Apple年次報告書から推察〜ジョブズとスカリーの関係1
先般Appleは2012年9月29日を末日とする、2012年度第4四半期の業績を発表した。それによれば当四半期の売上高は360億ドル、純利益は82億ドル、希薄化後の1株当り利益は8.67ドルだそうで売上高、利益ともに過去最高となった。ところで私の手元にある古い物としては1983年と1985年に発行されたApple年次報告書があり、あらためてその両方を比較しながら眺めると感慨深い思いにとらわれる…。
1983年のAppleといえば1月にLisa 1とApple IIeを発表し、4月にはジョン・スカリーが社長兼CEOに就任した年である。そして先走るが1985年はご承知のように5月、ジョブズはすべての仕事を剥奪され、同年9月に退職した年だ。
私の手元にある古いApple年次報告書をあらためて比較して見ると同社の売上高の推移比較は勿論だが、ジョブズとスカリーの関係を始めとして当時のAppleの内幕が垣間見られるような気がして大変面白い…。
というわけで今回は1983年度の年次報告書をご紹介するが、本題に入る前に復習として年次報告書とは何か…についておさらいしてみよう。
年次報告書(annual report)とは、証券取引所に登録されている証券の発行者に対し米国証券取引委員会(SEC)が指導要求する必須情報と共に年次あるいは四半期ごとの業績をSECと証券取引所に提出するための書類ということになる。これらは米国の証券取引所法で定められており、会計年度の終了後90日以内に提出するよう求められている。ただしこれらは一般的に株主へ送付される簡易的な報告書としての意義が強く、別途 “Form 10-K” と呼ばれるさらに詳細な情報を記したものも用意される。
参考のために一例として2006年9月を末日とするApple (当時はApple Computer, Inc.) の “Form 10-K” をご紹介しておくが、それは140ページを超えるもので企業の歴史から変革、製品別の売上、決算報告は勿論キャッシュフローの詳細、全役員の年齢と就任年度そして報酬額ならびに所有のストックオプションまで載っている。ちなみにこの2006年度のサラリーだがスティーブ・ジョブズは1ドル、ティム・クックは696,880ドル、フィル・シラーは494,942ドルですでにティム・クックが高い評価を受けていたことがわかる。

※2006年9月を末日とするAppleの “Form 10-K”と株主総会の案内状
さて前準備はこのぐらいにして問題の1983年の年次報告書を見てみよう。
“Form 10-K” とは違い、一般株主などにも分かりやすいようにと必要最小限のデータと共にカラー写真などをレイアウトした親しみやすいカタログのような出来になっているのが特長だ。ページ数も30ページと厚めのカタログといった仕様である。

※Apple、1983年の年次報告書表紙
そこには上下にスティーブ・ジョブズとジョン・スカリーの署名があるがジョブズの署名とサインが先に記されている。そしてジョブズとスカリーの役職だが、それぞれChaiman of the Board = 取締役会会長およびPresident and Chief Executive Officer = 社長兼最高経営責任者となっている。ちなみにスティーブ・ジョブズのサインだが別途1985年の年次報告書では “Steven Jobs” だが、この1983年の年次報告書では記名と共に “Steven P Jobs” とミドルネームが入っている。
またサインの年月日は1983年11月11日で本リポートは四半期のものではなく同年9月末日までの1年間の決算報告書である。

※Apple、1983年の年次報告書に記されているジョブズとスカリーのサイン
この1983年の年次報告書で興味深いのはスティーブ・ジョブズとジョン・スカリーが並んだ写真が載っていることだ。写真がいつ撮られたかは不明だが、スカリーの少々緊張した表情からしてまだAppleに来てから間もない時期に撮った写真なのかも知れない…。しかしジョブズは自然で自信に満ちた実に良い表情を浮かべているではないか。

