新刊、西和彦著「反省記」を読んで…
新刊、西和彦著「反省記」ダイヤモンド社刊を早速入手して読んだ。「反省記」とは「半生記」にも掛けているようだが、西さんはパソコン黎明期を通ってきた者にとっては憧れというか雲の上の存在だった。マイコン月刊誌「I/O」創刊メンバーであり、すぐに「月刊ASCII」を立ち上げ、あれよあれよという間に時代の寵児に駆け上がった方だった。

※西和彦著「反省記」ダイヤモンド社刊
私は1977年にワンボードマイコンを手にしてこの泥沼の世界に足を踏み入れた一人だが、何度も「I/O」に投稿して原稿料をいただいたこともあるし、無論「月刊ASCII」は創刊号からの読者でこれまた何度か投稿させてもらったことがある…。
その後、西さんは数々の驚くべき事業に手を染められたが、特にパソコン通信のアスキーネットは私も当初から未来を指向するものとして期待を持って見ていた一人であり、無論ユーザーとして即登録した事を覚えている。

※NEC PC=9801とエプソンの音響カプラでアスキーネットにゲストとしてログインした画面(1985年7月)
そして西さんが米国マイクロソフトのボードメンバーとなったあたりまでは一人のパソコンユーザーとして彼の動向を眩しくも記憶に留めていた。しかし1989年3月に弾みとは恐ろしいもので、私自身がMacintosh向けのソフトウェアを開発する会社を起業したため、他人の動向に注視する余裕も無く、西さんの動向は他人事として興味の対象外になっていった。
そういえば、私は一度アップルジャパンで西さんと名刺交換をしたことがあった。月に1度ほど、アップルのデベロッパーリレーション担当者に近況報告および自社の新製品動向などをお話しし、時にはセミナールームでアプリケーションのデモをさせていただいていたが、アップルがまだ千駄ヶ谷にオフィスがあった頃だから1996年11月以前…そう、1995年あたりだったのかも知れない。

※1977年購入のワンボードマイコン L Kit-8(1978年撮影)
アップルの担当者に紹介されて私は形通りに名刺交換をしたが、恰幅の良い馴染みの顔はそのままにしても随分と頭に白いものが目立った印象を受けた。
正直言うとそれまで西さんとお会いしたことはなかったが、印象としては好きなタイプの人間ではなかった。まあどう考えても私などとすれ違う機会もないだろうと考えていたが、そもそも私らの認識では西さんは「おやじ殺し」などと言われ、大手企業の経営者たちを味方に付けるパワーがあった反面、部下を怒鳴り散らすワンマン経営者といったイメージがあったが、そのお会いした時の温和な表情はこれまでの勝手な印象とは違いどこか大黒様のようだった。
本書「反省記」を見ると1997年(平成9年)にCSK・セガを対象に第三者新株増資を行い、約100億円調達したもののCSKのグループ企業となった時代の少し前であり、心労が絶えない時期であったようだ。

※コモドール社オールインワンパソコンPET2001とデュアルフロッピーディスク(左)およびプリンタ(右)。1978年
西さんが辿ったこれまでの人生は本書をお読みいただけば良いが、ひとつの事業…企業を立ち上げ続けていくことがいかに困難なことかは分かるに違いない。だから私は「よい経験だ」とか「可能性を求めて」などなどと若い方にいたずらに起業は勧めないことにしてきた…。
ともあれ西さんの手腕の是非はその時その時のご本人しか到底わかり得ないことだと思う。まさしく勝海舟が批判されたときの言葉「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存候」であろう。
しかし本書を読み進むうち、やはり私自身が起業し足掛け14年間Macintosh専門のソフトウェア会社として数々のオリジナルアプリと、キヤノン、ソニー、リコー、富士写真フィルム、NTTなどなど一流企業にソフトウェアを提供してきた自分自身の社長としての立場の苦悩とどうしても重なり合ってしまう。

