FullPaintが関係したソフト技術に関する訴訟ドキュメント
意外と思われようが、私の所へいただく問い合わせには法律関係者の方々も多い。事実、昨年2003年の春にひとつの象徴的な特許裁判に関して判決が出たが、何と...その件に関連して原告と被告の両者からコンタクトがあったのである...。
すでに公知の事実となっている判例だが、後述するように私としては微妙な部分もあるのでここでは原告および被告名を伏して話を進めたい。興味のある方はサイトを検索していただければすぐに分かるだろう...。
まず最初にお断りしておくことは、私は当該裁判そのものにはまったく関与していないし、秘密保持の義務は勿論のこと、被告および原告との利害関係もない。
さて、当「Macテクノロジー研究所」では、古いソフトウェアテクノロジーにも目を向け、忘れ去られようとしているソフトウェアたちに日の光を当てたいと微力ながら努力している。それは何も単なる懐古趣味といったことではなく、より良いソフトウェアをめざす未来の我々にとっても何らかの利益があると考えるからである。
ひとつには「Macテクノロジー研究所」のコンセプトでもあるが、テクノロジーに期待と畏敬の念を持ちつつ、どのようなテクノロジーにもルーツが存在し、新製品や新しいアイデアも過去の業績の上に成り立っていることを認識することが重要だと確信するからである。また事実「過去をよりよく知ることは未来への早道」なのだとも考えている。逆に言えば「未来を予測するために過去を把握することは不可欠なのだ」と思う。
一方、事実のアーカイブというか多くのフリーウエアなどを含めたソフトウェア製品が登場したその歴史的事実を残しておきたいとも考えている。例えば現在のPhotoshopも最初のバージョンは他の同種のソフトウェアたちと大きな差があったわけではなく、当然のことだがその基本的なインターフェースやテクノロジーはMacPaintから綿々と続いてきたものによる。重要なことは、いきなりPhotoshopが「発明」されたわけではないということだ。
現在のアプリケーションソフトウェアひとつをとってみても、そこには有名無名の先達たちの多くの発明・発見・工夫が効果的に活用されていることは当然のことだ。しかし反面、ビジネスの世界ともなれば特許という大事な部分を抜きにして語れないこともあり、こうした事実関係に無関心ではいられないことも当然である。
2002年も暑い盛りを超えた頃だったか、わが国有数のメーカーからコンタクトがあり、古いMacintoshグラフィックアプリケーションに関して話を聞きたいとの依頼があった。また驚いたことに、ほぼ同時にこれまた大手企業から委託を受けた弁理士事務所からも同様な話があったのである。
この段階では私には依頼事の意味するところが分からなかったが、どうやら問題はソフトウェアのマルチウィンドウ処理に関わる特許に関する件であること、そしてその論点の鍵はMacPaintの翌年に登場したFullPaintの持っているマルチウィンドウ(4つのウィンドウが使える)技術とその告知時期の問題であることが分かってきた。
ところで、そう...なぜ両者が私のところにコンタクトをされたかといえば、現在の「Macテクノロジー研究所」に掲載している「不朽のMacソフト撰」の前身だった「Macintoshソフトウェア博物館」というウェブページにたどり着いたとのこと...。そういえば、そこには「 FullPaintを使う利点の一番は同時に4つまでウィンドウをオープンし、その間でデータをカット&ペーストできたことだ。」と記してあるからだ。事実FullPaintはパソコン用アプリケーションとして販売された中でマルチウィンドウを実現した最も初期のソフトウェアだったのである。
別項の記事にも書いたが、インターネットは万能ではない。パソコンの...それも古い忘れ去られたようなソフトウェアのことなど、そうそう整理されて掲載しているページなどは無い。現に"Google"でその"FullPaint"を検索してみて欲しい。結果は僭越ながら当「Macテクノロジー研究所」がトップに表示される...(笑)。この一例を見ても古い情報を探すのはインターネットをしても容易ではないことはご理解いただけるものと思う。
結局、後で分かったことは先にコンタクトされたメーカーが原告であり、少し後になって来訪されたのが被告代理人の方であったということだった。
