二度目の白内障手術顛末記
2016年11月に続き、先月2月27日に今度は右目の白内障手術をやった。今回は二度目なので多少心の余裕があったが,実際にその場になればやはり緊張する。前回はポッドキャストでその様子をお届けしたが今回はこうした記事で記録を残しておこうと思う。
■プロローグ
白内障の経験がある方には説明の必要もないだろうが、視界がぼやけて見えないのは実に不便である。例えて言うなら病気が進むと視界は曇りガラス状態になってしまう。近景も遠景も関係なく見えないものは見えない…。
これを直すには手術しかないわけだが、どのような手術も気が重い。特に白内障手術は眼を見開いての手術だけに心理的に怖いという気持ちが先行する。
例えば執刀医のメスが迫ってくるのが見えたとすればそれは嫌だ(笑)。

※手術は日本医科大学多摩永山病院で行った
そんな不安と手術の顛末はポッドキャストをお聞きいただきたいが、同じ大学病院での手術だとはいえ様子が些か違っていたのも事実だった。
まずは手術の決断をし定期的に診察を受けているクリニックに紹介状を書いてもらって大学病院に出向く。ここで診察と手術日などを決めることになるが、細部にわたる説明はさすがに一度経験しているので安心して聞くことが出来た。
ともかく眼科はとても…非常に混んでいる。したがって手術日も1ヶ月半ほど後になったがこればかりは仕方がない。
その間二度病院へ行き検査や説明などを受けたが早くも手術の当日がやってきた…。
その日は朝8時30分までに病院に入らなければならなかったが、手続き上は一日入院の形になるものの特別なアクシデントがない限り即日退院し帰宅することができる。
■手術の順番を待つ
とにかく大学病院というところはひたすら待つことを要求される。受付を8時30分前に一番でやったからといって手術が一番になるわけではないようだ。
一時間半ほど待ってやっとベッドに案内されたが今回は三人部屋の真ん中。目薬やら血圧測定などの世話をしてくださる看護師さんいわく私の手術の順番は六番目だという。
患者番号や生年月日がプリントされているリストバンドをされ、支給された寝間着みたいな上衣に着替えて待つ。
「昼前には呼ばれると思いますよ」とのこと。
ベッドに横になってみたが狭くてリラックスできないしテレビを見る気分でもない。たまにiPhoneを取りだしてみることぐらいしかやることがないが、そういえば病室では通話は禁止だけどメールやらの使用はOKという時代になったのはいつの頃から…。昔はノートパソコンの持ち込みも禁止されたし、利用するには個室でないとダメと言われたときもあったから有り難い。
そんなことを考えているとやっと順番が回ってきた…。
「さあ、手術室にいきましょう」と声をかけられるが、前回は病室から車椅子で手術室のある別の病棟まで向かったが今回は歩き…。
手術棟の控え室に入ると車椅子に座らされて待機となるが約10分ほど待つといよいよ私の番になった。
車椅子のまま手術室に入り、専用の椅子に座らされ履き物を替え、頭にはキャップをそして腕には血圧計と胸には心電図をモニターするためか円盤のプレートを数カ所貼られる。
今回は右目なのでそこだけ開いているシートを顔に掛けられ瞼を開ける器具を装着。視界は明るい照明で覆われる…。したがって部屋の様子はもとより執刀医の顔は見えない(笑)。
■手術の感想
手術が始まると執刀医が多々声をかけてくれるが、今回私の手術に臨む方はひとりではなくどうやらインターンあるいは助手という立場の人がいることがわかる。専門用語なので話しの意味は分からないものの何かを渡すように指示したり、洗浄液かを眼に流すように指示したりしながら執刀を進めていく。
ただし視界は塞がれているので回りの様子はまったくわからないものの、前回と比較するとどこかアナログ感といったらよいのか、執刀医の息づかいというと大げさだが、人間の手で手術を受けているといった感覚があるのだ。
無論実際がどうであったかは不明だが前回はどこか執刀医は顕微鏡を見つめ、遠隔操作のレーザーメスで手術をしているといったイメージがあったのだが…。
それはともかく一番の違いはどうしたことか「痛かった」ことだ。前回は異物感はあっても手術中に痛みはまったくなかったが、今回はメスだか針だか知らないが我慢の限界になったので痛いと言葉に出した。
結果、麻酔を追加してもらう。おかげで人工レンズを装着するあたりからは痛みは感じなくなった。どうも私の右目は瞳孔が開きにくいといった眼のようでそんな説明を執刀医がしつつ「問題なく進んでいますから大丈夫ですよ」とはいうがいずれにしても痛いのは嫌だ。