※Apple IIとライトペンシステム。1982年
本書の前書きで西さんは「もしも、読者のみなさんが、僕の生きてきた半生記の反省記からわずかでもご自身の未来に生かす材料を見出していただくようなことがあれば、僕にとって望外の喜びである」と書いているが、西さんより八年長く生きてきた私に言わせれば、自己反省の効用はともかく、他人の人生はほとんど自分には役に立たないと思っている(笑)。
人は成功しようが失敗しようが、同じ事をまったく同じように2度3度とやり直すことは絶対にできない。例え形だけ同じに見えてもそれは申し上げるまでもなく時代というと大げさだが何かを成し遂げようとする背景が、廻りの人事が、社会情勢が違うからだ。
我々は昨日の出来事でさえ、文字通りには繰り返すことはできない…。したがって一見同じような場面に出くわしたとしてもその時々で判断は違わざるを得ない。

※西さんが開発の陣頭指揮を取ったというNEC PC-100。1983年
したがって本書はビジネスのノウハウ本とは言いがたく、西さんご本人も書いているとおり、パソコン黎明期へのタイムトリップを楽しむのには貴重な一冊かも知れない。
マイコンが…そしてパソコンが登場し始めたあの時代の雰囲気は本当に特別なものだったからだ。特に「I/O」や「月刊ASCII」創刊の裏話などを当事者の一人からお聞きするのは興味深いが、それは当然のことながら西和彦という時代の寵児の廻りだけに起こっていたことではない。
上手な説明は難しいが、マイコンとかパソコンといった、それまでには存在しなかったものが認知されていく過程にはソフトウェア、ハードウェアなど様々な分野で葛藤と成功および挫折が繰り返されていた。
よく歴史は勝ち残った者の記録だと言われるが、この三十数年間の文字通りの激動の業界を見聞きし肌で感じてきた一人として言えることは西さんの半生と同様な出来事は日々当たり前のように現れては消えて行ったのだ。
ということで同じ時代を駆け抜けてきた一人としては西さんの反省や感動に共感を覚える点も多いが、前記したパソコン黎明期へのタイムトリップを楽しむ…という主旨からすれば当然のこと本書は西和彦の半生というか身の回りに起こった出来事に終始しているわけで私には物足りなかった。ただし西和彦という一人の天才をよりよく知りたいという方にはお勧めの一冊だ。
最後に、私自身は後悔とか反省はしたくないが、ひとつだけ強く心していることがある。それはもしいま数億円、十数億円の資産がありなにか面白い事をやってみたい対象があったとしても、2度と社長(代表取締役)はやりたくないということだ(笑)。だから…「社長なんてやるものではない!」とかいうタイトルで、半生…いやもう終活論…を含めた一冊を書いてみたいと思っているのだが。

※西和彦著「反省記」ダイヤモンド社刊
私は1977年にワンボードマイコンを手にしてこの泥沼の世界に足を踏み入れた一人だが、何度も「I/O」に投稿して原稿料をいただいたこともあるし、無論「月刊ASCII」は創刊号からの読者でこれまた何度か投稿させてもらったことがある…。
その後、西さんは数々の驚くべき事業に手を染められたが、特にパソコン通信のアスキーネットは私も当初から未来を指向するものとして期待を持って見ていた一人であり、無論ユーザーとして即登録した事を覚えている。

※NEC PC=9801とエプソンの音響カプラでアスキーネットにゲストとしてログインした画面(1985年7月)
そして西さんが米国マイクロソフトのボードメンバーとなったあたりまでは一人のパソコンユーザーとして彼の動向を眩しくも記憶に留めていた。しかし1989年3月に弾みとは恐ろしいもので、私自身がMacintosh向けのソフトウェアを開発する会社を起業したため、他人の動向に注視する余裕も無く、西さんの動向は他人事として興味の対象外になっていった。
そういえば、私は一度アップルジャパンで西さんと名刺交換をしたことがあった。月に1度ほど、アップルのデベロッパーリレーション担当者に近況報告および自社の新製品動向などをお話しし、時にはセミナールームでアプリケーションのデモをさせていただいていたが、アップルがまだ千駄ヶ谷にオフィスがあった頃だから1996年11月以前…そう、1995年あたりだったのかも知れない。

