Performaへのソフトウェア バンドル物語
僅かであるが会社時代の遺物が残っている。そのうちのひとつが契約書類だが、先般私の会社のアプリケーションをApple Performaにバンドルするための「ソフトウェア販売契約」の書面が出てきたので今回はバンドルのお話しをさせていただこう...。
Mac用アプリケーションと一言でいっても様々なジャンルがあるが、私の会社では当時QuickTimeをサポートした映像系の製品といわゆるエンターテインメント系の製品が稼ぎ頭だった。
それらのパッケージソフトは現在のようにインターネットを通じてダウンロード販売といったビジネスが出来得ない時代だったから、大手の流通会社に売り込んで全国のショップ店頭に並べてもらい、ユーザー諸氏の手に渡るよう努力を続けていた。
一方、1990年の半ばにもなるといくつかの自社開発ソフトウェアのバンドル依頼が舞い込むようになった。自分たちを卑下するわけではないが、極小企業の我々が開発した製品をソニーのハードウェアにバンドルすることが決まったときには正直しばらくドキドキ感が収まらなかった。


※ソニーのパンフレット(1995年7月)。同社のVISCA製品に私の会社のMac版ソフト「QTJOY」と「QTアルバム」がパンドルされた。裏面はソフトウェアの紹介となっている(下)
「バンドル」の意味をあらためて説明する必要はないと思うが、念ために記すと「ある製品に別の製品を付属して販売すること」であり、通常バンドルされるものはソフトウェアが多いわけだ...。またバンドルする意味は当該ハードウェアを活用する際にバンドル製品を使うことでユーザーにより有用な体験を提供することを意図するのが普通である。
ただし我々の場合だけではないが、すでに流通している製品そのものをバンドルするといったことだけでなく、その対象製品や予算といった条件面によっては一部機能を制限したものをあらたに作って対処する場合もあった。
我々にとってバンドルに関わるビジネスの利点はいくつかあった。まず大きいのはソニーとかキヤノンといった大手製品にバンドルされることは超マイクロ企業にとっては正直誇れることだった。世界的に知られている企業から我々の技術力が認められたことを意味するし、結果として自社努力だけではなし得ない広範囲に対象製品を広めることができる可能性を秘めていた。
2つ目は契約内容にもよるが、まとまった数の販売が最小の努力で可能になる点だ。パッケージをひとつ販売するのもなかなか大変であり、その販売促進のために秋葉原のラオックス店頭で製品デモを続けたりといった地道な活動を日々必要としたが、バンドルは通常ロット毎にまとまった数の出荷が見込まれたから売上げに即効性が期待できた。
勿論バンドルビジネスに欠点もあった。これまた契約条項にもよるもののユーザーサポートが単純に増えた場合のリスクはそれにかかるコストと共に十分考察しておく必要があったし、いたずらにバンドルでソフトウェアを配布すれば正規の販売自体に悪影響を及ぼすとも考えられた。
さて、本題になるが1994年に忘れ得ない話しがアップルジャパンからもたらされた。詳細な日時は記憶にないが面談をしたいという電話を受けて私は渋谷区千駄ヶ谷にあるアップルジャパンを訪ねた。話しはいつも世話になっていたデベロッパーリレーションではなくコンシューマー事業部に呼ばれたのだった。
初対面の男性は多少日本語がたどたどしかったものの、彼の話しが進むうちに私の驚きと期待は大きく膨らんでいった...。その概要はアップルが1992年からコンシューマー市場向けに投入したPerforma(パフォーマ)シリーズに私の会社のソフトウェアをバンドルしたいという話しだったのである。
Performaは当時のアップルが、それまでのルートで販売していたMacintoshのローエンド機として用意したパソコンのシリーズ名である。なおこのPerformaが登場する背景などについては別途「コミック版Performaで始めるMacintosh」に見る1994年」に詳しいので参照していただきたい。

※手描きアニメーションソフト「ムービーペイント」もアップルジャパンからバンドル依頼された製品のひとつだった
要は国産のパソコンは数十ものソフトアウェアをバンドルして販売する事が一般的だったこともあり、アップルとしてもソフトウェアのバンドルは無視出来ないことだった。問題はどのようなソフトウェアをバンドルすべきなのか...だが、クラリスワークスとかキッドピクスといった定番アプリケーションの他に国産のソフトを選択したいという主旨でもあった。ちなみに私の会社の製品には他社にないエンターテイメント系製品が揃っていた。「キューティマスコット」「ムービーペイント」というアニメーション作成ソフトだ。
アップルジャパンはまずはこの2つをバンドルしたいというのが当日の依頼だった。