原告はそのマルチウィンドウに関しての特許を取得しており、被告の製品がそれを侵害するとして販売等の差し止めと損害賠償を求めた裁判となったのである。それは権利者として当然の行動であったが、被告側から見れば訴訟に勝つためには原告が特許を取得したことに対し新規性喪失の要件が存在することを明らかにしなければならない。
そして判決の要点はFullPaintのマニュアルおよびMacintosh Revealed(邦訳「マッキントッシュの道具箱」)という書籍の存在が明らかになった。そこにはマルチウィンドウ記述の事実があり、その告知が原告の特許取得日より以前のことであったと認められ、原告の訴えは棄却された。
私自身、当該裁判に証人などとして出頭したわけではなく、単に両者から求められたもの(FullPaintの正規なソフトウェア及びそのマニュアル)を提供させていただき、さらに求めに応じて当時の状況...例えばFullPaintのメーカーが1986年1月のMacWorldExpoにおいて出展し、販売していたであろう可能性の有無などについて記憶にある限りのお話をさせていただいただけだ…。
無論、私からの資料がそのまま勝訴・敗訴に直接関わったわけではなく、その確実な裏付けや検証があったことは当然だろうし、別途他者からの同種資料との照合なども必要だったと思われる(事実被告側は最も早い時期のFullPaintプレリリース版の存在を探し出したとのことだ)。
申し上げるまでもなく、原告および被告の裁判に関わる多くの調査がどのような前後関係で行われたか私に分かる訳もないが、後述するように事の発端としてFullPaintの存在およびマニュアルの「ある」「なし」は判決の明暗を分けたのである。
とある判例紹介のウェブページにおいて専門家の解説には次のような一文が書かれており、あらためて事の重要性を感じたものである。

※1985年 Ann Arbor Softworks製「FullPaint」オリジナルディスク

※「FullPaint」のマニュアル
「.....相手方の特許をつぶすための端的な方法は,出願前に公知文献がないかどうか探索することである。被告側としては,本件特許の出願前においてマルチウィンドウを使っているのはマックなのではないかということで,いろいろと文献を探索したことが推測できるが,本件のFULLPAINTマニュアルのような,アメリカのある都市のある展示会に出展されたアプリでしかもプレリリース版に同梱されていたものを,よくぞ見つけたものだと感心すると同時に,そういった文献を探さなければならないという防御側の苦労が偲ばれる事例ではないかと思う。」
また別の法律関係ウェブページには次のような記述もあった。
「.....1つ、教訓も得られた。それは、将来起こりうる今回と同様の訴訟とか、無効審判、異議申し立てなどのために、あらかじめ文献類をその発行年月日が特定できるよう整備しておくことだ。半分以上のページ数を公知日の認定に費やしている今回の訴訟判決文を読みながら、つくづくその必要性を感じた。具体的には2つの方法がある。1つは特許出願若しくは公開技報登録すること。もう1つは、マニュアル類を工業所有権総合資料館に持ち込み、受付データ印を押してもらうことだ。後者の方法は、特許出願するまでもないような技術資料の場合、あるいは、公開技報としてまとめるのも大変な場合、有効だ。企業などの特許管理者は日常の管理活動の1つとして留意しておくといい。」
しばし明言であろう。確かに本件で争われた類の裁判沙汰は今後も十分あり得ることでもある。ただし、現実的にこうした配慮を日常のビジネスに組み込むことは頭で考える以上に煩雑で難しいことでもある。
もともと古いソフトウェアなどは最も失いやすい物のひとつだ。新しいバージョンが登場すれば事実上は不要なものとなり破棄されるのが一般的でもあろう。ましてや今後のことはともかく、FullPaintの例のようにすでに20年も前のソフトウェア資料など、そうそう残っているとは思われないから難しい。
勿論、当「Macテクノロジー研究所」もこうした法律問題に寄与するために過去のソフトウェアなどを整理しているわけではない(^_^;)。そして世間は広いから、私以外にもこうした資料を保管されている方もいるだろうが、問題はそれを公言・告知していなければ第三者側が探し出すことは不可能だということである。
私自身は前記したように、コンピュータやソフトウェアの「テクノロジーの進歩とは何か?」といった点に興味を持った活動を続けているつもりだが、そうした資料が実際に役に立った数少ない例として(^_^;)法律がらみの生臭い話ではあるものの実例をご紹介した。
