伝説となった Apple CONVENTION '86 裏話
時は1986年7月19日と20日の二日間、東京・本郷にある旅館:朝明館は異様な雰囲気に包まれていた。そこには200名ほどの熱心なAppleユーザーが集まり、貸し切り・徹夜のイベントを開催していたからである。
どこからお聞きになるのか、今でもMacintoshユーザーの方から「昔、ユーザーたちが主導で開催したアップルのイベントがあったと聞いたが、それはどのような催しだったのか」と質問をされることがある。
イベントと一言でいうが、ユーザーグループが企画する小規模なものからMacWorldExpo的な大規模なものまであるものの、それらを実現するために主催者側は大変なパワーを強いられるものだ。ましてや1986年という時代にメーカー主導ではなく、ユーザー主導で開催を企画し、それを成功させた人たちの苦労は並大抵のものではなかった。
この日本初のコンベンションを企画した首謀者...いや事務局長は現在もMacintoshコミュニティで活躍されている松木英一さんだった。彼は実に不思議な人で(笑)、どのような角度から考えてもこのコンベンションは彼の強力な人脈無くしては考えられないものだった。
いわば、我々も彼の掌の上で奔走しただけかも知れないが、最初「松田さん、Appleのユーザー主導のコンベンションかなにか、やりたいよね」が「今度ね、コンベンションのメドが付きそうなんだ」に変わり、気がついたら「松田さんはCG部会ね...」と主催側に回されてしまっていたというのが本当の話なのだ(笑)。
それから、イベント企画のひとつとしてオリジナルのテレフォンカードを作ることも松木さんのアイデアだったと思うが、著名なイラストレーターである加藤直之さんデザインによるそのテレカは今ではかなりのプレミアムが付いているという。何しろ使用が厳しいアップルロゴが昔の話とは言え、テレカは勿論、ケースにも記されているのだから、事務局の力の入れようはご想像頂けるものと思う。そしてこの事実はいかに当時、ユーザー側とアップルとの間に良好な信頼関係が築かれていたかのひとつの証拠になるかも知れない。

※加藤直之さんデザインのテレフォンカード。アップルロゴが本体とケース両方に付いている
ともかく、こうしてゲストには評論家の紀田順一郎さんやSF作家の安田均さんを迎え、各部屋毎に同時進行するコンベンションの責任者も決まった。それらをご紹介すると「通信の部屋」は当時日経パソコン副編集長の林伸夫さん、「音楽の部屋」はミュージシャンの安西史孝さん、「医療の部屋」は田辺一孝さん、「ゲームの部屋」は錦織正宜さん、「ハードの部屋」は村山雅巳さん、そして「映像の部屋」は私...松田が担当するという、当時最新のノウハウと情報を持った人たちが一同に介したのである。
思い出せば、なんと贅沢な時代だったことか...。事務局の連絡用にと、専用の「アップル・コンBBS」が4月に開設されただけでなく、当時まだまだ物珍しい最新のテクノロジーだったボイスメールを我々スタッフの連絡用にと新設されたのだった。
現在、NTTの災害用緊急連絡システムにもこの種のシステムが使われているが、相手のメッセージをいつでもどこでも電話で確認でき、そして自分もメッセージを残すことができるこのボイスメールシステムは本職を持つ多忙な関係者同士のコミュニケーションに多大な貢献をしてくれた。無論当時は現在のようにインターネットはもとより、それぞれが携帯電話を所持する時代ではなかった。
ともかく一番心配したのは当初参加申し込みになかなか拍車がかからなかったことだ。当時の記録を確認すると「いま9名になった」とか「100名以上にならないと採算がとれない」といった話が飛び交った。なにしろ現在のようにインターネットで告知する方法がなかったから、雑誌などに小さく載ったニュース記事だけで、口コミたけでどれだけ人が集まってくれるかがまったく分からなかったのだ。
「徹夜」と明言したイベントなのに「徹夜は苦手だから寝具を用意してくれ」といった要望があったり、「食事はどうする...」といった問題もあった。しまいには「Appleユーザーは年齢層が高く多忙、したがってオールナイトは場違いでは」といった声まで出始めた。
それでも6月末近くになり、やっと50名ほどの参加者募集が集まったときには、正直ホッとしたものである(笑)。
しかし当日、会場に入った我々はこれまでの不安はなんだったのかと思わせる熱気にたじろぐ思いをする...。