※術後の右目はガーゼの固まりで覆われる
今回は手術室に入るときに時間を確認しておいたが、ちょうど30分で手術は終わり、相変わらず右目には分厚いガーゼが絆創膏で固定された。これは明日の検診までは取ってはならないとのこと。
ということで病室までは車椅子に乗って帰還となった。
これから約一時間ほど術後の経過に問題がないかの確認を含めて病室で待機することになるが、この時間を利用して昼飯が出る。まあ病院食だから期待はできないが、正直腹が減っていたし女房がコンビニで買っておいてくれたコロッケを追加し完食。
時間がきたのか看護師から術後の注意や目薬の点しかたなどの指示があり「今日はこのままお帰りになっていいですよ」と言われホットする。ただし前回同様分厚く特大サイズのガーゼで右目が覆われているため眼鏡がかけられず、別途用意してきた(前回も使った)ゴーグル型の保護めがねを着けて帰ることになった。

※ゴーグル型の保護めがね。これだとガーゼをカバーできる
今回も女房に全面的なサポートをしてもらったが、片眼であることはもとより眼鏡が使えないのでド近眼の左目だけでは安心して歩けないからだ。
■術後のケアが大変
こうして病院を後にしたが、どうしても左目の手術のときと比較してしまう。
2016年11月の左目手術は手術中の痛みはまったくなかったが就寝の頃になるとかなりのゴロゴロ感が出て来て心配になってきた。ちょうど初めてハードコンタクトレンズを装着したときの感じといったらよいのか…。しかしガーゼは絶対外してはいけないと言われていたからその上に保護めがねをしたまま床に入ったが、疲れもあったのかすぐに寝てしまい、明け方に目が覚めたときにはゴロゴロ感が取れていたので安心したことを覚えている。
対して今回の右目は麻酔のおかげで痛みは感じないが、そのゴロゴロ感が最初からついて回っている。この違いの理由が分からないだけに不安だが我慢するしかない。
そして夕刻には愛犬の散歩が待っている。保護メガネをつけ、これまた女房と一緒に散歩に出たが幸いというか天気が悪かったこともあり短めに終えることが出来た。
ともかく不自由な目でなにをする訳にもいかずに早めに就寝とした。勿論一週間は保護めがねは着けたまま寝なくてはならない。
ただし寝る頃になるとゴロゴロ感はかなり薄れたこともあり寝てしまった。
翌日は9時30分に診察の予約を入れてあるのでこれまた愛犬の散歩は早々に終えて病院に向かう。
その日もかなり待たされたがまずは分厚いガーゼが外されると幸い視界はクリアで問題はないようだ。視力検査も矯正視力ではあるが1.2まで出た。

※ガーゼが外れた後はUVカット仕様のスマートで機能性に優れた保護めがねに変えた
経過は良好ということでまずは一安心だが、これから一週間はゴーグル着けて寝なければならず、顔を洗ったりは我慢せざるを得ない。また術後に一日4回点す目薬が三種類、これまで使ってきた緑内障用の目薬三種と共に朝・昼・夕・就寝前の4回使い分けて点さなければならない。それも連続的に点しては駄目で次の目薬までは最低5分間は空けなければならない。
実に面倒くさい。

※左三種が今回の術後に追加された目薬
■エピローグ
無論そうした面倒や不自由を克服すればこれまでとは別世界がやってくる。いや、これは大げさな物言いではなく見えなかったのが見えるという健常者にとって当たり前のことがいかに素晴らしいことなのかが分かるのだ。
私の場合、もともと左右の視力が極端に違っていたからメガネやコンタクトレンズは欠かせなかった。それでも両眼で眼前にあるモニターの文字や手にした本の文字にぴたりとピントが合うのは何十年ぶりか…。
言い忘れたが、左右共に人工レンズは40センチほどにピントが合う、いわば単焦点レンズだ。ということは術後視力が安定してきて気がついたことだが両眼共に手元がよく見えるということだったが、これは老眼が矯正されたことに等しいのではないか。
言い方を変えれば近くが見えて遠くが多少ボケるという視力はそれこそ中学生のころ黒板が見えずに席を前にしてもらったり、それでも不自由だったので初めて眼鏡をかけたときと同じともいえる(笑)。
勿論少年の時には緑内障もなければ飛蚊症も目立たなかったからまったく同じではないが、こと単純に視力の問題なら57年ほど前に戻ったともいえるのかも。
それはともかく一般的な白内障は手術で治せるわけだから、もし不自由されている方がいらっしゃれば早めに信頼できる眼科医に相談されることをお勧めしたい。
■プロローグ
白内障の経験がある方には説明の必要もないだろうが、視界がぼやけて見えないのは実に不便である。例えて言うなら病気が進むと視界は曇りガラス状態になってしまう。近景も遠景も関係なく見えないものは見えない…。
これを直すには手術しかないわけだが、どのような手術も気が重い。特に白内障手術は眼を見開いての手術だけに心理的に怖いという気持ちが先行する。
例えば執刀医のメスが迫ってくるのが見えたとすればそれは嫌だ(笑)。