ところで将来バーチャルでない「ソフトウェア博物館」なるものを設立したいと思っているのだが、どこか...どなたか資金を出してくださる機関や企業はないものだろうか(笑)。
すでに公知の事実となっている判例だが、後述するように私としては微妙な部分もあるのでここでは原告および被告名を伏して話を進めたい。興味のある方はサイトを検索していただければすぐに分かるだろう...。
まず最初にお断りしておくことは、私は当該裁判そのものにはまったく関与していないし、秘密保持の義務は勿論のこと、被告および原告との利害関係もない。
さて、当「Macテクノロジー研究所」では、古いソフトウェアテクノロジーにも目を向け、忘れ去られようとしているソフトウェアたちに日の光を当てたいと微力ながら努力している。それは何も単なる懐古趣味といったことではなく、より良いソフトウェアをめざす未来の我々にとっても何らかの利益があると考えるからである。
ひとつには「Macテクノロジー研究所」のコンセプトでもあるが、テクノロジーに期待と畏敬の念を持ちつつ、どのようなテクノロジーにもルーツが存在し、新製品や新しいアイデアも過去の業績の上に成り立っていることを認識することが重要だと確信するからである。また事実「過去をよりよく知ることは未来への早道」なのだとも考えている。逆に言えば「未来を予測するために過去を把握することは不可欠なのだ」と思う。
一方、事実のアーカイブというか多くのフリーウエアなどを含めたソフトウェア製品が登場したその歴史的事実を残しておきたいとも考えている。例えば現在のPhotoshopも最初のバージョンは他の同種のソフトウェアたちと大きな差があったわけではなく、当然のことだがその基本的なインターフェースやテクノロジーはMacPaintから綿々と続いてきたものによる。重要なことは、いきなりPhotoshopが「発明」されたわけではないということだ。
現在のアプリケーションソフトウェアひとつをとってみても、そこには有名無名の先達たちの多くの発明・発見・工夫が効果的に活用されていることは当然のことだ。しかし反面、ビジネスの世界ともなれば特許という大事な部分を抜きにして語れないこともあり、こうした事実関係に無関心ではいられないことも当然である。
2002年も暑い盛りを超えた頃だったか、わが国有数のメーカーからコンタクトがあり、古いMacintoshグラフィックアプリケーションに関して話を聞きたいとの依頼があった。また驚いたことに、ほぼ同時にこれまた大手企業から委託を受けた弁理士事務所からも同様な話があったのである。
この段階では私には依頼事の意味するところが分からなかったが、どうやら問題はソフトウェアのマルチウィンドウ処理に関わる特許に関する件であること、そしてその論点の鍵はMacPaintの翌年に登場したFullPaintの持っているマルチウィンドウ(4つのウィンドウが使える)技術とその告知時期の問題であることが分かってきた。
ところで、そう...なぜ両者が私のところにコンタクトをされたかといえば、現在の「Macテクノロジー研究所」に掲載している「不朽のMacソフト撰」の前身だった「Macintoshソフトウェア博物館」というウェブページにたどり着いたとのこと...。そういえば、そこには「 FullPaintを使う利点の一番は同時に4つまでウィンドウをオープンし、その間でデータをカット&ペーストできたことだ。」と記してあるからだ。事実FullPaintはパソコン用アプリケーションとして販売された中でマルチウィンドウを実現した最も初期のソフトウェアだったのである。
別項の記事にも書いたが、インターネットは万能ではない。パソコンの...それも古い忘れ去られたようなソフトウェアのことなど、そうそう整理されて掲載しているページなどは無い。現に"Google"でその"FullPaint"を検索してみて欲しい。結果は僭越ながら当「Macテクノロジー研究所」がトップに表示される...(笑)。この一例を見ても古い情報を探すのはインターネットをしても容易ではないことはご理解いただけるものと思う。
結局、後で分かったことは先にコンタクトされたメーカーが原告であり、少し後になって来訪されたのが被告代理人の方であったということだった。
原告はそのマルチウィンドウに関しての特許を取得しており、被告の製品がそれを侵害するとして販売等の差し止めと損害賠償を求めた裁判となったのである。それは権利者として当然の行動であったが、被告側から見れば訴訟に勝つためには原告が特許を取得したことに対し新規性喪失の要件が存在することを明らかにしなければならない。
