ドキュメンタリー映画「マルタ・アルゲリッチ 私こそ、音楽!」を観て
ドキュメンタリー映画「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」を観た。無論アルゲリッチとは現在もクラシック界の“女神”として君臨し続けている今世紀最高のピアニストと称されるマルタ・アルゲリッチだ。取材拒否、直前の演奏会キャンセル、そして結婚と離婚を2回繰り返し、スキャンダラスな一面を持つ彼女はすでに伝説となりつつある...。

※マルタ・アルゲリッチのドキュメンタリー映画「マルタ・アルゲリッチ 私こそ、音楽!」
"マルタ・アルゲリッチ" というピアニストを知ったのは1965年ワルシャワで開催された第七回ショパン国際ピアノコンクールで優勝したライブをレコードで聴いたときだった。したがって1970年代前半のことだったに違いない。当時24歳の彼女は演奏だけでなくその美貌でも注目を浴びたがそのウィトールド・ロヴィツキ指揮 ワルシャワ国立フィルハーモニー交響楽団による「ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 作品11」には正直度肝を抜かれた...。

※アルゲリッチ 「ショパン・コンクール・ライヴ 1965」 CD。1965年ワルシャワで開催された第七回ショパン国際ピアノコンクールで1位とマズルカ賞を手にした時の実際の演奏を収録したものだ。当初はレコードだったが現在は当該CDで楽しんでいる
クラシックギターを熱心に勉強していた時代だったがピアノの音は大好きだった。ために30代半ばだったか...1年半ほど近所のピアノ教室に通ったこともあった。特に当時はショパンが好きで様々な演奏家のレコードやCDを集めていたが一番のお気に入りはアルトゥール・ルービンシュタイン(1887年1月28日 ~ 1982年12月20日) のショパンだった。

※アルトゥール・ルービンシュタイン「ショパン全集」CD 10枚組
ルービンシュタインのショパンは端正でそして煌びやかだったが、アルゲリッチの演奏はライブだったということでもあり、周りのノイズが入っていたりと粗が点在するという評論もあるが、クリスタルのように透明でかつ火を噴くような情熱と完璧の中にもどこか危うげで、2度とこの弾き方はできないのではないかと思わせる壮絶さも垣間見られた。
「ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 作品11」を聞き終えた私の両眼はなぜか涙が溢れそうだったことを思い出す…。
こうして彼女のショパンはその美貌と共に私の記憶に焼き付かれ以降十数枚のレコードやCDを聴いたものの前記したライブ以上に感激した演奏には出会っていない。
1941年、アルゼンチン・ブエノスアイレスに生まれたマルタ・アルゲリッチは、子供の頃から類稀な才能を発揮し1955年にペロン大統領による奨学金を受け一家でウィーンに移住。念願のフリードリヒ・グルダ(1930年5月16日 ~- 2000年1月27日)に師事することに...。グルダは20世紀を代表する巨匠ピアニストの一人だ。

