iMac旋風に一役買った日本のデベロッパたちのビデオ紹介
いまiMacが売れているという。最大で27インチの液晶ディスプレイを持ち、そのパワーはMac Proをも凌ぐにもかかわらず低価格であるからだ。しかしここで言うところのiMacとは1998年5月に発表された初代iMacのことである。何しろこのマシンはすべてが新しかった...。
アップルに復帰したスティーブ・ジョブズが中心になりAppleの業績回復を狙い、秘密裏に開発されたというiMacはさまざまな意味に於いて斬新であり我々に大きなインパクトを与えたことはまだ記憶に新しい。
シドニーにあるビーチの名から付けたというボンダイブルーのトランスルーセントボディ、そして円形マウスは勿論のこと、何とフロッピーディスクドライブの採用を止めUSBを採用したというのもショッキングなことだった。そしてそのトランスルーセント...半透明なカラーリングは家電から文具、オモチャにいたるまで真似られ大流行した。
そしてMacユーザーとしての興味はその “iMac” の“i” がインターネットを意味するといわれ、その “i” はiPod、iPhoneなどその後のAppleを彩る製品名にも使われるようになったことも印象深い。
当時アップルのデベロッパだったひとりとして体感したiMac登場のあれこれは「初代ボンダイブルーのiMacを再考する」に詳しいので参考にしていただきたいが、今回はiMacの発表から早くも3ヶ月後に日本のデベロッパ10数社が初台のアップルジャパンに呼ばれ、1本のプロモーションVTR作成に一役買ったというお話しをしたい。
それまで多くのMacintoshが登場しては消えていったが私が1989年にMac専門のソフトウェア開発会社を起業し、2003年に解散する14年間に初代iMac登場のときのような熱狂はほとんどなかったと記憶している。
まあMacintoshはその登場から高価なパソコンであったしデザイナーとか音楽家といったある意味特別なユーザーが使うパーソナルコンピュータだといった評価もあった。そして事実そのシェアも小さなものだったから新製品の発表もそんなに大騒ぎをする必然性はなかったに違いない。
しかし1998年5月のWWDCの場で突然発表されたiMacはまさしく一般コンシューマのための製品だと位置付けられ価格も安価に設定されていた。したがって日本でもMacintoshのシェアを一気に伸ばす好機だと考えられたのも無理はない。
そして前記した「初代ボンダイブルーのiMacを再考する」でご紹介した通り、これまで製品発表があったとしてもデベロッパさえその発売日前に購入できるケースは少なかったわけだが、iMacはデベロッパに対する説明会の席で「何台必要か申し込んで下さい」とアップルが発言した最初のマシンでもあったのである。それだけ周到な準備を重ねて開発から出荷にいたるあれこれを秘密裏に進めていたAppleの強い意志もあったのだ。
ともかく製品の仕様も新しいものだったがアップルジャパンの我々デベロッパに対するアプローチもこれまでにない感触だった...。
そのひとつの証拠が私の手元にある「iMac Launch Event [Developer VTR / 3’ 27“]Aug, 29, 1998」と題する1本のプロモーションVTRである。

※「iMac Launch Event [Developer VTR / 3’ 27“]Aug, 29, 1998」と題されたビデオテープ
薄れた記憶に寄れば...1998年の8月のある日、アップルから電話が入った。
「アップルと親密なデベロッパの方たちのご協力を得て新製品 iMacのプロモーションビデオを撮影したいので参加願いたい」という主旨の話だった。
iMacが露出する多くの場でこの映像が流されるはずで、そこに私の会社の主要プロダクトも登場するとなれば断る理由もないしと指定の日時に初台のアップルジャパンのオフィスに向かった。
そこには見知った10数社のデベロッパの顔があり、いくつかのブロックに分けて10数秒程度の撮影が行われることになっていた。無論詳しいことはその場でプロデューサの方と急ぎ打ち合わせるといった即席なあれこれだったが、私の会社では「キューティマスコット」というインタラクティブなデスクトップ・アニメーション作成ソフトをアピールすることにした。なぜならiMacユーザーに最も合致するアプリケーションだとアップルからも評価されていたからである。
私はこの種の撮影に慣れてはいたものの、ほとんどのデベロッパの方たちはビデオカメラの前で打ち合わせした通りの台詞とアクションをスムーズにこなすことに慣れていなかったこともあってか私の出番になるまでかなり待たされた記憶がある(笑)。
それぞれのデベロッパはアップルの事務所のフロア内のどこで撮るか、何を喋るかなどなどを打ち合わせしつつ、インパクトを考慮した演出もあっただろうし、時間的制約もあるからしてプロデューサの指示で最終決定されたと記憶している。
したがってここに収録されているあれこれはデベロッパ自身が考えた台詞ばかりではなく、急遽プロデューサ側から提示されたスピーチに変更...といったケースもあった。だからだろうか...それぞれの演出や台詞は当事者が見てもいささかクサイ...(爆)。
しかしこのとき、アップルから選ばれたこの10数社はまさしく当時のコンシューマ市場において輝いていたデベロッパたちだったのである。
2分12秒あたりからの私自身の映像もいま見るとまさしく赤面物だが、台詞の語尾にインパクトが欲しいからと「Go!」と付けましょう等と撮影スタッフに言われた記憶がある...(笑)。
このVTRは編集完成後、出演した当事者たちに1本づつ配布されたものだが、実際どの程度のシーンで使われたのかについてはあまり記憶がない。しかしその場にいたデベロッパの方々の意欲に燃えた輝かしい顔、顔、顔はいまでも強く印象に残っている。それだけ皆このiMacへの期待が大きかったのだ。
