"PowerPC" って何の略称だか、知ってますか?
今年も後1ヶ月ほどを残すだけとなったが2009年はMacintosh登場から25年目になる記念すべき年でもあった。その間、言うまでもなく多くのそして様々な出来事があったが、手元にあるアップルが1994年に発行した「Welcom to Macintosh Business」というリーフレットを参考に、ちょうど15年前の様子を覗いてみよう。
現在こそ好調だが、日本のアップルマーケット15年間だけを眺めてもアップルの社長が度々代わり、企業の危機もささやかれたりと大きな変動があったことは記憶に新しい。
さて、手元にある「Welcom to Macintosh Business〜Macintoshプラットフォームガイド」は当時のアップルコンピュータ社のデベロッパマーケティング部門が配布した10ページほどのA4版資料であり、デベロッパおよびこれからアップルの市場に投資をしようと考える企業や個人をターゲットに用意されたものだ。

※アップルが1994年に発行した「Welcom to Macintosh Business」表紙
それらの概要は過去5年間を振り返り(1990年から1994年)、マーケットシェアおよび出荷台数の延びを報告すると共に、これからの方向性を明示してアップル市場に対する投資の保全にコミットし、自信をアピールする内容だった。
まず確認だが、1994年当時のアップルコンピュータ社は現在の初台ではなく、渋谷区千駄ヶ谷にオフィスがあり、別途サポートグループは世田谷区用賀に事務所を構えていた。また幕張にもオフィスがあったし大阪の中央区城見に大阪支店がある時代だった。
米国本社のCEOはマイケル・H・スピンドラー、日本法人の代表取締役社長は三田聖二氏だった。そして当時の主な製品ラインナップはといえば、PowerMacintosh 8100/80AV, Macintosh LC, PowerBook 540Cなどであったが、そのMacintosh本体は1994年4月に最初のPowerMacintoshが登場したばかりでありOSに関しては翌年に漢字Talk 7.5をリリースすることを明言していた時期にあった。

※「Welcom to Macintosh Business」では過去5年間におけるApple成長を誇らしげに述べているが....
また現在から見れば特異な戦略が始まってもいた。当時から賛否両論が飛び交っていたが、この頃はMac OSのライセンス供与をスタートしていた時期であり、事実数社からMacintoshの互換機が登場し始めていた。そしてこの "Open化" の波のさらなる象徴のひとつにOpenDocの存在があった。
OpenDocはApple社が提唱した新しいソフトウェア技術のコンポーネント・ソフトウェア・アーキテクチャであり、Novell社、IBM社、Taligent社そしてAdobe社と協同で開発を行っていると発表されていた。そしてPowerPC RISCの能力および新しいハードウェア・インタフェースとしてPCIバスとPCMCIAをアピールしていた時代だった。
そうした背景を踏まえ、アップルはこのリーフレットの最後に「投資の保全」と題し、アップルの新しい転換が、デベロッパたちのこれまでの投資や製品をそのまま活かしていける点を強調し、安心してこれらの開発を含めた積極的な投資を促している。
本リーフレットの8ページには「デベロッパの皆様への期待」と題しアップルからデベロッパに対して次の5つの期待が宣言されている。
1.Power Macintoshに最適化したソフトウェアの開発
2.漢字Talk 7.5の新機能に対応した製品の開発
3.新しいハードウェア・インタフェース(PCI/PCMCIA)に準拠した製品の開発
4.OpenDocに準拠したソフトウェアの開発
5.今後大きな成長が見込める特定分野(教育/マルチメディア/CAD/制御/ディスアビリティー等)向けの製品間開発
事実当時のデベロッパとしてはPowerPCに対応するという大きな目標があったと同時に、多くの開発者はOpenDocに期待し、開発のパワーをそれにシフトしたメーカーも多かった。しかし皮肉なことにOpenDocに大きな投資をした企業ほどアップルに裏切られることになる。
なぜなら近未来の目玉のひとつであったOpenDocそのものが挫折してしまったからだ。
OpenDocを支援する非営利団体のCI Labsがその標準化を進めたが、1997年3月のApple社による自社OS戦略の見直しによりCI Labsも6月に解散となった。
こうした現実を前にしてかなりのデベロッパがアップルに幻滅し、怒り、離れていったことも記憶に新しい。そして日本でも三田聖二社長就任が1年経過した時期におけるデベロッパやディストリビュータを集めたパーティにどうした訳か姿を見せず、その場で退職が発表されるという何ともみっともないハプニングもあった。
したがって前記の「デベロッパの皆様への期待」もまったく白々しいばかりでなくアップルは自社の都合により多くのデベロッパに生き死にの苦渋を舐めさせたのである。
これらによりアップルの土台が様々な面で揺らいでいる印象を強く我々に与えることにもなった。
しかし現実はOpenDocだけでなくNewtonしかり、Pippinしかり...アップルはデベロッパに多くの投資を要請し続けたにもかかわらず、自社の戦略とそのプラットフォーム自体が揺らぎ、そして消滅していったあれこれも多かった事実は記憶しておくべきだろう。
■タイトルの解答
ところで "PowerPC" という名称は "PowerPCマイクロプロセッサ" などといった使われ方をしているが「Welcom to Macintosh Business」によれば、PowerPCは "Performance Optimization with Enhanced RISC on Personal Computer" の略でRISCの能力をパーソナルコンピュータ上で最大限に引き出すことを意味している...と説明されている。それは何かこじつけのようでウソみたいだが、アップルの資料に明記されているのだから本当...なはずだ(笑)。
現在こそ好調だが、日本のアップルマーケット15年間だけを眺めてもアップルの社長が度々代わり、企業の危機もささやかれたりと大きな変動があったことは記憶に新しい。
さて、手元にある「Welcom to Macintosh Business〜Macintoshプラットフォームガイド」は当時のアップルコンピュータ社のデベロッパマーケティング部門が配布した10ページほどのA4版資料であり、デベロッパおよびこれからアップルの市場に投資をしようと考える企業や個人をターゲットに用意されたものだ。

