ビジネス回顧録〜アップルでやった500万円のプレゼン!
何だか生々しく露骨なタイトルに思えるが、これがこれからお話しする思い出の正直なイメージなのである。さて、足かけ14年間アップルのデベロッパーをやっている中で新製品の開発が佳境になる頃、私は必ずアップルジャパンに出向いてそのプレゼンテーションをすることにしていた。今回はある時のプレゼンで遭遇した希有な思い出である。
新製品を開発する度、私はアップルジャパンのデベロッパーリレーションズ担当者に声をかけ、その製品コンセプトやMacintoshのキラーアプリになり得るであろう機能などを知っていただくためにとプレゼンテーションをさせてもらうのを常としていた。
無論アップルはソフトウェア開発会社の我々にとって商品の販売先ではない。プレゼンテーションをしたからといって「それ1,000本いただきましょう」などと言ってくれる相手ではない(笑)。しかし申し上げるまでもなく我々アップルのデベロッパーにとってアップルジャパンは何といっても総本山でありその担当者らに製品の存在を知ってもらうことの意義は小さくはなく、我々の開発能力を高さを認知していただくことで第三者からの開発依頼の話を振っていただくこともあったし、Performaへのバンドルはこうしたプレゼン無くしてはあり得なかったと思っている。
1994年の夏のことだった。「QTアルバム」と名付けた電子アルバムソフト製品化のめどが立ったのでいつものとおりアップルジャパンに連絡しプレゼンテーションさせていただくことにした。
アップルジャパンがまだ千駄ヶ谷のビルに入っていた時代だが1階の中央あたりに位置していたブリーフィングルームに通された私は早速持参したPowerBookを大型モニターに接続し、プレゼンの準備を始めた。
デベロッパーリレーションズの担当者がいつものように声をかけて下さったおかげで他部署の人たちも集まりつつあった。

※千駄ヶ谷にあったアップルジャパン1階のレイアウト。中央にブリーフィングルームがある
ところでその時代は後の2000年前後と比較してまだ経済的に余裕があった時代だったが企業の常として...いや経営者のはしくれとして資金繰りにはいろいろな意味で頭を痛める機会が多かった。
アップルジャパンに向かうため、新宿本社があるマンションを出た私は青い空を見上げながら頭の端に来月末の資金繰りに必要な500万円の捻出をどのようにするか、その可能性のあれこれを考えていた。
翌々月になれば資金繰りは潤沢に回るはずだったし、当時は取引銀行に行けば借り入れできることはほぼ分かっていたが出来ることなら借金はしたくなかった...。
そんなことを考えながらアップルジャパンのプレゼンルームに入り、プレゼンの準備をするうちにそうした雑念は消えていった。
部屋のあちらこちらにアップルの各部署から来てくれたスタッフらの顔が見える。そのほとんどの方たちとは顔見知りだったがそのとき1人の中年の男性が入ってきて私の近くに座った。これまで名刺交換した記憶はないがアップルの社員であることは間違いない。
ともかく準備ができた私は部屋の照明を落としてもらい、電子アルバムソフト「QTアルバム」のコンセプトならびにデジカメで撮った写真をいかに簡単にそして思うとおりの作品作りが出来るか。そしてその共有が可能になるかを力説しながら実際にMacintoshを操作しプレゼンを続けた...。
時間にして4, 50分だったろうか。一通りのプレゼンが終わり部屋の照明が明るくなったとき先ほどの男性が名刺を持って近づいてきた。
やはり初対面の方だったが、アップのとある営業部署の課長という肩書きだった。
型どおりの挨拶が終わった後、彼の口から飛び出た言葉に私は表情には出さなかったものの驚喜した...。
彼の話しは「いまプレゼンを拝見したが、自分が販売促進に取り組んでいるマーケットに配布する最適なアイテムだと直感した。いま500万円の予算があるがそれで3,000個の特別配布版作成を許可いただけないか?」というものだった。
驚いたというのは...前記したようにアップルジャパン自身が我々デベロッパーの製品を買い上げるという例はほとんどあり得ないと考えてきたから、後のPerformaへのバンドルといったことを別にしてこうした単刀直入な話に発展する機会があるなど夢にも思わなかったことがひとつ...。そして何よりも先ほどまで「500万、500万...」と頭の中で反芻していたその数字ぴったりの額の購入依頼があったことに大げさでなく「生かされている」という実感に包まれたのである。そして世の中は捨てたものではないなあ...と心から思った。
この出来事を偶然の一言で済ませてしまうのは容易いが、些かできすぎてはいないだろうか(笑)。こうした出来事の確率を計算したらそれこそ天文学的な結果になるのではないだろうか...。
世の中には「嘘だあ。古い話だからと面白可笑しく作り話をしているのでは?」と疑る人もいるかも知れない。私にとってもそんな言われようをされても当然だと思うようなドンピシャな出来事だったのである。
まあここでは作り話ではないことを示すため、当時の注文書を示しておこう(笑)。

