なぜパーソナルコンピュータはIBMやDECから登場しなかったのか?
先日お若い技術者数人とお話しする機会があったが、私のブログをお読みいただいているとかで話題はマイコンとかパソコンが登場した黎明期の出来事となった。なかでも彼らが知りたがっていたことはなぜパソコンは大手企業から登場しなかったのかという一点だった。
「なぜだと思いますか」という私の問いに、コンピュータメーカの大手は「未来を見つめる眼をもっていなかった」「個人用コンピュータの存在意義がわからなかった」「オモチャ同然の製品を作るという発想がなかった」など様々な意見が飛び交った。
事実、個人用コンピュータの魅力を世に知らしめたのはMITS社のAltair8800だったし、それに刺激を受けたスティーブ・ウォズニアックが作ったApple I だったといって良いだろう。

※Apple I clone (当研究所所有)
特にAltair8800は商業的に成功したといわれているし発売から1ヶ月もしないうちに4,000台ほどの注文が殺到した。しかし実際に出荷できたのはその半分程度だったが。
ともあれ当時熱狂的に受け入れられたAltair8800だとしてもそれは現在我々がiMacやMacBookに抱くイメージとはまったく違う。
まずAltair8800が出荷されたほとんどは組立キットであったこと。したがって説明書はあったにせよ問題なく動作させるようにハンダ付けし組み立てるまでのハードルは高かった。そしてAltair8800本体だけでは具体的なあれこれはできず、メモリの拡張はもとよりテレタイプ端末やビデオターミナルといったものが必要だった。
Apple I にしても程度の違いはともかく活用するにはフルキーボードと電源およびモニター(家庭用TVも可)をユーザー自身が用意し接続しなければならなかったし不用意に外部のものとの接触を防ぐためにケース類も自作する必要があった。
要はこれらの製品は一般大衆を相手にしたプロダクトではなかった。コンピュータやデジタル回路に精通した人たちの夢を叶え刺激を与えるには役立ったがなにも知らないただ新しい物好きの人たちが手にしてもどうなるものでもなかった。

※MITS社Altair8800
ともあれ1960年代の終わり頃の米国は大学の動乱期だった。ベトナム戦争の影響もあり多くの若者が既成の価値と体系を疑問に思っていたがテクノロジーの面でも同様だった。
大型コンピュータやミニコンと呼ばれたミニコンピュータは体制側、そしてカウンターカルチャーとしての意識付けからマイコンとかパソコンが生まれたと考えられる場合もある。確かに個人用コンピュータを欲した当時の人々の中には、例えばリー・フェルゼンスタインのような反対体勢をあからさまに謳う人物もいたがそうした意識だけでパーソナルコンピュータが誕生したわけではなかった。
1970年には2種類のコンピュータが2種類の会社により販売されていたといえる。ひとつは部屋ほどの大きなサイズのメインフレーム・コンピュータでIBM、コントロール・データ、ハネウェルらにより販売されていた。価格は100万ドルに近くで多くは顧客の注文で1台ずつ製造されていた。
一方、DECとかヒューレット・パッカードといった会社が作っていたミニコンピュータ、通称ミニコンはより大量に生産され企業や多くの研究所らに売られていた。価格は数万ドルでサイズは本棚程度の大きさだった。
したがってもしメインフレームやミニコンメーカーがその気になればコンピュータを一般の人たちにも普及させるに十分な資金・技術・絶好のチャンスを持っていたと言える。そして特に夢想家でなくても近い将来、ミニコンが小型化の道を辿り、机上に乗ったりブリーフケースに納まるコンピュータを思い浮かべることはできたしそれは特別なことではなかったといえよう。
というか、それが時代の流れであり当然の成り行きだと考えられていた。
なにしろコンピュータメーカーの技術者や半導体の設計者ならずとも各部品が年々確実に安く、小型で高速になっていくのを眼のあたりにしていたからだ。
だから十中八九、ミニコンメーカーが小型のパソコンを開発するのは確実に思えた。しかしそうはならなかった...。パソコンはご承知のようにそれまで既成企業の外で働いていた個人あるいは個人企業によって生み出される結果となった。
繰り返すがメインフレームやミニコンメーカーの技術者たちが尊大であったとか未来を見る目がなかったわけではない。事実大手企業のいくつかでは熱心な技術者が詳細な提案をし実際に動作する試作機を作ったり具体的なパソコン開発計画を進めたケースがあるという。
しかし結果として提案はすべて否認され、試作機は棚上げされ、計画は中止となった。