これに後半「キューティアルバム」という画像や写真を素材にデジタルアルバムが作れるソフトが加わり、Performaへのバンドルが終了する1997年まで私の会社の3製品がバンドルされることになった。同業者の中には「不公平だ。ひとつの会社から3つものバンドル製品を出すのは...」とクレームもあったそうだが、申し上げるまでもなく当時Performaにバンドルするに相応しい国産のアプリケーションなど他にほとんど無かったのだから仕方がないではないか(笑)。

※アップルジャパンと取り交わしたソフトウェア販売契約書の一部。一ページの冒頭(上部)と11ページの書名ページ(下部)
それにこのバンドル要請は100%アップルからのものであり、無条件で喜んだわけではないことも知っていただきたい。なぜならPerformaの売れる台数だけバンドルした製品も売れることは間違いないし、Performaの売上げはいくら国産のパソコンより劣勢にあったとしても相当な数になることは想像できた。しかしである...。
前記のソニーといったメーカーへのバンドルとは違いアップルへのバンドルはいくつかの点において覚悟が必要だった。
ひとつはアップルに対する単価が常識的な販売単価と比べて著しく安価なことだ。具体的な契約額は伏せさせていただくが、例えば市場価格が23,000円のソフトウェアだとしても一般的な卸値は通用せず、アップル側の提示額は○○○円程度なことだった。そして金額については交渉の余地はなかった。
2つ目はそれだけ安価にそして大量に配布した製品のサポートは一般製品なみに実行しなければならない。そしてそれだけ大量にばらまかれたとすれば、ショップで正規のパッケージを買ってくれるユーザーは必然的に減少するに違いない...。
ただしここ3年ほどの売上げを見るにアプリケーション販売ビジネスはその当時がひとつのピークではないかという思いもあった。近未来にまで生き残るのに十分なビジネスができるという保証はないとすれば目の前にぶら下がったチャンスを逃すという事は後に悔いを残すと考え、思案の末にアップルの求めに応じることにした。
それに作業自体は大層なことではないのも背中を後押しする。バンドルのためにあらためて大層な仕事量をこなさなければならないとすればコストも含めて大変だが、契約書の取り交わしを別にするなら我々のやることはソフトウェアのマスターディスクとマニュアルの版下(PDF)をアップルに渡すだけでよかった。後はすべてアップル側でやってくれる...。
こうしてアップルとのバンドル契約は締結したが、売上げの支払いは四半期毎とされた。要は3ヶ月毎に指定口座に振り込みされるということで別途詳細な販売明細の提示があるとも聞かされた。
ただし日々どれほどPerformaが出荷されているのかなど知る由もないし、途中経過は一切公示しないということだったから私の思案の中でPerformaへのバンドルに関しては一件落着であり懸案事項ではなくなった。なぜなら後はなにもすることはなく結果を待つだけなのだから…。
さてそれから3ヶ月後のとある月末に一生忘れないだろう強烈な出来事を体験する…。
当時はインターネットによる電子メールを仕事上で使うに至っていない時代だった。電話の他、文書などで急ぐ場合はFAXを使うのが一般的だった。したがって現在、朝起きてパソコンの前に座る、あるいはiPhoneを手にするといった際に最初に確認するのがメールやメッセージであるのと同様、その当時は朝会社に行くとまずはFAXを覗き、なにか通知が来ているかどうかの確認が習慣となっていた。
その日もいつもの通り朝早めに事務所に入った。勿論社員たちはまだ誰も出社していないから私1人だった。上着を脱ぎながらいつものようにFAXを見ると受信があるのが分かったので用紙を掴んで確認するとそれはアップルジャパンからだった。
Performaバンドルのことを忘れたわけではなかったが初めての経験でもあり、どのタイミングでどのように報告があるのかは不明だったから「何の連絡なのか?」と思いながら受信した用紙を見た瞬間、何といったらよいのだろうか、宝くじの高額当選に接したらこんな気持ちなのか…と思うほど心臓がバクバクし顔が熱くなった。
それはアップルからバンドル契約後3ヶ月間経った最初の売上げ報告および我々が受け取る金額が記されていた。私は馬鹿みたいに用紙の最後に記されている数字を「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん...」と確認していたが、それは○千万円もの思いもしない高額だったのだ。それも「同金額を今月末にご指定口座に振り込みます」と記してあった...。
いや、確かに3ヶ月間の売上げだから数百万ほどにはなるかなあ...と漠然と期待していたが、心の準備がなかっただけに誰もいない事務所のFAXの前で私は数回飛び上がったはずだ(笑)。
