スーツ姿のスティーブ・ジョブズ考察
スティーブ・ジョブズのスーツ姿を知る人も少なくなった感がある。先日クライアントの方から「スティーブ・ジョブズってスーツ着たことってあるんですか」と聞かれた。その2日後にTwitterで蝶ネクタイの話題が目に付いたので今回はスティーブ・ジョブズとスーツの雑談をしたい...。
そういえばジョブズのイメージは近年Appleユーザーになった方の印象ならジーンズに黒のタートルシャツといったものだろうしスーツ姿の彼をイメージするのは難しいかも知れない。しかしApple IIのデビューを機に彼もスーツを着始めたのだ。
以前「スティーブ・ジョブズの衣装がずっと変わらなかった...は伝説」でも述べたが、Apple復帰後もスーツ姿でイベントに登場したこともあった。
ところでジョブズはそもそもヒッピーだったといってよいだろう。「スティーブ・ジョブズ」 1995 ロスト・インタビュー」の中で、「あなたはヒッピーですか、それともコンピュータ・オタクですか?」と聞かれ「どちらかを選べと言われれば、私は間違いなくヒッピーだ」とジョブズは答えている。

※1997年第1回WCCFでスティーブ・ジョブズは初めてスーツ姿でブースに立った
ここでヒッピーとは何かについての解説は避けるが、その後に続きジョブズが述べているようにMacintoshの開発者たちはコンピュータを作るためにコンピュータを開発したというより、優れたコンピュータなら音楽にしても芸術にしても自分たちの求めるものを実現する力がある...と考えたからこそ開発に没頭できたといえるのだ。決して単に機械いじりが好きだったというわけではない...。
さて、スティーブ・ジョブズが起業する前後のストーリーはいまでは広く知れ渡っている。それらの情報を精査する必要もなく彼の姿はヒッピーそのものだった。髪や髭もぼさぼさで何週間もシャワーを浴びず、自分の食生活ならそれで良いと考えていたらしい。そのため体臭も酷かった...。
そんな彼が素足で歩き回り、金がないのでコーラーの空き瓶を集めて小銭に替えていたり、一週間に1度無償で食事を提供してくれる寺院などを回って食を繋いでいたスティーブ・ジョブズはスーツ姿とは無縁な存在だった。
Appleを起業してからも姿格好は大して変わらなかった。しかしそんなジョブズが最初にスーツを着て公の場に立ったのは1977年第1回ウエストコースト・コンピュータ・フェア(WCCF)の場だった。
Appleはマイク・マークラの資金援助で法人となり、ジョブズの押しの強さが功を奏してインテルのプロモーションなどで成功を収めていたマッケンナ・エージェンシーにあの6色ロゴをデザインさせたスティーブ・ジョブズらはWCCFでApple IIをお披露目すべく全員が一丸となって働いていた。
またマークラとマッケンナはブースに臨むスタッフたちの身なりにも気を遣い、スティーブ・ジョブズをサンフランシスコの洋品店に連れて行き、生まれて初めて三つ揃えのスーツとネクタイを買わせた。ジョブズはそのスーツを着てWCCFに臨んだ。
彼は誰にも負けない頑固者だったが、状況を判断し理解する能力には優れていた。
Apple II をより見栄え良く、使い勝手のよさをアピールするためにオリジナルケースが必要だと主張したように、そのApple IIを大々的に売り出すこの好機には例え窮屈であってもスーツ姿は合理的だと考えたのだ。
ちなみに余談ながらスティーブ・ウォズニアックはこのWCCFに臨み、デモするためのApple IIを安定させるため全力を尽くしたがイベント出展はどこかお祭り...遊びと考えていたのか、相変わらず架空の新型マシンのチラシを作っていたずら放題していたし、残っている写真から見る限りスーツどころか見栄えの良くないシャツ姿のままだった(笑)。
ともかくこのWCCFに出展した機会こそスティーブ・ジョブズがスーツ姿になった最初だった。とはいえこの第1回ウエストコースト・コンピュータ・フェアにおけるジョブズのスーツ姿はその髭面も相俟ってかどこかぎごちない感じもする。しかしその後の彼は要所要所でスーツ姿、それもタキシードに蝶ネクタイ姿を披露するが、ガタイのよい彼にタキシード姿はよく似合っていた。
第1回WCCFの後、Apple IIは大成功を収めスティーブ・ジョブズは23歳で数字の上とはいえ金持ちになった。またマスコミも彼を「時代の寵児」ともてはやしはじめた頃から髪はまだ長かったものの自分の身だしなみに気を付けるようになっていった。
マークラとスコット社長がベンチャーキャピタル探しにニューヨークの投資グループに出向いたときにはスティーブ・ジョブズも一緒に連れて行かれた。ジョブズの姿形が人前に出せるようになったとマークラらが考えたからだ。


