1990年に開催した Video Magician発表会の思い出
1989年に起業してからこのかた、MACWORLD Expo/Tokyoは勿論だがいわゆるプライベートなイベントも多く経験してきた。しかしイベント慣れした私にとっても一番最初に開催した自社主催のイベントであった「Video Magician II 発表会」の思い出は忘れられないものがある...。
私たちは起業したその年の暮れ、デジタルビデオ・システムの核となる「Video Magician」というアプリケーションを開発し翌年のビジネスショーでアップルジャパンのブースを借り発表した。
お陰様で大変よい反応をいただいたこともありイベントの難しさはもとよりだがその面白さを知ることになった。なにしろQuickTimeはまだ影も形もない時代だったのだ。
問題は現在のようにインターネットなど私たちの眼前にはない時代であり幾多の取材記事が出たとはいえより多くの方々に知ってもらうためにはどうしたらよいかを考えなければならない時代だった。それに後に多く開発したアプリケーションとは違いこの「Video Magician」には専用のビデオカードが必要だったし、Macはもとより使用するハードディスクも当時として最良・最大のスペックを求められたことでもありコンシューマ向けとして初のデジタルビデオ・システムではあったがソフトウェアの価格は25万円に決めた。
したがってMacとハードディスクは別にしても「Video Magician」を活用するには有に80万円ほどの予算が必要だったし趣味で使っていただくツールではなくビジネスを指向したシステムだったといえる。
その上、我々の会社は起業したばかりでありこうした製品を有効に使っていただくターゲットユーザーの情報もなくダイレクトメールを出すわけにもいかなかった。
いろいろと考えた結果、まずはメディアは勿論市場の注目を浴びる必要があるという結論に達した。
結局自社主催の製品発表会をやってみようということになった。問題はそのやり方であるが、これまた我々には経験がなかったことでもあり思案することになったが「Video Magician」使用に不可欠なPersonal Visionというビデオカードの日本総代理店であったスワイヤトランステック社の協力を得ることになった。
日程などを決めながら同社に動いていただき1990年11月22日、千代田区の日本海運倶楽部にて「Video Magician発表会」を行うことになり、高性能なハードディスク活用もアピールしなければならないとフォーカルポイント・コンピュータ社の恩田社長にもお声をかけコーシングラフィックシステムズ、スワイヤトランステック、フォーカルポイント・コンピュータの3社主催ということで準備を始めることになった。

※受付会場の機器をチェックする筆者。中央後方はフォーカルポイント・コンピュータ社の恩田社長、左後方はスワイヤトランステック社の後藤課長
次の問題は発表会の中身である。製品活用に必要な機器類の紹介やアプリケーションの使用などについて時間を割くのは当然としてもそれだけでは人を会場に引き寄せる魅力にかける...。
そこで基調講演という堅いものではなかったが、Macを中心に見据えた市場の動向を踏まえ、評論家/作家の紀田順一郎さんおよびMACLIFE誌の編集長だった高木利弘さんに講演を行っていただくことになった。


※「Video Magician II 発表会」で講演を行う紀田順一郎先生(上)と高木利弘氏(下) 但しカメラ設定の日付は21日になっているが実際は22日に開催(笑)
さらに発表会終了後には会場を移して立食パーティーを用意し関係者はもとより来場してくださった方々との親睦を深めようと考えた。そして主催の3社共同で招待状という形で発表会の告知をし、当日に備えたのである。
思えばこのとき、アップルジャパンに声をかけなかったのが不思議だが、我々がまだそうしたあれこれを依頼できる絆ができていない時代だったのだろう。
結果当日は200名以上の方々に来場いただき、我々初のイベントとしては大成功だったと思っている。そして共同開催とはいえ僭越ながら主軸は我々の「Video Magician」だったことはイベントのタイトルからして間違いなかった(笑)。
発表会が終了後も、壇上には次から次と来場者が上がり我々は質問攻めに合った...。


※「Video Magician II 発表会」における自社製品のプレゼン(上)。そしてプレゼン終了後に壇上で質問攻めに合う(下)
そしてこのイベントがある意味で私たちの企業イメージの基礎を形作ったようだ。それは国内のソフトウェアハウス、それも希有なMacintosh専門の開発会社から他に先駆けて時代の先を行くソフトウェアを生み出したことで以降はより多くの取材依頼が舞い込んだだけでなく特別注文の開発依頼も舞い込み始めたのである。