この成果は大きな手間をかけたわけではないしある種の不労所得といった感覚もあったので余計に嬉しかった。しかし営業マン兼社長の私としては新しいアプリがβ版になると必ずアップルジャパンのデベロッパーリレーションズ担当者に連絡し、関連部署の人たちを集めてもらい、新製品のコンセプトからその特長までをもアップルのブリーフィングルームでデモンストレーションすることを欠かさなかった成果でもあったのだ...。
ということで、結果数年間の累積で例えばムービーペイントという手描きアニメーション作成ソフトはPerformaのバンドルが好調で40万本は出荷したことになる。しかしある程度予測したことだが一部熱心なユーザーが生まれたものの多くのPerformaユーザーの反応は乏しかった。

※1994年当時、アップルジャパンのPerforma販促チラシの一例【クリックで拡大】
後日Macworld Expo/Tokyoに出展し、ムービーペイントをデモっていたとき、1人のユーザーが感激してくれてこの場で購入すると財布を取り出した。私は習慣で「機種はなにをお使いですか?」と聞いた。場合によっては古い機種では動作しないといったこともあるし1994年にMacはCPUをPowerPCに移行したこともあったからだが、その男性の答えは「Performa XXXXです」だという...。
実はPerformaの全機種に同じソフトウェアがバンドルされているわけでもなかったが、男性のいうPerformaはムービーペイントがバンドルされている製品だったのである。
どうやらユーザーの感覚としてバンドルされている製品は無料で手に入れた "おまけ" であり、したがってそれらは大したものではないと最初から思い込んでいたらしく購入後バンドルのパッケージ類はほとんど見たことがないという話しだった。
結局Performaは1997年まで製造されたが、ビジネスとしては芳しくなく消えて行くことになる。無論同時にバンドルも消滅し、現在はご承知のようにアップル純正のアプリケーションがいくつかプリインストールされているだけとなる。
…ということでアップルのバンドルビジネスおよびPerforma自体の販売は一定の存在感は示したものの国産のパソコン陣営の一郭に風穴を開けるには至らずビジネスとして成功したとはいえなかった。
ともあれあの朝日が差し込む早朝、まだ誰もいないオフィスでアップルから届いたFAXを見た瞬間の感激はある意味で一生の思い出となった(笑)。
Mac用アプリケーションと一言でいっても様々なジャンルがあるが、私の会社では当時QuickTimeをサポートした映像系の製品といわゆるエンターテインメント系の製品が稼ぎ頭だった。
それらのパッケージソフトは現在のようにインターネットを通じてダウンロード販売といったビジネスが出来得ない時代だったから、大手の流通会社に売り込んで全国のショップ店頭に並べてもらい、ユーザー諸氏の手に渡るよう努力を続けていた。
一方、1990年の半ばにもなるといくつかの自社開発ソフトウェアのバンドル依頼が舞い込むようになった。自分たちを卑下するわけではないが、極小企業の我々が開発した製品をソニーのハードウェアにバンドルすることが決まったときには正直しばらくドキドキ感が収まらなかった。


※ソニーのパンフレット(1995年7月)。同社のVISCA製品に私の会社のMac版ソフト「QTJOY」と「QTアルバム」がパンドルされた。裏面はソフトウェアの紹介となっている(下)
「バンドル」の意味をあらためて説明する必要はないと思うが、念ために記すと「ある製品に別の製品を付属して販売すること」であり、通常バンドルされるものはソフトウェアが多いわけだ...。またバンドルする意味は当該ハードウェアを活用する際にバンドル製品を使うことでユーザーにより有用な体験を提供することを意図するのが普通である。
ただし我々の場合だけではないが、すでに流通している製品そのものをバンドルするといったことだけでなく、その対象製品や予算といった条件面によっては一部機能を制限したものをあらたに作って対処する場合もあった。
我々にとってバンドルに関わるビジネスの利点はいくつかあった。まず大きいのはソニーとかキヤノンといった大手製品にバンドルされることは超マイクロ企業にとっては正直誇れることだった。世界的に知られている企業から我々の技術力が認められたことを意味するし、結果として自社努力だけではなし得ない広範囲に対象製品を広めることができる可能性を秘めていた。
2つ目は契約内容にもよるが、まとまった数の販売が最小の努力で可能になる点だ。パッケージをひとつ販売するのもなかなか大変であり、その販売促進のために秋葉原のラオックス店頭で製品デモを続けたりといった地道な活動を日々必要としたが、バンドルは通常ロット毎にまとまった数の出荷が見込まれたから売上げに即効性が期待できた。
