私のトラウマと夢の考察
先日、知人らとの話しの中でトラウマの話題が出た。それぞれ抱えてきた...抱えているトラウマについて雑談したが、私自身は幼少期から2つのトラウマを抱えているようだ。何故ならいまだにそれらを基にした夢を多く見る...。今回は幼少期から抱えてきた個人的なトラウマについてのお話しである。
「トラウマ = trauma」とは...明鏡国語辞典によると「心理的に大きな打撃を与え、その影響がいつまでも残るようなショックや体験。心的外傷。精神的外傷。」だという。
私の場合、影響が日々の行動に明確に現れているとは自覚していないが、夢の中でははっきりと自覚できるほど頻繁にその痕跡を暗示する夢を見る…。
まずひとつめだが、夢はこんな感じだ。
尿意をもよおし、トイレを探すが夢のバリエーションはここでまず2つに分岐する。ひとつはトイレがなかなか見つからないという夢だ。暗く裏長屋のような場所をさ迷う場合もあれば、コンクリート打ちっ放しの現代的な建築内、あるいは明らかに大きなホテルや公共施設といった場所をトイレを探して歩き、走り回るというパターン。
2つ目は周りの人にトイレの場所を聞くなどしてたどり着き、ドアを開けるもそこは狭い押し入れのような場所だったり反対にかなりの広さはあるが散らかってトイレには思えず躊躇している...。といった夢だ。
こうした夢をいまだに見る...トラウマの原因は自分なりに分かっている。
それは小学5年生の一学期まで生まれ育った環境によるものに間違いない。この時代、私は東京の北区中十条というところにあった大きな2階建てアパートに親子5人で住んでいた。実際の所記憶はあやふやだが子供心には古くて規模が大きく戦前に建てられたアパートのように思えたが、エントランスはエンタシスのような太い柱が2本あったし、複数のドアを開けて入ると中央は1階の各部屋に続く廊下、そして右側には立派な階段があり2階へと続いていた。

※昭和28年(1953年)8月、アパートのエントランスで弟と
アパートの内部だが中央に通路があり、左右共に6件ほどの部屋があったように思う。それぞれが6畳一間と現在の観点から見れば実に狭い部屋だが戦後の混乱期だったことを考えればしかたがなかったに違いない。
アパートは洗濯場とトイレが共同だった。ドアを開け4件分ほど廊下を直進すると洗濯干し場に出るドアがあったが正面は西音寺というお寺の墓地だった。
そこを左に曲がると右側には洗濯場があり、各部屋の洗い桶や洗濯板といった私物が立て掛けてあり、その奥がトイレだった。確か個室が4個と男子用便器が3基ほどあったように記憶している。
真っ昼間のお墓は子供たち格好の遊び場だった。それは大人たちも同じで閻魔の石像の王冠を灰皿代わりにしていた旦那衆もいた(笑)。

※墓地の石像前に座り込んでいる2歳の筆者
しかし夜になると様子は一変する。廊下の裸電球は暗く、子供心にひとりで夜中にトイレに行くそのこと自体がとても怖かった。なにしろ正面にある勝手口のドアのガラス窓からはぼんやりと墓地が見えたからだ。また洗濯場もトイレも暗かった。共同洗濯場上にあるたったひとつの裸電球が前記したタライの影を廊下まで延びさせときに人の影のような形に見え怯えた。
この「夜にトイレに行くのが怖い」という感情は子供の私だけ特有のものではなかった。なぜなら隣の家族は夜トイレに行くときには家族全員(4人だったか...)で出かける習慣があったくらいだ。だから尿意をもよおしてもなるべく我慢しようとして漏らしてしまうこともあったくらい出かけるのが怖かった。
小学5年生の夏、母が応募した都営住宅への申込みが当選し2LDKに引越することになったときその住宅には風呂はなかったが専用のトイレがあった。弟と飛び上がるように喜んだことを覚えているが、お若い方にこのときの喜びを理解いただけるかは心許ない…。
