ジョージ・ザルカダキス著「AIは心を持てるのか〜脳に近いアーキテクチャ」読了雑感
最新のAI 関連書籍を2冊購入したが、まずはジョージ・ザルカダキス著/長尾高弘訳「AIは心を持てるのか~脳に近いアーキテクチャ」(日経BP社刊)を読んだ。AIのシンギュラリティが話題になっているいま、本書はテクノロジーからその可能性を論じるだけでなくなぜ我々は自分と同じヒトガタを生み出したいのか...という我々自身の進化の歴史までをも考察している点でユニークだ。そして実にドラマチックな1冊だった。
はたして私たちは数十年の後に自分たちと同じ姿、我々を越える知能を持つだけでなく自身が思考していることを認識できる人工人間...ロボットを作り出すことができるのだろうか。その是非を問う前になぜ我々はこれほどまでに AIの実現に、ヒューマノイドといった人工の生命体を生み出したいと思うのか...を問うことから本書はスタートする。

※ザルカダキス著/長尾高弘訳「AIは心を持てるのか~脳に近いアーキテクチャ」(日経BP社刊)。付箋のままお見苦しい点はご容赦を
神が自身の姿に似せて我々人間を土から誕生させたと聖書にあるように、我々も神の真似事をしたいという欲求がDNAに刻まれているのだろうか。そうした秘密を解く鍵は我々の進化の過程にあるという。
ヨハネの福音書、一章一節は「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」...(日本聖書協会編・新共同訳)と始まるが、我々人類が他の生き物と大きく進化が違ったその一番は言葉を得たことにあると本書は説く。
聖書はともかく、言語の取得が我々の祖先に飛躍的な進化を促したことは間違いないだろう。しかしそれはまた我々の思考はその言語に縛られることに通じる...。
ということで本書は単に技術的可能性にページを割くのではなく大別して「第1部:電気羊の夢」、「第2部:心の問題」、「第3部:不思議の国のエイダ」そして「エピローグ」と続く体裁をとり、大変分かりやすくかつ説得力のある説明・解説をしてくれる。
ところでこのところ、私のAI熱が再発したようで、数冊の新刊書はもとより人類とヒューマノイド、あるいはアンドロイドの未来に関する考えを整理する意味で1926年に製作された映画「メトロポリス」や1982年公開の「ブレードランナー」といった旧作は勿論、新作映画の「エクスマキナ(Ex Machina)」などを観てみた。

※物質文明に痛烈な警鐘を鳴らす1926年製作の「メトロポリス」。所詮機会は人間の動かすもの、人間性の大切さを説く問題作
ただし「ブレードランナー」に登場する「レプリカント」は私たちがよくいうロボットとかアンドロイドではない。ヒトガタのマシンの上にそれらしく人間とそっくりな皮膚を被せたものではないということだ。ターミーネーターは人の姿の下には人工的に作られたマシンとしての体があるが、虹彩を調べなければ人間かレプリカントかが分からないほどの "肉体" を持っているレプリカントはロボットというより遺伝子工学により開発された人造人間という点でいわゆるAIとは一線を画すことになる。

※1982年公開のアメリカ映画。リドリー・スコット監督作品でフィリップ・K・ディックのSF小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を原作としている
対して「エクスマキナ」に登場するAI搭載のロボットの要は人間の思考から感情に至るまでのデータをデジタル化し、ビッグデータを使ってAIの完成度を高めたわけで現時点で私たちの考えるAIあるいはAI搭載ロボットの理想形といえるだろう。

