18年前の魅力的な代物「Macintosh Portable」再考(2/2)
1989年9月に発表されたApple初のポータブルマシン「Macintosh Portable」を眼前にしてしばし感慨に耽っている...。しかし「Macintosh Portable」はなぜこんなにも大きく重くなってしまったのか。
さて先般のiPhone発表は、これだけ斬新な製品作りができるメーカーはApple以外にないことを世界に示した好例でもあろうか...。但し、ここに至るまでにはこれまで蓄積されたテクノロジーとそれを現実の製品として組み立てる最新技術を必要としたわけだが、「Macintosh Portable」が登場した1989年ははたしてどのような時代だったのだろうか...。
結論を急げば搭載部品、バッテリー、液晶といったひとつひとつのテクノロジーが「Macintosh Portable」をこれ以上小型化することを拒んでいたとも考えられる。

※「Macintosh Portable」のサイズは約103×387×365mmで重量は7.2Kg
また「Macintosh Portable」がこうした仕様に落ち着いたもうひとつの要因ともいえるのが、スティーブ・ジョブズから受け継いだAppleの完全主義であった。
その当時でも液晶画面を使ったいわゆるハンドヘルド・コンピュータとかラップトップ・コンピュータと称するバッテリ駆動のマシンがなかったわけではない。しかしきついことを言えば、どれもこれもが小型化するという一大使命の前には妥協の産物でしかなかった。
しかし、Appleにとってポータブルマシンとはいえ、使いやすさと与えられた機能を犠牲にすることなく設計した結果が「Macintosh Portable」だったといえる。


※写真上は1985年発売のタンディ社ハンドヘルド・コンピュータTRS-200。電池で駆動し、モデム内蔵および通信プログラムや表計算ソフトなどがROM化されていたがハードディスクはなかった。 写真下は1986年10月発表の日本電気PC-98LT。重量は3.8Kgで日本語MS-DOSとN88−日本語BASICをROM化、3.5インチフロッピーディスク搭載だがハードディスクはない。またデスクトップ機(PC-9801)とのソフト互換性はなかった。
フルキーボードの横にトラックボールまで置き、横幅が大きくなったのも膝の上でマウスを必要とせずに快適なオペレーションができることを目指した結果だといえる(膝に乗せるのは些か無理があるが...笑)。
そして「Macintosh Portable」の魅力はポータブルながらハードディスクを搭載し、最長12時間も連続使用できるマシンだった。しかし当時はまだミニサイズのハードディスクはなく、大きく重たいものを搭載するしかなかったのだ。そして12時間もの連続使用を実現したのは一般的な家電用バッテリーでなく、自動車用の鉛蓄電池を採用した結果だった。


