Apple II 用として開発された表計算ソフト「VisiCalc」再考
現在パソコンを少しでもビジネスに関連づけた使い方をしている方の多くは表計算ソフトを当たり前のように活用しているに違いない。そして表計算ソフトのルーツはApple IIで動作したVisiCalcというアプリケーションだったことをご存じの方も多いはずだ。今回調べることがあって入手した当時のVisiCalcのパッケージを頼りにあらためてその歴史を振り返ってみよう。
VisiCalcという表計算ソフトは後述するように当初はApple II専用だった。そのApple II版も時代を席巻した数年の間にいくつかの形態のパッケージが登場したが、私の手元にあるものはフェイクレザーの3穴バインダ形式になっているものでリリースは1981年、パーソナルソフトウェア(Personal Software)社から発売となっている。なお同社はこれまた後述のようにVisiCalcの販売の成功を確信した後、社名をビジコープ社と変えているから手元のパッケージはまだ販売初期のものということになる。
対象は “Apple II & II Plus 48K 16Sector“ と明記された文字通りApple II版だが、すでにオリジナルディスクは無くバックアップディスクしか残っていない。しかしマニュアルやリファレンスカード、保証書などは当時のまま残っている。


※パーソナルソフトウェア社から発売されたVisiCalc のパッケージ(上)とそのマニュアル部分(下)
1979年1月、Apple Soft BASICで開発された「Calculedger (カルキュレジャー)」と称したソフトのβ版をパーソナルソフトウェア社ダン・フィルストラがAppleのスティーブ・ジョブズとマイク・マークラらに見せたという...。しかし彼らはこのアプリケーションがその後自社のApple IIの販売を大きく伸ばす原動力になるとは夢にも思わず対応は冷淡だったという。そしてビル・ゲイツらもこのプログラムの真の先進性を見抜くことはできずに扱いを断ったという。

※ダン・フィルストラ(InfoWoirld誌1984年3月26日号より)
「Calculedger」は当時ハーバード・ビジネス・スクールの学生ダニエル・ブルックリンと友人のマサチューセッツ工科大学に在籍していたロバート・フランクストンが自身らの会社であるソフトウェア・アーツ社で開発したものだった。

