43年前、京都ひとり旅の思い出
京都には何度行ったか、正直数え切れない。女房と一緒にそして後半は私の両親を含めて4人で毎年、それも多いときには桜の季節と紅葉の季節、あるいは正月といった具合に至福のひとときを過ごした。実際 “桜” といえば京都の桜を思い出すほどだ。そうした京都旅行の中でも忘れなられない特異な旅がある。それは昭和49年(1974年)8月にひとり旅した思い出だ。
独身時代であり、懐具合もよかったものの、なぜ京都にひとり旅してみようと思ったのか、いまとなっては釈然としない。それ以前に京都といえば修学旅行で立ち寄ったことがあっただけだから、仏像好きの私としては自由に旅を満喫したいと思ったのかも知れない。
さて、なぜいまさらこのようなテーマで記事を書こうと思ったのかといえば、当時よほど印象深い旅だっのか、旅行の過程を写真と共に1冊のアルバムにしたものが出てきたからだ。決して几帳面とは言えない自分がよくもまあ、整理して残したと感心する。何しろすでに43年も前のお話しなのだから…。
京都の観光名所など、今となっては珍しくもないだろうがひとり旅の気楽さと不便さといった両極端を味わった旅でもあった。


※43年前、京都ひとり旅したアルバムを発見(笑)
1974年8月29日、日の高いうちに私は京都大原に向かった。新幹線で京都まで来て駅のコインロッカーに荷物を預けタクシーを拾った。
ときはちょうど昼時だったようで大原三千院入り口近くにあった一福茶屋という店で “とろろ蕎麦” を食す。350円也。
勿論カメラを持って行ったが、三千院門前は三脚禁止だったので自分撮りができないことにもどかしさを感じた。

※三千院門前で。三脚が使えず自撮りができなかったので旅行者の方にお願いした
三千院の往生極楽院で本尊の阿弥陀如来三尊を仰ぎ見る。会うのは初めてだった。
中央の阿弥陀さまより両脇士に魅せられる。お尻が少し上がり、いまこのとき衆生の救済に向かおうとする瞬間の姿なのだそうな。

※三千院の往生極楽院
三千院から200mほど離れた来迎院へと立ち寄るが、ここは本堂しか見るべきものがないと5分で退散。一路、東海道自然歩道とかを歩き出す。
現在のように道々に土産物屋がある時代ではなかったが、一件の喫茶店を見つけてアイスコーヒーを注文。私はここではじめて京都ではコールコーヒーと呼ぶことを知った。
どのくらい歩いたのか、寂光院にたどり着いた。あの建礼門院陵があることで知られているが、さすがというべきか、女性の観光客ばかりで見回した限り、男性は私だけのようだった。
院内に置かれていた建礼門院の像は彩色され京人形のようだった。
思いきや 深山の奥に すまゐして
雲居の月を よそに見むとは
の歌が哀れ。だからであろうか、パラパラと天気雨が降ってきた。私には建礼門院の涙に思えた。
寂光院門前で運良くタクシーが拾えたので京都駅に戻り、コインロッカーから荷物を出して旅館へと思ったが時刻はまだ15時。
時間つぶしと話しのネタにと駅前の京都タワーに登ってみた。無論初めてである。
しかし正直あまりにも俗っぽい土産物屋ばかりで見る気が失せ、早々に降りて旅館に向かった。
実はこの旅行のひとつの目的はこの旅館にあった。
三条河原町西に懐石・京の宿「大文字家」があった。ここは亀井勝一郎や水上勉らが愛した京の宿として紹介されていた雑誌の一文を読み、是非そのうち1度で良いから利用してみたいと考えていたのだ。

※懐石・京の宿「大文字家」のパンフレットと記載されていた亀井勝一郎と水上勉による推薦文
ただし京都の宿は一見は利用できないところもあるので私はおそるおそる電話をしてみた結果、利用可能とのことだったので予約をした。
何度も写真で見た水打ちされた狭い道を入ると夢にまで見た(笑)大文字家の玄関だった。

※水打ちされた石畳を入ると雑踏が嘘のように消える
通された部屋は八畳だったと思うが、近代的な旅館とも、無論ホテルとも異質な独特の空間だった。
覚えているのは一品ずつ出でくる懐石料理の数が多くて驚いたこと、そして一人で飲むビールが効いたことだった。

