前立腺癌の疑い...と宣告された顛末記/PSA検査の勧め
毎月1度、近所のクリニックを訪れて採血と検尿そして問診をしていただいている。長年の持病の経緯を確認するためだ。しかし幸いこれまで長期の入院をしたことはなく2005年に鼠径ヘルニアが発症し腹腔鏡(ふくくうきょう)手術を受けたものの翌日退院した程度だ。しかし今度はさすがに年貢の納め時かも知れないと覚悟するはめになった...。
4月1日にいつものようにクリニックを訪れた。その際約1ヶ月前に初めて検査項目に入れたPSA(前立腺特異抗原)の値が異常に高かったことが分かった。クリニックの先生が年齢的に年に1度くらいは検査した方がよいとの勧めで検査項目に入れていただいたのだった。
結果、正常値は4以下だというその値がなんと25.96にもなっているという。この値だけみれば素人でも自分の年齢を考えつつ...前立腺癌の疑いが大だということはわかる。またネットで調べて見るとどこまで正しいかは不明だとしてもPSA値を照合すると「前立腺癌の可能性が50%から80%」とあったときには正直愕然とした。

※PSAの正常値は通常4以下だというが私の検査結果は何と...25.96だった!
ただし主治医からは他の原因も考えられるからまずは紹介状を用意するので大学病院で至急再検査をするようにと諭された。まあ、格好をつけるわけではないが、幼少の頃に病弱で病気の切れ目がないほど次々に病気になり、両親に成人できるのだろうかと心配された身としてはすでに十分生かされたと思っている。
そういえば実家には私が使った酸素吸入器が残されていた。またどういうわけか注射器もあった。それについて聞かされた話しがあった。
私が夜半に肺炎で発作を起こしたとき父が商店街にある薬局に駆けつけペニシリンを買おうとしたもののすでに店は閉まっていた。何とかペニシリンを手に入れようと父がシャッターを叩き始めたら警察官に「何してる、こんな時間に」と詰問されたという。
父が事情を説明するとなんとその警察官も一緒に薬局をたたき起こしてくれた話しは何度も聞かされた。そのときにもその注射器が役に立ったという。
戦後の混乱期だとは言え酸素ボンベも超高価だったし薬局で手に入れたペニシリンはなんと親父自身が自宅にあったその注射器で私に注射したのだという。今では医師法違反かなにかの罪になるのだろうが、そのおかげで一命を取り留めたというのだから、この歳まで何とか元気で人並みの生活を過ごせたことはある意味出来すぎなのかも知れない。
そんな背景もあり、癌の可能性50%以上と聞かされても意外と平静だったが楽しい...嬉しい話しではない...絶対に...ない!
正直気落ちしたつもりはなかったものの、その後日々のシーンがどこか1枚のフィルターに覆われた感じになった。
結果がどうであれ、もし癌なら正確にその状態を見極めることが大切だし、特別なケースを別にすれば早い時期にあるべき処置や手術をすればよいのだから...という医師の言葉が耳の奥に聞こえ続けていた。
自覚症状があるわけでもなく現実感がないものの、ともかく私は紹介状をもって指定された大学病院に向かった。
初めて出向く大学病院だったが初診だったことでもあり勝手がわからなかったものの申込書やアンケート類そして誓約書を書かされた後に担当の泌尿器科受付に向かう。だいたい泌尿器科の診察を受けること自体初めてでイメージ的にも嫌だ...。大人げないが一瞬このまま帰ってしまおうかとも思ったが紹介状を書いてくれた医師や女房の顔が浮かんで思いとどまった。