※ダニエル(ダン)・ブルックリン((InfoWoirld誌 Volume 5, Number 49より)
話は前後するが、プルックリンは自身のアイデアをハーバード大学の財務学教授に相談したが、教授は大型コンピュータの時分割システムが存在するのにマイコン用のソフトウェアなど売れないと笑いながらも以前自分の担当学生だったパーソナルソフトウェア社のフィルストラを紹介した。
ブルックリンに会い、彼のアイデアが気に入ったフィルストラは自分の手元にあったApple IIをブルックリンに貸す...。
こうしてブルックリンとフランクストンの2人はソフトウェア・アーツ社で...といってもフランクストンの屋根裏部屋で...プログラムのコーディングを始めることになった。
Appleをはじめ多くの業界関係者にデモをしたものの反応は良くなかったが、パーソナルソフトウェア社は1979年5月、ウエスト・コンピュータ・フェアでビジブル・カリキュレータ(visible calculator)にちなんでビジカルク(VisiCalc)と名付け当該ソフトウェアを一般公開する。発表によれば同年10月にリリースされるという触れ込みで当時ベストセラーになっていたApple II向けとして製品化した。
ともかくパーソナルソフトウェア社から発売された途端にVisiCalcは大評判となる。
なにしろ1979年発売当初の月間出荷数は500本程度だったのが1981年までには12,000本以上にもなっていたという。
その成功に導かれるようにパーソナルソフトウェア社は主要製品となったこのVisiCalcをより前面に打ち出すため、社名をビジコープ社と変える...。
当初しばらくの間VisiCalcはApple IIでしか動かなかった。したがってVisiCalcを使いたいが為にApple IIが売れに売れることになった。
VisiCalc最大の功績はApple IIの販売に大いに貢献しただけでなく、当時のパソコンは高価なオモチャ...といった印象が強かったものをビジネスにも立派に通用することを示したことだ。
VisiCalcはパソコンを本格的なビジネスツールとして認識させた最初のソフトウェアであり、Apple IIのキラー・アプリケーションとなった。そしてAppleも後のApple III時代にはライセンスを買い取りApple III用のVisiCalcをリリースしている。
そしてビジカルクは後にマルチプラン、ロータス1-2-3 、エクセルなどの流れを生み出す表計算(スプレッドシート)ソフトの先駆けとなる。
ただし当時ソフトウェアの特許は認められていなかったことでもあり、ビジコープ社らはその後に登場した同類の製品に対して権利を主張することができなかったのは不運だったとしかいえない...。
さらにブルックリンらは1983年からVisiCalc販売元のビジコープ社との間で訴訟問題を抱えることになり多くの時間を取られたこともあってその後VisiCalcの競合製品を凌駕するような改良を加えることができないままに時間が過ぎていった。
結局ブルックリンらのソフトウェア・アーツ社はビジコープ社との訴訟には勝訴したものの経営難に陥り、1985年にVisiCalcの権利はロータスデベロップメントに売却される。
さて、いま手元にあるVisiCalcのパッケージだがそのコピーライトは発売元のPersonal Softwarre社となっているが ”Program by“ はSoftware Arts社、そして ”Manual by“ はDan Fylstra and Bill Klingと記されている。
このVisiCalcの成功物語はすでに多々紹介されているがこのパッケージを制作した1981年あたりは開発者のダニエル・ブルックリンやロバート・フランクストンは勿論、販売元のパーソナルソフトウェア社のダン・フィルストラたちにとって有頂天の時期だったに違いない。
彼らの見た夢は短かったが、パーソナルコンピュータの世界を変えた功績は評価できないほど多大なことだった。したがって現在当たり前のように使っているExcelもそうした成功と挫折の物語の上に成り立っていることは忘れたくないものだ。
【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち」マグロウヒル刊
・「林檎百科〜マッキントッシュクロニクル」翔泳社刊
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」アスペクト刊
VisiCalcという表計算ソフトは後述するように当初はApple II専用だった。そのApple II版も時代を席巻した数年の間にいくつかの形態のパッケージが登場したが、私の手元にあるものはフェイクレザーの3穴バインダ形式になっているものでリリースは1981年、パーソナルソフトウェア(Personal Software)社から発売となっている。なお同社はこれまた後述のようにVisiCalcの販売の成功を確信した後、社名をビジコープ社と変えているから手元のパッケージはまだ販売初期のものということになる。
対象は “Apple II & II Plus 48K 16Sector“ と明記された文字通りApple II版だが、すでにオリジナルディスクは無くバックアップディスクしか残っていない。しかしマニュアルやリファレンスカード、保証書などは当時のまま残っている。


※パーソナルソフトウェア社から発売されたVisiCalc のパッケージ(上)とそのマニュアル部分(下)
1979年1月、Apple Soft BASICで開発された「Calculedger (カルキュレジャー)」と称したソフトのβ版をパーソナルソフトウェア社ダン・フィルストラがAppleのスティーブ・ジョブズとマイク・マークラらに見せたという...。しかし彼らはこのアプリケーションがその後自社のApple IIの販売を大きく伸ばす原動力になるとは夢にも思わず対応は冷淡だったという。そしてビル・ゲイツらもこのプログラムの真の先進性を見抜くことはできずに扱いを断ったという。

※ダン・フィルストラ(InfoWoirld誌1984年3月26日号より)
「Calculedger」は当時ハーバード・ビジネス・スクールの学生ダニエル・ブルックリンと友人のマサチューセッツ工科大学に在籍していたロバート・フランクストンが自身らの会社であるソフトウェア・アーツ社で開発したものだった。