すでに50数年も前のこの記憶がいまだに夢の中に様々な形、バリエーションとして現れるのだから面白いといっては語弊があるが自分でも笑ってしまう。しかしこればかりは自分でコントロールできないのだから仕方がない。
さてもうひとつのトラウマだが、こちらは原因が分からない。
これまた頻繁に夢に現れる決まったストーリーなのだが、さまざまな土地や場所に仕事や旅行で行った先から自宅に戻るときに不安に苛まれるという夢だ。その不安とは身の危険といった深刻なことではなく「どのように戻ったらよいか」が分からず困っているといったストーリーである。
駅のシーンでは何番線の電車に...何行きの電車に乗ったらよいかが分からず迷っている。駅員に聞いても適切な受け答えをしてくれない。
あるいは夕暮れのどこか校外にいるようだが、用事が終わりさて帰宅しようと考えるものの駅はどこなのか、どちらの方向に歩けばよいのか、バス停はあるのかが分からず、あたりは暗くなってきて途方に暮れている自分がいる。
この種の夢は場所に多くのバリエーションがあるのも特長だ。前記したように駅や校外だけでなく大きなビルの中で迷子になったり...といった場合もある。
そしてリアルな意味で唯一記憶に残っている同種の出来事はこれまた小学校低学年のとき、母の許しを得てはじめて一駅先の赤羽駅まで弟を連れて行くことになった。目的は確か友達の家にいくことだったが、親なしで電車に乗ったのははじめてだったし弟を連れ大きな不安とプレッシャーを抱いたことは忘れられない。しかしその程度の事がいまだに尾を引いているとは疑問だが、本当の所はわからない。
まあ夢判断とか精神分析の力を借りるまでもなく素人考えでもこの種の夢は何らかの "不安" を意味していることはわかる。先行きの不安なのか、生きることへの不安なのかは分からないが、トイレの夢同様少年期からの夢なのだ…。
これらの夢は決して楽しい夢ではないが、自分の深層心理というか、普段は意識していない奥底の心を知る手段として我ながら面白いと考えている…。
「トラウマ = trauma」とは...明鏡国語辞典によると「心理的に大きな打撃を与え、その影響がいつまでも残るようなショックや体験。心的外傷。精神的外傷。」だという。
私の場合、影響が日々の行動に明確に現れているとは自覚していないが、夢の中でははっきりと自覚できるほど頻繁にその痕跡を暗示する夢を見る…。
まずひとつめだが、夢はこんな感じだ。
尿意をもよおし、トイレを探すが夢のバリエーションはここでまず2つに分岐する。ひとつはトイレがなかなか見つからないという夢だ。暗く裏長屋のような場所をさ迷う場合もあれば、コンクリート打ちっ放しの現代的な建築内、あるいは明らかに大きなホテルや公共施設といった場所をトイレを探して歩き、走り回るというパターン。
2つ目は周りの人にトイレの場所を聞くなどしてたどり着き、ドアを開けるもそこは狭い押し入れのような場所だったり反対にかなりの広さはあるが散らかってトイレには思えず躊躇している...。といった夢だ。
こうした夢をいまだに見る...トラウマの原因は自分なりに分かっている。
それは小学5年生の一学期まで生まれ育った環境によるものに間違いない。この時代、私は東京の北区中十条というところにあった大きな2階建てアパートに親子5人で住んでいた。実際の所記憶はあやふやだが子供心には古くて規模が大きく戦前に建てられたアパートのように思えたが、エントランスはエンタシスのような太い柱が2本あったし、複数のドアを開けて入ると中央は1階の各部屋に続く廊下、そして右側には立派な階段があり2階へと続いていた。

※昭和28年(1953年)8月、アパートのエントランスで弟と
アパートの内部だが中央に通路があり、左右共に6件ほどの部屋があったように思う。それぞれが6畳一間と現在の観点から見れば実に狭い部屋だが戦後の混乱期だったことを考えればしかたがなかったに違いない。