※二泊した宿、大文字家の一室。背景のテレビが時代を感じさせる
翌日は嵯峨野へ行き、三条大橋を渡ったり、化野念仏寺を経て祇王寺へと向かった。

※祇王寺、控の間の吉野窓
途中、檀林寺があったのでちょいと覗いたら、門前で週刊新潮を読んでた老人に「おいでやす」と言われ入ってみたが見るものはなかった。

※化野念仏寺奥の竹林
さらに南に下って少々右に折れると二尊院。またまた歩いて落柿舎に寄り常寂光寺。そして回り回って嵐山に出た。

※落柿舎、中は撮影禁止だった
京の夏は本当に暑い。よく歩いたものだが、ここからタクシーで八坂神社へ行く。せっかくここまで来たのだからと祇園一、いや日本一の茶屋である一力の暖簾を眺めて踵を返した。

※現在この付近はお土産やなどが立ち並んでいるはずだが、三脚を立てて自撮りした一枚
四条小橋あたりだったと思うが実に京らしい若い女性に出会った。
出会ったといっても向こうは風呂敷包みを抱え、浴衣を着て歩いていただけだが、若造の私から見ても一般女性ではないように思えた。勇気を出して声をかけ、写真を撮らせてもらったが、どうやら舞妓になりたての女性のようだった。
ようだったというのは、一応失礼にならないようにと気を付けながら二三聞いたのだが、帰ってきた京言葉がよくわからず、結果不明のままだった(笑)。

※四条小橋あたりで舞妓さんと思われる若い女性とすれ違い、写真を撮らせていただいた
現在の京都は、旅行者が舞妓の姿になり、数時間歩き回ることができるサービスもあり、偽舞妓・偽芸子を本物と思って写真を願っている観光客も目につくが、無論当時そんなサービスはなかった。
スッピンの顔から判断してせいぜい高校生といった年齢に思えたが、どこであれすれ違い様に女性に声をかけたことは初めてだった。いや本当だってばあ(笑)。
そして旅館に戻った。
三日目の朝がきた。ニュースによれば台風が接近しているというものの空はまだ晴れていたので鴨川のほとりを散策した後に三十三間堂に向かった。建物の中に入ると修学旅行当時の思い出が湧き上がってきた。この千体の仏像の中に亡くなった知り合いの顔があるとかないとか…といったガイドの説明があったことも思い出した。
そして慌ただしく清水寺へと急ぐ。途中、七味屋で唐辛子を買い、清水人形の店を覗いたら地蔵の焼き物と目が合ったので購入した。

※清水寺の舞台
小さな買い物袋を下げながら清水寺の舞台へ。そして三年坂を下り八坂の塔を眺めながら円山公園に出て長楽館で一息しようとコーヒーを頼む。BGMはベートーベンだった。

※八坂の塔
この日はメチャ暑かったが、神宮通りを歩きに歩いて平安神宮へ到着。少々プラモデル的だが美しい。そして左近の桜の前で三脚を立てて自撮りする。
次ぎに目指したのは南禅寺。途中あまりの暑さに自動販売機でコーラーを立ち飲み。80円也。
山門を通って歩くと目的のレンガ造りの水道橋が見えてきた。琵琶湖疏水が流れる水道橋を堪能して昼飯をと店に入った。するとテレビで台風情報をやっていて今にも京都付近に上陸するという。

※南禅寺境内にある琵琶湖疏水の水道橋を背景に
本当なら銀閣寺に向かうことを考えていたが、仕事上新幹線に止まられると困るので一泊切り上げ帰る決心をした。せっかくの旅行だったが、サラリーマンだからして仕事に穴をあけるわけにもいかず、後ろ髪を引かれる思いで一日早く帰ることにした次第。
大文字家に戻り、事情を説明すると快く一泊のキャンセルを承諾してくれ、三つ指ついて送ってくれた。
「また来ます」と言いつつ背を向けた。実際にその数年後、女房と一緒に再び大文字家に泊まったが、代替わりしたのか趣がかなり変わっていて残念感が強かった…。
ともあれ京都駅に戻り、新幹線のチケットを買うが、小一時間余裕があるので近所の東寺に寄ってみた。
空を見上げると明らかに暗くなってきている。「おのれ台風16号」
こうして私の京都ひとり旅は終わった。なお京都へは冒頭に記したように数え切れないほど行ったが、ひとり旅はこのとき以来機会が無い。

