ラテ飼育格闘日記(687)
なにか随分と長く感じた一月も終盤になったが寒さが続くのはまだまだこれたらだ。一月といえばふと思い出しが、実父の命日が1月25日だった…。親父はオトーサンたちがワンコ(ラテ)を飼ったことを知らせたとき「俺は犬などに興味は無い…」と言い捨てたが、いま思えばある種の嫉妬だったのかも(笑)。
そんな気持ちがどこかにあったからか、先日は珍しくその親父が夢に出てきた。
オトーサンが会社かあるいは学校か、どこか大規模な建物に向かって歩きそのエントランス付近まで来たとき「おい!こんなところでなにをしている!?」という声に振り向いたらそれが親父だった…。夢はそこで途切れたが、夢の中でもオトーサンにとって親父は苦手な存在であった(笑)。

※アタシはまだまだ元気よ!
その親父は本来犬好きだった。私が子供の時代は外に出るとけっこう回りにワンコがいたがそれらのほとんどは野犬だったものの親父はそんなワンコたちに優しく接していたしいまだにオトーサンの心に残るエピソードは忘れられない…。
それは昭和30年代、西日の当たる6畳一間のアパートに家族5人が暮らしていた時代だった。いつの頃からか毎日夕刻になると一匹の犬が我が家に立ち寄るようになった。真っ黒いメスの中型犬で雑種だったに違いない。

※1月25日は親父の命日。オトーサンよりずっと元気な人だっだが、写真は1998年8月小樽を歩く80歳の親父
泥棒など入るはずもない貧乏所帯の一室だから、寝るとき以外は鍵などかけなかったし夏には風通しをよくしようと玄関のドアは開けていた。そう、そのワンコに父が勝手に “ブラッキー” と名をつけた。
ブラッキーはいつも夕方になると音も立てず、吠え声もあげずに狭い玄関のタタキに座り込み、顎をタタキのへりへ乗せた姿勢で静かに待つのが習慣になった。母がなんらかの食べ物を小さな鍋に入れて与えていたからだ。

※劇寒の朝、さあ出陣!
とはいえ僕らの食事だってろくなものではなかったからブラッキーに渡るのは冷や飯の残りに薄めた味噌汁をぶっかけたものだった。ときには魚の骨なども乗っていたように思う。
たまたま休みの日だと親父はそのブラッキーに声をかけたりしていたが、母は鍋と一緒に瀬戸物の容器に水を入れて鍋の橫に置くのも常だった。
ブラッキーはときに尻尾をゆっくりと振りながら鍋を綺麗にし、水を飲んで音も立てずに帰って行ったが、そのブラッキーがある日、子犬を連れて来た…。何匹だったのか覚えていないが母はいささか慌てていた、というより嬉しそうだった。

※朝日に輝く多摩の遠景
母は「いつより多いからゆっくり食べてね」と鍋を玄関に置いた。しばらくすると母のしゃくり上げる声に子供時代のオトーサンは振り向いた。いつものブラッキーなら鍋に飛びついて食べるのに、子犬が食べ終わるまで待っていたからだ。
その後、どのくらいの間ブラッキーは我が家を訪れていたのかは記憶がないもののある日、父がどこで呑んだのか赤い顔して遅くに帰って来たことがあった。
その手には小さな折り詰めの寿司をぶら下げていたが、いつもと様子が違っていた。
玄関から上がり、スーツを脱ぎながら親父はまだ少し赤い顔しながら「ブラッキーに助けられたよ」といった。

※ゆっくりだけど歩くのは好き
聞けば、アパートの近所までほろ酔い気分で歩いて来たとき数匹の野犬に囲まれたという。さすがに中型、大型犬数匹にそれも夜中に囲まれれば犬好きでもいい気分ではない。
野犬たちも父を襲おうと出てきたのではなく、たぶん折り詰めの臭いに集まってきたに違いない。
父も仕方がないので折り詰めを地べたに置き、この場を離れようかと覚悟したとき、どこからともなくあのブラッキーが現れ、父のズボンの臭いを嗅いで親父の脇に座り込んだらしい。
周りの犬たちはそれを合図としたように静かに去っていったという。
「いやはや助かったよ!」
親父がネクタイを緩めながら嬉しそうに言ったそのシーンをいまだにオトーサンは覚えている。そして子供心に「将来絶対犬を飼おう」と決心したのだった。
その愛犬ラテも今年の6月で14歳だ。見かけはまだまだ元気だし好奇心旺盛で視力も聴力も衰えているようには思えない。しかしこの半年ほど前から夜中にオシッコをしてしまうことが目立つようになった。寝る前に必ず外に連れ出して排泄させることにしているにも関わらずである。
とはいえこればかりは叱ったところでどうにかなるものでもない。ラテも確実に歳を重ねてきたのだからオトーサンたちで対処を考えなければならない…。
そんな気持ちがどこかにあったからか、先日は珍しくその親父が夢に出てきた。
オトーサンが会社かあるいは学校か、どこか大規模な建物に向かって歩きそのエントランス付近まで来たとき「おい!こんなところでなにをしている!?」という声に振り向いたらそれが親父だった…。夢はそこで途切れたが、夢の中でもオトーサンにとって親父は苦手な存在であった(笑)。