勿論バンドルビジネスに欠点もあった。これまた契約条項にもよるもののユーザーサポートが単純に増えた場合のリスクはそれにかかるコストと共に十分考察しておく必要があったし、いたずらにバンドルでソフトウェアを配布すれば正規の販売自体に悪影響を及ぼすとも考えられた。
さて、本題になるが1994年に忘れ得ない話しがアップルジャパンからもたらされた。詳細な日時は記憶にないが面談をしたいという電話を受けて私は渋谷区千駄ヶ谷にあるアップルジャパンを訪ねた。話しはいつも世話になっていたデベロッパーリレーションではなくコンシューマー事業部に呼ばれたのだった。
初対面の男性は多少日本語がたどたどしかったものの、彼の話しが進むうちに私の驚きと期待は大きく膨らんでいった...。その概要はアップルが1992年からコンシューマー市場向けに投入したPerforma(パフォーマ)シリーズに私の会社のソフトウェアをバンドルしたいという話しだったのである。
Performaは当時のアップルが、それまでのルートで販売していたMacintoshのローエンド機として用意したパソコンのシリーズ名である。なおこのPerformaが登場する背景などについては別途「コミック版Performaで始めるMacintosh」に見る1994年」に詳しいので参照していただきたい。

※手描きアニメーションソフト「ムービーペイント」もアップルジャパンからバンドル依頼された製品のひとつだった
要は国産のパソコンは数十ものソフトアウェアをバンドルして販売する事が一般的だったこともあり、アップルとしてもソフトウェアのバンドルは無視出来ないことだった。問題はどのようなソフトウェアをバンドルすべきなのか...だが、クラリスワークスとかキッドピクスといった定番アプリケーションの他に国産のソフトを選択したいという主旨でもあった。ちなみに私の会社の製品には他社にないエンターテイメント系製品が揃っていた。「キューティマスコット」「ムービーペイント」というアニメーション作成ソフトだ。
アップルジャパンはまずはこの2つをバンドルしたいというのが当日の依頼だった。
これに後半「キューティアルバム」という画像や写真を素材にデジタルアルバムが作れるソフトが加わり、Performaへのバンドルが終了する1997年まで私の会社の3製品がバンドルされることになった。同業者の中には「不公平だ。ひとつの会社から3つものバンドル製品を出すのは...」とクレームもあったそうだが、申し上げるまでもなく当時Performaにバンドルするに相応しい国産のアプリケーションなど他にほとんど無かったのだから仕方がないではないか(笑)。

※アップルジャパンと取り交わしたソフトウェア販売契約書の一部。一ページの冒頭(上部)と11ページの書名ページ(下部)
それにこのバンドル要請は100%アップルからのものであり、無条件で喜んだわけではないことも知っていただきたい。なぜならPerformaの売れる台数だけバンドルした製品も売れることは間違いないし、Performaの売上げはいくら国産のパソコンより劣勢にあったとしても相当な数になることは想像できた。しかしである...。
前記のソニーといったメーカーへのバンドルとは違いアップルへのバンドルはいくつかの点において覚悟が必要だった。
ひとつはアップルに対する単価が常識的な販売単価と比べて著しく安価なことだ。具体的な契約額は伏せさせていただくが、例えば市場価格が23,000円のソフトウェアだとしても一般的な卸値は通用せず、アップル側の提示額は○○○円程度なことだった。そして金額については交渉の余地はなかった。
2つ目はそれだけ安価にそして大量に配布した製品のサポートは一般製品なみに実行しなければならない。そしてそれだけ大量にばらまかれたとすれば、ショップで正規のパッケージを買ってくれるユーザーは必然的に減少するに違いない...。
ただしここ3年ほどの売上げを見るにアプリケーション販売ビジネスはその当時がひとつのピークではないかという思いもあった。近未来にまで生き残るのに十分なビジネスができるという保証はないとすれば目の前にぶら下がったチャンスを逃すという事は後に悔いを残すと考え、思案の末にアップルの求めに応じることにした。
それに作業自体は大層なことではないのも背中を後押しする。バンドルのためにあらためて大層な仕事量をこなさなければならないとすればコストも含めて大変だが、契約書の取り交わしを別にするなら我々のやることはソフトウェアのマスターディスクとマニュアルの版下(PDF)をアップルに渡すだけでよかった。後はすべてアップル側でやってくれる...。
こうしてアップルとのバンドル契約は締結したが、売上げの支払いは四半期毎とされた。要は3ヶ月毎に指定口座に振り込みされるということで別途詳細な販売明細の提示があるとも聞かされた。
