが決まらないという本末転倒な結果になってしまった。
ボランティアの方と数回のメールをやり取りした中で11月12日の日曜日に横浜の動物病院で里親会が開かれるのでそこに出向いたらどうか…との情報をいただいた。それに生き物であるからして実際にワンコに会い、気性や相性をすり合わせることが大切だともアドバイスいただいた。もっともな話しだった。何の知識もないオトーサンはどこかでワンコは皆同じようなものだから、ウェブの写真と情報で判断できると考えていたフシがあったのかも知れない。

※オトーサンに抱っこされている時の表情は安堵感に満ちている
無論そうした場にこれまで出向いたことはないが、日曜日だということもあって女房と一緒に会場の動物病院へと向かったのだった。
そこは想像していた以上にごった返していた。そして10匹程度だったか様々なワンコがいた。中には大勢の人たちに興奮したのか走り回っているワンコも...。
オトーサンたちが最初に眼が向いたのはキャバリエだった。とはいえそこに集められているワンコたちはそれぞれが純血種ではなく何らかの雑種ではあったが、キャバリエ、ダックス、プードルといった一目でわかるワンコたちと、これまた一目で雑種だと分かるワンコたちがいた。
参加者たちは自分のお気に入りのワンコと接して最終的に里親として迎え入れたい場合は係の方に申し込むという形だったが、キャバリエはすでに二組の申込みがあったために断念。いくつかのワンコに注目してみたが想像以上に競争率が高いことに驚いたし慣れない場に緊張もしていた。
そんなとき係の人から「すみませんが、このワンコのリードを持っていてくれませんか」と声をかけられた。見るからに雑種とわかるそのワンコこそ後のラテであり、運命的な出会いであった(笑)。
オトーサンたちはその場に2時間ほど滞在していたが、分かったことは雑種とはいえキャバリエとかダックスといった純血種の風貌が顕著なワンコほど里親は早く決まっていくという事実だった。
反対に見るからに雑種というワンコは悲しいかな取り残されていく...。
ふと気がつくとオトーサンがリードを預かったワンコは実に大人しくフレンドリーな子犬だった。他のワンコが会場を走り回ったり床にオシッコしたり、あるいは吠えたりしているのに生後5ヶ月ほどだというこの子はオトーサンのキャップを噛んだり舐めたりして遊んでいる。すでに唾液でキャップはベトベトになっていた。

※里親の申込みも終わり1ヶ月後に引き取ることを決めた子犬(ラテ)と女房が帰り間際に記念撮影
それにオトーサンが口を開けたり尻尾やお腹を触ってもまったく怒らないし視線が合うとオトーサンの口元をペロリと舐めた。
あらためて詳しく確認すると身体全体は茶に黒い毛が被さっていて胸とお腹は白い。両前足には珈琲にミルクフォームでも落としたように白い斑があるが、マズルは長めで真っ黒。尻尾はふさふさの巻き型で両耳は垂れ、両目はどこか腫れぼったく精悍さはないがおっとりしたワンコのように思われた。
その子犬は小一時間オトーサンたちの足元にじっとしていたしリードを引いて動こうとはしなかった。そして気がつくとあれほど犬が怖いといっていた女房の両手が子犬の背にかかっていた。
回りでは次々と里親会に出たワンコの新しい飼い主たちが決まっていく。オトーサンが女房に視線を向けるとその意を汲み取ったのか「ワンコらしくていいんじゃない...」という。子供時代に実家で飼っていたワンコとどこか似ているという。
オトーサンは係の方に「この子はまだ決まっていませんか?決まっていないなら私たちに譲っていただきたいのですが」と申し出ると「大丈夫ですよ。この子は健康だけは保証できますよ」と笑顔が帰ってきた。
健康だけが取り柄...というのもひどい物言いだが、そうはいっても健康はなによりも大切だ。それにどういうわけかワンコはオトーサンたちの膝下を離れない。実にいい子なのだ...。
肝心の「1ヶ月後に引き取りたい」という条件も問題なく受け入れてもらえ、その子犬は我が家の飼い犬と決まった。その後、一時預かりをされていたボランティアのKさんとメールのやりとりをしながら受け入れ準備を急ぐことになったが、名前は前記したように茶色の両前足にミルクフォームを落としたような斑があることから「カフェラテ」からの連想で「ラテ」と命名することにした。

※我が家に来て1ヶ月ほどのラテ。こんなに細かったのだ(笑)
ラテはその11月20日過ぎに避妊手術を受け、オトーサンたちの引越後の12月10日に茨城から車で連れて来ていただくことになった。
その当日、Kさんのご夫婦によればラテは車に酔い些か吐いたとのこと。それでも1ヶ月ぶりの子犬は些か成長を感じさせたが、笑顔を振りまきながらも環境が変わったからかその表情はどこか不安を感じさせた。
後から気がついたことだが、里親会当日のラテは新しい飼い主が早々に見つかるようにとのボランティアの方の気遣いで綺麗にトリミングされていた。雨の日、とある家の軒下にいたところを保護されたこの子は幸い愛情深い方々の暖かい心遣いの中で3ヶ月ほどを過ごしたことが窺えた。

