Apple 、1992 Who's Who〜Pacific Market Forum〜The Power of Partnershipを手にして
久しく忘れていたひとつの資料が出てきた。確認して見ると2006年11月に「Pacific Market Forumに見る『1992 Who's Who』の思い出」と題して一文を載せているが、今回は当時の極東マーケット名簿として作られたこの資料に再度目を向けてみよう。
リングで綴じられた407ページの名簿資料はその表紙にあるとおり1992年のMACWORLD Expo San Franciscoに合わせて開催された「Pacific Market Forum」向けにと制作されたものだ。
Expoのどのくらい前だったかはすでに記憶にないが、写真とともに住所やらの企業情報を送ってくれとアップルジャパンから依頼が入ったことは覚えている。


※アップルが1992年MACWORLD Expo San Francisco時に開催された「Pacific Market Forum」向けに制作したPacific Marketに従事する人たち407人の名簿「1992 Who's Who」
そのときにはどのようなものに使われるのかははっきりしなかったがExpoの最中、名物のケーブルカーが通るパウエル・ストリートをノブヒルと呼ばれている市内で一番高い地域に向かうとあるフェアモントホテルで「Pacific Market Forum」は開催され、その場で手渡されたのだと思う。

※私はフェアモントホテルの一室で行われたミーティングに駆り出された。壇上向かって右が筆者
1992年当時のアップルの市場、特に日本市場の規模を知るにはうってつけの資料の1つだと思うが、日本市場はまだまだ小さなマーケットでしかなく米国本社直属の組織ではなかったのである。したがって日本のマーケットはオーストラリアなどを含む極東地域というカテゴリーの一員だった。
「1992 Who's Who」はその名の通り、この極東地域のマーケットでアップルのビジネスをしているキーマンたちの名簿という意味合いなわけだ...。そして国別と共にアップルの社員かそれ以外のコンサルタント、デベロッパー、パブリッシャー、ディストリビューター、ローカリゼイション・エキスパート、その他というビジネスカテゴリーによる分類が顔写真と共になされている。
さらに所属・タイトル・住所は勿論、電話番号やFAX番号、そしてAppleLinkのIDなど、お互いに即連絡を取り合えるデータが掲載されていた。
ただし時代とは言え今から思えばアップルが作るアイテムとしては高級感もなければユニークさもない。針金のリング綴じ、単色の印刷はまだしも極々当たり前の仕様というかデザインだ。アップルロゴも表紙に1箇所小さな白抜きの単色で使われているだけだし説明不足と考えた補足なのだろう、表紙の裏にはカテゴライズの説明の紙が貼られている。

※補足事項が表紙裏に貼られている
過日若い方に見せたところ、使われている顔写真を「雑な印刷ですね」と評したのが印象に残っている。確かに「1992 Who's Who」407ページのそれぞれは当時のDTPでレイアウトされ、LaserWriterで出力したものを版下として使ったのではないか...。
ただし顔写真が雑と見えるのは時代としか言いようがない。なぜなら当時は市場にデジタルカメラというものがなく、あのアップル純正のQuickTake100でさえ1994年2月のリリースだった。
したがってアップルの依頼に応じた人たちが送ったのは一般的な銀塩カメラで撮り、プリントしたものだったはずだ。この網点が粗く見える写真は当時のMacintoshとLaserWriterによるページレイアウトの限界だったということになる。
勿論一般の印刷会社に依頼すればずっと綺麗な印刷物となったに違いないが、想像するに予算の問題はもとより「Pacific Market Forum」当日に間に合わせるため苦肉の策だったのかも知れない。

※当時パシフィック・マーケットの責任者だったSatjiv Chahil氏のページ
また各人の写真だが、アップルジャパンとしては武内重親氏、原田永幸氏らの顔があり108ページには私も載っている。とはいえ当時どれほどのデベロッパー、ディストリビューターらがいたのか分からないが穴だらけに思える。中には目を瞑った写真の人もいて「なんだかなあ」と思ったものだ。さらに間に合わなかったのか、あるいは顔出しが嫌だったのかは不明だがかなりの人数の写真が載っていない。
ということで本来はパシフィック・マーケットでビジネスを営む企業や代表者、責任者たちの名簿を作りそのネットワーク化を図ることでアップルの市場をより活性化すべきと企画された「1992 Who's Who」だったはずが、正直一度も仕事の一環としてこのページを開いた記憶はない。
そもそも「1992 Who's Who」はパシフィック・マーケットのどこの誰が企画して音頭取りをしたのか不明だが、発想は良いとしても詰めの甘さと時間的余裕のない企画といったいわばアップルジャパンのいつもの弱点と危なっかしさを見せられた気がして個人的には妙な納得感を持ったものだった。
そんな一冊の名簿だが、現在まで残っているのはアップルの資料だから…という一語に尽きる。いまでは当該「Pacific Market Forum」に出席したことと共によい思い出である。
リングで綴じられた407ページの名簿資料はその表紙にあるとおり1992年のMACWORLD Expo San Franciscoに合わせて開催された「Pacific Market Forum」向けにと制作されたものだ。
Expoのどのくらい前だったかはすでに記憶にないが、写真とともに住所やらの企業情報を送ってくれとアップルジャパンから依頼が入ったことは覚えている。