※Apple CONVENTIONの受付(上)と一階ゲームコーナーの様子(中)。写真下は私が担当した「映像の部屋」の様子。一番右が筆者
そこには業種や性別、そして年齢といった垣根をとっぱらった、ただただAppleが好き、Macintoshが好きという人たちだけが集まっていた。
私が担当した「映像の部屋」は畳敷きの二部屋ぶち抜きのかなり広いスペースだったが、そこにテーブルを置き、Macintosh 512K本体とMac10ハードディスク、MacVisionとビデオカメラ、それにThunderScanおよびImageWriterプリンタを設置した。またソフトウェアとしては、MacBillbord、ColorPrint、FullPaint、VideoworksそしてEasy 3Dなどを用意したが、ハード・ソフトともに当時としては最新のものでありその一部は日本ではまだ入手しにくい製品もあるという貴重なものであった。

※「映像の部屋」のシステム説明をするため、当時描いた図
はたして「映像の部屋」に人は来てくれるのか、徹夜をするほど話題は続くのか、などなど当初の心配をよそに夜が明ける頃にはMacintoshの隠しコマンドの話題といったことだけでなく、家族や職場におけるパソコンの使用例や、奥様に対してどのようにしたらMacintoshの予算を認めてもらえるか...と言った類の話題で盛り上がった。
そして久しぶりに本格的な徹夜を強いられた訳だが、頭の中は疲れていたものの、精神的には大いに満足して朝日を拝んだことを思い出す。
しかし、唯一私にとって悔やまれることは自身、他の分科会に顔を出せなかったことだ。そこには別の、そして違った多くのドラマが展開していたはずだ。そうした他の部屋にまつわる思い出は機会があったらまた別途ご紹介することにしよう。
こうして無事に日本で始めての、そしてユーザー主導のアップルコンベンションは成功裏に幕をとじたが、当時のビジネス世界では日本市場の代理店問題でアップルジャパン、キヤノン販売とイーエスディ社が反目をしていた時期でもあった。事実一階の酒場のコーナーではこれらの関係者同士が顔を合わせても目を背けるといったこともあり、問題の根の深さをあらためて知らされる思いをしたものだ。
したがって事務局の松木さんらの苦労は一通りのものではなかったが、関係者の一人として誇れることは、ユーザー主導だからといった理由でゲストの方々は勿論、来場者の方々に対して妥協を強いるようなことはなかったと自負していることだ。
とかくユーザーグループだから...ビジネスでなくボランティアだから...といった甘えが目に付く催事もあるが、一回限りのアップルコンベンションは完璧だった。というより、その一回で我々は燃え尽きてしまった(笑)。
どこからお聞きになるのか、今でもMacintoshユーザーの方から「昔、ユーザーたちが主導で開催したアップルのイベントがあったと聞いたが、それはどのような催しだったのか」と質問をされることがある。
イベントと一言でいうが、ユーザーグループが企画する小規模なものからMacWorldExpo的な大規模なものまであるものの、それらを実現するために主催者側は大変なパワーを強いられるものだ。ましてや1986年という時代にメーカー主導ではなく、ユーザー主導で開催を企画し、それを成功させた人たちの苦労は並大抵のものではなかった。
この日本初のコンベンションを企画した首謀者...いや事務局長は現在もMacintoshコミュニティで活躍されている松木英一さんだった。彼は実に不思議な人で(笑)、どのような角度から考えてもこのコンベンションは彼の強力な人脈無くしては考えられないものだった。
いわば、我々も彼の掌の上で奔走しただけかも知れないが、最初「松田さん、Appleのユーザー主導のコンベンションかなにか、やりたいよね」が「今度ね、コンベンションのメドが付きそうなんだ」に変わり、気がついたら「松田さんはCG部会ね...」と主催側に回されてしまっていたというのが本当の話なのだ(笑)。
それから、イベント企画のひとつとしてオリジナルのテレフォンカードを作ることも松木さんのアイデアだったと思うが、著名なイラストレーターである加藤直之さんデザインによるそのテレカは今ではかなりのプレミアムが付いているという。何しろ使用が厳しいアップルロゴが昔の話とは言え、テレカは勿論、ケースにも記されているのだから、事務局の力の入れようはご想像頂けるものと思う。そしてこの事実はいかに当時、ユーザー側とアップルとの間に良好な信頼関係が築かれていたかのひとつの証拠になるかも知れない。