※15時44発東京行きの新幹線にて急遽戻ることに
それにしても僅かな点数とはいえ、さらに退色しているとはいえこうした記憶をフィードバックできるのも写真が残っているからだ。
余談ながら、現在デジタルカメラで撮った写真は果たして43年後に問題なく楽しむことができるのだろうか?
以上43年前の京都旅行のレポートでした(笑)。
独身時代であり、懐具合もよかったものの、なぜ京都にひとり旅してみようと思ったのか、いまとなっては釈然としない。それ以前に京都といえば修学旅行で立ち寄ったことがあっただけだから、仏像好きの私としては自由に旅を満喫したいと思ったのかも知れない。
さて、なぜいまさらこのようなテーマで記事を書こうと思ったのかといえば、当時よほど印象深い旅だっのか、旅行の過程を写真と共に1冊のアルバムにしたものが出てきたからだ。決して几帳面とは言えない自分がよくもまあ、整理して残したと感心する。何しろすでに43年も前のお話しなのだから…。
京都の観光名所など、今となっては珍しくもないだろうがひとり旅の気楽さと不便さといった両極端を味わった旅でもあった。


※43年前、京都ひとり旅したアルバムを発見(笑)
1974年8月29日、日の高いうちに私は京都大原に向かった。新幹線で京都まで来て駅のコインロッカーに荷物を預けタクシーを拾った。
ときはちょうど昼時だったようで大原三千院入り口近くにあった一福茶屋という店で “とろろ蕎麦” を食す。350円也。
勿論カメラを持って行ったが、三千院門前は三脚禁止だったので自分撮りができないことにもどかしさを感じた。

※三千院門前で。三脚が使えず自撮りができなかったので旅行者の方にお願いした
三千院の往生極楽院で本尊の阿弥陀如来三尊を仰ぎ見る。会うのは初めてだった。
中央の阿弥陀さまより両脇士に魅せられる。お尻が少し上がり、いまこのとき衆生の救済に向かおうとする瞬間の姿なのだそうな。

※三千院の往生極楽院
三千院から200mほど離れた来迎院へと立ち寄るが、ここは本堂しか見るべきものがないと5分で退散。一路、東海道自然歩道とかを歩き出す。
現在のように道々に土産物屋がある時代ではなかったが、一件の喫茶店を見つけてアイスコーヒーを注文。私はここではじめて京都ではコールコーヒーと呼ぶことを知った。
どのくらい歩いたのか、寂光院にたどり着いた。あの建礼門院陵があることで知られているが、さすがというべきか、女性の観光客ばかりで見回した限り、男性は私だけのようだった。
院内に置かれていた建礼門院の像は彩色され京人形のようだった。
思いきや 深山の奥に すまゐして
雲居の月を よそに見むとは
の歌が哀れ。だからであろうか、パラパラと天気雨が降ってきた。私には建礼門院の涙に思えた。
寂光院門前で運良くタクシーが拾えたので京都駅に戻り、コインロッカーから荷物を出して旅館へと思ったが時刻はまだ15時。
時間つぶしと話しのネタにと駅前の京都タワーに登ってみた。無論初めてである。
しかし正直あまりにも俗っぽい土産物屋ばかりで見る気が失せ、早々に降りて旅館に向かった。
実はこの旅行のひとつの目的はこの旅館にあった。
三条河原町西に懐石・京の宿「大文字家」があった。ここは亀井勝一郎や水上勉らが愛した京の宿として紹介されていた雑誌の一文を読み、是非そのうち1度で良いから利用してみたいと考えていたのだ。

※懐石・京の宿「大文字家」のパンフレットと記載されていた亀井勝一郎と水上勉による推薦文
ただし京都の宿は一見は利用できないところもあるので私はおそるおそる電話をしてみた結果、利用可能とのことだったので予約をした。
何度も写真で見た水打ちされた狭い道を入ると夢にまで見た(笑)大文字家の玄関だった。

※水打ちされた石畳を入ると雑踏が嘘のように消える
通された部屋は八畳だったと思うが、近代的な旅館とも、無論ホテルとも異質な独特の空間だった。
覚えているのは一品ずつ出でくる懐石料理の数が多くて驚いたこと、そして一人で飲むビールが効いたことだった。

