映画「長崎ぶらぶら節」の世界に浸る
映画「長崎ぶらぶら節」は、作詞家・小説家のなかにし礼が直木賞を受賞した同名の小説を監督:深町幸男、脚本:市川森一で映画化され2000年に公開された作品だ。キャストは吉永小百合と渡哲也らだが、すでに公開から16年が過ぎている。
小説「長崎ぶらぶら節」の存在は知ってはいたがまだ読んではいなかった。ただし、なかにし礼が122回直木賞を受賞した際に「長崎ぶらぶら節」とはなにか...といったことを好奇心から少し調べたことがあった。ちなみに今般映画を見てみようと思ったのはリュート/月琴奏者の永田斉子さんがTwitterに書き込まれたのを読んだことがきっかけだった...。

※2000年公開の映画「長崎ぶらぶら節」
今更ではあるが「長崎ぶらぶら節」の映画と聞き、興味を持った点がいくつかある。ひとつは長崎という場所だ。とはいえ長崎に出向いたのはたった1度でしかなく、それも1977年の秋も深まる頃、新婚旅行先のひとつとして足を運んだ場所だったがとても素敵なところだった記憶が残っている。
それからヒロインは実在の人物だが、明治、大正、昭和の長崎で数奇な人生を送った丸山芸者の愛八(あげはち)[本名:松尾サダ]である。愛八は唄と三味線に秀でていたというその三味線の世界にも私はノスタルジアを感じる1人なのだ。
普段は古楽器のリュートを楽しみ、やれバッハが好きだと口走ってはいるが私の音楽歴は三味線から始まったのだった。なにしろ8歳から近所に住んでいた芸者上がりの師匠宅に週1回通っていたが、結局高校を卒業するまで断続的ではあったものの三味線を弾いていた...。

※筆者9歳の写真。西日の当たる部屋で三味線の稽古中
いまでは記憶も薄れているが、長唄では「越後獅子」「松の緑」など、端唄は「春雨」「奴さん」「梅は咲いたか」あるいは清元「隅田川」などなど元芸者の面目如何といったところなのか師匠は流派などに拘らず何でも教えてくれた。とはいえ「春雨に しっぽり濡るる うぐいすの〜」などと弾き語りをやってはいたが、子供の私に色っぽい歌詞など理解できるはずもなかった...。
さらに近年は映画も見なくなったものの私は少年時代からサユリストだった(笑)。何度彼女の似顔絵を描いたことか...。
そんなあれこれが絡み合い、久しぶりに日本映画を見てみようという気になった。なにしろiTunesにあったので思い立ったが吉日と早速アクセスしてみた。
しかし吉永小百合と渡哲也という2大スターの共演とはいえ小説ほど売れる映画ではないだろうなあ…などと余計なことを考えながら見始めた(笑)。映画の出来がどうのこうの…という以前にこの種の世界に入り込んで楽しめる人たちが多いとは思えないからだが実際はどうなのだろうか…。
私はといえばまず吉永小百合や渡哲也らの着物姿による立ち振る舞いや所作などを美しいと感じるし、長崎弁も心地よい。また自身は残念ながら芸者をあげて遊んだことはないものの、前記したように子供ながら芸者上がりの師匠に可愛がっていただき、あちらこちらと連れ回され、向かった席には多々そうした肌合いの人たちがいたこともあり、お座敷のシーンなどどこか懐かしい場所にタイムスリップしたような感覚にとらわれた。
なによりも芸者の愛八は自身決して豊かな生活をしていたわけでもなく蓄えもなかった。電気代が払えず行灯の明かりで生活していたときもあったというが、困った人には財布ぐるみ投げ出して与える気っぷの良さはもとより、心の美しい女性だった。
また身代を潰すほどに長崎学の研究に打ち込む学者古賀十二郎の執拗とも思える学者肌や男気といった生き様に現代ではなかなか求められない心地よさも感じた。
その2人が忘れ去られつつある地元の唄の数々を記録に残そうと収集して回る姿がこれまた素敵なのだ。ただし現代の視点から見てその時代環境や土地柄を肌で感じることは難しいと思うが、理屈抜きで「唄っていいなあ...」「人間って捨てたものではないな...」というのが映画を見た感想だった。そして現代人が忘れかけている "粋" な生き方というものを思い出させてくれる映画でもあった。
映画「長崎ぶらぶら節」は長崎で撮影したというから当然のこと長崎の美しい街並みや風景も登場する。新婚旅行のときは式前日まで友人に手伝ってもらい、あれこれと準備に奔走していたこともあってか当日は体調が悪く十分に長崎を楽しめなかった。是非機会があれば再訪したいと思っている。
さて実話を元にした作品となれば本来その実話、史実を知りたくなるのが常だが、今回は映画の美しい世界のままあれこれとほじくり返すことは止めようと思った(笑)。すでに昔調べた記憶が…例えば古賀十二郎はかなり小柄な人物だったとか、愛八の写真もネットで検索すれば見ることができるものの蒸し返すのは止めようかとも考えた…。
ということで、繰り返すが本編は出来ることなら吉永小百合と渡哲也のイメージのままでいたいと思うが、後述のように原作の小説を読んだ後では些か2人は端正で綺麗すぎる。
愛八や古賀十二郎の生き様は平坦な人生はなく、のたうち回って生きた凄みも感じさせる。しかしその言動はどこか崇高で清いといった矛盾する感覚が吉永小百合と渡哲也には希薄なのが物足りない...。
その史実ではあるが、昭和9年に愛八は亡くなる。享年60歳だった。その葬儀は古賀十二郎が取り仕切ったが、愛八生前の生き様を証明するかのように地元の旦那衆はもとより、愛八の愛し慈しんだ角力関係者、さらには海軍贔屓だったことから関係者らが参列あるいは弔電ありで盛大な葬儀だったという。その模様は翌日の新聞に載ったというが、芸者の葬儀が新聞に載るということは前代未聞のことだったに違いない。なお、長崎市にある愛八の墓には今なお供花が絶えないという...。