※1977年購入のワンボードマイコン L Kit-8(1978年撮影)
アップルの担当者に紹介されて私は形通りに名刺交換をしたが、恰幅の良い馴染みの顔はそのままにしても随分と頭に白いものが目立った印象を受けた。
正直言うとそれまで西さんとお会いしたことはなかったが、印象としては好きなタイプの人間ではなかった。まあどう考えても私などとすれ違う機会もないだろうと考えていたが、そもそも私らの認識では西さんは「おやじ殺し」などと言われ、大手企業の経営者たちを味方に付けるパワーがあった反面、部下を怒鳴り散らすワンマン経営者といったイメージがあったが、そのお会いした時の温和な表情はこれまでの勝手な印象とは違いどこか大黒様のようだった。
本書「反省記」を見ると1997年(平成9年)にCSK・セガを対象に第三者新株増資を行い、約100億円調達したもののCSKのグループ企業となった時代の少し前であり、心労が絶えない時期であったようだ。

※コモドール社オールインワンパソコンPET2001とデュアルフロッピーディスク(左)およびプリンタ(右)。1978年
西さんが辿ったこれまでの人生は本書をお読みいただけば良いが、ひとつの事業…企業を立ち上げ続けていくことがいかに困難なことかは分かるに違いない。だから私は「よい経験だ」とか「可能性を求めて」などなどと若い方にいたずらに起業は勧めないことにしてきた…。
ともあれ西さんの手腕の是非はその時その時のご本人しか到底わかり得ないことだと思う。まさしく勝海舟が批判されたときの言葉「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存候」であろう。
しかし本書を読み進むうち、やはり私自身が起業し足掛け14年間Macintosh専門のソフトウェア会社として数々のオリジナルアプリと、キヤノン、ソニー、リコー、富士写真フィルム、NTTなどなど一流企業にソフトウェアを提供してきた自分自身の社長としての立場の苦悩とどうしても重なり合ってしまう。

※Apple IIとライトペンシステム。1982年
本書の前書きで西さんは「もしも、読者のみなさんが、僕の生きてきた半生記の反省記からわずかでもご自身の未来に生かす材料を見出していただくようなことがあれば、僕にとって望外の喜びである」と書いているが、西さんより八年長く生きてきた私に言わせれば、自己反省の効用はともかく、他人の人生はほとんど自分には役に立たないと思っている(笑)。
人は成功しようが失敗しようが、同じ事をまったく同じように2度3度とやり直すことは絶対にできない。例え形だけ同じに見えてもそれは申し上げるまでもなく時代というと大げさだが何かを成し遂げようとする背景が、廻りの人事が、社会情勢が違うからだ。
我々は昨日の出来事でさえ、文字通りには繰り返すことはできない…。したがって一見同じような場面に出くわしたとしてもその時々で判断は違わざるを得ない。

※西さんが開発の陣頭指揮を取ったというNEC PC-100。1983年
したがって本書はビジネスのノウハウ本とは言いがたく、西さんご本人も書いているとおり、パソコン黎明期へのタイムトリップを楽しむのには貴重な一冊かも知れない。
マイコンが…そしてパソコンが登場し始めたあの時代の雰囲気は本当に特別なものだったからだ。特に「I/O」や「月刊ASCII」創刊の裏話などを当事者の一人からお聞きするのは興味深いが、それは当然のことながら西和彦という時代の寵児の廻りだけに起こっていたことではない。
上手な説明は難しいが、マイコンとかパソコンといった、それまでには存在しなかったものが認知されていく過程にはソフトウェア、ハードウェアなど様々な分野で葛藤と成功および挫折が繰り返されていた。
よく歴史は勝ち残った者の記録だと言われるが、この三十数年間の文字通りの激動の業界を見聞きし肌で感じてきた一人として言えることは西さんの半生と同様な出来事は日々当たり前のように現れては消えて行ったのだ。
ということで同じ時代を駆け抜けてきた一人としては西さんの反省や感動に共感を覚える点も多いが、前記したパソコン黎明期へのタイムトリップを楽しむ…という主旨からすれば当然のこと本書は西和彦の半生というか身の回りに起こった出来事に終始しているわけで私には物足りなかった。ただし西和彦という一人の天才をよりよく知りたいという方にはお勧めの一冊だ。
最後に、私自身は後悔とか反省はしたくないが、ひとつだけ強く心していることがある。それはもしいま数億円、十数億円の資産がありなにか面白い事をやってみたい対象があったとしても、2度と社長(代表取締役)はやりたくないということだ(笑)。だから…「社長なんてやるものではない!」とかいうタイトルで、半生…いやもう終活論…を含めた一冊を書いてみたいと思っているのだが。
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