ラテ飼育格闘日記(603)
6月10日、ラテ満12歳の誕生日だった。光陰矢のごとし…ではないが月日の経つのは後から振り返るとほんの瞬きのようにも思える。しかしラテと一緒に送ってきたこの年月はなに事にも替え難い満ち足りた日々だったということもまた確かである。この幸がこれからも続きますように…。
とはいえ現実のラテはといえばまあまあ自己主張の強いワンコに育ったというべきか。自己主張というか好きと嫌い、OKとNOがはっきりしているのは驚くというか笑ってしまうほどだ。
例えばである。散歩に出れば大好きなファミリーのオカーサンやその長女Aちゃんと躊躇いもなくチューをする。それは我が家でも女房に対しては同様だ。

※ラテは12歳になりました
起床の際、女房は仕事が休みだからとグズグズしているとラテは起こしにかかる。のっそりと起き上がり女房の脇まで来て執拗に寝ているその口元を舐めたりする。
またオヤツを持っているといった機会があれば積極的にチューをしてそれをねだるラテだが、不思議なこと…残念なことにオトーサンは蚊帳の外なのだ(笑)。

※大好きなファミリーのオカーサンとチュー
女房を起こしに来たラテに向かい「オトーサンにもチューしろ」と言ったとする。恩を着せるわけではないが朝夕の食事の用意から散歩、そして散歩後に体を綺麗にすることまでのほとんどをオトーサンがやっている。だから女房にチューをした “ついで” にすぐ横に居るオトーサンにもチューをしてくれるのが飼い犬の忖度というものではないか。

※好奇心はまだまだ旺盛
しかしラテはまず絶対というほどやってくれない。
太めの体を捻るようにして頭やマズルで蒲団を押しながらときに「ぐはっ」といった声を出す。照れているようにも思えるし時間稼ぎしているようにも思える。オトーサンがさらに粘って顔を近づけ「パパチューはどうした」というと向きを変えてお尻をぶつけに来る。
また、たまたまラテと真正面に向き合うときがあったとしよう。事実毎日そんな機会は多々あるわけだが、そうしたときにオトーサンが「チューしろ」と口を近づけた瞬間、ぷいっと顔をそむける。
まるで打ち合わせたギャグのようにだ。何度やっても見事に瞬間顔をそむける。

※電柱の影に太い身を隠す(笑)
何故なんだろうとオトーサンは考える…。嫌われているのだろうか(笑)。
我々人間の考える思考や感情と同じだとは思わないが、ラテが人の顔や口元を舐めに行くからにはその人が嫌いであるはずはない。好きであり、心を許した相手だからこその行為には違いない。
しかし自分でいうのもおかしいが、ラテにとってオトーサンは怖い存在に違いないと思っているが嫌われているという感覚はない。いやそう思いたい。
怖いときや不快なとき、ラテはオトーサンの膝に前両足をかけて訴えたり時には抱っこを要求する。チューと抱っこを一緒にしてはいけないのかも知れないが、その他日々の態度を観察している限りオトーサンをあからさまに嫌っている様子は見えない。
ではなぜチューをしないのか、してくれないのかだが、それにはワンコなりに何らかの理由がなくてはならない。

※珍しくオトーサンとカメラ目線のツーショット
長い間オトーサンは考えてきたが、先日ふと閃いた。
ワンコのチューは愛情の印だと人間様と同じような感覚で論ずる我々だが、それが間違っているというのではないものの、ワンコのチューは「愛情」の表現というより「甘え」の表現なのではないかと…。
無論相手の人間が大人であれ子供であれ、嫌いであればマズルを近づける前に唸るか吠えるに違いない。だからチューの相手は間違いなくラテにとって大好きな人間なのだ。
その好きな人間に「あたしは貴方が好きです。優しくしてね」という「甘え」…愛情表現ではなく…の表現だとすればオトーサンにチューをしない、嫌がることはどことなく分かるような気がする。
要はオトーサンはラテにとって信頼している人間ではあるが甘える対象ではないのではないか。
えっ、お前の言い草は都合のよいように物事を考えているだけで説得力がないって?
まあ、そうとでも考えないとオトーサンの立場というものがないわけだが、真相はラテが語ってくれないのだから闇の中だ。
とはいえ現実のラテはといえばまあまあ自己主張の強いワンコに育ったというべきか。自己主張というか好きと嫌い、OKとNOがはっきりしているのは驚くというか笑ってしまうほどだ。
例えばである。散歩に出れば大好きなファミリーのオカーサンやその長女Aちゃんと躊躇いもなくチューをする。それは我が家でも女房に対しては同様だ。

