第1回ウェストコーストコンピュータフェア(WCCF)の会報を眺めて...
先にお伝えしたとおり1977年4月に開催された第1回「ウェストコーストコンピュータフェア(WCCF」の正確な情報を得ようと当時発行された「THE FIRST WEST COAST COMPUTER FAIRE」の会報(CONFERENCE PROCEEDING)を手に入れたが、今回はその会報そのものをご紹介してみよう…。
このWCCFについては別途精査してから分かったことをレポートしたいが、正確な情報、一次情報を得たいとすでに34年も前の資料を探していた。しかし入手した当人がよくもまあ完全な形で残っていたと感心しているが結果的にはこれも主催者で世話役のジム・ウォーレンの努力によるところが大きいようだ。

※「THE FIRST WEST COAST COMPUTER FAIRE」に掲載されているジム・ウォーレンを始めとするWCCF主催者たち(1977年当時)
なぜならすでにその時、雑誌の編集者であったこともあって手作りのコンピュータフェアではあったものの会報は形だけの薄っぺらなものではなく300ページ以上もの本格的な物を作ったこと、そして正確なところは不明だが書籍コード(仮のものかも知れないが)も取得し大量に配布したからこそ現在まで残っていたものと思われる。なお価格は12ドルで販売された。

※「THE FIRST WEST COAST COMPUTER FAIRE」の会報表紙
会報の厚さは約19mmほどもありレターサイズ判で黄色の表紙である。中身はいわゆるざら紙で正直印刷も良くないし掠れている箇所も目立つがこれだけの原稿を集めて一冊にまとめるだけでも苦労が偲ばれる。
原稿はタイプライターで打ち出したものを時には縮小して切り貼りし、版下にしたものと思われるがさすがに表紙のデザインなどには注意が向かなかったようで正直味気ない作りだが、表紙中央の “CONFERENCE PROCEEDING” の下には “JIM C.WARREN, JR. EDITOR” と編集人としてジム・ウォーレンの名がしっかりと記されている。

※会報は300ページを超える分厚いものに仕上がっている
本会報の出版社は “Computer Faire” となっておりパロ・アルトの住所表示も記されている。実はWCCF開発のためにウォーレンが急遽作った自分の会社だった。
会報には広告も載っている。ウォーレン自身が編集者として出版していた「DR. DOBB’S JOURNAL」の広告はともかくとしても Cromemco社 や BYTE誌 などが1ページ広告を出しているし、なによりも初回…それも西海岸では始めてのコンピュータフェアであり、かつ黎明期に150社もの出展企業を取りまとめた事実には驚愕する。
それもこれもウォーレンは雑誌の編集者をやっていた関係で業界のほとんどの人たちと知り合いだったことが大きくプラスに働いた。
ウォーレンはいう。電話を賭けまくったと…。
「もしもし…ジム・ウォーレンだけど、今度コンピュータ・フェアをやるんだ。参加したいかい?」と。
そして「参加したい!」という声にかぶせるように「できるだけ早く企画を送るけど金がいるんだ。送ってくれないか」。というのを忘れなかったが4日もたつともう黒字になっていたという。
勿論Appleのスティーブ・ジョブズにも直接電話をし、Appleは会場正面入り口の4つのブースを予約すると即決した。当然AppleもこのWCCFに間に合わせようとApple IIの開発を急ピッチで進めたがプラスチック製のケースが出来てきたのは開催前日だったという。

※第1回WCCF出展社リストにはApple Computer社の名もある
コンピュータ・エレクトロニクス誌とAltair 8800の関係がそうであったように、雑誌によってニーズが確立しマイコン社会が認知されたとするなら、ウォーレンが開催した展示会によって地域単位のコンピュータ関連の展示会が開かれるようになったのだ。
この第1回「ウェストコーストコンピュータフェア(WCCF)」の開催はウォーレンたちにとって60年代に巻き起こったロックの祭典ウッドストック・フェスティバルに匹敵するイベントだった。

※「THE FIRST WEST COAST COMPUTER FAIRE」の会報にはあのテッド・ネルソンの「Those unforgettable next two years」と題した寄稿もある
会報にはあの「ハイパーテキスト」という用語を生み出した情報工学のパイオニアであるテッド・ネルソンの基調講演「忘れられない次の2年間 (Those unforgettable next two years)」と題した原稿が寄稿されているが、ネルソンの「われわれはいま、新世界の瀬戸際に立っている。ご存じのように小さなコンピュータがわれわれの社会を変革しようとしているのです…やがては成熟し本格的な消費者市場を作るでしょう。」の予測どおり第1回「ウェストコーストコンピュータフェア(WCCF)」をきっかけにマイコン・パソコン業界は急成長し、ハッカーたちも思考が追いつかないほど時代の波に押し流される形で新しいマイコンブームの幕開けとなって乱立した新会社に参加するものも多く、実業界に脚を突っ込むようになっていく。
【主な参考資料】
・「THE FIRST WEST COAST COMPUTER FAIRE」Computer Faire社
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「ハッカーズ」工学社
このWCCFについては別途精査してから分かったことをレポートしたいが、正確な情報、一次情報を得たいとすでに34年も前の資料を探していた。しかし入手した当人がよくもまあ完全な形で残っていたと感心しているが結果的にはこれも主催者で世話役のジム・ウォーレンの努力によるところが大きいようだ。