※「Macintosh Portable」の背面ケースを開けたところ(上)。左の黒いのがハードディスクで、右のカバーがかかっている部分が鉛蓄電池。バッテリーはそれ単体で約1.3Kgほどもある(下)
さて、Appleの完全主義と記したが、詳しく探ればその拘りの多くは当時チームを率いていたジャン=ルイ・ガッセーの指示だった。もともとスティーブ・ジョブズが率いたMacintoshデザインのポイントは設置面積を小さくすることだったという。さらに彼は1986年までにはブック型のMacintoshを開発すると明言していた。
「自分で持ち上げられないコンピュータなど信用するな」とジョブズは当時の他社製コンピュータを嘲笑していたという。
たぶん、ジョブズがAppleを追われることなく在籍し続けていればこの「Macintosh Portable」は商品化されなかったと思う。
また「Macintosh Portable」のアーキテクチャはMacintosh SEそのものだった。なにしろMacintosh SEのプロダクトデザインマネージャのテリー・クリステンセンはポータブルの設計経験がなかったため、どこから始めればよいかわからず、市場に出ている小型マシンをすべて購入し、バラシて研究したという。
その結果「Macintosh Portable」はCPUが68000、クロックが16MHzであり、2年も前に半額で買えたMacintosh SEと同等な仕様でしかなかった。無論その独特な魅力ある大型の筐体を除いての話だが(笑)。そう、デザインはあのフロッグデザインが担当した。
一番コストがかかったのはアクティブマトリックスのスクリーンだった。安価なパッシブマトリックスではなく当時としては大変クリアで残像も生じないというアクティブマトリックスに執着したことが原因だ。その640×400ピクセルの液晶は日本のホシデンが製造を担当したものだったが、完全無欠な製品をつくることができない時代であり、専用の工場をつくり励んだが歩留まりを上げることに苦慮した。また本来なら640×480ピクセルが必要だとAppleは判断していたが、それをAppleのいう条件で作れるメーカーはまだ存在しなかった。
発表された「Macintosh Portable」を見て口さがない業界人は「ポータブルではなく、これは旅行鞄マックだ」と嘲笑したという。
また真偽の程はわからないが、後にガッセーがAppleを退社するとき、ガイ・カワサキは大型のラジカセを「最新のウォークマンだ」として餞別に渡したという逸話がある。ガッセーが「Macintosh Portable」の指揮をとった結果を皮肉ったのだ。
しかし「Macintosh Portable」はLisaやApple IIIのような失敗作ではなかったようで、ビジネス的にはかなり売れたという。
そしてこのマシンを様々な角度から眺めていると、「Macintosh Portable」開発による教訓はPowerBook 100などに様々な形で生きていることを感じる。Appleにとって「Macintosh Portable」は思い通りの製品ではなかったかも知れないが、そのDNAは次の時代に間違いなく受け継がれているようだ。この辺についてはまたあらためて意見をのべさせていただくつもりである。
そういえば、もともとこの「Macintosh Portable」のターゲットユーザーは「デスクトップのMacintoshを持つビジネスエグゼクティブ」だった。
なぜ当時私は「Macintosh Portable」に縁がなかったのか...。立場上というか事実私は管理職ではあったが、たった3人の超マイクロ企業の社長であり、"エグゼクティブ"という心地よい響きにはやはり無縁だったのかも知れない(笑)。
【参考資料】
・アップルデザイン−アップルインダストリアルデザイングループの軌跡(アクシスパブリッシング刊)
・アップル・コンフィデンシャル(アスキー出版局刊)
さて先般のiPhone発表は、これだけ斬新な製品作りができるメーカーはApple以外にないことを世界に示した好例でもあろうか...。但し、ここに至るまでにはこれまで蓄積されたテクノロジーとそれを現実の製品として組み立てる最新技術を必要としたわけだが、「Macintosh Portable」が登場した1989年ははたしてどのような時代だったのだろうか...。
結論を急げば搭載部品、バッテリー、液晶といったひとつひとつのテクノロジーが「Macintosh Portable」をこれ以上小型化することを拒んでいたとも考えられる。

※「Macintosh Portable」のサイズは約103×387×365mmで重量は7.2Kg
また「Macintosh Portable」がこうした仕様に落ち着いたもうひとつの要因ともいえるのが、スティーブ・ジョブズから受け継いだAppleの完全主義であった。
その当時でも液晶画面を使ったいわゆるハンドヘルド・コンピュータとかラップトップ・コンピュータと称するバッテリ駆動のマシンがなかったわけではない。しかしきついことを言えば、どれもこれもが小型化するという一大使命の前には妥協の産物でしかなかった。
しかし、Appleにとってポータブルマシンとはいえ、使いやすさと与えられた機能を犠牲にすることなく設計した結果が「Macintosh Portable」だったといえる。


※写真上は1985年発売のタンディ社ハンドヘルド・コンピュータTRS-200。電池で駆動し、モデム内蔵および通信プログラムや表計算ソフトなどがROM化されていたがハードディスクはなかった。 写真下は1986年10月発表の日本電気PC-98LT。重量は3.8Kgで日本語MS-DOSとN88−日本語BASICをROM化、3.5インチフロッピーディスク搭載だがハードディスクはない。またデスクトップ機(PC-9801)とのソフト互換性はなかった。
フルキーボードの横にトラックボールまで置き、横幅が大きくなったのも膝の上でマウスを必要とせずに快適なオペレーションができることを目指した結果だといえる(膝に乗せるのは些か無理があるが...笑)。
そして「Macintosh Portable」の魅力はポータブルながらハードディスクを搭載し、最長12時間も連続使用できるマシンだった。しかし当時はまだミニサイズのハードディスクはなく、大きく重たいものを搭載するしかなかったのだ。そして12時間もの連続使用を実現したのは一般的な家電用バッテリーでなく、自動車用の鉛蓄電池を採用した結果だった。