さて、それから早くも11年が過ぎたいま、これまた魅力的な液晶iMacの登場がニュースになってはいるが、初代iMac登場当時のようなデベロッパの喜びの顔が見えてこないのは残念なことである。
アップルに復帰したスティーブ・ジョブズが中心になりAppleの業績回復を狙い、秘密裏に開発されたというiMacはさまざまな意味に於いて斬新であり我々に大きなインパクトを与えたことはまだ記憶に新しい。
シドニーにあるビーチの名から付けたというボンダイブルーのトランスルーセントボディ、そして円形マウスは勿論のこと、何とフロッピーディスクドライブの採用を止めUSBを採用したというのもショッキングなことだった。そしてそのトランスルーセント...半透明なカラーリングは家電から文具、オモチャにいたるまで真似られ大流行した。
そしてMacユーザーとしての興味はその “iMac” の“i” がインターネットを意味するといわれ、その “i” はiPod、iPhoneなどその後のAppleを彩る製品名にも使われるようになったことも印象深い。
当時アップルのデベロッパだったひとりとして体感したiMac登場のあれこれは「初代ボンダイブルーのiMacを再考する」に詳しいので参考にしていただきたいが、今回はiMacの発表から早くも3ヶ月後に日本のデベロッパ10数社が初台のアップルジャパンに呼ばれ、1本のプロモーションVTR作成に一役買ったというお話しをしたい。
それまで多くのMacintoshが登場しては消えていったが私が1989年にMac専門のソフトウェア開発会社を起業し、2003年に解散する14年間に初代iMac登場のときのような熱狂はほとんどなかったと記憶している。
まあMacintoshはその登場から高価なパソコンであったしデザイナーとか音楽家といったある意味特別なユーザーが使うパーソナルコンピュータだといった評価もあった。そして事実そのシェアも小さなものだったから新製品の発表もそんなに大騒ぎをする必然性はなかったに違いない。
しかし1998年5月のWWDCの場で突然発表されたiMacはまさしく一般コンシューマのための製品だと位置付けられ価格も安価に設定されていた。したがって日本でもMacintoshのシェアを一気に伸ばす好機だと考えられたのも無理はない。
そして前記した「初代ボンダイブルーのiMacを再考する」でご紹介した通り、これまで製品発表があったとしてもデベロッパさえその発売日前に購入できるケースは少なかったわけだが、iMacはデベロッパに対する説明会の席で「何台必要か申し込んで下さい」とアップルが発言した最初のマシンでもあったのである。それだけ周到な準備を重ねて開発から出荷にいたるあれこれを秘密裏に進めていたAppleの強い意志もあったのだ。
ともかく製品の仕様も新しいものだったがアップルジャパンの我々デベロッパに対するアプローチもこれまでにない感触だった...。
そのひとつの証拠が私の手元にある「iMac Launch Event [Developer VTR / 3’ 27“]Aug, 29, 1998」と題する1本のプロモーションVTRである。

※「iMac Launch Event [Developer VTR / 3’ 27“]Aug, 29, 1998」と題されたビデオテープ
薄れた記憶に寄れば...1998年の8月のある日、アップルから電話が入った。
「アップルと親密なデベロッパの方たちのご協力を得て新製品 iMacのプロモーションビデオを撮影したいので参加願いたい」という主旨の話だった。
iMacが露出する多くの場でこの映像が流されるはずで、そこに私の会社の主要プロダクトも登場するとなれば断る理由もないしと指定の日時に初台のアップルジャパンのオフィスに向かった。
そこには見知った10数社のデベロッパの顔があり、いくつかのブロックに分けて10数秒程度の撮影が行われることになっていた。無論詳しいことはその場でプロデューサの方と急ぎ打ち合わせるといった即席なあれこれだったが、私の会社では「キューティマスコット」というインタラクティブなデスクトップ・アニメーション作成ソフトをアピールすることにした。なぜならiMacユーザーに最も合致するアプリケーションだとアップルからも評価されていたからである。
私はこの種の撮影に慣れてはいたものの、ほとんどのデベロッパの方たちはビデオカメラの前で打ち合わせした通りの台詞とアクションをスムーズにこなすことに慣れていなかったこともあってか私の出番になるまでかなり待たされた記憶がある(笑)。
それぞれのデベロッパはアップルの事務所のフロア内のどこで撮るか、何を喋るかなどなどを打ち合わせしつつ、インパクトを考慮した演出もあっただろうし、時間的制約もあるからしてプロデューサの指示で最終決定されたと記憶している。
したがってここに収録されているあれこれはデベロッパ自身が考えた台詞ばかりではなく、急遽プロデューサ側から提示されたスピーチに変更...といったケースもあった。だからだろうか...それぞれの演出や台詞は当事者が見てもいささかクサイ...(爆)。
しかしこのとき、アップルから選ばれたこの10数社はまさしく当時のコンシューマ市場において輝いていたデベロッパたちだったのである。
2分12秒あたりからの私自身の映像もいま見るとまさしく赤面物だが、台詞の語尾にインパクトが欲しいからと「Go!」と付けましょう等と撮影スタッフに言われた記憶がある...(笑)。
このVTRは編集完成後、出演した当事者たちに1本づつ配布されたものだが、実際どの程度のシーンで使われたのかについてはあまり記憶がない。しかしその場にいたデベロッパの方々の意欲に燃えた輝かしい顔、顔、顔はいまでも強く印象に残っている。それだけ皆このiMacへの期待が大きかったのだ。
さて、それから早くも11年が過ぎたいま、これまた魅力的な液晶iMacの登場がニュースになってはいるが、初代iMac登場当時のようなデベロッパの喜びの顔が見えてこないのは残念なことである。
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