※イベント効果か映像の専門誌「映像情報」1991年4月号には特集として巻頭を飾った
たった1日だけのイベントではあったが満足な点はともかく反省すべきあれこれも多く、この初のプライベートイベントの経験は後に札幌支店主催の「Macintoshの匠たち」や「QuickTimeは明日を変える〜Macintosh Revolution」などに活かされることになったのである。
私たちは起業したその年の暮れ、デジタルビデオ・システムの核となる「Video Magician」というアプリケーションを開発し翌年のビジネスショーでアップルジャパンのブースを借り発表した。
お陰様で大変よい反応をいただいたこともありイベントの難しさはもとよりだがその面白さを知ることになった。なにしろQuickTimeはまだ影も形もない時代だったのだ。
問題は現在のようにインターネットなど私たちの眼前にはない時代であり幾多の取材記事が出たとはいえより多くの方々に知ってもらうためにはどうしたらよいかを考えなければならない時代だった。それに後に多く開発したアプリケーションとは違いこの「Video Magician」には専用のビデオカードが必要だったし、Macはもとより使用するハードディスクも当時として最良・最大のスペックを求められたことでもありコンシューマ向けとして初のデジタルビデオ・システムではあったがソフトウェアの価格は25万円に決めた。
したがってMacとハードディスクは別にしても「Video Magician」を活用するには有に80万円ほどの予算が必要だったし趣味で使っていただくツールではなくビジネスを指向したシステムだったといえる。
その上、我々の会社は起業したばかりでありこうした製品を有効に使っていただくターゲットユーザーの情報もなくダイレクトメールを出すわけにもいかなかった。
いろいろと考えた結果、まずはメディアは勿論市場の注目を浴びる必要があるという結論に達した。
結局自社主催の製品発表会をやってみようということになった。問題はそのやり方であるが、これまた我々には経験がなかったことでもあり思案することになったが「Video Magician」使用に不可欠なPersonal Visionというビデオカードの日本総代理店であったスワイヤトランステック社の協力を得ることになった。
日程などを決めながら同社に動いていただき1990年11月22日、千代田区の日本海運倶楽部にて「Video Magician発表会」を行うことになり、高性能なハードディスク活用もアピールしなければならないとフォーカルポイント・コンピュータ社の恩田社長にもお声をかけコーシングラフィックシステムズ、スワイヤトランステック、フォーカルポイント・コンピュータの3社主催ということで準備を始めることになった。

※受付会場の機器をチェックする筆者。中央後方はフォーカルポイント・コンピュータ社の恩田社長、左後方はスワイヤトランステック社の後藤課長
次の問題は発表会の中身である。製品活用に必要な機器類の紹介やアプリケーションの使用などについて時間を割くのは当然としてもそれだけでは人を会場に引き寄せる魅力にかける...。
そこで基調講演という堅いものではなかったが、Macを中心に見据えた市場の動向を踏まえ、評論家/作家の紀田順一郎さんおよびMACLIFE誌の編集長だった高木利弘さんに講演を行っていただくことになった。


※「Video Magician II 発表会」で講演を行う紀田順一郎先生(上)と高木利弘氏(下) 但しカメラ設定の日付は21日になっているが実際は22日に開催(笑)
さらに発表会終了後には会場を移して立食パーティーを用意し関係者はもとより来場してくださった方々との親睦を深めようと考えた。そして主催の3社共同で招待状という形で発表会の告知をし、当日に備えたのである。
思えばこのとき、アップルジャパンに声をかけなかったのが不思議だが、我々がまだそうしたあれこれを依頼できる絆ができていない時代だったのだろう。
結果当日は200名以上の方々に来場いただき、我々初のイベントとしては大成功だったと思っている。そして共同開催とはいえ僭越ながら主軸は我々の「Video Magician」だったことはイベントのタイトルからして間違いなかった(笑)。
発表会が終了後も、壇上には次から次と来場者が上がり我々は質問攻めに合った...。


※「Video Magician II 発表会」における自社製品のプレゼン(上)。そしてプレゼン終了後に壇上で質問攻めに合う(下)
そしてこのイベントがある意味で私たちの企業イメージの基礎を形作ったようだ。それは国内のソフトウェアハウス、それも希有なMacintosh専門の開発会社から他に先駆けて時代の先を行くソフトウェアを生み出したことで以降はより多くの取材依頼が舞い込んだだけでなく特別注文の開発依頼も舞い込み始めたのである。

※イベント効果か映像の専門誌「映像情報」1991年4月号には特集として巻頭を飾った
たった1日だけのイベントではあったが満足な点はともかく反省すべきあれこれも多く、この初のプライベートイベントの経験は後に札幌支店主催の「Macintoshの匠たち」や「QuickTimeは明日を変える〜Macintosh Revolution」などに活かされることになったのである。
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