※検査に出向いた日本医科大学多摩永山病院
早々に私の名が呼ばれた。担当医は中年の男性だから遠慮や恥ずかしさはないものの「射精」がどうの...といった言葉が矢継ぎ早に出ると面食らってしまう。結局PSAの値だけで見ればやはり前立腺癌の可能性は50%以上だという医師の言葉をどこか遠くで聞いているような気がした。
その場は問診だけだったが、その後に採血と心電図を取るという。採血は再度PSAを計るためだが、もしその値に変化がなければお尻から器具を入れ、患部の細胞を採取する前立腺生検ということをしなければならず、それには一泊二日の入院になると聞かされた。
嗚呼、入院となったら愛犬の散歩はどうしたらよいのか...などという雑念が湧いてくる(笑)。まあ、こうなればまな板の鯉、医者に任すしかないと思いながら採血の場所にいく。しかし「病院というところは病人ばかりだ」という笑い話があるが、世の中これだけの老若男女が病気や怪我で苦しんでいるのかとあらためて廊下を歩きながら実感した。
左腕の静脈に採血のための針を刺されつつ担当の看護師(女性)が「手は痺れませんか?」と聞く。私は最近起床した際にそんな感じをするときがありますけど...というと看護師は笑いながら「すみません私の言い方が曖昧だったわね。いま採血の針を刺しているそのときに異常がないかどうか...という意味なんです」という。私も苦笑しながら、やはり平常心ではない自分を認識した。
採血の結果は1週間後にまた来院して聞くことになる。繰り返すがその際にPSAの値が変わらなければ生検を行い、癌かどうかをきちんと見極めることになる。
しかしその結果がわかるまでの1週間がなんと長く微妙な日々だったことか。誰でもそうだろうが自分が癌宣告されようとは通常思わないわけだがその可能性が大と言われた後、判断が下されるまでの間は何と嫌な時間か...。
ともあれ最初の検査でPSA値が異常に高かったことを否定するわけにはいかないしそれは事実なのだ。そうだとすればそれから1ヶ月半ほど経ったとはいえ今回の再検査の結果が大きく違うはずもないだろう。後は生検の結果を待ち、癌かどうかを細胞レベルで調べてもらうしかない。
そうしたこれからのあり得る予定を女房にも伝えたが、私自身もある種の覚悟がなってきた。ジタバタする歳ではないし...。
さて、4月のとある日の朝一番に大学病院に出向いた。気持ちは意外にさっぱりしており担当医に「やはり異常値は変わらないので一泊二日の入院手続きをしましょう」といわれる覚悟もしていた。また医学的な知識や見地といったものをもってはいないものの、あれだけの異常値が大きく変化するはずもないだろうし、そう思いたい自分がいるとすればいい歳して甘すぎる...とも考え自分を納得させていた。
早めに待合室で待っていると「松田さん、二番診察室にお入りください」という声がした。「ほら来たぞ!」と立ち上がって診察室のドアを開け「おはようございます。よろしくお願いし...」という私の挨拶にかぶせるように担当医は「松田さん、大丈夫でしたよ!」と言った...。
一瞬状況が分からず、示された椅子に座りながら「どういうことですか?」と聞いた。
「これを見てください。再検査の結果ですが、PSA値は2.27と正常値でした。癌の場合は1ヶ月ほどの間隔で桁が違うほど乱高下することはありませんから、まずは安心してください」という。その声が耳鳴りのようでどこか遠くから聞こえるような気がした。

※再検査の結果、PSAは2.27と正常値だった!
我に返って「では先生、あの異常値の原因はなんだったのでしょうか?」と聞いた。担当医は今となっては分からないとしながらも射精直後でも値は高くなるが、今回の場合は何かの一時的な炎症だったということでしょう…という。無論紹介状にも記されていたと思うが、クリニックでの検査直後に珍しく39度を超える熱で小1週間伏せったが、そのとき確かに放尿時に痛いといえば大げさなものの、かなり抵抗感があったことも事実なのだ...。
その際は薬のせいかも知れないと思ったし、風邪が治るのと同時にそうした違和感もなくなったから大して重要視もしなかったが、直接の原因は不明ながら前立腺周りに炎症があったと考えるべきなのか。
ともかく担当医は「この再検査の結果から見て癌ではないが、よい機会だから念を入れて4ヶ月後にまた採血してみましょう」ということになり、予約を入れて解放された。
変な物言いだが、最悪の結果を覚悟していたから…ある意味考えもしなかった結果となった。「万歳!」と叫びたい一方でどこか戸惑っている自分が可笑しかったが、吉報であることは間違いない。こんなこともあるんだと思いながら病院の外に出たが、現金なもので見馴れた風景が、新緑の木々が美しく思えた。

