ラテ飼育格闘日記(588)
一時の劇寒は去ったようだが朝はまだまだ寒い。それでも近隣には梅が開花し始めたし少しずつ春の気配が感じられる季節になってきた。反面、子供たちの中にも花粉症予防のための眼鏡をかけている子も目立つようで見るからに気の毒だ。
当該日記に限らないが、いつもいつも日記を書くに最適な出来事があるとは限らない。というより普段の日常は至極平凡なものだ。そうそう大事件があっては困る。
とはいえ散歩の道筋ひとつとっても近隣数キロ範囲はほとんど歩いているし初めての道といった場所もほとんどないから新鮮味は薄れている。
後は季節を含め、天気のお話しかラテを可愛がって下さる方々との触れ合いがテーマになるわけだ。

※ラテとの毎日は平凡な日々の繰り返しが基本だ
オトーサンは後4ヶ月ほどで70歳となる。月並みだが自分が70歳になるなど想像したこともないしする気持ちも起きなかった(笑)。
ニュースなどを見ていると同じ年代の芸能人や著名人たちの訃報を聞かない日はないように思う。
一度も実際には会ったことも無い人たちにしても同年代の、それもテレビなどで見知っている方の訃報は辛い…。

※下校時の小学6年女子4人に囲まれてご満悦なラテ
ともあれ時々オトーサンはふと考える。もし2006年暮れにラテと出会っていなければ、ワンコを飼うことになっていなければ、現在の状況は一変しているであろうと…。
歴史に if はないとはいえ、ついそんなことを考えてしまう。
もしラテを飼っていなければ、まず住居は多摩には移らなかったに違いない。なぜならそれまで長い間住み暮らしていた埼玉県川口市からワンコを飼うために環境の良い現在の場所に引っ越してきたのだから。
したがってワンコを飼わなければたぶんいまだに埼玉県人のままだったろう。

※Aちゃんと、またまた焼き芋を食べにいった(笑)
その埼玉に住んでいた2000年暮れ、仕事上のストレスが最高潮になったからか健康診断で糖尿病を指摘され即入院となった。それまでまったく何の自覚症状もなかったのに…。
結局2週間の検査入院の末、食事療法と歩くことで血糖値は正常になり薬物療法に頼らず退院できたが自身の生活とこれからをあらためて考えざるを得ない状況となった。
ワンコと暮らしたいという願望は昔から合ったものの様々な状況がそれを許してはくれなかったが、会社を解散整理した結果、オトーサンは腑抜け状態となり生きる気力を失う寸前だった。だからこそ女房がワンコを飼うことを認めてくれたに違いない。

※大好きなAちゃんが姿を見せると喜びの雄叫びを上げるラテ
ラテが我が家に来たその日から散歩が始まった。最初の3ヶ月程度は朝昼晩と一日三回の散歩をやった。楽しくて仕方がなかったがすぐに左膝と左肩をやられた(笑)。
しかし「腰が、膝が、腕が痛い」と嘆きながらも散歩を日々続けられていること自体喜ばしいことに違いない。
自分の性格上、ラテがいなければ絶対に…絶対に散歩などするはずはないオトーサンだ。
したがってラテがいなければオトーサンはすでに命が尽きていたかも知れないし、介護を必要とする一人になっていたかも知れない。
それよりなにより、ラテと歩き回っていたからこそ近隣の子供たちやラテを可愛がってくださるご家族と知り合い、お付き合いをさせていただくことになったのだ。
これがもしジイサンひとりが杖突いて歩いていたところで、この世知辛いご時世にそうそう素敵な出会いなど起こり得ないに違いない。

