1993年7月開催、第4回JDCに見る当時のデベロッパたち
手元に残っている資料のほんどは元々きちんと保管すべく考えたものではないため、時系列的な物証を探すには苦労する。しかし残った一枚の印刷物からでも当事者としては往時の状況が目に浮かぶようにフィードバックできるものだ。今回は1993年7月1日と2日に行われた「The 4th Japan Developers Conference」の様子を振り返る。
現在、JDC(Japan Developers Conference)は開催されていないが、1990年代の半ばまでデベロッパを対象に現在のWWDC(Worldwide Developer Conference)の日本版として年一回の開催が約束されていた。
この1993年の会場は東京ベイヒルトンホテル地下1階の「朝凪の間」と2階をほぼ借り切った状態で行われた。
これからその様子を振り返ってみるが、残念ながら私は後述するように単なる参加者というよりパネルディスカッションに出演する役割があったため、自身で写真を撮る余裕がなく、写真などのビジュアルは残っていない。
手元にあるのはアップルコンピュータが配布した「The 4th Japan Developers Conference〜PROGRAM」のA4版見開きパンフレットのみである。


※1993年7月1日と2日に開催された「The 4th Japan Developers Conference」プログラムの表紙および会場レイアウトページ
面白いのは7月1日および2日の両日共に基調講演が組まれていることだ。
一日目は米国Apple本社のデベロッパグループ副社長カーク・ロブナー氏と当時アップルコンピュータ社社長の武内重親氏が務め、二日目は米国Apple本社ニューメディア・ニューマーケッツ副社長だったサチーブ・シャヒル氏と、当時アップルコンピュータ社のマーケティング部部長だった原田永幸氏が務めた。
両日とも、基調講演は午前10時から2時間行われ、一時間の昼食時間を挟んで各プログラムが平行して開催された。

※「The 4th Japan Developers Conference」2日間のスケジュールプログラム
まずは一日目のプログラムから覗いてみよう。
初日は、4つのプログラムと1つのラボが平行して行われた。一番大きないわゆるメイン会場(クリスタルの間)では「PowerPCの全体像と詳細(第1日)」と題し、米国のスタッフ3人がそれぞれ1時間づつ各セッションを行っている。
また地下「朝凪の間」では「AppleScriptの全体像と詳細」と題する3時間のプログラムがあり、米国アップルのスタッフの他、アップルの福島哲氏と鈴木誠一氏、ベルデ企画の内田則政氏、メディアドライブ研究所の高村俊介氏、エルゴソフトの岩田勇氏そして私共の会社コーシングラフィックシステムズの高橋政明が熱弁をふるった。
その後「新しい開発ツール」と題して米国アップルと米国シマンテックの担当が1時間のセッションを行い、続いて私の出番となった。
それは1時間の枠であったが「デベロッパ・パネル」と題するパネルディスカッションだった。
出演者は私の他に、エーアンドエーの新庄宗昭社長、アルダスの手嶋雅夫社長、ビーユージーの服部裕之社長の4名だった。
今となってはどのような話をしたかほとんど記憶にないが、その性格上ほとんどが堅い話題に終始する中で唯一雑談めいた話が出来る...聴ける場として多くの参加者があったように記憶している。
「金の間」では「漢字Talk7.1と漢字フォント」と題してアップルの水野孝之と福井裕之が1時間のセッションを行い、その後で「Macintoshプログラミングチュートリアル」と題するアップルイベント対応のプログラミングについて、アイチアイの酒井公治氏が、続いてアップルの福島哲氏が「デベロッパプログラムガイド」と題して1時間のセッションを行っている。
さらに「銀の間」ではアップルの田中太郎氏が「QuickTimeの現状と展望」と題して2時間のセッションの後、ビーユージーの佐藤俊彦氏、SRAの松尾正敏氏、クボタの葛原基志氏の3氏がそれぞれ「デベロッパ事例研究」を1時間づつ発表していた。
続いて二日目をご紹介する。
基調講演および昼食を挟み、「クリスタルの間」では「QuicklDraw GXの全体像と詳細」と題するセッションが2時間組まれており、米国Appleのジム・ストーンハム氏がセッションを受け持った。その後は1日目の続きとして「PowerPCの全体像と詳細(第2日)」を前日とは違う米国Appleのスタッフが3時間に渡って詳細なセッションを行った。
「朝凪の間」では「Newtonの現状と展望」と「AOCEの全体像と詳細」と題するプログラムが各2時間づつ、米国のスタッフで執り行われ、同時に「金の間」では「ソフトウェア流通パネル」「ソフトウェア著作権保護への対応」そして「マルチメディア」と題するプログラムが進行していた。
「銀の間」は終日「デベロッパの事例研究」と題してボイジャー、エーアンドエー、三菱商事、サムシンググッドマクロメディア各社がデベロッパーを代表する立場から各社独自の取り組みと製品紹介などを展開していた。
会場が高級ホテルだけに参加費用も高かった。たぶん一人30,000円程度だったのではないだろうか。しかし現在のようにWWCDのために米国に出向かなければ新しいテクノロジーのセッションを見聞きできないよりは予算的にも時間的にも余裕があった。しかし米国Apple本社からそのために数人の担当者が来日したものの、WWDCのそれと比較すれば当然の事ながらこれまた時間的、人的リソース的にも劣るわけで、米国での開催と同じレベルを期待できるものではないのは申し上げるまでもあるまい...。
1993年という時代はまだまだパーソナルコンピューティングの未来には多くの明るい材料があると期待されていた時でもあり、東京ベイヒルトンホテルに集まったデベロッパの方たちの顔は、総じて明るかったように記憶している。
いくつか参加したJDCのプログラムの内容はまったく忘れているが、ホテルの様子や馴染みのデベロッパの方々の晴れやかな姿は脳裏に焼き付いているのだから面白い。
現在、JDC(Japan Developers Conference)は開催されていないが、1990年代の半ばまでデベロッパを対象に現在のWWDC(Worldwide Developer Conference)の日本版として年一回の開催が約束されていた。
この1993年の会場は東京ベイヒルトンホテル地下1階の「朝凪の間」と2階をほぼ借り切った状態で行われた。
これからその様子を振り返ってみるが、残念ながら私は後述するように単なる参加者というよりパネルディスカッションに出演する役割があったため、自身で写真を撮る余裕がなく、写真などのビジュアルは残っていない。
手元にあるのはアップルコンピュータが配布した「The 4th Japan Developers Conference〜PROGRAM」のA4版見開きパンフレットのみである。