ただし現実にこの男性特有の病気である前立腺癌で心配したり苦しんでいる方も大勢いらっしゃるはずだから、たまたま運が良かったからとはしゃぐつもりはないが、「前立腺癌の可能性が50%から80%」と知ったときにはやはり呆然としたことは間違いない。
ということでそんな私に言われたくはないだろうが、この病気は当初自覚症状もほとんどないようだし60歳から急に増え始めるという。したがって50歳以上の男性は定期的にPSA値を確認する事をお勧めする。それも採血だけで確認出来るのだから面倒もないし負担も少ない。そして近年発症は増加傾向にあるものの、前立腺癌は癌の中では進行が比較的遅く、生存率・治癒率は高いということなので臆さず念のための検査に行っていただきたい。
私も今回一連のあれこれを教訓として定期的に検査を続けるつもりである。
4月1日にいつものようにクリニックを訪れた。その際約1ヶ月前に初めて検査項目に入れたPSA(前立腺特異抗原)の値が異常に高かったことが分かった。クリニックの先生が年齢的に年に1度くらいは検査した方がよいとの勧めで検査項目に入れていただいたのだった。
結果、正常値は4以下だというその値がなんと25.96にもなっているという。この値だけみれば素人でも自分の年齢を考えつつ...前立腺癌の疑いが大だということはわかる。またネットで調べて見るとどこまで正しいかは不明だとしてもPSA値を照合すると「前立腺癌の可能性が50%から80%」とあったときには正直愕然とした。

※PSAの正常値は通常4以下だというが私の検査結果は何と...25.96だった!
ただし主治医からは他の原因も考えられるからまずは紹介状を用意するので大学病院で至急再検査をするようにと諭された。まあ、格好をつけるわけではないが、幼少の頃に病弱で病気の切れ目がないほど次々に病気になり、両親に成人できるのだろうかと心配された身としてはすでに十分生かされたと思っている。
そういえば実家には私が使った酸素吸入器が残されていた。またどういうわけか注射器もあった。それについて聞かされた話しがあった。
私が夜半に肺炎で発作を起こしたとき父が商店街にある薬局に駆けつけペニシリンを買おうとしたもののすでに店は閉まっていた。何とかペニシリンを手に入れようと父がシャッターを叩き始めたら警察官に「何してる、こんな時間に」と詰問されたという。
父が事情を説明するとなんとその警察官も一緒に薬局をたたき起こしてくれた話しは何度も聞かされた。そのときにもその注射器が役に立ったという。
戦後の混乱期だとは言え酸素ボンベも超高価だったし薬局で手に入れたペニシリンはなんと親父自身が自宅にあったその注射器で私に注射したのだという。今では医師法違反かなにかの罪になるのだろうが、そのおかげで一命を取り留めたというのだから、この歳まで何とか元気で人並みの生活を過ごせたことはある意味出来すぎなのかも知れない。
そんな背景もあり、癌の可能性50%以上と聞かされても意外と平静だったが楽しい...嬉しい話しではない...絶対に...ない!
正直気落ちしたつもりはなかったものの、その後日々のシーンがどこか1枚のフィルターに覆われた感じになった。
結果がどうであれ、もし癌なら正確にその状態を見極めることが大切だし、特別なケースを別にすれば早い時期にあるべき処置や手術をすればよいのだから...という医師の言葉が耳の奥に聞こえ続けていた。
自覚症状があるわけでもなく現実感がないものの、ともかく私は紹介状をもって指定された大学病院に向かった。
初めて出向く大学病院だったが初診だったことでもあり勝手がわからなかったものの申込書やアンケート類そして誓約書を書かされた後に担当の泌尿器科受付に向かう。だいたい泌尿器科の診察を受けること自体初めてでイメージ的にも嫌だ...。大人げないが一瞬このまま帰ってしまおうかとも思ったが紹介状を書いてくれた医師や女房の顔が浮かんで思いとどまった。