※ラテは12歳になりました
起床の際、女房は仕事が休みだからとグズグズしているとラテは起こしにかかる。のっそりと起き上がり女房の脇まで来て執拗に寝ているその口元を舐めたりする。
またオヤツを持っているといった機会があれば積極的にチューをしてそれをねだるラテだが、不思議なこと…残念なことにオトーサンは蚊帳の外なのだ(笑)。

※大好きなファミリーのオカーサンとチュー
女房を起こしに来たラテに向かい「オトーサンにもチューしろ」と言ったとする。恩を着せるわけではないが朝夕の食事の用意から散歩、そして散歩後に体を綺麗にすることまでのほとんどをオトーサンがやっている。だから女房にチューをした “ついで” にすぐ横に居るオトーサンにもチューをしてくれるのが飼い犬の忖度というものではないか。

※好奇心はまだまだ旺盛
しかしラテはまず絶対というほどやってくれない。
太めの体を捻るようにして頭やマズルで蒲団を押しながらときに「ぐはっ」といった声を出す。照れているようにも思えるし時間稼ぎしているようにも思える。オトーサンがさらに粘って顔を近づけ「パパチューはどうした」というと向きを変えてお尻をぶつけに来る。
また、たまたまラテと真正面に向き合うときがあったとしよう。事実毎日そんな機会は多々あるわけだが、そうしたときにオトーサンが「チューしろ」と口を近づけた瞬間、ぷいっと顔をそむける。
まるで打ち合わせたギャグのようにだ。何度やっても見事に瞬間顔をそむける。

※電柱の影に太い身を隠す(笑)
何故なんだろうとオトーサンは考える…。嫌われているのだろうか(笑)。
我々人間の考える思考や感情と同じだとは思わないが、ラテが人の顔や口元を舐めに行くからにはその人が嫌いであるはずはない。好きであり、心を許した相手だからこその行為には違いない。
しかし自分でいうのもおかしいが、ラテにとってオトーサンは怖い存在に違いないと思っているが嫌われているという感覚はない。いやそう思いたい。
怖いときや不快なとき、ラテはオトーサンの膝に前両足をかけて訴えたり時には抱っこを要求する。チューと抱っこを一緒にしてはいけないのかも知れないが、その他日々の態度を観察している限りオトーサンをあからさまに嫌っている様子は見えない。
ではなぜチューをしないのか、してくれないのかだが、それにはワンコなりに何らかの理由がなくてはならない。

※珍しくオトーサンとカメラ目線のツーショット
長い間オトーサンは考えてきたが、先日ふと閃いた。
ワンコのチューは愛情の印だと人間様と同じような感覚で論ずる我々だが、それが間違っているというのではないものの、ワンコのチューは「愛情」の表現というより「甘え」の表現なのではないかと…。
無論相手の人間が大人であれ子供であれ、嫌いであればマズルを近づける前に唸るか吠えるに違いない。だからチューの相手は間違いなくラテにとって大好きな人間なのだ。
その好きな人間に「あたしは貴方が好きです。優しくしてね」という「甘え」…愛情表現ではなく…の表現だとすればオトーサンにチューをしない、嫌がることはどことなく分かるような気がする。
要はオトーサンはラテにとって信頼している人間ではあるが甘える対象ではないのではないか。
えっ、お前の言い草は都合のよいように物事を考えているだけで説得力がないって?
まあ、そうとでも考えないとオトーサンの立場というものがないわけだが、真相はラテが語ってくれないのだから闇の中だ。
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