※1993年7月1日と2日に開催された「The 4th Japan Developers Conference」プログラムの表紙および会場レイアウトページ
面白いのは7月1日および2日の両日共に基調講演が組まれていることだ。
一日目は米国Apple本社のデベロッパグループ副社長カーク・ロブナー氏と当時アップルコンピュータ社社長の武内重親氏が務め、二日目は米国Apple本社ニューメディア・ニューマーケッツ副社長だったサチーブ・シャヒル氏と、当時アップルコンピュータ社のマーケティング部部長だった原田永幸氏が務めた。
両日とも、基調講演は午前10時から2時間行われ、一時間の昼食時間を挟んで各プログラムが平行して開催された。

※「The 4th Japan Developers Conference」2日間のスケジュールプログラム
まずは一日目のプログラムから覗いてみよう。
初日は、4つのプログラムと1つのラボが平行して行われた。一番大きないわゆるメイン会場(クリスタルの間)では「PowerPCの全体像と詳細(第1日)」と題し、米国のスタッフ3人がそれぞれ1時間づつ各セッションを行っている。
また地下「朝凪の間」では「AppleScriptの全体像と詳細」と題する3時間のプログラムがあり、米国アップルのスタッフの他、アップルの福島哲氏と鈴木誠一氏、ベルデ企画の内田則政氏、メディアドライブ研究所の高村俊介氏、エルゴソフトの岩田勇氏そして私共の会社コーシングラフィックシステムズの高橋政明が熱弁をふるった。
その後「新しい開発ツール」と題して米国アップルと米国シマンテックの担当が1時間のセッションを行い、続いて私の出番となった。
それは1時間の枠であったが「デベロッパ・パネル」と題するパネルディスカッションだった。
出演者は私の他に、エーアンドエーの新庄宗昭社長、アルダスの手嶋雅夫社長、ビーユージーの服部裕之社長の4名だった。
今となってはどのような話をしたかほとんど記憶にないが、その性格上ほとんどが堅い話題に終始する中で唯一雑談めいた話が出来る...聴ける場として多くの参加者があったように記憶している。
「金の間」では「漢字Talk7.1と漢字フォント」と題してアップルの水野孝之と福井裕之が1時間のセッションを行い、その後で「Macintoshプログラミングチュートリアル」と題するアップルイベント対応のプログラミングについて、アイチアイの酒井公治氏が、続いてアップルの福島哲氏が「デベロッパプログラムガイド」と題して1時間のセッションを行っている。
さらに「銀の間」ではアップルの田中太郎氏が「QuickTimeの現状と展望」と題して2時間のセッションの後、ビーユージーの佐藤俊彦氏、SRAの松尾正敏氏、クボタの葛原基志氏の3氏がそれぞれ「デベロッパ事例研究」を1時間づつ発表していた。
続いて二日目をご紹介する。
基調講演および昼食を挟み、「クリスタルの間」では「QuicklDraw GXの全体像と詳細」と題するセッションが2時間組まれており、米国Appleのジム・ストーンハム氏がセッションを受け持った。その後は1日目の続きとして「PowerPCの全体像と詳細(第2日)」を前日とは違う米国Appleのスタッフが3時間に渡って詳細なセッションを行った。
「朝凪の間」では「Newtonの現状と展望」と「AOCEの全体像と詳細」と題するプログラムが各2時間づつ、米国のスタッフで執り行われ、同時に「金の間」では「ソフトウェア流通パネル」「ソフトウェア著作権保護への対応」そして「マルチメディア」と題するプログラムが進行していた。
「銀の間」は終日「デベロッパの事例研究」と題してボイジャー、エーアンドエー、三菱商事、サムシンググッドマクロメディア各社がデベロッパーを代表する立場から各社独自の取り組みと製品紹介などを展開していた。
会場が高級ホテルだけに参加費用も高かった。たぶん一人30,000円程度だったのではないだろうか。しかし現在のようにWWCDのために米国に出向かなければ新しいテクノロジーのセッションを見聞きできないよりは予算的にも時間的にも余裕があった。しかし米国Apple本社からそのために数人の担当者が来日したものの、WWDCのそれと比較すれば当然の事ながらこれまた時間的、人的リソース的にも劣るわけで、米国での開催と同じレベルを期待できるものではないのは申し上げるまでもあるまい...。
1993年という時代はまだまだパーソナルコンピューティングの未来には多くの明るい材料があると期待されていた時でもあり、東京ベイヒルトンホテルに集まったデベロッパの方たちの顔は、総じて明るかったように記憶している。
いくつか参加したJDCのプログラムの内容はまったく忘れているが、ホテルの様子や馴染みのデベロッパの方々の晴れやかな姿は脳裏に焼き付いているのだから面白い。
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