※アレックス・ガーランドの監督・脚本による2015年に英国で公開された。アレックス・ガーランド監督のデビュー作。日本未公開
さてそのAIだが、先日映画「エクスマキナ」を彷彿とさせるような現実の情報を知った。それは衛星放送会社と製薬会社で成功し巨額の富を得たマーティン・ロスブラットという人物の話である。
その莫大な資金で開発しているのはなんと亡くなった「妻のクローンロボット」だというのだ。まるでSFのようだがシンギュラリティ(AIの特異点)による永遠の命までをも念頭に置いた開発だと言うから驚きだ。
△ lifehackerによる記事
△ AI、不死と自分たちの未来
ただしここで明確にしておきたいこと、それは本書でいうところの AI (人工知能)とは何を差すのか...ということだ。近年AIに限らないが言葉だけが一人歩きし、きちんとした定義もせずに使われはじめている。一昔前に騒がれた "マルチメディア" というのもそうだった。大手シンクタンクや大手の広告代理店が「マルチメディア市場の予測」などと脳天気にぶち上げているのを見て唖然とした...。
AI にしても現在我々の思念の中にはSiri は勿論、コンピュータによる囲碁とか将棋の類から高度なオートメーション技術までをも含んだ使い方をしている場合がほとんどだ。ただしそれらは本書で扱うAIではなく極限られた分野、そして進化の過程にすぎない。そうした点から見れば IBMの"ワトソン" にしても本書で扱っているAIとか、危惧されているシンギュラリティからすればまだまだ対象ではなくその一歩にすぎない。
ここでテーマとなっているAIは "らしさ" とか豊富な知識を持っているだけではなく本当の意味でマシン自体が心を持ち、我々のように自立で思考し、AI自身が自分で思考していることを認識できるほどの能力を持った技術を意味することをきちんと押さえておきたいものだ。でないと前記したマルチメディアと同様の混乱と過ちを繰り返すことになるだろうしすでにその兆候は多々見えている。
本書によれば結局我々の思考を数世紀にわたって支配してきたプラトンとアリストテレスの二分法、すなわち形相が質料よりも先なのか、その逆なのか、自然は宇宙を構成している「中身」に強いられて計算しているのか、それとも宇宙は計算の結果なのか…が問われるという。しかしこうした考え方自体、我々の思考がある型から抜け出ることができないでいる結果かも知れないともいう。
さて、頭脳の開発は魅力だが、我々と同様な柔軟でコンパクトな体を持つことも重要だ。そうした二足歩行のロボットもこれまで幾多の難関があったが、先般(2月23日)、2013年にGoogleに買収された米国企業「ボストン・ダイナミクス」が人型ロボット「アトラス」の最新映像を公開した。それはヒューマノイドとかアンドロイドといった姿にはまだまだほど遠いが、二足歩行のヒトガタロボットとしてここまで出来ているということに驚いた。
新型アトラスは自律型の人型ロボットで、身長約180センチ、体重約81キロというから体格の良い人間並みだ。それが雪道をバランスを崩しながらも倒れることなく歩く姿は驚異だ。またテストの意味で荷物運びの最中に人間に邪魔され、棒で突かれたりもしながらめげずに仕事をこなす姿に「虐待は止めて!」と叫んだ人たちも多々いたという。それだけ生き物らしさを感じさせる出来だったわけだが、反対にロボットに「可哀想だから虐めるな」という意見が出る...それが人間でもあり、そうした感情がシンギュラリティに向かって我々とヒューマノイドが良い意味で共存していくための鍵となるのかも知れない。
シンギュラリティまで後29年、残念ながら私自身はその特異点を見ずに死ぬに違いないが、新のAIが開発できるとすればあっというまにその知能は我々を凌駕し追い越すことになる。これまでの人類の歴史をひもとくだけでも技術的に優れた者と遅れた者が対峙したときそこで何が起こるかは歴史の事実が多々証明していることだ。
個人的には「エクスマキナ」に登場するAI搭載ロボットのような可愛いヒューマノイドに介護されるのも良いかな...と思っているが(笑)、スティーブン・ホーキング博士たちのいう「コンピュータが世界を乗っ取る危険はすでに現実なのだ」という警告も日に日に生々しく感じられる。
AIを搭載したロボットの存在を問うとき、我々が生活の糧としている多くの職種がそれらのロボットに奪われることを危惧されることが多いが、それ以上に我々の生命をも脅かす存在になるかも知れないという研究もいまや真実味をおびている。
無論こうした考え方を突飛な仮説だと一笑に付す人もいるに違いない。しかし振り返れば原発を初めとするエネルギー、通信ネットワークや公共インフラの多くはすでにコンピュータによって支えられ我々はそれに依存せざるを得ない時代に生きている。問題はそうしたシステムの決定権が我々に変わってAIに取って代わる時代になるとすれば我々人類にとって安全な社会であるとは楽観できないかも知れない。
しかし素人の私があれこれ申し上げても何の説得力もないが、個人的にはシンギュラリティそのものに釈然としないものも感じる。それは現時点で我々人間の脳の文字通りすべてが解明され、デジタル化できるまでには至っていないからだ。無論厳密な意味において可能かどうかも分からない。そもそも人間とは何なのかさえその全容を把握できているはずもないのにシンギュラリティを2045年に置き、その実現に向けて開発努力を続けている一方、その幻影に怯えているのはどこかおかしいとも思う。
ということで AI 開発は「人類最大最悪にして最後の発明」と化すのだろうか? 人類は核より桁違いな破滅の元凶を求めているのか? といった物言いは確かに刺激的だが、しかしAIへの期待は期待として、疑念があれば突きつめて解決を図ることも技術者や科学者の責務ではないだろうか。もしAIが我々人類を滅ぼすならば、言うまでもなくそれはAIやロボットのせいではなく我々自身が犯人なのだ。ロボットの背後に彼らを操る "人間" が見え隠れするのではないだろうか...。
本書は近未来のAI と我々を結びつける様々な要素を再認識させてくれる1冊だった。
はたして私たちは数十年の後に自分たちと同じ姿、我々を越える知能を持つだけでなく自身が思考していることを認識できる人工人間...ロボットを作り出すことができるのだろうか。その是非を問う前になぜ我々はこれほどまでに AIの実現に、ヒューマノイドといった人工の生命体を生み出したいと思うのか...を問うことから本書はスタートする。