※検査に出向いた日本医科大学多摩永山病院
早々に私の名が呼ばれた。担当医は中年の男性だから遠慮や恥ずかしさはないものの「射精」がどうの...といった言葉が矢継ぎ早に出ると面食らってしまう。結局PSAの値だけで見ればやはり前立腺癌の可能性は50%以上だという医師の言葉をどこか遠くで聞いているような気がした。
その場は問診だけだったが、その後に採血と心電図を取るという。採血は再度PSAを計るためだが、もしその値に変化がなければお尻から器具を入れ、患部の細胞を採取する前立腺生検ということをしなければならず、それには一泊二日の入院になると聞かされた。
嗚呼、入院となったら愛犬の散歩はどうしたらよいのか...などという雑念が湧いてくる(笑)。まあ、こうなればまな板の鯉、医者に任すしかないと思いながら採血の場所にいく。しかし「病院というところは病人ばかりだ」という笑い話があるが、世の中これだけの老若男女が病気や怪我で苦しんでいるのかとあらためて廊下を歩きながら実感した。
左腕の静脈に採血のための針を刺されつつ担当の看護師(女性)が「手は痺れませんか?」と聞く。私は最近起床した際にそんな感じをするときがありますけど...というと看護師は笑いながら「すみません私の言い方が曖昧だったわね。いま採血の針を刺しているそのときに異常がないかどうか...という意味なんです」という。私も苦笑しながら、やはり平常心ではない自分を認識した。
採血の結果は1週間後にまた来院して聞くことになる。繰り返すがその際にPSAの値が変わらなければ生検を行い、癌かどうかをきちんと見極めることになる。
しかしその結果がわかるまでの1週間がなんと長く微妙な日々だったことか。誰でもそうだろうが自分が癌宣告されようとは通常思わないわけだがその可能性が大と言われた後、判断が下されるまでの間は何と嫌な時間か...。
ともあれ最初の検査でPSA値が異常に高かったことを否定するわけにはいかないしそれは事実なのだ。そうだとすればそれから1ヶ月半ほど経ったとはいえ今回の再検査の結果が大きく違うはずもないだろう。後は生検の結果を待ち、癌かどうかを細胞レベルで調べてもらうしかない。
そうしたこれからのあり得る予定を女房にも伝えたが、私自身もある種の覚悟がなってきた。ジタバタする歳ではないし...。
さて、4月のとある日の朝一番に大学病院に出向いた。気持ちは意外にさっぱりしており担当医に「やはり異常値は変わらないので一泊二日の入院手続きをしましょう」といわれる覚悟もしていた。また医学的な知識や見地といったものをもってはいないものの、あれだけの異常値が大きく変化するはずもないだろうし、そう思いたい自分がいるとすればいい歳して甘すぎる...とも考え自分を納得させていた。
早めに待合室で待っていると「松田さん、二番診察室にお入りください」という声がした。「ほら来たぞ!」と立ち上がって診察室のドアを開け「おはようございます。よろしくお願いし...」という私の挨拶にかぶせるように担当医は「松田さん、大丈夫でしたよ!」と言った...。
一瞬状況が分からず、示された椅子に座りながら「どういうことですか?」と聞いた。
「これを見てください。再検査の結果ですが、PSA値は2.27と正常値でした。癌の場合は1ヶ月ほどの間隔で桁が違うほど乱高下することはありませんから、まずは安心してください」という。その声が耳鳴りのようでどこか遠くから聞こえるような気がした。

※再検査の結果、PSAは2.27と正常値だった!
我に返って「では先生、あの異常値の原因はなんだったのでしょうか?」と聞いた。担当医は今となっては分からないとしながらも射精直後でも値は高くなるが、今回の場合は何かの一時的な炎症だったということでしょう…という。無論紹介状にも記されていたと思うが、クリニックでの検査直後に珍しく39度を超える熱で小1週間伏せったが、そのとき確かに放尿時に痛いといえば大げさなものの、かなり抵抗感があったことも事実なのだ...。
その際は薬のせいかも知れないと思ったし、風邪が治るのと同時にそうした違和感もなくなったから大して重要視もしなかったが、直接の原因は不明ながら前立腺周りに炎症があったと考えるべきなのか。
ともかく担当医は「この再検査の結果から見て癌ではないが、よい機会だから念を入れて4ヶ月後にまた採血してみましょう」ということになり、予約を入れて解放された。
変な物言いだが、最悪の結果を覚悟していたから…ある意味考えもしなかった結果となった。「万歳!」と叫びたい一方でどこか戸惑っている自分が可笑しかったが、吉報であることは間違いない。こんなこともあるんだと思いながら病院の外に出たが、現金なもので見馴れた風景が、新緑の木々が美しく思えた。

ただし現実にこの男性特有の病気である前立腺癌で心配したり苦しんでいる方も大勢いらっしゃるはずだから、たまたま運が良かったからとはしゃぐつもりはないが、「前立腺癌の可能性が50%から80%」と知ったときにはやはり呆然としたことは間違いない。
ということでそんな私に言われたくはないだろうが、この病気は当初自覚症状もほとんどないようだし60歳から急に増え始めるという。したがって50歳以上の男性は定期的にPSA値を確認する事をお勧めする。それも採血だけで確認出来るのだから面倒もないし負担も少ない。そして近年発症は増加傾向にあるものの、前立腺癌は癌の中では進行が比較的遅く、生存率・治癒率は高いということなので臆さず念のための検査に行っていただきたい。
私も今回一連のあれこれを教訓として定期的に検査を続けるつもりである。
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