※アップルが1994年に発行した「Welcom to Macintosh Business」表紙
それらの概要は過去5年間を振り返り(1990年から1994年)、マーケットシェアおよび出荷台数の延びを報告すると共に、これからの方向性を明示してアップル市場に対する投資の保全にコミットし、自信をアピールする内容だった。
まず確認だが、1994年当時のアップルコンピュータ社は現在の初台ではなく、渋谷区千駄ヶ谷にオフィスがあり、別途サポートグループは世田谷区用賀に事務所を構えていた。また幕張にもオフィスがあったし大阪の中央区城見に大阪支店がある時代だった。
米国本社のCEOはマイケル・H・スピンドラー、日本法人の代表取締役社長は三田聖二氏だった。そして当時の主な製品ラインナップはといえば、PowerMacintosh 8100/80AV, Macintosh LC, PowerBook 540Cなどであったが、そのMacintosh本体は1994年4月に最初のPowerMacintoshが登場したばかりでありOSに関しては翌年に漢字Talk 7.5をリリースすることを明言していた時期にあった。

※「Welcom to Macintosh Business」では過去5年間におけるApple成長を誇らしげに述べているが....
また現在から見れば特異な戦略が始まってもいた。当時から賛否両論が飛び交っていたが、この頃はMac OSのライセンス供与をスタートしていた時期であり、事実数社からMacintoshの互換機が登場し始めていた。そしてこの "Open化" の波のさらなる象徴のひとつにOpenDocの存在があった。
OpenDocはApple社が提唱した新しいソフトウェア技術のコンポーネント・ソフトウェア・アーキテクチャであり、Novell社、IBM社、Taligent社そしてAdobe社と協同で開発を行っていると発表されていた。そしてPowerPC RISCの能力および新しいハードウェア・インタフェースとしてPCIバスとPCMCIAをアピールしていた時代だった。
そうした背景を踏まえ、アップルはこのリーフレットの最後に「投資の保全」と題し、アップルの新しい転換が、デベロッパたちのこれまでの投資や製品をそのまま活かしていける点を強調し、安心してこれらの開発を含めた積極的な投資を促している。
本リーフレットの8ページには「デベロッパの皆様への期待」と題しアップルからデベロッパに対して次の5つの期待が宣言されている。
1.Power Macintoshに最適化したソフトウェアの開発
2.漢字Talk 7.5の新機能に対応した製品の開発
3.新しいハードウェア・インタフェース(PCI/PCMCIA)に準拠した製品の開発
4.OpenDocに準拠したソフトウェアの開発
5.今後大きな成長が見込める特定分野(教育/マルチメディア/CAD/制御/ディスアビリティー等)向けの製品間開発
事実当時のデベロッパとしてはPowerPCに対応するという大きな目標があったと同時に、多くの開発者はOpenDocに期待し、開発のパワーをそれにシフトしたメーカーも多かった。しかし皮肉なことにOpenDocに大きな投資をした企業ほどアップルに裏切られることになる。
なぜなら近未来の目玉のひとつであったOpenDocそのものが挫折してしまったからだ。
OpenDocを支援する非営利団体のCI Labsがその標準化を進めたが、1997年3月のApple社による自社OS戦略の見直しによりCI Labsも6月に解散となった。
こうした現実を前にしてかなりのデベロッパがアップルに幻滅し、怒り、離れていったことも記憶に新しい。そして日本でも三田聖二社長就任が1年経過した時期におけるデベロッパやディストリビュータを集めたパーティにどうした訳か姿を見せず、その場で退職が発表されるという何ともみっともないハプニングもあった。
したがって前記の「デベロッパの皆様への期待」もまったく白々しいばかりでなくアップルは自社の都合により多くのデベロッパに生き死にの苦渋を舐めさせたのである。
これらによりアップルの土台が様々な面で揺らいでいる印象を強く我々に与えることにもなった。
しかし現実はOpenDocだけでなくNewtonしかり、Pippinしかり...アップルはデベロッパに多くの投資を要請し続けたにもかかわらず、自社の戦略とそのプラットフォーム自体が揺らぎ、そして消滅していったあれこれも多かった事実は記憶しておくべきだろう。
■タイトルの解答
ところで "PowerPC" という名称は "PowerPCマイクロプロセッサ" などといった使われ方をしているが「Welcom to Macintosh Business」によれば、PowerPCは "Performance Optimization with Enhanced RISC on Personal Computer" の略でRISCの能力をパーソナルコンピュータ上で最大限に引き出すことを意味している...と説明されている。それは何かこじつけのようでウソみたいだが、アップルの資料に明記されているのだから本当...なはずだ(笑)。
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