※後からオカーサンがついてくるかを時々振り返って確認するラテ
気がついた…といえば、里親会でのラテはその場が自分の生き死にを決める重要な場所であることを本能で察知していたのではないかと思うに至った。考えすぎかも知れないが初対面の我々にこの子犬は実に良い子だった。後にオトーサンは「犬のクセに猫を被っていた」といったほど大人しくてフレンドリーだった。
もしかしたらオトーサンたちがラテを選んだのではなく、オトーサンたちはラテに選ばされたのかも知れない…。ともあれその夜からオトーサンたちの格闘が始まったのである(笑)。
ワンコを飼うことは生涯の願望だったが様々な壁があって実現できないでいた。2006年という年はオトーサンにとって自分の会社を畳んでから丸3年経ったときであり、数々の心労も少しずつ和らいできた時期だった。反面体力はもとよりだが自分でも気力というか、大げさにいうなら新たな生き甲斐を見つけないとただただ老いていくだけのオヤジになってしまうと自分でも危惧し始めた時期でもあった。

※好きな猫を発見し、見つめるラテ。それにしても随分と顔が白くなった...
ただしそうは言ってもワンコを飼うということは様々な覚悟が必要だったし、なによりも女房の許可と協力がなくては実現できることではなかった。
2006年はオトーサンは機会ある毎に「犬を飼いたい、ワンコが飼いたい」と口癖になってきた感があるほど思いがつのってきた時期だった。
たぶんこのままではオトーサンが腑抜けになってしまうと女房が危惧したのではないかと思うが(笑)、犬猫といった動物を怖いと思っていた女房がワンコを飼うことに同意してくれたのだった。飛び上がるほどオトーサンは喜んだがことは簡単ではなかった。
まずそのときに住んでいたマンションは犬猫を飼うことは禁止されていたからだ。埼玉県川口市に移り住んで早くも26年経っていたが、まずは犬を飼うことができる住居を探すことから始めたオトーサンたちだった。とはいえワンコが飼えればどこでも良いというわけにもいかない。

※少しずつ木々が赤く色づきつつある中をラテと散歩
オトーサンはともかく女房は新宿へ通勤していたし、当然のことながら金銭面も制約がある。したがって駅やバス停から遠くならともかく駅近隣で探した範囲では納得のいく住居は見つからなかった。
結局新宿へ出るのに不都合がない範囲で別の場所を探そうということになった。どっちみちワンコと生活するならコンクリートジャングルでは可哀想だから可能な限り緑も多い場所がいいと、まあ贅沢なことを考え始めたのである。
というわけで女房がネットで探し出したのが多摩市内のタウンハウスだった。戸建て形式の2階建てだったがワンコもOKだったし女房と下見をしに出向いた環境も気に入った。結局生涯初の庭付き二階家に住むことになった…。ワンコを飼うために引越をすることになったが、それは家計にも大きな負担を強いることになるわけで女房に大きな迷惑をかけることになった。
しかし可笑しな事に肝心のワンコが見つからないのだ(笑)。
何も知らないオトーサンは当初ペットショップで気に入ったワンコを探そうと考えていた。ある日、本屋で犬の飼い方といったムックを見つけて買ってみたらその後ろのページに保健所に保護され飼い主が現れず、毎年多くのワンコが殺処分されていることを知り、たった1匹だが命をつなぐ縁を繋ごうと思った。
ちなみにネットでその種の情報をググるといくつかの里親募集掲示板といったサイトがあることを知り、そこから紹介してもらおうと単純に考えたが、これまた何も知らないオトーサンは肩すかしを喰ってしまった...。
すでに引っ越し先の住居は決まり、その引っ越しは契約も済み12月の初旬と決めていた。したがって引越してからワンコを引き取ろうと考えた。
しかしサイトに登録されている数匹にコンタクトしてみたが、すでに申込み者がいるケースはもとより、そもそも1ヶ月も待てないという。要はそうしたボランティアで一時預かりしている方は1日でも半日でも早くワンコが片付かないと預かって欲しいワンコが後ろに多々控えているらしい。それだけ人間の勝手で生まれた子犬が多いと言うことなのだ。
引越ししてまでワンコを飼おうとしたのに住居は決まったものの肝心のワンコが決まらないという本末転倒な結果になってしまった。
ボランティアの方と数回のメールをやり取りした中で11月12日の日曜日に横浜の動物病院で里親会が開かれるのでそこに出向いたらどうか…との情報をいただいた。それに生き物であるからして実際にワンコに会い、気性や相性をすり合わせることが大切だともアドバイスいただいた。もっともな話しだった。何の知識もないオトーサンはどこかでワンコは皆同じようなものだから、ウェブの写真と情報で判断できると考えていたフシがあったのかも知れない。