※映画の原作、なかにし礼「長崎ぶらぶら節」新潮文庫も買ってみた
映画を見終わった余韻からか、その原作であるなかにし礼の小説「長崎ぶらぶら節」も読みたくなったので文庫本を注文し読み始めた…。いやはや映画もなかなかに面白かったが原作は映画以上に面白かった。繰り返して再読してから映画ももう一度鑑賞してみたいと思っている。
小説「長崎ぶらぶら節」の存在は知ってはいたがまだ読んではいなかった。ただし、なかにし礼が122回直木賞を受賞した際に「長崎ぶらぶら節」とはなにか...といったことを好奇心から少し調べたことがあった。ちなみに今般映画を見てみようと思ったのはリュート/月琴奏者の永田斉子さんがTwitterに書き込まれたのを読んだことがきっかけだった...。

※2000年公開の映画「長崎ぶらぶら節」
今更ではあるが「長崎ぶらぶら節」の映画と聞き、興味を持った点がいくつかある。ひとつは長崎という場所だ。とはいえ長崎に出向いたのはたった1度でしかなく、それも1977年の秋も深まる頃、新婚旅行先のひとつとして足を運んだ場所だったがとても素敵なところだった記憶が残っている。
それからヒロインは実在の人物だが、明治、大正、昭和の長崎で数奇な人生を送った丸山芸者の愛八(あげはち)[本名:松尾サダ]である。愛八は唄と三味線に秀でていたというその三味線の世界にも私はノスタルジアを感じる1人なのだ。
普段は古楽器のリュートを楽しみ、やれバッハが好きだと口走ってはいるが私の音楽歴は三味線から始まったのだった。なにしろ8歳から近所に住んでいた芸者上がりの師匠宅に週1回通っていたが、結局高校を卒業するまで断続的ではあったものの三味線を弾いていた...。