※ダニエル(ダン)・ブルックリン((InfoWoirld誌 Volume 5, Number 49より)
話は前後するが、プルックリンは自身のアイデアをハーバード大学の財務学教授に相談したが、教授は大型コンピュータの時分割システムが存在するのにマイコン用のソフトウェアなど売れないと笑いながらも以前自分の担当学生だったパーソナルソフトウェア社のフィルストラを紹介した。
ブルックリンに会い、彼のアイデアが気に入ったフィルストラは自分の手元にあったApple IIをブルックリンに貸す...。
こうしてブルックリンとフランクストンの2人はソフトウェア・アーツ社で...といってもフランクストンの屋根裏部屋で...プログラムのコーディングを始めることになった。
Appleをはじめ多くの業界関係者にデモをしたものの反応は良くなかったが、パーソナルソフトウェア社は1979年5月、ウエスト・コンピュータ・フェアでビジブル・カリキュレータ(visible calculator)にちなんでビジカルク(VisiCalc)と名付け当該ソフトウェアを一般公開する。発表によれば同年10月にリリースされるという触れ込みで当時ベストセラーになっていたApple II向けとして製品化した。
ともかくパーソナルソフトウェア社から発売された途端にVisiCalcは大評判となる。
なにしろ1979年発売当初の月間出荷数は500本程度だったのが1981年までには12,000本以上にもなっていたという。
その成功に導かれるようにパーソナルソフトウェア社は主要製品となったこのVisiCalcをより前面に打ち出すため、社名をビジコープ社と変える...。
当初しばらくの間VisiCalcはApple IIでしか動かなかった。したがってVisiCalcを使いたいが為にApple IIが売れに売れることになった。
VisiCalc最大の功績はApple IIの販売に大いに貢献しただけでなく、当時のパソコンは高価なオモチャ...といった印象が強かったものをビジネスにも立派に通用することを示したことだ。
VisiCalcはパソコンを本格的なビジネスツールとして認識させた最初のソフトウェアであり、Apple IIのキラー・アプリケーションとなった。そしてAppleも後のApple III時代にはライセンスを買い取りApple III用のVisiCalcをリリースしている。
そしてビジカルクは後にマルチプラン、ロータス1-2-3 、エクセルなどの流れを生み出す表計算(スプレッドシート)ソフトの先駆けとなる。
ただし当時ソフトウェアの特許は認められていなかったことでもあり、ビジコープ社らはその後に登場した同類の製品に対して権利を主張することができなかったのは不運だったとしかいえない...。
さらにブルックリンらは1983年からVisiCalc販売元のビジコープ社との間で訴訟問題を抱えることになり多くの時間を取られたこともあってその後VisiCalcの競合製品を凌駕するような改良を加えることができないままに時間が過ぎていった。
結局ブルックリンらのソフトウェア・アーツ社はビジコープ社との訴訟には勝訴したものの経営難に陥り、1985年にVisiCalcの権利はロータスデベロップメントに売却される。
さて、いま手元にあるVisiCalcのパッケージだがそのコピーライトは発売元のPersonal Softwarre社となっているが ”Program by“ はSoftware Arts社、そして ”Manual by“ はDan Fylstra and Bill Klingと記されている。
このVisiCalcの成功物語はすでに多々紹介されているがこのパッケージを制作した1981年あたりは開発者のダニエル・ブルックリンやロバート・フランクストンは勿論、販売元のパーソナルソフトウェア社のダン・フィルストラたちにとって有頂天の時期だったに違いない。
彼らの見た夢は短かったが、パーソナルコンピュータの世界を変えた功績は評価できないほど多大なことだった。したがって現在当たり前のように使っているExcelもそうした成功と挫折の物語の上に成り立っていることは忘れたくないものだ。
【主な参考資料】
・「パソコン革命の英雄たち」マグロウヒル刊
・「林檎百科〜マッキントッシュクロニクル」翔泳社刊
・「アップル・コンフィデンシャル 2.5J」アスペクト刊
- 関連記事
-
- iMac旋風に一役買った日本のデベロッパたちのビデオ紹介 (2009/12/07)
- "PowerPC" って何の略称だか、知ってますか? (2009/11/30)
- 1993年7月開催、第4回JDCに見る当時のデベロッパたち (2009/11/20)
- 林檎創世記物語〜思えば特異で贅沢な時代を懐かしむ (2009/11/18)
- ACM SIGGRAPH '87 の思い出とMacintosh II (2009/11/13)
- Apple II 用として開発された表計算ソフト「VisiCalc」再考 (2009/09/18)
- Wozのサイン入り「APPLE-1 OPERATION MANUAL」考 (2009/09/04)
- Lisa開発プロジェクトとスティーブ・ジョブズの不思議な因果関係 (2009/08/19)
- 1984年印刷「Apple 32 SuperMicros」と題するパンフレット考 (2009/08/17)
- 日本市場におけるLisa販売当時を振り返る (2009/07/24)
- Lisaマウス再考 (2009/07/21)