※ザルカダキス著/長尾高弘訳「AIは心を持てるのか~脳に近いアーキテクチャ」(日経BP社刊)。付箋のままお見苦しい点はご容赦を
神が自身の姿に似せて我々人間を土から誕生させたと聖書にあるように、我々も神の真似事をしたいという欲求がDNAに刻まれているのだろうか。そうした秘密を解く鍵は我々の進化の過程にあるという。
ヨハネの福音書、一章一節は「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」...(日本聖書協会編・新共同訳)と始まるが、我々人類が他の生き物と大きく進化が違ったその一番は言葉を得たことにあると本書は説く。
聖書はともかく、言語の取得が我々の祖先に飛躍的な進化を促したことは間違いないだろう。しかしそれはまた我々の思考はその言語に縛られることに通じる...。
ということで本書は単に技術的可能性にページを割くのではなく大別して「第1部:電気羊の夢」、「第2部:心の問題」、「第3部:不思議の国のエイダ」そして「エピローグ」と続く体裁をとり、大変分かりやすくかつ説得力のある説明・解説をしてくれる。
ところでこのところ、私のAI熱が再発したようで、数冊の新刊書はもとより人類とヒューマノイド、あるいはアンドロイドの未来に関する考えを整理する意味で1926年に製作された映画「メトロポリス」や1982年公開の「ブレードランナー」といった旧作は勿論、新作映画の「エクスマキナ(Ex Machina)」などを観てみた。

※物質文明に痛烈な警鐘を鳴らす1926年製作の「メトロポリス」。所詮機会は人間の動かすもの、人間性の大切さを説く問題作
ただし「ブレードランナー」に登場する「レプリカント」は私たちがよくいうロボットとかアンドロイドではない。ヒトガタのマシンの上にそれらしく人間とそっくりな皮膚を被せたものではないということだ。ターミーネーターは人の姿の下には人工的に作られたマシンとしての体があるが、虹彩を調べなければ人間かレプリカントかが分からないほどの "肉体" を持っているレプリカントはロボットというより遺伝子工学により開発された人造人間という点でいわゆるAIとは一線を画すことになる。

※1982年公開のアメリカ映画。リドリー・スコット監督作品でフィリップ・K・ディックのSF小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を原作としている
対して「エクスマキナ」に登場するAI搭載のロボットの要は人間の思考から感情に至るまでのデータをデジタル化し、ビッグデータを使ってAIの完成度を高めたわけで現時点で私たちの考えるAIあるいはAI搭載ロボットの理想形といえるだろう。