※上はLisaとスーツ姿のスティーブ・ジョブズ(ビジネスウィーク誌1984年1月16日より)。また蝶ネクタイとジーンズ姿でも公の場に現れた(下)
どうやらスティーブ・ジョブズは蝶ネクタイが気に入っていたようだ。この蝶ネクタイ姿で最初期の映像として知られているのは1984年1月24日、Macintoshの発表時での彼の姿だ。それ以降もジョブズのタキシード姿は頻繁に見られるようになった。そして時には蝶ネクタイでジーンズ姿といったこともあった。

※1984年1月24日、Macintoshの発表時にはタキシードと蝶ネクタイで壇上に上がった
1989年7月10日、幕張の東京ベイNKホールでNeXT発表会があり、私も客席に陣取ったが、その1時間ほど前だったか…東京ベイ・ヒルトンホテルのロビーに通じる場所で三人連れでこちらに歩いてくるスティーブ・ジョブズとすれちがった。プレゼンを前にした彼はきちんとフォーマルスーツに身を包みながらも噂通りの気むずかしい顔をしていたものの大柄の彼はオーラーで輝いていた。
特にNeXT時代はAppleとは顧客層が違うこともあってジョブズは公の場ではスーツ姿が目立つようになる。しかしAppleに復活した後はジーンズ姿が目立つものの、例えば1998年5月のWWDCで iMacを発表する際のスティーブ・ジョブズはスーツ姿だった。

※1998年5月のWWDCで iMacを発表する際のスティーブ・ジョブズはスーツ姿だったがネクタイはしていない
ただしその後、例えば1999年のMacworld Expo San Franciscoではジーンズを履いていたものの上着は白のタートルに黒いジャケットだったし同年のMacworld Expo Tokyoも同じスタイルだった。
こうした使い分けがどのような思惑によってなされたのかに興味はあるが、今となっては知るすべはない...。
【主な参考資料】
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
そういえばジョブズのイメージは近年Appleユーザーになった方の印象ならジーンズに黒のタートルシャツといったものだろうしスーツ姿の彼をイメージするのは難しいかも知れない。しかしApple IIのデビューを機に彼もスーツを着始めたのだ。
以前「スティーブ・ジョブズの衣装がずっと変わらなかった...は伝説」でも述べたが、Apple復帰後もスーツ姿でイベントに登場したこともあった。
ところでジョブズはそもそもヒッピーだったといってよいだろう。「スティーブ・ジョブズ」 1995 ロスト・インタビュー」の中で、「あなたはヒッピーですか、それともコンピュータ・オタクですか?」と聞かれ「どちらかを選べと言われれば、私は間違いなくヒッピーだ」とジョブズは答えている。