※アタシはまだまだ元気よ!
その親父は本来犬好きだった。私が子供の時代は外に出るとけっこう回りにワンコがいたがそれらのほとんどは野犬だったものの親父はそんなワンコたちに優しく接していたしいまだにオトーサンの心に残るエピソードは忘れられない…。
それは昭和30年代、西日の当たる6畳一間のアパートに家族5人が暮らしていた時代だった。いつの頃からか毎日夕刻になると一匹の犬が我が家に立ち寄るようになった。真っ黒いメスの中型犬で雑種だったに違いない。

※1月25日は親父の命日。オトーサンよりずっと元気な人だっだが、写真は1998年8月小樽を歩く80歳の親父
泥棒など入るはずもない貧乏所帯の一室だから、寝るとき以外は鍵などかけなかったし夏には風通しをよくしようと玄関のドアは開けていた。そう、そのワンコに父が勝手に “ブラッキー” と名をつけた。
ブラッキーはいつも夕方になると音も立てず、吠え声もあげずに狭い玄関のタタキに座り込み、顎をタタキのへりへ乗せた姿勢で静かに待つのが習慣になった。母がなんらかの食べ物を小さな鍋に入れて与えていたからだ。

※劇寒の朝、さあ出陣!
とはいえ僕らの食事だってろくなものではなかったからブラッキーに渡るのは冷や飯の残りに薄めた味噌汁をぶっかけたものだった。ときには魚の骨なども乗っていたように思う。
たまたま休みの日だと親父はそのブラッキーに声をかけたりしていたが、母は鍋と一緒に瀬戸物の容器に水を入れて鍋の橫に置くのも常だった。
ブラッキーはときに尻尾をゆっくりと振りながら鍋を綺麗にし、水を飲んで音も立てずに帰って行ったが、そのブラッキーがある日、子犬を連れて来た…。何匹だったのか覚えていないが母はいささか慌てていた、というより嬉しそうだった。

※朝日に輝く多摩の遠景
母は「いつより多いからゆっくり食べてね」と鍋を玄関に置いた。しばらくすると母のしゃくり上げる声に子供時代のオトーサンは振り向いた。いつものブラッキーなら鍋に飛びついて食べるのに、子犬が食べ終わるまで待っていたからだ。
その後、どのくらいの間ブラッキーは我が家を訪れていたのかは記憶がないもののある日、父がどこで呑んだのか赤い顔して遅くに帰って来たことがあった。
その手には小さな折り詰めの寿司をぶら下げていたが、いつもと様子が違っていた。
玄関から上がり、スーツを脱ぎながら親父はまだ少し赤い顔しながら「ブラッキーに助けられたよ」といった。

※ゆっくりだけど歩くのは好き
聞けば、アパートの近所までほろ酔い気分で歩いて来たとき数匹の野犬に囲まれたという。さすがに中型、大型犬数匹にそれも夜中に囲まれれば犬好きでもいい気分ではない。
野犬たちも父を襲おうと出てきたのではなく、たぶん折り詰めの臭いに集まってきたに違いない。
父も仕方がないので折り詰めを地べたに置き、この場を離れようかと覚悟したとき、どこからともなくあのブラッキーが現れ、父のズボンの臭いを嗅いで親父の脇に座り込んだらしい。
周りの犬たちはそれを合図としたように静かに去っていったという。
「いやはや助かったよ!」
親父がネクタイを緩めながら嬉しそうに言ったそのシーンをいまだにオトーサンは覚えている。そして子供心に「将来絶対犬を飼おう」と決心したのだった。
その愛犬ラテも今年の6月で14歳だ。見かけはまだまだ元気だし好奇心旺盛で視力も聴力も衰えているようには思えない。しかしこの半年ほど前から夜中にオシッコをしてしまうことが目立つようになった。寝る前に必ず外に連れ出して排泄させることにしているにも関わらずである。
とはいえこればかりは叱ったところでどうにかなるものでもない。ラテも確実に歳を重ねてきたのだからオトーサンたちで対処を考えなければならない…。
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