※二泊した宿、大文字家の一室。背景のテレビが時代を感じさせる
翌日は嵯峨野へ行き、三条大橋を渡ったり、化野念仏寺を経て祇王寺へと向かった。

※祇王寺、控の間の吉野窓
途中、檀林寺があったのでちょいと覗いたら、門前で週刊新潮を読んでた老人に「おいでやす」と言われ入ってみたが見るものはなかった。

※化野念仏寺奥の竹林
さらに南に下って少々右に折れると二尊院。またまた歩いて落柿舎に寄り常寂光寺。そして回り回って嵐山に出た。

※落柿舎、中は撮影禁止だった
京の夏は本当に暑い。よく歩いたものだが、ここからタクシーで八坂神社へ行く。せっかくここまで来たのだからと祇園一、いや日本一の茶屋である一力の暖簾を眺めて踵を返した。

※現在この付近はお土産やなどが立ち並んでいるはずだが、三脚を立てて自撮りした一枚
四条小橋あたりだったと思うが実に京らしい若い女性に出会った。
出会ったといっても向こうは風呂敷包みを抱え、浴衣を着て歩いていただけだが、若造の私から見ても一般女性ではないように思えた。勇気を出して声をかけ、写真を撮らせてもらったが、どうやら舞妓になりたての女性のようだった。
ようだったというのは、一応失礼にならないようにと気を付けながら二三聞いたのだが、帰ってきた京言葉がよくわからず、結果不明のままだった(笑)。

※四条小橋あたりで舞妓さんと思われる若い女性とすれ違い、写真を撮らせていただいた
現在の京都は、旅行者が舞妓の姿になり、数時間歩き回ることができるサービスもあり、偽舞妓・偽芸子を本物と思って写真を願っている観光客も目につくが、無論当時そんなサービスはなかった。
スッピンの顔から判断してせいぜい高校生といった年齢に思えたが、どこであれすれ違い様に女性に声をかけたことは初めてだった。いや本当だってばあ(笑)。
そして旅館に戻った。
三日目の朝がきた。ニュースによれば台風が接近しているというものの空はまだ晴れていたので鴨川のほとりを散策した後に三十三間堂に向かった。建物の中に入ると修学旅行当時の思い出が湧き上がってきた。この千体の仏像の中に亡くなった知り合いの顔があるとかないとか…といったガイドの説明があったことも思い出した。
そして慌ただしく清水寺へと急ぐ。途中、七味屋で唐辛子を買い、清水人形の店を覗いたら地蔵の焼き物と目が合ったので購入した。

※清水寺の舞台
小さな買い物袋を下げながら清水寺の舞台へ。そして三年坂を下り八坂の塔を眺めながら円山公園に出て長楽館で一息しようとコーヒーを頼む。BGMはベートーベンだった。

※八坂の塔
この日はメチャ暑かったが、神宮通りを歩きに歩いて平安神宮へ到着。少々プラモデル的だが美しい。そして左近の桜の前で三脚を立てて自撮りする。
次ぎに目指したのは南禅寺。途中あまりの暑さに自動販売機でコーラーを立ち飲み。80円也。
山門を通って歩くと目的のレンガ造りの水道橋が見えてきた。琵琶湖疏水が流れる水道橋を堪能して昼飯をと店に入った。するとテレビで台風情報をやっていて今にも京都付近に上陸するという。

※南禅寺境内にある琵琶湖疏水の水道橋を背景に
本当なら銀閣寺に向かうことを考えていたが、仕事上新幹線に止まられると困るので一泊切り上げ帰る決心をした。せっかくの旅行だったが、サラリーマンだからして仕事に穴をあけるわけにもいかず、後ろ髪を引かれる思いで一日早く帰ることにした次第。
大文字家に戻り、事情を説明すると快く一泊のキャンセルを承諾してくれ、三つ指ついて送ってくれた。
「また来ます」と言いつつ背を向けた。実際にその数年後、女房と一緒に再び大文字家に泊まったが、代替わりしたのか趣がかなり変わっていて残念感が強かった…。
ともあれ京都駅に戻り、新幹線のチケットを買うが、小一時間余裕があるので近所の東寺に寄ってみた。
空を見上げると明らかに暗くなってきている。「おのれ台風16号」
こうして私の京都ひとり旅は終わった。なお京都へは冒頭に記したように数え切れないほど行ったが、ひとり旅はこのとき以来機会が無い。

※15時44発東京行きの新幹線にて急遽戻ることに
それにしても僅かな点数とはいえ、さらに退色しているとはいえこうした記憶をフィードバックできるのも写真が残っているからだ。
余談ながら、現在デジタルカメラで撮った写真は果たして43年後に問題なく楽しむことができるのだろうか?
以上43年前の京都旅行のレポートでした(笑)。
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