※手術は日本医科大学多摩永山病院で行った
そんな不安と手術の顛末はポッドキャストをお聞きいただきたいが、同じ大学病院での手術だとはいえ様子が些か違っていたのも事実だった。
まずは手術の決断をし定期的に診察を受けているクリニックに紹介状を書いてもらって大学病院に出向く。ここで診察と手術日などを決めることになるが、細部にわたる説明はさすがに一度経験しているので安心して聞くことが出来た。
ともかく眼科はとても…非常に混んでいる。したがって手術日も1ヶ月半ほど後になったがこればかりは仕方がない。
その間二度病院へ行き検査や説明などを受けたが早くも手術の当日がやってきた…。
その日は朝8時30分までに病院に入らなければならなかったが、手続き上は一日入院の形になるものの特別なアクシデントがない限り即日退院し帰宅することができる。
■手術の順番を待つ
とにかく大学病院というところはひたすら待つことを要求される。受付を8時30分前に一番でやったからといって手術が一番になるわけではないようだ。
一時間半ほど待ってやっとベッドに案内されたが今回は三人部屋の真ん中。目薬やら血圧測定などの世話をしてくださる看護師さんいわく私の手術の順番は六番目だという。
患者番号や生年月日がプリントされているリストバンドをされ、支給された寝間着みたいな上衣に着替えて待つ。
「昼前には呼ばれると思いますよ」とのこと。
ベッドに横になってみたが狭くてリラックスできないしテレビを見る気分でもない。たまにiPhoneを取りだしてみることぐらいしかやることがないが、そういえば病室では通話は禁止だけどメールやらの使用はOKという時代になったのはいつの頃から…。昔はノートパソコンの持ち込みも禁止されたし、利用するには個室でないとダメと言われたときもあったから有り難い。
そんなことを考えているとやっと順番が回ってきた…。
「さあ、手術室にいきましょう」と声をかけられるが、前回は病室から車椅子で手術室のある別の病棟まで向かったが今回は歩き…。
手術棟の控え室に入ると車椅子に座らされて待機となるが約10分ほど待つといよいよ私の番になった。
車椅子のまま手術室に入り、専用の椅子に座らされ履き物を替え、頭にはキャップをそして腕には血圧計と胸には心電図をモニターするためか円盤のプレートを数カ所貼られる。
今回は右目なのでそこだけ開いているシートを顔に掛けられ瞼を開ける器具を装着。視界は明るい照明で覆われる…。したがって部屋の様子はもとより執刀医の顔は見えない(笑)。
■手術の感想
手術が始まると執刀医が多々声をかけてくれるが、今回私の手術に臨む方はひとりではなくどうやらインターンあるいは助手という立場の人がいることがわかる。専門用語なので話しの意味は分からないものの何かを渡すように指示したり、洗浄液かを眼に流すように指示したりしながら執刀を進めていく。
ただし視界は塞がれているので回りの様子はまったくわからないものの、前回と比較するとどこかアナログ感といったらよいのか、執刀医の息づかいというと大げさだが、人間の手で手術を受けているといった感覚があるのだ。
無論実際がどうであったかは不明だが前回はどこか執刀医は顕微鏡を見つめ、遠隔操作のレーザーメスで手術をしているといったイメージがあったのだが…。
それはともかく一番の違いはどうしたことか「痛かった」ことだ。前回は異物感はあっても手術中に痛みはまったくなかったが、今回はメスだか針だか知らないが我慢の限界になったので痛いと言葉に出した。
結果、麻酔を追加してもらう。おかげで人工レンズを装着するあたりからは痛みは感じなくなった。どうも私の右目は瞳孔が開きにくいといった眼のようでそんな説明を執刀医がしつつ「問題なく進んでいますから大丈夫ですよ」とはいうがいずれにしても痛いのは嫌だ。

