ACM SIGGRAPH '87 の思い出とMacintosh II

今回は大変昔のこと...私にとって初めてのアメリカ旅行でありその後十数年に渡りMacworld Expoに出向くきっかけとなった「SIGGRAPH '87」に参加した思い出と、当時のMacintoshの状況をご紹介してみたい。


嗚呼...すでに22年も昔になる...。1987年7月27日から31日の5日間、米国ロサンゼルス郊外のアナハイムで開催された世界的CGの祭典「SIGGRAPH」に参加した私にとってこの旅行は始めての米国旅行であり、その後MacWorldExpoサンフランシスコやボストンに出向くきっかけとなった記念すべき数日間だった。
現在とはその規模は違うと思うが、当時のSIGGRAPHは、2日間にわたるセミナーと3日間で合計30以上にもなる講演および研究発表、そして最新のコンピュータグラフィック機器の展示・デモンストレーション、さらにフィルム・ビデオショー、アートショーから構成されていた世界最大のCG分野のイベントであった。

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※アナハイムのコンベンションセンター前の筆者(上)と「SIGGRAPH '87」のレジストレーション会場前(下)


もともとSIGGRAPHは本来Association for Computing Machinery's(ACM)というコンピュータに関する専門家の集まり、つまり学会であり、その中のSpecial Interest Group on Computer Graphicsが主催する国際会議だった。
いまでこそおなじみになった3Dやそのアニメーション、そしてテレビコマーシャルや映画で使われているCGの概念と用語、そしてその技術のほとんどはこのSIGGRAPHで紹介され、実用化されたものがほとんどといってよい。
しかし学会とはいえ、近年CGが認知されるにつれてエンターテイメント化も著しく、その展示会や上映会を一般の人たちでも楽しめるようになっていた。

私がこのSIGGRAPHになぜ行く気になったか...だが当時、東京・池袋西武百貨店のカルチャースクールにおいてPersonal LINKS講座がスタートしたのを機会に参加したことがきっかけとなった。
その機材を販売している会社がSIGGRAPHへのツアーを企画したのである。
ちなみにそれまで私は米国に行く気も、そして機会もないままだったため、それが最初の渡米となったこともあり文字通り右も左も分からず気苦労が多かったが、大変多くのことを学べたと思っている。また良い意味でカルチャーショックも多々受け、翌年1月から毎年MacWorldExpoにでかけるきっかけとなった。

さて会場はアナハイムのコンベンションセンターで行われ、ホールと呼ばれる三つの会場を使っての機器展示、アリーナという円形会場でのフィルム・アンド・ビデオ・ショーが開催された。その他、パシフィック・ルームでの教育セミナー、オレンジ・カントリールームでのアートショーなど多彩な催事が目白押しだった。
7月27日の夕刻にディズニーランド・ホテルの隣にあるエメラルド・オブ・アナハイム・ホテルにチェックインした私たちは翌日の朝から時差ぼけも忘れ、ホテルから徒歩で10分程度ほどにあるコンベンションセンターに急いだ。幸いカリフォルニアの空は驚くほど青く綺麗だった。そして日向に出ると汗をかく気温でも日陰に入ると大変涼しく、梅雨時の日本が恨めしく感じたものだ。
早速3つの広い会場内に展示されているCG専用機や関連機器を驚きと共に見始めた時のワクワク感をいまだに記憶している。
ただし私自身が勝手がわからなかったこともあり、当日までどのような企業が出展するかといった情報はほとんど知らなかったのだ。しかし嬉しいことに、そこにはApple Computer社もかなり大きなブースを用意し、リリースしたばかりのMacintosh IIとSuperMAC Technology社の19インチ・カラーディスプレイをずらりと並べてデモしていた。

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※「SIGGRAPH '87」に出展していたApple Computer社ブース