※アレックス・ガーランドの監督・脚本による2015年に英国で公開された。アレックス・ガーランド監督のデビュー作。日本未公開
さてそのAIだが、先日映画「エクスマキナ」を彷彿とさせるような現実の情報を知った。それは衛星放送会社と製薬会社で成功し巨額の富を得たマーティン・ロスブラットという人物の話である。
その莫大な資金で開発しているのはなんと亡くなった「妻のクローンロボット」だというのだ。まるでSFのようだがシンギュラリティ(AIの特異点)による永遠の命までをも念頭に置いた開発だと言うから驚きだ。
△ lifehackerによる記事
△ AI、不死と自分たちの未来
ただしここで明確にしておきたいこと、それは本書でいうところの AI (人工知能)とは何を差すのか...ということだ。近年AIに限らないが言葉だけが一人歩きし、きちんとした定義もせずに使われはじめている。一昔前に騒がれた "マルチメディア" というのもそうだった。大手シンクタンクや大手の広告代理店が「マルチメディア市場の予測」などと脳天気にぶち上げているのを見て唖然とした...。
AI にしても現在我々の思念の中にはSiri は勿論、コンピュータによる囲碁とか将棋の類から高度なオートメーション技術までをも含んだ使い方をしている場合がほとんどだ。ただしそれらは本書で扱うAIではなく極限られた分野、そして進化の過程にすぎない。そうした点から見れば IBMの"ワトソン" にしても本書で扱っているAIとか、危惧されているシンギュラリティからすればまだまだ対象ではなくその一歩にすぎない。
ここでテーマとなっているAIは "らしさ" とか豊富な知識を持っているだけではなく本当の意味でマシン自体が心を持ち、我々のように自立で思考し、AI自身が自分で思考していることを認識できるほどの能力を持った技術を意味することをきちんと押さえておきたいものだ。でないと前記したマルチメディアと同様の混乱と過ちを繰り返すことになるだろうしすでにその兆候は多々見えている。
本書によれば結局我々の思考を数世紀にわたって支配してきたプラトンとアリストテレスの二分法、すなわち形相が質料よりも先なのか、その逆なのか、自然は宇宙を構成している「中身」に強いられて計算しているのか、それとも宇宙は計算の結果なのか…が問われるという。しかしこうした考え方自体、我々の思考がある型から抜け出ることができないでいる結果かも知れないともいう。
さて、頭脳の開発は魅力だが、我々と同様な柔軟でコンパクトな体を持つことも重要だ。そうした二足歩行のロボットもこれまで幾多の難関があったが、先般(2月23日)、2013年にGoogleに買収された米国企業「ボストン・ダイナミクス」が人型ロボット「アトラス」の最新映像を公開した。それはヒューマノイドとかアンドロイドといった姿にはまだまだほど遠いが、二足歩行のヒトガタロボットとしてここまで出来ているということに驚いた。
新型アトラスは自律型の人型ロボットで、身長約180センチ、体重約81キロというから体格の良い人間並みだ。それが雪道をバランスを崩しながらも倒れることなく歩く姿は驚異だ。またテストの意味で荷物運びの最中に人間に邪魔され、棒で突かれたりもしながらめげずに仕事をこなす姿に「虐待は止めて!」と叫んだ人たちも多々いたという。それだけ生き物らしさを感じさせる出来だったわけだが、反対にロボットに「可哀想だから虐めるな」という意見が出る...それが人間でもあり、そうした感情がシンギュラリティに向かって我々とヒューマノイドが良い意味で共存していくための鍵となるのかも知れない。
シンギュラリティまで後29年、残念ながら私自身はその特異点を見ずに死ぬに違いないが、新のAIが開発できるとすればあっというまにその知能は我々を凌駕し追い越すことになる。これまでの人類の歴史をひもとくだけでも技術的に優れた者と遅れた者が対峙したときそこで何が起こるかは歴史の事実が多々証明していることだ。
個人的には「エクスマキナ」に登場するAI搭載ロボットのような可愛いヒューマノイドに介護されるのも良いかな...と思っているが(笑)、スティーブン・ホーキング博士たちのいう「コンピュータが世界を乗っ取る危険はすでに現実なのだ」という警告も日に日に生々しく感じられる。
AIを搭載したロボットの存在を問うとき、我々が生活の糧としている多くの職種がそれらのロボットに奪われることを危惧されることが多いが、それ以上に我々の生命をも脅かす存在になるかも知れないという研究もいまや真実味をおびている。
無論こうした考え方を突飛な仮説だと一笑に付す人もいるに違いない。しかし振り返れば原発を初めとするエネルギー、通信ネットワークや公共インフラの多くはすでにコンピュータによって支えられ我々はそれに依存せざるを得ない時代に生きている。問題はそうしたシステムの決定権が我々に変わってAIに取って代わる時代になるとすれば我々人類にとって安全な社会であるとは楽観できないかも知れない。
しかし素人の私があれこれ申し上げても何の説得力もないが、個人的にはシンギュラリティそのものに釈然としないものも感じる。それは現時点で我々人間の脳の文字通りすべてが解明され、デジタル化できるまでには至っていないからだ。無論厳密な意味において可能かどうかも分からない。そもそも人間とは何なのかさえその全容を把握できているはずもないのにシンギュラリティを2045年に置き、その実現に向けて開発努力を続けている一方、その幻影に怯えているのはどこかおかしいとも思う。
ということで AI 開発は「人類最大最悪にして最後の発明」と化すのだろうか? 人類は核より桁違いな破滅の元凶を求めているのか? といった物言いは確かに刺激的だが、しかしAIへの期待は期待として、疑念があれば突きつめて解決を図ることも技術者や科学者の責務ではないだろうか。もしAIが我々人類を滅ぼすならば、言うまでもなくそれはAIやロボットのせいではなく我々自身が犯人なのだ。ロボットの背後に彼らを操る "人間" が見え隠れするのではないだろうか...。
本書は近未来のAI と我々を結びつける様々な要素を再認識させてくれる1冊だった。
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