※1997年第1回WCCFでスティーブ・ジョブズは初めてスーツ姿でブースに立った
ここでヒッピーとは何かについての解説は避けるが、その後に続きジョブズが述べているようにMacintoshの開発者たちはコンピュータを作るためにコンピュータを開発したというより、優れたコンピュータなら音楽にしても芸術にしても自分たちの求めるものを実現する力がある...と考えたからこそ開発に没頭できたといえるのだ。決して単に機械いじりが好きだったというわけではない...。
さて、スティーブ・ジョブズが起業する前後のストーリーはいまでは広く知れ渡っている。それらの情報を精査する必要もなく彼の姿はヒッピーそのものだった。髪や髭もぼさぼさで何週間もシャワーを浴びず、自分の食生活ならそれで良いと考えていたらしい。そのため体臭も酷かった...。
そんな彼が素足で歩き回り、金がないのでコーラーの空き瓶を集めて小銭に替えていたり、一週間に1度無償で食事を提供してくれる寺院などを回って食を繋いでいたスティーブ・ジョブズはスーツ姿とは無縁な存在だった。
Appleを起業してからも姿格好は大して変わらなかった。しかしそんなジョブズが最初にスーツを着て公の場に立ったのは1977年第1回ウエストコースト・コンピュータ・フェア(WCCF)の場だった。
Appleはマイク・マークラの資金援助で法人となり、ジョブズの押しの強さが功を奏してインテルのプロモーションなどで成功を収めていたマッケンナ・エージェンシーにあの6色ロゴをデザインさせたスティーブ・ジョブズらはWCCFでApple IIをお披露目すべく全員が一丸となって働いていた。
またマークラとマッケンナはブースに臨むスタッフたちの身なりにも気を遣い、スティーブ・ジョブズをサンフランシスコの洋品店に連れて行き、生まれて初めて三つ揃えのスーツとネクタイを買わせた。ジョブズはそのスーツを着てWCCFに臨んだ。
彼は誰にも負けない頑固者だったが、状況を判断し理解する能力には優れていた。
Apple II をより見栄え良く、使い勝手のよさをアピールするためにオリジナルケースが必要だと主張したように、そのApple IIを大々的に売り出すこの好機には例え窮屈であってもスーツ姿は合理的だと考えたのだ。
ちなみに余談ながらスティーブ・ウォズニアックはこのWCCFに臨み、デモするためのApple IIを安定させるため全力を尽くしたがイベント出展はどこかお祭り...遊びと考えていたのか、相変わらず架空の新型マシンのチラシを作っていたずら放題していたし、残っている写真から見る限りスーツどころか見栄えの良くないシャツ姿のままだった(笑)。
ともかくこのWCCFに出展した機会こそスティーブ・ジョブズがスーツ姿になった最初だった。とはいえこの第1回ウエストコースト・コンピュータ・フェアにおけるジョブズのスーツ姿はその髭面も相俟ってかどこかぎごちない感じもする。しかしその後の彼は要所要所でスーツ姿、それもタキシードに蝶ネクタイ姿を披露するが、ガタイのよい彼にタキシード姿はよく似合っていた。
第1回WCCFの後、Apple IIは大成功を収めスティーブ・ジョブズは23歳で数字の上とはいえ金持ちになった。またマスコミも彼を「時代の寵児」ともてはやしはじめた頃から髪はまだ長かったものの自分の身だしなみに気を付けるようになっていった。
マークラとスコット社長がベンチャーキャピタル探しにニューヨークの投資グループに出向いたときにはスティーブ・ジョブズも一緒に連れて行かれた。ジョブズの姿形が人前に出せるようになったとマークラらが考えたからだ。


※上はLisaとスーツ姿のスティーブ・ジョブズ(ビジネスウィーク誌1984年1月16日より)。また蝶ネクタイとジーンズ姿でも公の場に現れた(下)
どうやらスティーブ・ジョブズは蝶ネクタイが気に入っていたようだ。この蝶ネクタイ姿で最初期の映像として知られているのは1984年1月24日、Macintoshの発表時での彼の姿だ。それ以降もジョブズのタキシード姿は頻繁に見られるようになった。そして時には蝶ネクタイでジーンズ姿といったこともあった。

※1984年1月24日、Macintoshの発表時にはタキシードと蝶ネクタイで壇上に上がった
1989年7月10日、幕張の東京ベイNKホールでNeXT発表会があり、私も客席に陣取ったが、その1時間ほど前だったか…東京ベイ・ヒルトンホテルのロビーに通じる場所で三人連れでこちらに歩いてくるスティーブ・ジョブズとすれちがった。プレゼンを前にした彼はきちんとフォーマルスーツに身を包みながらも噂通りの気むずかしい顔をしていたものの大柄の彼はオーラーで輝いていた。
特にNeXT時代はAppleとは顧客層が違うこともあってジョブズは公の場ではスーツ姿が目立つようになる。しかしAppleに復活した後はジーンズ姿が目立つものの、例えば1998年5月のWWDCで iMacを発表する際のスティーブ・ジョブズはスーツ姿だった。

※1998年5月のWWDCで iMacを発表する際のスティーブ・ジョブズはスーツ姿だったがネクタイはしていない
ただしその後、例えば1999年のMacworld Expo San Franciscoではジーンズを履いていたものの上着は白のタートルに黒いジャケットだったし同年のMacworld Expo Tokyoも同じスタイルだった。
こうした使い分けがどのような思惑によってなされたのかに興味はあるが、今となっては知るすべはない...。
【主な参考資料】
・「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社
・「スティーブ・ジョブズ偶像復活」東洋経済新報社
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