※可愛がって下さるファミリーのオカーサンと
さらに幸いというか、ラテが子供好きなワンコだったことだ。
一般的に子供は奇声を発する、動きが激しいなどの理由でワンコから見て安心できないから警戒する生き物だという。したがって初対面の幼児・子供にもフレンドリーなワンコは珍しいと動物病院で言われた。
ラテがいるおかげでワンコ好きの子供たちが近寄ってくれたのがそもそもの切っ掛けだった。
時に言うことを利かず、腹も立つラテだが本当の所、オトーサンたちの人生を文字通り豊かにしてくれていることはまぎれもない事実なのである。
当該日記に限らないが、いつもいつも日記を書くに最適な出来事があるとは限らない。というより普段の日常は至極平凡なものだ。そうそう大事件があっては困る。
とはいえ散歩の道筋ひとつとっても近隣数キロ範囲はほとんど歩いているし初めての道といった場所もほとんどないから新鮮味は薄れている。
後は季節を含め、天気のお話しかラテを可愛がって下さる方々との触れ合いがテーマになるわけだ。

※ラテとの毎日は平凡な日々の繰り返しが基本だ
オトーサンは後4ヶ月ほどで70歳となる。月並みだが自分が70歳になるなど想像したこともないしする気持ちも起きなかった(笑)。
ニュースなどを見ていると同じ年代の芸能人や著名人たちの訃報を聞かない日はないように思う。
一度も実際には会ったことも無い人たちにしても同年代の、それもテレビなどで見知っている方の訃報は辛い…。

※下校時の小学6年女子4人に囲まれてご満悦なラテ
ともあれ時々オトーサンはふと考える。もし2006年暮れにラテと出会っていなければ、ワンコを飼うことになっていなければ、現在の状況は一変しているであろうと…。
歴史に if はないとはいえ、ついそんなことを考えてしまう。
もしラテを飼っていなければ、まず住居は多摩には移らなかったに違いない。なぜならそれまで長い間住み暮らしていた埼玉県川口市からワンコを飼うために環境の良い現在の場所に引っ越してきたのだから。
したがってワンコを飼わなければたぶんいまだに埼玉県人のままだったろう。

※Aちゃんと、またまた焼き芋を食べにいった(笑)
その埼玉に住んでいた2000年暮れ、仕事上のストレスが最高潮になったからか健康診断で糖尿病を指摘され即入院となった。それまでまったく何の自覚症状もなかったのに…。
結局2週間の検査入院の末、食事療法と歩くことで血糖値は正常になり薬物療法に頼らず退院できたが自身の生活とこれからをあらためて考えざるを得ない状況となった。
ワンコと暮らしたいという願望は昔から合ったものの様々な状況がそれを許してはくれなかったが、会社を解散整理した結果、オトーサンは腑抜け状態となり生きる気力を失う寸前だった。だからこそ女房がワンコを飼うことを認めてくれたに違いない。

※大好きなAちゃんが姿を見せると喜びの雄叫びを上げるラテ
ラテが我が家に来たその日から散歩が始まった。最初の3ヶ月程度は朝昼晩と一日三回の散歩をやった。楽しくて仕方がなかったがすぐに左膝と左肩をやられた(笑)。
しかし「腰が、膝が、腕が痛い」と嘆きながらも散歩を日々続けられていること自体喜ばしいことに違いない。
自分の性格上、ラテがいなければ絶対に…絶対に散歩などするはずはないオトーサンだ。
したがってラテがいなければオトーサンはすでに命が尽きていたかも知れないし、介護を必要とする一人になっていたかも知れない。
それよりなにより、ラテと歩き回っていたからこそ近隣の子供たちやラテを可愛がってくださるご家族と知り合い、お付き合いをさせていただくことになったのだ。
これがもしジイサンひとりが杖突いて歩いていたところで、この世知辛いご時世にそうそう素敵な出会いなど起こり得ないに違いない。

※可愛がって下さるファミリーのオカーサンと
さらに幸いというか、ラテが子供好きなワンコだったことだ。
一般的に子供は奇声を発する、動きが激しいなどの理由でワンコから見て安心できないから警戒する生き物だという。したがって初対面の幼児・子供にもフレンドリーなワンコは珍しいと動物病院で言われた。
ラテがいるおかげでワンコ好きの子供たちが近寄ってくれたのがそもそもの切っ掛けだった。
時に言うことを利かず、腹も立つラテだが本当の所、オトーサンたちの人生を文字通り豊かにしてくれていることはまぎれもない事実なのである。
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