Mac Fan MVP’99特別賞の回想と秘話
取引先の担当者と雑談の中で履歴書の話しから「賞罰」の話題になった。「松田さんは?」と聞かれて思い出したのはMacWorld Expo/Tokyo 2000の際にいただいたMac Fan MVP’99特別賞のことだ...。
幸いこれまで罰を受けたことはないが(笑)、個人的な賞となると小学生や中学生時代に絵や彫刻で区の金賞を受けた程度しか思い浮かばない。だから人に誇れるような賞などをいただいたことはほとんどないのだが、私の個人的な思い出として深く心に刻まれている出来事がある。それがMacWorld Expo/Tokyo 2000のときに受賞したMac Fan MVP’99特別賞だ。
Mac Fan MVPはMacWorld Expo/TokyoのアトラクションのひとつであったMac Fan Night会場において主催者の毎日コミュケーションズ社が開催していたもので、前年度の優れたプロダクトに対して表彰を行うという恒例の催事であった。
MVPと言われればmost valuable player...すなわちスポーツ競技で最も優れた活躍をした選手、最優秀選手に与えられる賞が思い浮かぶ。しかしMac Fan MVPのMVPとはmost valuable productを意図したものだった。
実はそのMacWorld Expo/Tokyo 2000において当時の私の会社がMVP’99 特別賞をいただいたのである。2000年2月18日のことであった。

※2000年2月18日、Mac Fan Night会場でMac Fan MVP’99特別賞を受けインタビューに答える筆者。向かって左は選考委員だった大阪電気通信大学教授の魚井先生と新居雅行さん
無論この賞は会社にいただいたものでありその代表者といえども私個人が受けた賞ではない。しかし今だから話せるがこの受賞には裏話があったのである。
Expoの10日ほど前に主催者側の最高責任者であり当時のMac Fan編集長T氏からMVP’99受賞の内諾を受けた。その際に彼がしみじみと話してくれたその内容は私の脳裏から今でも離れないほど嬉しいものだった...。
「当日まで受賞の事実は公表しないで欲しい」という当然のお話から始まって受賞の主旨は「Macintosh業界発展のために活躍・貢献し、また多くのMacファンに支持された会社であるとの評価」に対してだとの説明があった。続けて「本当は松田さん個人に差し上げるべきだと選考委員たちからも意見があったのです。しかし前例がないこともあって今回は会社を対象にしましたがその点をくみ取ってください」という話しがあった…。
確かにMac Fan MPVのMPVとは前記したようにmost valuable productの意味であり、優れた製品に対して送られる賞だ。しかし今回は異例・特例として初めてmost valuable Personと考え、初めて会社を対象にした賞を新設したがその真意は私個人への賞と考えていいよ...というお話しだったのである。実際に受賞の際にいただいた記念の盾には「The Award for the Most Valuable Person」と記されている。
無論Personは人、者、人物のことであり企業や会社を意味しない…。
その場で私はお礼を申し上げると共に形通りの喜びを表したつもりだが正直一人になったとき、不覚にも涙を隠すための努力をしなければらなかった(^_^;)。
なぜなら1999年から2000年にかけて会社は経営的に最大の危機にさらされており、新宿本社をクローズし札幌支店を本社に変更登記することで苦難を乗り切ろうと画策してしていた時期だったからだ。
私的な話しで恐縮だが個人的に大変辛い時期であり、Expo時に自社ブースで多くのお客様と対峙している時にも常に頭の隅から離れない危機感があったのである。

※2000年のMacWorldExpo/Tokyo自社ブースで沢山のお客様に製品説明をする筆者
そして後日T氏の暖かい眼差しと語り口を思い出すにつれ、お会いするたびに古くから懇意にさせていただいた気安さもあって、つい愚痴が多かったことを反省しつつ思い至ったことがある。それはMVPの選考委員であった方々はこの業界において著名な大谷和利さん、立野康一さん、魚井宏高さん、そして新居雅行さんらであった。したがってこれらの方々はソフトウェア業界の実情をご存じだっただけでなく、当時「できることならビジネスを辞めたい」といったようなことを口癖にしていた感のある私の愚痴が直接間接を問わずお耳に入っていたものと思われる(^_^;)。
と言うことはこの賞は僭越ながら何らかの貢献度に対してという事もあるだろうがそれ以上に「もう少しがんばれよ!」という励ましの意図があっていただいた賞だと思うに至ったのである。結局その後3年間は何とか経営を続けることができたがもしこの時の受賞がなかったら精神的な破綻はもっと早かったのではないかと考えている...。