ただし日々どれほどPerformaが出荷されているのかなど知る由もないし、途中経過は一切公示しないということだったから私の思案の中でPerformaへのバンドルに関しては一件落着であり懸案事項ではなくなった。なぜなら後はなにもすることはなく結果を待つだけなのだから…。
さてそれから3ヶ月後のとある月末に一生忘れないだろう強烈な出来事を体験する…。
当時はインターネットによる電子メールを仕事上で使うに至っていない時代だった。電話の他、文書などで急ぐ場合はFAXを使うのが一般的だった。したがって現在、朝起きてパソコンの前に座る、あるいはiPhoneを手にするといった際に最初に確認するのがメールやメッセージであるのと同様、その当時は朝会社に行くとまずはFAXを覗き、なにか通知が来ているかどうかの確認が習慣となっていた。
その日もいつもの通り朝早めに事務所に入った。勿論社員たちはまだ誰も出社していないから私1人だった。上着を脱ぎながらいつものようにFAXを見ると受信があるのが分かったので用紙を掴んで確認するとそれはアップルジャパンからだった。
Performaバンドルのことを忘れたわけではなかったが初めての経験でもあり、どのタイミングでどのように報告があるのかは不明だったから「何の連絡なのか?」と思いながら受信した用紙を見た瞬間、何といったらよいのだろうか、宝くじの高額当選に接したらこんな気持ちなのか…と思うほど心臓がバクバクし顔が熱くなった。
それはアップルからバンドル契約後3ヶ月間経った最初の売上げ報告および我々が受け取る金額が記されていた。私は馬鹿みたいに用紙の最後に記されている数字を「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん...」と確認していたが、それは○千万円もの思いもしない高額だったのだ。それも「同金額を今月末にご指定口座に振り込みます」と記してあった...。
いや、確かに3ヶ月間の売上げだから数百万ほどにはなるかなあ...と漠然と期待していたが、心の準備がなかっただけに誰もいない事務所のFAXの前で私は数回飛び上がったはずだ(笑)。
この成果は大きな手間をかけたわけではないしある種の不労所得といった感覚もあったので余計に嬉しかった。しかし営業マン兼社長の私としては新しいアプリがβ版になると必ずアップルジャパンのデベロッパーリレーションズ担当者に連絡し、関連部署の人たちを集めてもらい、新製品のコンセプトからその特長までをもアップルのブリーフィングルームでデモンストレーションすることを欠かさなかった成果でもあったのだ...。
ということで、結果数年間の累積で例えばムービーペイントという手描きアニメーション作成ソフトはPerformaのバンドルが好調で40万本は出荷したことになる。しかしある程度予測したことだが一部熱心なユーザーが生まれたものの多くのPerformaユーザーの反応は乏しかった。

※1994年当時、アップルジャパンのPerforma販促チラシの一例【クリックで拡大】
後日Macworld Expo/Tokyoに出展し、ムービーペイントをデモっていたとき、1人のユーザーが感激してくれてこの場で購入すると財布を取り出した。私は習慣で「機種はなにをお使いですか?」と聞いた。場合によっては古い機種では動作しないといったこともあるし1994年にMacはCPUをPowerPCに移行したこともあったからだが、その男性の答えは「Performa XXXXです」だという...。
実はPerformaの全機種に同じソフトウェアがバンドルされているわけでもなかったが、男性のいうPerformaはムービーペイントがバンドルされている製品だったのである。
どうやらユーザーの感覚としてバンドルされている製品は無料で手に入れた "おまけ" であり、したがってそれらは大したものではないと最初から思い込んでいたらしく購入後バンドルのパッケージ類はほとんど見たことがないという話しだった。
結局Performaは1997年まで製造されたが、ビジネスとしては芳しくなく消えて行くことになる。無論同時にバンドルも消滅し、現在はご承知のようにアップル純正のアプリケーションがいくつかプリインストールされているだけとなる。
…ということでアップルのバンドルビジネスおよびPerforma自体の販売は一定の存在感は示したものの国産のパソコン陣営の一郭に風穴を開けるには至らずビジネスとして成功したとはいえなかった。
ともあれあの朝日が差し込む早朝、まだ誰もいないオフィスでアップルから届いたFAXを見た瞬間の感激はある意味で一生の思い出となった(笑)。
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