アパートは洗濯場とトイレが共同だった。ドアを開け4件分ほど廊下を直進すると洗濯干し場に出るドアがあったが正面は西音寺というお寺の墓地だった。
そこを左に曲がると右側には洗濯場があり、各部屋の洗い桶や洗濯板といった私物が立て掛けてあり、その奥がトイレだった。確か個室が4個と男子用便器が3基ほどあったように記憶している。
真っ昼間のお墓は子供たち格好の遊び場だった。それは大人たちも同じで閻魔の石像の王冠を灰皿代わりにしていた旦那衆もいた(笑)。

※墓地の石像前に座り込んでいる2歳の筆者
しかし夜になると様子は一変する。廊下の裸電球は暗く、子供心にひとりで夜中にトイレに行くそのこと自体がとても怖かった。なにしろ正面にある勝手口のドアのガラス窓からはぼんやりと墓地が見えたからだ。また洗濯場もトイレも暗かった。共同洗濯場上にあるたったひとつの裸電球が前記したタライの影を廊下まで延びさせときに人の影のような形に見え怯えた。
この「夜にトイレに行くのが怖い」という感情は子供の私だけ特有のものではなかった。なぜなら隣の家族は夜トイレに行くときには家族全員(4人だったか...)で出かける習慣があったくらいだ。だから尿意をもよおしてもなるべく我慢しようとして漏らしてしまうこともあったくらい出かけるのが怖かった。
小学5年生の夏、母が応募した都営住宅への申込みが当選し2LDKに引越することになったときその住宅には風呂はなかったが専用のトイレがあった。弟と飛び上がるように喜んだことを覚えているが、お若い方にこのときの喜びを理解いただけるかは心許ない…。
すでに50数年も前のこの記憶がいまだに夢の中に様々な形、バリエーションとして現れるのだから面白いといっては語弊があるが自分でも笑ってしまう。しかしこればかりは自分でコントロールできないのだから仕方がない。
さてもうひとつのトラウマだが、こちらは原因が分からない。
これまた頻繁に夢に現れる決まったストーリーなのだが、さまざまな土地や場所に仕事や旅行で行った先から自宅に戻るときに不安に苛まれるという夢だ。その不安とは身の危険といった深刻なことではなく「どのように戻ったらよいか」が分からず困っているといったストーリーである。
駅のシーンでは何番線の電車に...何行きの電車に乗ったらよいかが分からず迷っている。駅員に聞いても適切な受け答えをしてくれない。
あるいは夕暮れのどこか校外にいるようだが、用事が終わりさて帰宅しようと考えるものの駅はどこなのか、どちらの方向に歩けばよいのか、バス停はあるのかが分からず、あたりは暗くなってきて途方に暮れている自分がいる。
この種の夢は場所に多くのバリエーションがあるのも特長だ。前記したように駅や校外だけでなく大きなビルの中で迷子になったり...といった場合もある。
そしてリアルな意味で唯一記憶に残っている同種の出来事はこれまた小学校低学年のとき、母の許しを得てはじめて一駅先の赤羽駅まで弟を連れて行くことになった。目的は確か友達の家にいくことだったが、親なしで電車に乗ったのははじめてだったし弟を連れ大きな不安とプレッシャーを抱いたことは忘れられない。しかしその程度の事がいまだに尾を引いているとは疑問だが、本当の所はわからない。
まあ夢判断とか精神分析の力を借りるまでもなく素人考えでもこの種の夢は何らかの "不安" を意味していることはわかる。先行きの不安なのか、生きることへの不安なのかは分からないが、トイレの夢同様少年期からの夢なのだ…。
これらの夢は決して楽しい夢ではないが、自分の深層心理というか、普段は意識していない奥底の心を知る手段として我ながら面白いと考えている…。
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