※Mac Fan MVP’99特別賞の盾
他の大きな受賞としては1999年5月WWDCの場において我が国最初のApple Design Awardをいただいたことを忘れることはできないものの、Mac Fan MVP’99は前記した経緯もあり、表向きはともかく大変ありがたいことに私個人に向けられたものであると素直に受け止め、その際にいただいたアクリル製の盾と賞状はいまでも大切に保管している。
幸いこれまで罰を受けたことはないが(笑)、個人的な賞となると小学生や中学生時代に絵や彫刻で区の金賞を受けた程度しか思い浮かばない。だから人に誇れるような賞などをいただいたことはほとんどないのだが、私の個人的な思い出として深く心に刻まれている出来事がある。それがMacWorld Expo/Tokyo 2000のときに受賞したMac Fan MVP’99特別賞だ。
Mac Fan MVPはMacWorld Expo/TokyoのアトラクションのひとつであったMac Fan Night会場において主催者の毎日コミュケーションズ社が開催していたもので、前年度の優れたプロダクトに対して表彰を行うという恒例の催事であった。
MVPと言われればmost valuable player...すなわちスポーツ競技で最も優れた活躍をした選手、最優秀選手に与えられる賞が思い浮かぶ。しかしMac Fan MVPのMVPとはmost valuable productを意図したものだった。
実はそのMacWorld Expo/Tokyo 2000において当時の私の会社がMVP’99 特別賞をいただいたのである。2000年2月18日のことであった。

※2000年2月18日、Mac Fan Night会場でMac Fan MVP’99特別賞を受けインタビューに答える筆者。向かって左は選考委員だった大阪電気通信大学教授の魚井先生と新居雅行さん
無論この賞は会社にいただいたものでありその代表者といえども私個人が受けた賞ではない。しかし今だから話せるがこの受賞には裏話があったのである。
Expoの10日ほど前に主催者側の最高責任者であり当時のMac Fan編集長T氏からMVP’99受賞の内諾を受けた。その際に彼がしみじみと話してくれたその内容は私の脳裏から今でも離れないほど嬉しいものだった...。
「当日まで受賞の事実は公表しないで欲しい」という当然のお話から始まって受賞の主旨は「Macintosh業界発展のために活躍・貢献し、また多くのMacファンに支持された会社であるとの評価」に対してだとの説明があった。続けて「本当は松田さん個人に差し上げるべきだと選考委員たちからも意見があったのです。しかし前例がないこともあって今回は会社を対象にしましたがその点をくみ取ってください」という話しがあった…。
確かにMac Fan MPVのMPVとは前記したようにmost valuable productの意味であり、優れた製品に対して送られる賞だ。しかし今回は異例・特例として初めてmost valuable Personと考え、初めて会社を対象にした賞を新設したがその真意は私個人への賞と考えていいよ...というお話しだったのである。実際に受賞の際にいただいた記念の盾には「The Award for the Most Valuable Person」と記されている。
無論Personは人、者、人物のことであり企業や会社を意味しない…。
その場で私はお礼を申し上げると共に形通りの喜びを表したつもりだが正直一人になったとき、不覚にも涙を隠すための努力をしなければらなかった(^_^;)。
なぜなら1999年から2000年にかけて会社は経営的に最大の危機にさらされており、新宿本社をクローズし札幌支店を本社に変更登記することで苦難を乗り切ろうと画策してしていた時期だったからだ。
私的な話しで恐縮だが個人的に大変辛い時期であり、Expo時に自社ブースで多くのお客様と対峙している時にも常に頭の隅から離れない危機感があったのである。

※2000年のMacWorldExpo/Tokyo自社ブースで沢山のお客様に製品説明をする筆者
そして後日T氏の暖かい眼差しと語り口を思い出すにつれ、お会いするたびに古くから懇意にさせていただいた気安さもあって、つい愚痴が多かったことを反省しつつ思い至ったことがある。それはMVPの選考委員であった方々はこの業界において著名な大谷和利さん、立野康一さん、魚井宏高さん、そして新居雅行さんらであった。したがってこれらの方々はソフトウェア業界の実情をご存じだっただけでなく、当時「できることならビジネスを辞めたい」といったようなことを口癖にしていた感のある私の愚痴が直接間接を問わずお耳に入っていたものと思われる(^_^;)。
と言うことはこの賞は僭越ながら何らかの貢献度に対してという事もあるだろうがそれ以上に「もう少しがんばれよ!」という励ましの意図があっていただいた賞だと思うに至ったのである。結局その後3年間は何とか経営を続けることができたがもしこの時の受賞がなかったら精神的な破綻はもっと早かったのではないかと考えている...。

※Mac Fan MVP’99特別賞の盾
他の大きな受賞としては1999年5月WWDCの場において我が国最初のApple Design Awardをいただいたことを忘れることはできないものの、Mac Fan MVP’99は前記した経緯もあり、表向きはともかく大変ありがたいことに私個人に向けられたものであると素直に受け止め、その際にいただいたアクリル製の盾と賞状はいまでも大切に保管している。
- 関連記事
-
- スティーブ・ジョブズとパロアルト研究所物語 (2006/02/25)
- Apple QuickTake100 リリース前秘話 (2006/02/24)
- 久しぶりの「漢字Talk1.0」は面白い! (2006/02/19)
- "Think different"広告に見るAppleの1998年 (2006/01/02)
- 千駄ヶ谷にある旧アップル本社ビルを見上げて... (2005/07/08)
- Mac Fan MVP’99特別賞の回想と秘話 (2005/05/16)
- NIBBLE NOTCH って...知ってますか? (2005/03/15)
- 「MACLIFE」創刊は20ページのアップルグッズカタログが (2005/03/07)
- Mac専門誌「MACLIFE」創刊前夜〜アップルの広告など... (2005/03/06)
- 初代Appleのノートマシン「PowerBook100」をリペア (2004/11/25)
- 片思いのマシンNewton eMate 300との再会 (2004/08/22)