例えばヒューレット・パッカードはメインフレームからポケット型電卓までを生産していた。したがってパソコンを開発する下地は十分にあった。さらに同社の上級技術者らはスティーブ・ウォズニアック自身から独自開発したApple II を生産販売しないかと打診されている。
律儀なウォズニアックは自身が勤務している会社に無断で開発したコンピュータを販売するのを後ろめたく思って持ち込んだが、ヒューレット・パッカードの結論は同社として相応しくないプロダクトだと断る。結局ウォズニアックはスティーブ・ジョブズとアップルを設立しその後の礎を作った。
一説にヒューレット・パッカードの判断の礎はウォズニアックが学位を持ってなかったこと、コンピュータの専門家ではなかったから断ったという話もあるようだ。
またデジタル・イクイップメント(DEC)も結果として新技術を活用し損なった。同社は最初で最大のミニコンメーカーであり、当時として最も小型のコンピュータをいくつか生産していた。例えばPDP-8の一機種は、セールスマンが自動車のトランクに入れて運び、訪問先で設置できるほど小型だった。広い意味でいうなら同機はポータブル・コンピュータだった。
DECの社員だったデビット・アールはコンピュータの個人向け市場に関心を寄せていたし、経営委員会にパーソナルコンピュータ販売計画を提出した。そこには業界で最も賢明な経営者の一人と言われていたケネス・オルセン社長もいたが、家庭でコンピュータを欲しがる理由が認められないと結論づけた。まさしく体制側の発想そのものだった。
デビット・アールは大きな挫折感を味わい、スカウト会社からの話しを受け入れた。アールはウォズニアック、アルブレヒトなどと同じように会社を辞めてパソコン革命の火中に飛び込んでいった。
経営者たちはパーソナルコンピュータの未来に興味はなかった。結局エンジニアとプログラマを雇い、金を払ってサポートを購入してくれる顧客に販売するのと個人へ安価なコンピュータを売り切るには雲泥の差があった。DECなどは個人と商売する気はさらさらなかった...というより企業の利益を危なくすることは何であれ排除するのがセオリーだった。
とはいえ時代は動く。もしメインフレームのメーカーやミニコンメーカーがパソコン革命を起こすのを待っていたらそれは間違いなく起こったに違いないがかなり後になったろう。そしてその価値観も随分と違ったものとなっただろう。しかし革命が起こるのを待っていられない人たちは体制側を見限り自分たちで革命を起こしたのだ。
ちなみに当のDECは1980年代後半になるとパーソナルコンピュータ市場の成長によるマイコン革命の波を真面に被りそのシェアは急速に侵食されていき、結局1998年6月コンパックに買収される。
ともあれマイクロプロセッサの存在はコンピュータを作ることが可能である点については公然の事実だったがMITSのエド・ロバーツ以前にあえて挑戦しようとした人はほとんどいなかった。そして全てのパーツを揃えキット販売して成功した企業はなかった…。
なにしろコンピュータ界の巨人IBMは、非力なオモチャ同然な製品など意味が無いと考えたし、個人がコンピュータを欲しがるというその意味も理解できなかった。それにマイクロプロセッサを開発した当のインテルでさえ、その用途はコンピュータというより各種制御装置の部品として使うべきものだと考えていた時代だった。
ただしハッカーのリー・フェルゼンスタインのようにオモチャ同然の「Altair8800」ではあってもそれは今にも起ころうとしている革命の発端なのだということに気づいた人たちもいた。
「Altair8800」の重要性は製品の有用性やテクノロジーの進歩といった点にあるのではなく、その一番の価値は価格の安さと将来性だった。それにコンピュータを所有すると言うことはその限りにおいて利用者は神にもなり得る力を持つことが期待できるのだ。
MITS社のロバーツはコンピュータをキットの形で販売、それもできるだけ安くすれば年間数百万台の販売も可能だと考えたが、皮肉にも自身が起爆剤となった市場の拡大スピードについていけずにドロップアウトしたものの、結果論として彼が考えていた以上に人々にインパクトを与えた…というより新しい市場を作り出し、未来への明確な橋渡しを果たしたことは間違いない。
なにしろホームコンピュータがほとんど実用的とはいえない時にエド・ロバーツは年商数十億ドルの産業を開拓し個人でコンピュータを持つという夢が叶うという事実を生んだことは勿論、「Altair8800」の存在はそれまでなかったソフトウェア市場というものも生み出したのである。
なぜならハードウェアはソフトウェアなくして意味をなさないからだ。その最も象徴的な会社がビル・ゲイツとポール・アレンにより創業されたマイクロソフト社だった…。そのマイクロソフト社の設立のきっかけは「Altair8800」の登場だったのである。