※フリードリヒ・グルダ。グルダが弾く「J.S.バッハ 平均律クラヴィーア曲集 第1巻」のCDジャケット
初めてその演奏を聴いたグルダをして神童といわしめたのがマルタ・アルゲリッチだった。
その後の活躍をあれこれと記すのは蛇足以外のなにものでもないと思うので遠慮するが、アルゲリッチのテンポが速めの演奏は力強くリズム感が抜きんでていた...。
さてドキュメンタリー映画「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」はそのアルゲリッチの音楽...演奏のドキュメントではない。それは結婚と離婚を2回繰り返し、父親違いの3人の娘を出産した女性、ピアニスト、母そして妻であるべき特異な過去を実の娘...三女のステファニー・アルゲリッチが撮影した映像とプロデューサーにピエール・オリヴィエ・バルデを迎えて音楽ドキュメントに仕立て上げた作品なのだ。
ステファニーはもとより長女リダ、次女アニーという父親違いの3人の娘たちの視点から天才音楽家で恋多き1人の女性であり、かつ母親の真の姿を映し出している。なによりも実の娘による撮影でなければ取材嫌いのアルゲリッチがこれだけ胸襟を開いてカメラの前に素顔をあらわすことはなかっただろう。
そのアルゲリッチは日本にも馴染みが深い。1998年に別府アルゲリッチ音楽祭の総監督に就任、2005年には「第17回高松宮殿下記念世界文化賞」および「旭日小綬章」を受賞している。その「別府アルゲリッチ音楽祭」でのアルゲリッチも収録されている。
マルタ・アルゲリッチほどのプロフェッショナルが演奏会場の控え室で舞台に出る直前まで「弾きたくない」「気分が悪い」と駄々をこねながらスポットライトの中に出ていく姿は我々凡人をほっとさせる...。天才には天才故の孤独や重圧、苦しみといったものが間違いなく存在し、家庭人とは相容れない心情が根強いのだとは納得するが、それでも「マルタ・アルゲリッチ 私こそ、音楽!」を観るに、まかり間違ってもアルゲリッチのような母親は持ちたくないし、惚れてしまったら人生を棒に振るに違いないと思う(笑)。
そのマルタ・アルゲリッチも今年74歳になるという。他人事ではないが、老いというのは残酷なものだ。本人の責任でもなんでもないが、特に若い時に美が目立った人の老いは時に愕然としてしまう。アルゲリッチも文句のないお婆ちゃんだが主義なのか長い髪は染めていないこともあり白髪が目立ち若い時のイメージしかなかったこともあってその姿に愕然とした...。
演奏に老いが微妙に影響するであろうことはアルゲリッチ自身も触れているが、本来ならかなり深刻で複雑なアルゲリッチの生涯に実の娘ならではのウィットに富んだアプローチで母親であり有名なピアニストの素顔に迫ろうとしているのは実にスリリングだ。
長い間、彼女の演奏に興味を持ち楽しんできたファンの1人ではあるが、実にミステリアスで放埒な芸術家の姿をあらためて知り、その音楽の聴き方が些か変わるのではないかと思うほど強いインパクトを受けたドキュメントだった。

※マルタ・アルゲリッチのドキュメンタリー映画「マルタ・アルゲリッチ 私こそ、音楽!」
"マルタ・アルゲリッチ" というピアニストを知ったのは1965年ワルシャワで開催された第七回ショパン国際ピアノコンクールで優勝したライブをレコードで聴いたときだった。したがって1970年代前半のことだったに違いない。当時24歳の彼女は演奏だけでなくその美貌でも注目を浴びたがそのウィトールド・ロヴィツキ指揮 ワルシャワ国立フィルハーモニー交響楽団による「ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 作品11」には正直度肝を抜かれた...。

※アルゲリッチ 「ショパン・コンクール・ライヴ 1965」 CD。1965年ワルシャワで開催された第七回ショパン国際ピアノコンクールで1位とマズルカ賞を手にした時の実際の演奏を収録したものだ。当初はレコードだったが現在は当該CDで楽しんでいる
クラシックギターを熱心に勉強していた時代だったがピアノの音は大好きだった。ために30代半ばだったか...1年半ほど近所のピアノ教室に通ったこともあった。特に当時はショパンが好きで様々な演奏家のレコードやCDを集めていたが一番のお気に入りはアルトゥール・ルービンシュタイン(1887年1月28日 ~ 1982年12月20日) のショパンだった。