※術後の右目はガーゼの固まりで覆われる
今回は手術室に入るときに時間を確認しておいたが、ちょうど30分で手術は終わり、相変わらず右目には分厚いガーゼが絆創膏で固定された。これは明日の検診までは取ってはならないとのこと。
ということで病室までは車椅子に乗って帰還となった。
これから約一時間ほど術後の経過に問題がないかの確認を含めて病室で待機することになるが、この時間を利用して昼飯が出る。まあ病院食だから期待はできないが、正直腹が減っていたし女房がコンビニで買っておいてくれたコロッケを追加し完食。
時間がきたのか看護師から術後の注意や目薬の点しかたなどの指示があり「今日はこのままお帰りになっていいですよ」と言われホットする。ただし前回同様分厚く特大サイズのガーゼで右目が覆われているため眼鏡がかけられず、別途用意してきた(前回も使った)ゴーグル型の保護めがねを着けて帰ることになった。

※ゴーグル型の保護めがね。これだとガーゼをカバーできる
今回も女房に全面的なサポートをしてもらったが、片眼であることはもとより眼鏡が使えないのでド近眼の左目だけでは安心して歩けないからだ。
■術後のケアが大変
こうして病院を後にしたが、どうしても左目の手術のときと比較してしまう。
2016年11月の左目手術は手術中の痛みはまったくなかったが就寝の頃になるとかなりのゴロゴロ感が出て来て心配になってきた。ちょうど初めてハードコンタクトレンズを装着したときの感じといったらよいのか…。しかしガーゼは絶対外してはいけないと言われていたからその上に保護めがねをしたまま床に入ったが、疲れもあったのかすぐに寝てしまい、明け方に目が覚めたときにはゴロゴロ感が取れていたので安心したことを覚えている。
対して今回の右目は麻酔のおかげで痛みは感じないが、そのゴロゴロ感が最初からついて回っている。この違いの理由が分からないだけに不安だが我慢するしかない。
そして夕刻には愛犬の散歩が待っている。保護メガネをつけ、これまた女房と一緒に散歩に出たが幸いというか天気が悪かったこともあり短めに終えることが出来た。
ともかく不自由な目でなにをする訳にもいかずに早めに就寝とした。勿論一週間は保護めがねは着けたまま寝なくてはならない。
ただし寝る頃になるとゴロゴロ感はかなり薄れたこともあり寝てしまった。
翌日は9時30分に診察の予約を入れてあるのでこれまた愛犬の散歩は早々に終えて病院に向かう。
その日もかなり待たされたがまずは分厚いガーゼが外されると幸い視界はクリアで問題はないようだ。視力検査も矯正視力ではあるが1.2まで出た。

※ガーゼが外れた後はUVカット仕様のスマートで機能性に優れた保護めがねに変えた
経過は良好ということでまずは一安心だが、これから一週間はゴーグル着けて寝なければならず、顔を洗ったりは我慢せざるを得ない。また術後に一日4回点す目薬が三種類、これまで使ってきた緑内障用の目薬三種と共に朝・昼・夕・就寝前の4回使い分けて点さなければならない。それも連続的に点しては駄目で次の目薬までは最低5分間は空けなければならない。
実に面倒くさい。

※左三種が今回の術後に追加された目薬
■エピローグ
無論そうした面倒や不自由を克服すればこれまでとは別世界がやってくる。いや、これは大げさな物言いではなく見えなかったのが見えるという健常者にとって当たり前のことがいかに素晴らしいことなのかが分かるのだ。
私の場合、もともと左右の視力が極端に違っていたからメガネやコンタクトレンズは欠かせなかった。それでも両眼で眼前にあるモニターの文字や手にした本の文字にぴたりとピントが合うのは何十年ぶりか…。
言い忘れたが、左右共に人工レンズは40センチほどにピントが合う、いわば単焦点レンズだ。ということは術後視力が安定してきて気がついたことだが両眼共に手元がよく見えるということだったが、これは老眼が矯正されたことに等しいのではないか。
言い方を変えれば近くが見えて遠くが多少ボケるという視力はそれこそ中学生のころ黒板が見えずに席を前にしてもらったり、それでも不自由だったので初めて眼鏡をかけたときと同じともいえる(笑)。
勿論少年の時には緑内障もなければ飛蚊症も目立たなかったからまったく同じではないが、こと単純に視力の問題なら57年ほど前に戻ったともいえるのかも。
それはともかく一般的な白内障は手術で治せるわけだから、もし不自由されている方がいらっしゃれば早めに信頼できる眼科医に相談されることをお勧めしたい。
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