【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち」マグロウヒル刊
「なぜだと思いますか」という私の問いに、コンピュータメーカの大手は「未来を見つめる眼をもっていなかった」「個人用コンピュータの存在意義がわからなかった」「オモチャ同然の製品を作るという発想がなかった」など様々な意見が飛び交った。
事実、個人用コンピュータの魅力を世に知らしめたのはMITS社のAltair8800だったし、それに刺激を受けたスティーブ・ウォズニアックが作ったApple I だったといって良いだろう。

※Apple I clone (当研究所所有)
特にAltair8800は商業的に成功したといわれているし発売から1ヶ月もしないうちに4,000台ほどの注文が殺到した。しかし実際に出荷できたのはその半分程度だったが。
ともあれ当時熱狂的に受け入れられたAltair8800だとしてもそれは現在我々がiMacやMacBookに抱くイメージとはまったく違う。
まずAltair8800が出荷されたほとんどは組立キットであったこと。したがって説明書はあったにせよ問題なく動作させるようにハンダ付けし組み立てるまでのハードルは高かった。そしてAltair8800本体だけでは具体的なあれこれはできず、メモリの拡張はもとよりテレタイプ端末やビデオターミナルといったものが必要だった。
Apple I にしても程度の違いはともかく活用するにはフルキーボードと電源およびモニター(家庭用TVも可)をユーザー自身が用意し接続しなければならなかったし不用意に外部のものとの接触を防ぐためにケース類も自作する必要があった。
要はこれらの製品は一般大衆を相手にしたプロダクトではなかった。コンピュータやデジタル回路に精通した人たちの夢を叶え刺激を与えるには役立ったがなにも知らないただ新しい物好きの人たちが手にしてもどうなるものでもなかった。

※MITS社Altair8800
ともあれ1960年代の終わり頃の米国は大学の動乱期だった。ベトナム戦争の影響もあり多くの若者が既成の価値と体系を疑問に思っていたがテクノロジーの面でも同様だった。
大型コンピュータやミニコンと呼ばれたミニコンピュータは体制側、そしてカウンターカルチャーとしての意識付けからマイコンとかパソコンが生まれたと考えられる場合もある。確かに個人用コンピュータを欲した当時の人々の中には、例えばリー・フェルゼンスタインのような反対体勢をあからさまに謳う人物もいたがそうした意識だけでパーソナルコンピュータが誕生したわけではなかった。
1970年には2種類のコンピュータが2種類の会社により販売されていたといえる。ひとつは部屋ほどの大きなサイズのメインフレーム・コンピュータでIBM、コントロール・データ、ハネウェルらにより販売されていた。価格は100万ドルに近くで多くは顧客の注文で1台ずつ製造されていた。
一方、DECとかヒューレット・パッカードといった会社が作っていたミニコンピュータ、通称ミニコンはより大量に生産され企業や多くの研究所らに売られていた。価格は数万ドルでサイズは本棚程度の大きさだった。
したがってもしメインフレームやミニコンメーカーがその気になればコンピュータを一般の人たちにも普及させるに十分な資金・技術・絶好のチャンスを持っていたと言える。そして特に夢想家でなくても近い将来、ミニコンが小型化の道を辿り、机上に乗ったりブリーフケースに納まるコンピュータを思い浮かべることはできたしそれは特別なことではなかったといえよう。
というか、それが時代の流れであり当然の成り行きだと考えられていた。
なにしろコンピュータメーカーの技術者や半導体の設計者ならずとも各部品が年々確実に安く、小型で高速になっていくのを眼のあたりにしていたからだ。
だから十中八九、ミニコンメーカーが小型のパソコンを開発するのは確実に思えた。しかしそうはならなかった...。パソコンはご承知のようにそれまで既成企業の外で働いていた個人あるいは個人企業によって生み出される結果となった。
繰り返すがメインフレームやミニコンメーカーの技術者たちが尊大であったとか未来を見る目がなかったわけではない。事実大手企業のいくつかでは熱心な技術者が詳細な提案をし実際に動作する試作機を作ったり具体的なパソコン開発計画を進めたケースがあるという。
しかし結果として提案はすべて否認され、試作機は棚上げされ、計画は中止となった。
例えばヒューレット・パッカードはメインフレームからポケット型電卓までを生産していた。したがってパソコンを開発する下地は十分にあった。さらに同社の上級技術者らはスティーブ・ウォズニアック自身から独自開発したApple II を生産販売しないかと打診されている。