※アップルが1992年MACWORLD Expo San Francisco時に開催された「Pacific Market Forum」向けに制作したPacific Marketに従事する人たち407人の名簿「1992 Who's Who」
そのときにはどのようなものに使われるのかははっきりしなかったがExpoの最中、名物のケーブルカーが通るパウエル・ストリートをノブヒルと呼ばれている市内で一番高い地域に向かうとあるフェアモントホテルで「Pacific Market Forum」は開催され、その場で手渡されたのだと思う。

※私はフェアモントホテルの一室で行われたミーティングに駆り出された。壇上向かって右が筆者
1992年当時のアップルの市場、特に日本市場の規模を知るにはうってつけの資料の1つだと思うが、日本市場はまだまだ小さなマーケットでしかなく米国本社直属の組織ではなかったのである。したがって日本のマーケットはオーストラリアなどを含む極東地域というカテゴリーの一員だった。
「1992 Who's Who」はその名の通り、この極東地域のマーケットでアップルのビジネスをしているキーマンたちの名簿という意味合いなわけだ...。そして国別と共にアップルの社員かそれ以外のコンサルタント、デベロッパー、パブリッシャー、ディストリビューター、ローカリゼイション・エキスパート、その他というビジネスカテゴリーによる分類が顔写真と共になされている。
さらに所属・タイトル・住所は勿論、電話番号やFAX番号、そしてAppleLinkのIDなど、お互いに即連絡を取り合えるデータが掲載されていた。
ただし時代とは言え今から思えばアップルが作るアイテムとしては高級感もなければユニークさもない。針金のリング綴じ、単色の印刷はまだしも極々当たり前の仕様というかデザインだ。アップルロゴも表紙に1箇所小さな白抜きの単色で使われているだけだし説明不足と考えた補足なのだろう、表紙の裏にはカテゴライズの説明の紙が貼られている。

※補足事項が表紙裏に貼られている
過日若い方に見せたところ、使われている顔写真を「雑な印刷ですね」と評したのが印象に残っている。確かに「1992 Who's Who」407ページのそれぞれは当時のDTPでレイアウトされ、LaserWriterで出力したものを版下として使ったのではないか...。
ただし顔写真が雑と見えるのは時代としか言いようがない。なぜなら当時は市場にデジタルカメラというものがなく、あのアップル純正のQuickTake100でさえ1994年2月のリリースだった。
したがってアップルの依頼に応じた人たちが送ったのは一般的な銀塩カメラで撮り、プリントしたものだったはずだ。この網点が粗く見える写真は当時のMacintoshとLaserWriterによるページレイアウトの限界だったということになる。
勿論一般の印刷会社に依頼すればずっと綺麗な印刷物となったに違いないが、想像するに予算の問題はもとより「Pacific Market Forum」当日に間に合わせるため苦肉の策だったのかも知れない。

※当時パシフィック・マーケットの責任者だったSatjiv Chahil氏のページ
また各人の写真だが、アップルジャパンとしては武内重親氏、原田永幸氏らの顔があり108ページには私も載っている。とはいえ当時どれほどのデベロッパー、ディストリビューターらがいたのか分からないが穴だらけに思える。中には目を瞑った写真の人もいて「なんだかなあ」と思ったものだ。さらに間に合わなかったのか、あるいは顔出しが嫌だったのかは不明だがかなりの人数の写真が載っていない。
ということで本来はパシフィック・マーケットでビジネスを営む企業や代表者、責任者たちの名簿を作りそのネットワーク化を図ることでアップルの市場をより活性化すべきと企画された「1992 Who's Who」だったはずが、正直一度も仕事の一環としてこのページを開いた記憶はない。
そもそも「1992 Who's Who」はパシフィック・マーケットのどこの誰が企画して音頭取りをしたのか不明だが、発想は良いとしても詰めの甘さと時間的余裕のない企画といったいわばアップルジャパンのいつもの弱点と危なっかしさを見せられた気がして個人的には妙な納得感を持ったものだった。
そんな一冊の名簿だが、現在まで残っているのはアップルの資料だから…という一語に尽きる。いまでは当該「Pacific Market Forum」に出席したことと共によい思い出である。
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