※「THE FIRST WEST COAST COMPUTER FAIRE」に掲載されているジム・ウォーレンを始めとするWCCF主催者たち(1977年当時)
なぜならすでにその時、雑誌の編集者であったこともあって手作りのコンピュータフェアではあったものの会報は形だけの薄っぺらなものではなく300ページ以上もの本格的な物を作ったこと、そして正確なところは不明だが書籍コード(仮のものかも知れないが)も取得し大量に配布したからこそ現在まで残っていたものと思われる。なお価格は12ドルで販売された。

※「THE FIRST WEST COAST COMPUTER FAIRE」の会報表紙
会報の厚さは約19mmほどもありレターサイズ判で黄色の表紙である。中身はいわゆるざら紙で正直印刷も良くないし掠れている箇所も目立つがこれだけの原稿を集めて一冊にまとめるだけでも苦労が偲ばれる。
原稿はタイプライターで打ち出したものを時には縮小して切り貼りし、版下にしたものと思われるがさすがに表紙のデザインなどには注意が向かなかったようで正直味気ない作りだが、表紙中央の “CONFERENCE PROCEEDING” の下には “JIM C.WARREN, JR. EDITOR” と編集人としてジム・ウォーレンの名がしっかりと記されている。

※会報は300ページを超える分厚いものに仕上がっている
本会報の出版社は “Computer Faire” となっておりパロ・アルトの住所表示も記されている。実はWCCF開発のためにウォーレンが急遽作った自分の会社だった。
会報には広告も載っている。ウォーレン自身が編集者として出版していた「DR. DOBB’S JOURNAL」の広告はともかくとしても Cromemco社 や BYTE誌 などが1ページ広告を出しているし、なによりも初回…それも西海岸では始めてのコンピュータフェアであり、かつ黎明期に150社もの出展企業を取りまとめた事実には驚愕する。
それもこれもウォーレンは雑誌の編集者をやっていた関係で業界のほとんどの人たちと知り合いだったことが大きくプラスに働いた。
ウォーレンはいう。電話を賭けまくったと…。
「もしもし…ジム・ウォーレンだけど、今度コンピュータ・フェアをやるんだ。参加したいかい?」と。
そして「参加したい!」という声にかぶせるように「できるだけ早く企画を送るけど金がいるんだ。送ってくれないか」。というのを忘れなかったが4日もたつともう黒字になっていたという。
勿論Appleのスティーブ・ジョブズにも直接電話をし、Appleは会場正面入り口の4つのブースを予約すると即決した。当然AppleもこのWCCFに間に合わせようとApple IIの開発を急ピッチで進めたがプラスチック製のケースが出来てきたのは開催前日だったという。

※第1回WCCF出展社リストにはApple Computer社の名もある
コンピュータ・エレクトロニクス誌とAltair 8800の関係がそうであったように、雑誌によってニーズが確立しマイコン社会が認知されたとするなら、ウォーレンが開催した展示会によって地域単位のコンピュータ関連の展示会が開かれるようになったのだ。
この第1回「ウェストコーストコンピュータフェア(WCCF)」の開催はウォーレンたちにとって60年代に巻き起こったロックの祭典ウッドストック・フェスティバルに匹敵するイベントだった。

※「THE FIRST WEST COAST COMPUTER FAIRE」の会報にはあのテッド・ネルソンの「Those unforgettable next two years」と題した寄稿もある
会報にはあの「ハイパーテキスト」という用語を生み出した情報工学のパイオニアであるテッド・ネルソンの基調講演「忘れられない次の2年間 (Those unforgettable next two years)」と題した原稿が寄稿されているが、ネルソンの「われわれはいま、新世界の瀬戸際に立っている。ご存じのように小さなコンピュータがわれわれの社会を変革しようとしているのです…やがては成熟し本格的な消費者市場を作るでしょう。」の予測どおり第1回「ウェストコーストコンピュータフェア(WCCF)」をきっかけにマイコン・パソコン業界は急成長し、ハッカーたちも思考が追いつかないほど時代の波に押し流される形で新しいマイコンブームの幕開けとなって乱立した新会社に参加するものも多く、実業界に脚を突っ込むようになっていく。
【主な参考資料】
・「THE FIRST WEST COAST COMPUTER FAIRE」Computer Faire社
・「パソコン革命の英雄たち~ハッカーズ25年の功績」マグロウヒル社
・「ハッカーズ」工学社
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