※当該出来事を証明するアップルの注文書(笑)
ともかくこの商談は即決されマスターとなるアプリケーションと簡易デジタルマニュアルを含むフロッピーディスク一枚とパッケージに記載するクレジットや欠かせないデザインパーツなどをデジタルで提示しただけで作業は完了した。無論請求額は間違いなくスムーズに入金された。
このときのあれこれが深く心に刻まれているのはほかでもない...。14年間でただ1回、この時だけのアップルジャパンへのダイレクト販売だったからだ。
新製品を開発する度、私はアップルジャパンのデベロッパーリレーションズ担当者に声をかけ、その製品コンセプトやMacintoshのキラーアプリになり得るであろう機能などを知っていただくためにとプレゼンテーションをさせてもらうのを常としていた。
無論アップルはソフトウェア開発会社の我々にとって商品の販売先ではない。プレゼンテーションをしたからといって「それ1,000本いただきましょう」などと言ってくれる相手ではない(笑)。しかし申し上げるまでもなく我々アップルのデベロッパーにとってアップルジャパンは何といっても総本山でありその担当者らに製品の存在を知ってもらうことの意義は小さくはなく、我々の開発能力を高さを認知していただくことで第三者からの開発依頼の話を振っていただくこともあったし、Performaへのバンドルはこうしたプレゼン無くしてはあり得なかったと思っている。
1994年の夏のことだった。「QTアルバム」と名付けた電子アルバムソフト製品化のめどが立ったのでいつものとおりアップルジャパンに連絡しプレゼンテーションさせていただくことにした。
アップルジャパンがまだ千駄ヶ谷のビルに入っていた時代だが1階の中央あたりに位置していたブリーフィングルームに通された私は早速持参したPowerBookを大型モニターに接続し、プレゼンの準備を始めた。
デベロッパーリレーションズの担当者がいつものように声をかけて下さったおかげで他部署の人たちも集まりつつあった。

※千駄ヶ谷にあったアップルジャパン1階のレイアウト。中央にブリーフィングルームがある
ところでその時代は後の2000年前後と比較してまだ経済的に余裕があった時代だったが企業の常として...いや経営者のはしくれとして資金繰りにはいろいろな意味で頭を痛める機会が多かった。
アップルジャパンに向かうため、新宿本社があるマンションを出た私は青い空を見上げながら頭の端に来月末の資金繰りに必要な500万円の捻出をどのようにするか、その可能性のあれこれを考えていた。
翌々月になれば資金繰りは潤沢に回るはずだったし、当時は取引銀行に行けば借り入れできることはほぼ分かっていたが出来ることなら借金はしたくなかった...。
そんなことを考えながらアップルジャパンのプレゼンルームに入り、プレゼンの準備をするうちにそうした雑念は消えていった。
部屋のあちらこちらにアップルの各部署から来てくれたスタッフらの顔が見える。そのほとんどの方たちとは顔見知りだったがそのとき1人の中年の男性が入ってきて私の近くに座った。これまで名刺交換した記憶はないがアップルの社員であることは間違いない。
ともかく準備ができた私は部屋の照明を落としてもらい、電子アルバムソフト「QTアルバム」のコンセプトならびにデジカメで撮った写真をいかに簡単にそして思うとおりの作品作りが出来るか。そしてその共有が可能になるかを力説しながら実際にMacintoshを操作しプレゼンを続けた...。
時間にして4, 50分だったろうか。一通りのプレゼンが終わり部屋の照明が明るくなったとき先ほどの男性が名刺を持って近づいてきた。
やはり初対面の方だったが、アップのとある営業部署の課長という肩書きだった。
型どおりの挨拶が終わった後、彼の口から飛び出た言葉に私は表情には出さなかったものの驚喜した...。
彼の話しは「いまプレゼンを拝見したが、自分が販売促進に取り組んでいるマーケットに配布する最適なアイテムだと直感した。いま500万円の予算があるがそれで3,000個の特別配布版作成を許可いただけないか?」というものだった。
驚いたというのは...前記したようにアップルジャパン自身が我々デベロッパーの製品を買い上げるという例はほとんどあり得ないと考えてきたから、後のPerformaへのバンドルといったことを別にしてこうした単刀直入な話に発展する機会があるなど夢にも思わなかったことがひとつ...。そして何よりも先ほどまで「500万、500万...」と頭の中で反芻していたその数字ぴったりの額の購入依頼があったことに大げさでなく「生かされている」という実感に包まれたのである。そして世の中は捨てたものではないなあ...と心から思った。
この出来事を偶然の一言で済ませてしまうのは容易いが、些かできすぎてはいないだろうか(笑)。こうした出来事の確率を計算したらそれこそ天文学的な結果になるのではないだろうか...。
世の中には「嘘だあ。古い話だからと面白可笑しく作り話をしているのでは?」と疑る人もいるかも知れない。私にとってもそんな言われようをされても当然だと思うようなドンピシャな出来事だったのである。
まあここでは作り話ではないことを示すため、当時の注文書を示しておこう(笑)。

※当該出来事を証明するアップルの注文書(笑)
ともかくこの商談は即決されマスターとなるアプリケーションと簡易デジタルマニュアルを含むフロッピーディスク一枚とパッケージに記載するクレジットや欠かせないデザインパーツなどをデジタルで提示しただけで作業は完了した。無論請求額は間違いなくスムーズに入金された。
このときのあれこれが深く心に刻まれているのはほかでもない...。14年間でただ1回、この時だけのアップルジャパンへのダイレクト販売だったからだ。
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