そして判決の要点はFullPaintのマニュアルおよびMacintosh Revealed(邦訳「マッキントッシュの道具箱」)という書籍の存在が明らかになった。そこにはマルチウィンドウ記述の事実があり、その告知が原告の特許取得日より以前のことであったと認められ、原告の訴えは棄却された。
私自身、当該裁判に証人などとして出頭したわけではなく、単に両者から求められたもの(FullPaintの正規なソフトウェア及びそのマニュアル)を提供させていただき、さらに求めに応じて当時の状況...例えばFullPaintのメーカーが1986年1月のMacWorldExpoにおいて出展し、販売していたであろう可能性の有無などについて記憶にある限りのお話をさせていただいただけだ…。
無論、私からの資料がそのまま勝訴・敗訴に直接関わったわけではなく、その確実な裏付けや検証があったことは当然だろうし、別途他者からの同種資料との照合なども必要だったと思われる(事実被告側は最も早い時期のFullPaintプレリリース版の存在を探し出したとのことだ)。
申し上げるまでもなく、原告および被告の裁判に関わる多くの調査がどのような前後関係で行われたか私に分かる訳もないが、後述するように事の発端としてFullPaintの存在およびマニュアルの「ある」「なし」は判決の明暗を分けたのである。
とある判例紹介のウェブページにおいて専門家の解説には次のような一文が書かれており、あらためて事の重要性を感じたものである。

※1985年 Ann Arbor Softworks製「FullPaint」オリジナルディスク

※「FullPaint」のマニュアル
「.....相手方の特許をつぶすための端的な方法は,出願前に公知文献がないかどうか探索することである。被告側としては,本件特許の出願前においてマルチウィンドウを使っているのはマックなのではないかということで,いろいろと文献を探索したことが推測できるが,本件のFULLPAINTマニュアルのような,アメリカのある都市のある展示会に出展されたアプリでしかもプレリリース版に同梱されていたものを,よくぞ見つけたものだと感心すると同時に,そういった文献を探さなければならないという防御側の苦労が偲ばれる事例ではないかと思う。」
また別の法律関係ウェブページには次のような記述もあった。
「.....1つ、教訓も得られた。それは、将来起こりうる今回と同様の訴訟とか、無効審判、異議申し立てなどのために、あらかじめ文献類をその発行年月日が特定できるよう整備しておくことだ。半分以上のページ数を公知日の認定に費やしている今回の訴訟判決文を読みながら、つくづくその必要性を感じた。具体的には2つの方法がある。1つは特許出願若しくは公開技報登録すること。もう1つは、マニュアル類を工業所有権総合資料館に持ち込み、受付データ印を押してもらうことだ。後者の方法は、特許出願するまでもないような技術資料の場合、あるいは、公開技報としてまとめるのも大変な場合、有効だ。企業などの特許管理者は日常の管理活動の1つとして留意しておくといい。」
しばし明言であろう。確かに本件で争われた類の裁判沙汰は今後も十分あり得ることでもある。ただし、現実的にこうした配慮を日常のビジネスに組み込むことは頭で考える以上に煩雑で難しいことでもある。
もともと古いソフトウェアなどは最も失いやすい物のひとつだ。新しいバージョンが登場すれば事実上は不要なものとなり破棄されるのが一般的でもあろう。ましてや今後のことはともかく、FullPaintの例のようにすでに20年も前のソフトウェア資料など、そうそう残っているとは思われないから難しい。
勿論、当「Macテクノロジー研究所」もこうした法律問題に寄与するために過去のソフトウェアなどを整理しているわけではない(^_^;)。そして世間は広いから、私以外にもこうした資料を保管されている方もいるだろうが、問題はそれを公言・告知していなければ第三者側が探し出すことは不可能だということである。
私自身は前記したように、コンピュータやソフトウェアの「テクノロジーの進歩とは何か?」といった点に興味を持った活動を続けているつもりだが、そうした資料が実際に役に立った数少ない例として(^_^;)法律がらみの生臭い話ではあるものの実例をご紹介した。
ところで将来バーチャルでない「ソフトウェア博物館」なるものを設立したいと思っているのだが、どこか...どなたか資金を出してくださる機関や企業はないものだろうか(笑)。
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