※筆者9歳の写真。西日の当たる部屋で三味線の稽古中
いまでは記憶も薄れているが、長唄では「越後獅子」「松の緑」など、端唄は「春雨」「奴さん」「梅は咲いたか」あるいは清元「隅田川」などなど元芸者の面目如何といったところなのか師匠は流派などに拘らず何でも教えてくれた。とはいえ「春雨に しっぽり濡るる うぐいすの〜」などと弾き語りをやってはいたが、子供の私に色っぽい歌詞など理解できるはずもなかった...。
さらに近年は映画も見なくなったものの私は少年時代からサユリストだった(笑)。何度彼女の似顔絵を描いたことか...。
そんなあれこれが絡み合い、久しぶりに日本映画を見てみようという気になった。なにしろiTunesにあったので思い立ったが吉日と早速アクセスしてみた。
しかし吉永小百合と渡哲也という2大スターの共演とはいえ小説ほど売れる映画ではないだろうなあ…などと余計なことを考えながら見始めた(笑)。映画の出来がどうのこうの…という以前にこの種の世界に入り込んで楽しめる人たちが多いとは思えないからだが実際はどうなのだろうか…。
私はといえばまず吉永小百合や渡哲也らの着物姿による立ち振る舞いや所作などを美しいと感じるし、長崎弁も心地よい。また自身は残念ながら芸者をあげて遊んだことはないものの、前記したように子供ながら芸者上がりの師匠に可愛がっていただき、あちらこちらと連れ回され、向かった席には多々そうした肌合いの人たちがいたこともあり、お座敷のシーンなどどこか懐かしい場所にタイムスリップしたような感覚にとらわれた。
なによりも芸者の愛八は自身決して豊かな生活をしていたわけでもなく蓄えもなかった。電気代が払えず行灯の明かりで生活していたときもあったというが、困った人には財布ぐるみ投げ出して与える気っぷの良さはもとより、心の美しい女性だった。
また身代を潰すほどに長崎学の研究に打ち込む学者古賀十二郎の執拗とも思える学者肌や男気といった生き様に現代ではなかなか求められない心地よさも感じた。
その2人が忘れ去られつつある地元の唄の数々を記録に残そうと収集して回る姿がこれまた素敵なのだ。ただし現代の視点から見てその時代環境や土地柄を肌で感じることは難しいと思うが、理屈抜きで「唄っていいなあ...」「人間って捨てたものではないな...」というのが映画を見た感想だった。そして現代人が忘れかけている "粋" な生き方というものを思い出させてくれる映画でもあった。
映画「長崎ぶらぶら節」は長崎で撮影したというから当然のこと長崎の美しい街並みや風景も登場する。新婚旅行のときは式前日まで友人に手伝ってもらい、あれこれと準備に奔走していたこともあってか当日は体調が悪く十分に長崎を楽しめなかった。是非機会があれば再訪したいと思っている。
さて実話を元にした作品となれば本来その実話、史実を知りたくなるのが常だが、今回は映画の美しい世界のままあれこれとほじくり返すことは止めようと思った(笑)。すでに昔調べた記憶が…例えば古賀十二郎はかなり小柄な人物だったとか、愛八の写真もネットで検索すれば見ることができるものの蒸し返すのは止めようかとも考えた…。
ということで、繰り返すが本編は出来ることなら吉永小百合と渡哲也のイメージのままでいたいと思うが、後述のように原作の小説を読んだ後では些か2人は端正で綺麗すぎる。
愛八や古賀十二郎の生き様は平坦な人生はなく、のたうち回って生きた凄みも感じさせる。しかしその言動はどこか崇高で清いといった矛盾する感覚が吉永小百合と渡哲也には希薄なのが物足りない...。
その史実ではあるが、昭和9年に愛八は亡くなる。享年60歳だった。その葬儀は古賀十二郎が取り仕切ったが、愛八生前の生き様を証明するかのように地元の旦那衆はもとより、愛八の愛し慈しんだ角力関係者、さらには海軍贔屓だったことから関係者らが参列あるいは弔電ありで盛大な葬儀だったという。その模様は翌日の新聞に載ったというが、芸者の葬儀が新聞に載るということは前代未聞のことだったに違いない。なお、長崎市にある愛八の墓には今なお供花が絶えないという...。

※映画の原作、なかにし礼「長崎ぶらぶら節」新潮文庫も買ってみた
映画を見終わった余韻からか、その原作であるなかにし礼の小説「長崎ぶらぶら節」も読みたくなったので文庫本を注文し読み始めた…。いやはや映画もなかなかに面白かったが原作は映画以上に面白かった。繰り返して再読してから映画ももう一度鑑賞してみたいと思っている。
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