律儀なウォズニアックは自身が勤務している会社に無断で開発したコンピュータを販売するのを後ろめたく思って持ち込んだが、ヒューレット・パッカードの結論は同社として相応しくないプロダクトだと断る。結局ウォズニアックはスティーブ・ジョブズとアップルを設立しその後の礎を作った。
一説にヒューレット・パッカードの判断の礎はウォズニアックが学位を持ってなかったこと、コンピュータの専門家ではなかったから断ったという話もあるようだ。
またデジタル・イクイップメント(DEC)も結果として新技術を活用し損なった。同社は最初で最大のミニコンメーカーであり、当時として最も小型のコンピュータをいくつか生産していた。例えばPDP-8の一機種は、セールスマンが自動車のトランクに入れて運び、訪問先で設置できるほど小型だった。広い意味でいうなら同機はポータブル・コンピュータだった。
DECの社員だったデビット・アールはコンピュータの個人向け市場に関心を寄せていたし、経営委員会にパーソナルコンピュータ販売計画を提出した。そこには業界で最も賢明な経営者の一人と言われていたケネス・オルセン社長もいたが、家庭でコンピュータを欲しがる理由が認められないと結論づけた。まさしく体制側の発想そのものだった。
デビット・アールは大きな挫折感を味わい、スカウト会社からの話しを受け入れた。アールはウォズニアック、アルブレヒトなどと同じように会社を辞めてパソコン革命の火中に飛び込んでいった。
経営者たちはパーソナルコンピュータの未来に興味はなかった。結局エンジニアとプログラマを雇い、金を払ってサポートを購入してくれる顧客に販売するのと個人へ安価なコンピュータを売り切るには雲泥の差があった。DECなどは個人と商売する気はさらさらなかった...というより企業の利益を危なくすることは何であれ排除するのがセオリーだった。
とはいえ時代は動く。もしメインフレームのメーカーやミニコンメーカーがパソコン革命を起こすのを待っていたらそれは間違いなく起こったに違いないがかなり後になったろう。そしてその価値観も随分と違ったものとなっただろう。しかし革命が起こるのを待っていられない人たちは体制側を見限り自分たちで革命を起こしたのだ。
ちなみに当のDECは1980年代後半になるとパーソナルコンピュータ市場の成長によるマイコン革命の波を真面に被りそのシェアは急速に侵食されていき、結局1998年6月コンパックに買収される。
ともあれマイクロプロセッサの存在はコンピュータを作ることが可能である点については公然の事実だったがMITSのエド・ロバーツ以前にあえて挑戦しようとした人はほとんどいなかった。そして全てのパーツを揃えキット販売して成功した企業はなかった…。
なにしろコンピュータ界の巨人IBMは、非力なオモチャ同然な製品など意味が無いと考えたし、個人がコンピュータを欲しがるというその意味も理解できなかった。それにマイクロプロセッサを開発した当のインテルでさえ、その用途はコンピュータというより各種制御装置の部品として使うべきものだと考えていた時代だった。
ただしハッカーのリー・フェルゼンスタインのようにオモチャ同然の「Altair8800」ではあってもそれは今にも起ころうとしている革命の発端なのだということに気づいた人たちもいた。
「Altair8800」の重要性は製品の有用性やテクノロジーの進歩といった点にあるのではなく、その一番の価値は価格の安さと将来性だった。それにコンピュータを所有すると言うことはその限りにおいて利用者は神にもなり得る力を持つことが期待できるのだ。
MITS社のロバーツはコンピュータをキットの形で販売、それもできるだけ安くすれば年間数百万台の販売も可能だと考えたが、皮肉にも自身が起爆剤となった市場の拡大スピードについていけずにドロップアウトしたものの、結果論として彼が考えていた以上に人々にインパクトを与えた…というより新しい市場を作り出し、未来への明確な橋渡しを果たしたことは間違いない。
なにしろホームコンピュータがほとんど実用的とはいえない時にエド・ロバーツは年商数十億ドルの産業を開拓し個人でコンピュータを持つという夢が叶うという事実を生んだことは勿論、「Altair8800」の存在はそれまでなかったソフトウェア市場というものも生み出したのである。
なぜならハードウェアはソフトウェアなくして意味をなさないからだ。その最も象徴的な会社がビル・ゲイツとポール・アレンにより創業されたマイクロソフト社だった…。そのマイクロソフト社の設立のきっかけは「Altair8800」の登場だったのである。
【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち」マグロウヒル刊
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