このSIGGRAPHに出向く前に、私自身最初のカラーMacintoshであるMacintosh IIを注文していたこともあり、このApple社の様々な展示は大変嬉しかった。そこには一番知りたかったカラー版ソフトウェアに関する情報もあり、実際にVideoWorks II、CriketDrawのカラー版、MacPaintのカラー版のような試作(後で知ったことは、PixelPaintのβ版だった)が動作していたのを見て驚喜したものである。
特に安堵したことは、カラー版の各種ソフトウェアの価格が日本で噂されていた300ドルとか500ドルが最低価格では...といったものではなく、例えばModernArtistというペイントソフトは149ドルで販売されていたことだった。

本来私がこのSIGGRAPHに来た目的はコンピュータグラフィック専用機の情報を集めるためだった。しかし思いもしなかったApple Computer社の出展を見て、私はCG専用機にはまだまだ及ばないものの、一層Macintosh IIの魅力にとりつかれてしまったのだった。
フィルムショーではPIXAR社の「RED 'S DREAM」が放映され、日本の作家代表としてメタボールを駆使した河口洋一郎などの作品に感動したものの、私の気持ちは一日も早く日本でMacintosh IIを使ってみたいという思いがつのるばかりだった。
このフィルムショーのCGを制作するために使われていた1980年前半の名機であるDEC社のVAX-11/780の演算スピードは1MIPSくらいだったと思う。ちなみに1MIPSとはコンピュータの処理速度の指標だが、1秒間に1,000,000万回の命令を実行できることを意味する。
それと比較してMacintosh IIは当時最大2MIPSの能力を持つと噂されていたこともあり、米国にいながらも私の思いは早くも自身のMacintosh II環境のことに思いを馳せていた。

とはいえ一般的な能力からすればMacintosh IIなど、およびもつかないパワーを持つ最新鋭のCG専用機がなぜか色あせたように思えたその憧れのMacintosh IIは、SIGGRAPHから帰国した翌月の1987年8月22日に自宅に届いた...。
それは現在のマシンと比較すると思わず笑ってしまうほど貧弱なスペックであり、CPUに68020/16MHzを搭載しFPUには68881が搭載されていた。そして私が手に入れたのは40MBの内蔵ハードディスク、そしてメモリがたったの5MBのマシンだった。しかし往時は最新最高のパーソナルコンピュータであり自動車の購入と比較されるほど高価だった。

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※Macintosh IIが到着した1987年8月22日に撮影。PC-9801の上にあるカラーモニタはMacintosh IIに接続されVideoWorks IIカラー版が走っている(上)。写真下は当時Macintosh IIによるモデリング例として配布されていたビジュアルだが当時は1677万色のフルカラーではなく256色カラーでしかなかった


SIGGRAPH参加は短い期間だったものの、私にとってアメリカンカルチャーに刺激を受けた大変貴重な機会だったし、本来CG専用機を見に行ったわけだが皮肉にもパーソナルコンピュータとは何か...をあらためて考えさせられるきっかけとなったと同時に、CG専用機よりパーソナルコンピュータというものがいかに我々の将来にとって重要なのかという事を再認識する旅となった。
その確信は翌年に私をしてMacintosh専門のソフトウェア開発会社を起業する決心をさせたのである...。
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Author:mactechlab
主宰は松田純一。1989年Macのソフトウェア開発専門のコーシングラフィックシステムズ社設立、代表取締役就任 (2003年解散)。1999年Apple WWDC(世界開発者会議)で日本のデベロッパー初のApple Design Award/Best Apple Technology Adoption (最優秀技術賞) 受賞。

2000年2月第10回MACWORLD EXPO/TOKYOにおいて長年業界に対する貢献度を高く評価され、主催者からMac Fan MVP’99特別賞を授与される。著書多数。音楽、美術、写真、読書を好み、Macと愛犬三昧の毎日。2017年6月3日、時代小説「首巻き春貞 - 小石川養生所始末」を上梓(電子出版)。続けて2017年7月1日「小説・未来を垣間見た男 スティーブ・ジョブズ」を電子書籍で公開。また直近では「木挽町お鶴捕物控え」を発表している。
2018年春から3Dプリンターを複数台活用中であり2021年からはレーザー加工機にも目を向けている。ゆうMUG会員