※オトーサンに抱っこされている時の表情は安堵感に満ちている
無論そうした場にこれまで出向いたことはないが、日曜日だということもあって女房と一緒に会場の動物病院へと向かったのだった。
そこは想像していた以上にごった返していた。そして10匹程度だったか様々なワンコがいた。中には大勢の人たちに興奮したのか走り回っているワンコも...。
オトーサンたちが最初に眼が向いたのはキャバリエだった。とはいえそこに集められているワンコたちはそれぞれが純血種ではなく何らかの雑種ではあったが、キャバリエ、ダックス、プードルといった一目でわかるワンコたちと、これまた一目で雑種だと分かるワンコたちがいた。
参加者たちは自分のお気に入りのワンコと接して最終的に里親として迎え入れたい場合は係の方に申し込むという形だったが、キャバリエはすでに二組の申込みがあったために断念。いくつかのワンコに注目してみたが想像以上に競争率が高いことに驚いたし慣れない場に緊張もしていた。
そんなとき係の人から「すみませんが、このワンコのリードを持っていてくれませんか」と声をかけられた。見るからに雑種とわかるそのワンコこそ後のラテであり、運命的な出会いであった(笑)。
オトーサンたちはその場に2時間ほど滞在していたが、分かったことは雑種とはいえキャバリエとかダックスといった純血種の風貌が顕著なワンコほど里親は早く決まっていくという事実だった。
反対に見るからに雑種というワンコは悲しいかな取り残されていく...。
ふと気がつくとオトーサンがリードを預かったワンコは実に大人しくフレンドリーな子犬だった。他のワンコが会場を走り回ったり床にオシッコしたり、あるいは吠えたりしているのに生後5ヶ月ほどだというこの子はオトーサンのキャップを噛んだり舐めたりして遊んでいる。すでに唾液でキャップはベトベトになっていた。

※里親の申込みも終わり1ヶ月後に引き取ることを決めた子犬(ラテ)と女房が帰り間際に記念撮影
それにオトーサンが口を開けたり尻尾やお腹を触ってもまったく怒らないし視線が合うとオトーサンの口元をペロリと舐めた。
あらためて詳しく確認すると身体全体は茶に黒い毛が被さっていて胸とお腹は白い。両前足には珈琲にミルクフォームでも落としたように白い斑があるが、マズルは長めで真っ黒。尻尾はふさふさの巻き型で両耳は垂れ、両目はどこか腫れぼったく精悍さはないがおっとりしたワンコのように思われた。
その子犬は小一時間オトーサンたちの足元にじっとしていたしリードを引いて動こうとはしなかった。そして気がつくとあれほど犬が怖いといっていた女房の両手が子犬の背にかかっていた。
回りでは次々と里親会に出たワンコの新しい飼い主たちが決まっていく。オトーサンが女房に視線を向けるとその意を汲み取ったのか「ワンコらしくていいんじゃない...」という。子供時代に実家で飼っていたワンコとどこか似ているという。
オトーサンは係の方に「この子はまだ決まっていませんか?決まっていないなら私たちに譲っていただきたいのですが」と申し出ると「大丈夫ですよ。この子は健康だけは保証できますよ」と笑顔が帰ってきた。
健康だけが取り柄...というのもひどい物言いだが、そうはいっても健康はなによりも大切だ。それにどういうわけかワンコはオトーサンたちの膝下を離れない。実にいい子なのだ...。
肝心の「1ヶ月後に引き取りたい」という条件も問題なく受け入れてもらえ、その子犬は我が家の飼い犬と決まった。その後、一時預かりをされていたボランティアのKさんとメールのやりとりをしながら受け入れ準備を急ぐことになったが、名前は前記したように茶色の両前足にミルクフォームを落としたような斑があることから「カフェラテ」からの連想で「ラテ」と命名することにした。

※我が家に来て1ヶ月ほどのラテ。こんなに細かったのだ(笑)
ラテはその11月20日過ぎに避妊手術を受け、オトーサンたちの引越後の12月10日に茨城から車で連れて来ていただくことになった。
その当日、Kさんのご夫婦によればラテは車に酔い些か吐いたとのこと。それでも1ヶ月ぶりの子犬は些か成長を感じさせたが、笑顔を振りまきながらも環境が変わったからかその表情はどこか不安を感じさせた。
後から気がついたことだが、里親会当日のラテは新しい飼い主が早々に見つかるようにとのボランティアの方の気遣いで綺麗にトリミングされていた。雨の日、とある家の軒下にいたところを保護されたこの子は幸い愛情深い方々の暖かい心遣いの中で3ヶ月ほどを過ごしたことが窺えた。

※後からオカーサンがついてくるかを時々振り返って確認するラテ
気がついた…といえば、里親会でのラテはその場が自分の生き死にを決める重要な場所であることを本能で察知していたのではないかと思うに至った。考えすぎかも知れないが初対面の我々にこの子犬は実に良い子だった。後にオトーサンは「犬のクセに猫を被っていた」といったほど大人しくてフレンドリーだった。
もしかしたらオトーサンたちがラテを選んだのではなく、オトーサンたちはラテに選ばされたのかも知れない…。ともあれその夜からオトーサンたちの格闘が始まったのである(笑)。
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