※「Macintosh Portable」の背面ケースを開けたところ(上)。左の黒いのがハードディスクで、右のカバーがかかっている部分が鉛蓄電池。バッテリーはそれ単体で約1.3Kgほどもある(下)
さて、Appleの完全主義と記したが、詳しく探ればその拘りの多くは当時チームを率いていたジャン=ルイ・ガッセーの指示だった。もともとスティーブ・ジョブズが率いたMacintoshデザインのポイントは設置面積を小さくすることだったという。さらに彼は1986年までにはブック型のMacintoshを開発すると明言していた。
「自分で持ち上げられないコンピュータなど信用するな」とジョブズは当時の他社製コンピュータを嘲笑していたという。
たぶん、ジョブズがAppleを追われることなく在籍し続けていればこの「Macintosh Portable」は商品化されなかったと思う。
また「Macintosh Portable」のアーキテクチャはMacintosh SEそのものだった。なにしろMacintosh SEのプロダクトデザインマネージャのテリー・クリステンセンはポータブルの設計経験がなかったため、どこから始めればよいかわからず、市場に出ている小型マシンをすべて購入し、バラシて研究したという。
その結果「Macintosh Portable」はCPUが68000、クロックが16MHzであり、2年も前に半額で買えたMacintosh SEと同等な仕様でしかなかった。無論その独特な魅力ある大型の筐体を除いての話だが(笑)。そう、デザインはあのフロッグデザインが担当した。
一番コストがかかったのはアクティブマトリックスのスクリーンだった。安価なパッシブマトリックスではなく当時としては大変クリアで残像も生じないというアクティブマトリックスに執着したことが原因だ。その640×400ピクセルの液晶は日本のホシデンが製造を担当したものだったが、完全無欠な製品をつくることができない時代であり、専用の工場をつくり励んだが歩留まりを上げることに苦慮した。また本来なら640×480ピクセルが必要だとAppleは判断していたが、それをAppleのいう条件で作れるメーカーはまだ存在しなかった。
発表された「Macintosh Portable」を見て口さがない業界人は「ポータブルではなく、これは旅行鞄マックだ」と嘲笑したという。
また真偽の程はわからないが、後にガッセーがAppleを退社するとき、ガイ・カワサキは大型のラジカセを「最新のウォークマンだ」として餞別に渡したという逸話がある。ガッセーが「Macintosh Portable」の指揮をとった結果を皮肉ったのだ。
しかし「Macintosh Portable」はLisaやApple IIIのような失敗作ではなかったようで、ビジネス的にはかなり売れたという。
そしてこのマシンを様々な角度から眺めていると、「Macintosh Portable」開発による教訓はPowerBook 100などに様々な形で生きていることを感じる。Appleにとって「Macintosh Portable」は思い通りの製品ではなかったかも知れないが、そのDNAは次の時代に間違いなく受け継がれているようだ。この辺についてはまたあらためて意見をのべさせていただくつもりである。
そういえば、もともとこの「Macintosh Portable」のターゲットユーザーは「デスクトップのMacintoshを持つビジネスエグゼクティブ」だった。
なぜ当時私は「Macintosh Portable」に縁がなかったのか...。立場上というか事実私は管理職ではあったが、たった3人の超マイクロ企業の社長であり、"エグゼクティブ"という心地よい響きにはやはり無縁だったのかも知れない(笑)。
【参考資料】
・アップルデザイン−アップルインダストリアルデザイングループの軌跡(アクシスパブリッシング刊)
・アップル・コンフィデンシャル(アスキー出版局刊)
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