※加藤直之さんデザインのテレフォンカード。アップルロゴが本体とケース両方に付いている
ともかく、こうしてゲストには評論家の紀田順一郎さんやSF作家の安田均さんを迎え、各部屋毎に同時進行するコンベンションの責任者も決まった。それらをご紹介すると「通信の部屋」は当時日経パソコン副編集長の林伸夫さん、「音楽の部屋」はミュージシャンの安西史孝さん、「医療の部屋」は田辺一孝さん、「ゲームの部屋」は錦織正宜さん、「ハードの部屋」は村山雅巳さん、そして「映像の部屋」は私...松田が担当するという、当時最新のノウハウと情報を持った人たちが一同に介したのである。
思い出せば、なんと贅沢な時代だったことか...。事務局の連絡用にと、専用の「アップル・コンBBS」が4月に開設されただけでなく、当時まだまだ物珍しい最新のテクノロジーだったボイスメールを我々スタッフの連絡用にと新設されたのだった。
現在、NTTの災害用緊急連絡システムにもこの種のシステムが使われているが、相手のメッセージをいつでもどこでも電話で確認でき、そして自分もメッセージを残すことができるこのボイスメールシステムは本職を持つ多忙な関係者同士のコミュニケーションに多大な貢献をしてくれた。無論当時は現在のようにインターネットはもとより、それぞれが携帯電話を所持する時代ではなかった。
ともかく一番心配したのは当初参加申し込みになかなか拍車がかからなかったことだ。当時の記録を確認すると「いま9名になった」とか「100名以上にならないと採算がとれない」といった話が飛び交った。なにしろ現在のようにインターネットで告知する方法がなかったから、雑誌などに小さく載ったニュース記事だけで、口コミたけでどれだけ人が集まってくれるかがまったく分からなかったのだ。
「徹夜」と明言したイベントなのに「徹夜は苦手だから寝具を用意してくれ」といった要望があったり、「食事はどうする...」といった問題もあった。しまいには「Appleユーザーは年齢層が高く多忙、したがってオールナイトは場違いでは」といった声まで出始めた。
それでも6月末近くになり、やっと50名ほどの参加者募集が集まったときには、正直ホッとしたものである(笑)。
しかし当日、会場に入った我々はこれまでの不安はなんだったのかと思わせる熱気にたじろぐ思いをする...。



※Apple CONVENTIONの受付(上)と一階ゲームコーナーの様子(中)。写真下は私が担当した「映像の部屋」の様子。一番右が筆者
そこには業種や性別、そして年齢といった垣根をとっぱらった、ただただAppleが好き、Macintoshが好きという人たちだけが集まっていた。
私が担当した「映像の部屋」は畳敷きの二部屋ぶち抜きのかなり広いスペースだったが、そこにテーブルを置き、Macintosh 512K本体とMac10ハードディスク、MacVisionとビデオカメラ、それにThunderScanおよびImageWriterプリンタを設置した。またソフトウェアとしては、MacBillbord、ColorPrint、FullPaint、VideoworksそしてEasy 3Dなどを用意したが、ハード・ソフトともに当時としては最新のものでありその一部は日本ではまだ入手しにくい製品もあるという貴重なものであった。

※「映像の部屋」のシステム説明をするため、当時描いた図
はたして「映像の部屋」に人は来てくれるのか、徹夜をするほど話題は続くのか、などなど当初の心配をよそに夜が明ける頃にはMacintoshの隠しコマンドの話題といったことだけでなく、家族や職場におけるパソコンの使用例や、奥様に対してどのようにしたらMacintoshの予算を認めてもらえるか...と言った類の話題で盛り上がった。
そして久しぶりに本格的な徹夜を強いられた訳だが、頭の中は疲れていたものの、精神的には大いに満足して朝日を拝んだことを思い出す。
しかし、唯一私にとって悔やまれることは自身、他の分科会に顔を出せなかったことだ。そこには別の、そして違った多くのドラマが展開していたはずだ。そうした他の部屋にまつわる思い出は機会があったらまた別途ご紹介することにしよう。
こうして無事に日本で始めての、そしてユーザー主導のアップルコンベンションは成功裏に幕をとじたが、当時のビジネス世界では日本市場の代理店問題でアップルジャパン、キヤノン販売とイーエスディ社が反目をしていた時期でもあった。事実一階の酒場のコーナーではこれらの関係者同士が顔を合わせても目を背けるといったこともあり、問題の根の深さをあらためて知らされる思いをしたものだ。
したがって事務局の松木さんらの苦労は一通りのものではなかったが、関係者の一人として誇れることは、ユーザー主導だからといった理由でゲストの方々は勿論、来場者の方々に対して妥協を強いるようなことはなかったと自負していることだ。
とかくユーザーグループだから...ビジネスでなくボランティアだから...といった甘えが目に付く催事もあるが、一回限りのアップルコンベンションは完璧だった。というより、その一回で我々は燃え尽きてしまった(笑)。
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