※アルトゥール・ルービンシュタイン「ショパン全集」CD 10枚組
ルービンシュタインのショパンは端正でそして煌びやかだったが、アルゲリッチの演奏はライブだったということでもあり、周りのノイズが入っていたりと粗が点在するという評論もあるが、クリスタルのように透明でかつ火を噴くような情熱と完璧の中にもどこか危うげで、2度とこの弾き方はできないのではないかと思わせる壮絶さも垣間見られた。
「ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 作品11」を聞き終えた私の両眼はなぜか涙が溢れそうだったことを思い出す…。
こうして彼女のショパンはその美貌と共に私の記憶に焼き付かれ以降十数枚のレコードやCDを聴いたものの前記したライブ以上に感激した演奏には出会っていない。
1941年、アルゼンチン・ブエノスアイレスに生まれたマルタ・アルゲリッチは、子供の頃から類稀な才能を発揮し1955年にペロン大統領による奨学金を受け一家でウィーンに移住。念願のフリードリヒ・グルダ(1930年5月16日 ~- 2000年1月27日)に師事することに...。グルダは20世紀を代表する巨匠ピアニストの一人だ。

※フリードリヒ・グルダ。グルダが弾く「J.S.バッハ 平均律クラヴィーア曲集 第1巻」のCDジャケット
初めてその演奏を聴いたグルダをして神童といわしめたのがマルタ・アルゲリッチだった。
その後の活躍をあれこれと記すのは蛇足以外のなにものでもないと思うので遠慮するが、アルゲリッチのテンポが速めの演奏は力強くリズム感が抜きんでていた...。
さてドキュメンタリー映画「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」はそのアルゲリッチの音楽...演奏のドキュメントではない。それは結婚と離婚を2回繰り返し、父親違いの3人の娘を出産した女性、ピアニスト、母そして妻であるべき特異な過去を実の娘...三女のステファニー・アルゲリッチが撮影した映像とプロデューサーにピエール・オリヴィエ・バルデを迎えて音楽ドキュメントに仕立て上げた作品なのだ。
ステファニーはもとより長女リダ、次女アニーという父親違いの3人の娘たちの視点から天才音楽家で恋多き1人の女性であり、かつ母親の真の姿を映し出している。なによりも実の娘による撮影でなければ取材嫌いのアルゲリッチがこれだけ胸襟を開いてカメラの前に素顔をあらわすことはなかっただろう。
そのアルゲリッチは日本にも馴染みが深い。1998年に別府アルゲリッチ音楽祭の総監督に就任、2005年には「第17回高松宮殿下記念世界文化賞」および「旭日小綬章」を受賞している。その「別府アルゲリッチ音楽祭」でのアルゲリッチも収録されている。
マルタ・アルゲリッチほどのプロフェッショナルが演奏会場の控え室で舞台に出る直前まで「弾きたくない」「気分が悪い」と駄々をこねながらスポットライトの中に出ていく姿は我々凡人をほっとさせる...。天才には天才故の孤独や重圧、苦しみといったものが間違いなく存在し、家庭人とは相容れない心情が根強いのだとは納得するが、それでも「マルタ・アルゲリッチ 私こそ、音楽!」を観るに、まかり間違ってもアルゲリッチのような母親は持ちたくないし、惚れてしまったら人生を棒に振るに違いないと思う(笑)。
そのマルタ・アルゲリッチも今年74歳になるという。他人事ではないが、老いというのは残酷なものだ。本人の責任でもなんでもないが、特に若い時に美が目立った人の老いは時に愕然としてしまう。アルゲリッチも文句のないお婆ちゃんだが主義なのか長い髪は染めていないこともあり白髪が目立ち若い時のイメージしかなかったこともあってその姿に愕然とした...。
演奏に老いが微妙に影響するであろうことはアルゲリッチ自身も触れているが、本来ならかなり深刻で複雑なアルゲリッチの生涯に実の娘ならではのウィットに富んだアプローチで母親であり有名なピアニストの素顔に迫ろうとしているのは実にスリリングだ。
長い間、彼女の演奏に興味を持ち楽しんできたファンの1人ではあるが、実にミステリアスで放埒な芸術家の姿をあらためて知り、その音楽の聴き方が些か変わるのではないかと思うほど強いインパクトを受けたドキュメントだった。
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