※3ページにはスティーブ・ジョブズとジョン・スカリーが並んだ写真が載っている
さらに面白いのは先にご紹介した報告書の表紙である。そこにはAppleとIBMを何らかの比較で表現しようとしたのだろうか…ホワイトボードに描いた図の写真が採用されている。
表紙に記されるくらいだから制作側として意味・主張があるのだろう。事実、表紙裏にプリントされている説明によればこのカバーは、視覚的に、パーソナルコンピュータ産業における現在(当時)の混乱とそれが何年か先に受けるかもしれない方向性を描写しているというが、具体的にどういうことなのかについての解説はない。したがって現時点では確証はないものの、もしかするとホワイトボード好きなジョブズだからしてこれはスティーブ・ジョブズが描いたものかも知れない…。
そして私が特に興味を持ったのは左サイドから1986年の…Appleの上に飛んでくる絵である。これは一見日本の国旗に見えるが、だとすれば日本のマーケットを意味しているのかも知れない…。
1986年に日本に関係する大きな出来事としては…この年Macintosh Plusのリリースと関連し漢字Talk 1.0が登場している。だとすれば「’86年には日本市場も漢字のサポートにより飛躍的に伸びる」という意味を込めた説明とも受け取れるが、スティーブ・ジョブズ自身は皮肉にも1985年に退職することになるわけで、私の解釈は少々話が巧すぎる(笑)。また総合的に見て問題の絵が日本の国旗であるという確証はない。
ただし些細なことが気になる私としては当該報告書にざっと目を通した限りでも、表紙の他にふと目を留めた点がいくつかある。
1983年といえば前記したようにAppleはLisa 1をリリースした年で、この報告書にも “Lisa” や “Lisa Technology” といったワードが飛び交うしLisaの写真も掲載されている。
しかし7ページは奇妙なのである。
上半分ほどにレイアウトされているLisa 1の写真だが、そこに本体と共に写っているマウスは正式なLisaマウスでないことだ。そしてマウスの説明に使われているイラストはLisaではなく我々にはMacintoshに見えるが、Macintoshは翌年1984年の1月24日の年次株主総会に発表された訳で、ジョブズらがサインした日付の時点ではまだ隠されていたはずなのだ。ただしこれはその年次株主総会を意図した配慮なのだろう…。

※7ページにはLisa 1の写真が載っているがマウスがLisaマウスではない。またLisaの解説ページにMacらしきイラストが描かれているのも奇妙だ
さらに9ページにはApple IIIとApple IIeシステムの写真が載っており、ここでも “Lisa Technology” の一端としてApple IIeにマウスが使われているものの、前記したLisaとは逆にここにLisa純正マウスが使われている。もしかすると撮影関係者がマウスを取り違えたのかも知れない。

※Apple IIeに使われているマウスはLisa純正マウス
もうひとつこの1983年年次報告書が貴重なのは現在ではほぼ忘れられている当時のエグゼクティブたちが写真付きで紹介されていることだ。
Del Yocamや昨年「ジョブズ・ウェイ」という本を出したJay Elliot他、Bill CampbellやAl Eisenstatら12人がそれぞれの役職と共に紹介されている。
なお勿論年次報告書だからしてバランスシートなど財務報告書の数値が多々記されているが、今回は取り急ぎ煩雑なのでその紹介は省かせていただく。

※当時のエグゼクティブたち12人が写真入りで紹介されている
ところでこの1983年から1985年に至る間、どのようなことがAppleであったのかを振り返って見よう…。
まず1984年1月にはMacintosh 128KのデビューがあったしスカリーがAppleに来て1年目を祝う席で当のスカリーは「アップルのリーダーはただ1人、スティーブ・ジョブズと私です」と発言し、2人の関係はダイナミック・デュオと称されるほど上手くいっていた。
しかし同年末の第4四半期決算でAppleは初めての赤字を計上し、社員の1/5ほどにおよぶ人員削減を余儀なくされ危機感をつのらせていた。そしてその大きな原因のひとつがスティーブ・ジョブズその人にあると幹部たちが考えるようになっていた…。
結局1985年4月10日に始まった取締役会でスカリーはスティーブ・ジョブズを上級副社長兼マック部門のジェネラルマネージャーから外し会長の座に追いやる。
スカリーはこれでジョブズも納得するだろうと甘い考えを持っていたようだが、ジョブズは大人しく引き下がる男ではなかった。スカリーの海外出張時を機会にクーデターともいうべき逆転劇を画策した。しかし結果スカリーに知られてしまい5月31日にジョブズはすべての経営権を剥奪され名目だけの会長職だけが残されたのである。
そうしたあれこれを念頭に入れ次回は “First Quarter Report 1985” と記されている1985年第1四半期年次報告書をご紹介しながらAppleの変化および当時のスティーブ・ジョブズとジョン・スカリーの立ち位置などを考察してみたい。
1983年のAppleといえば1月にLisa 1とApple IIeを発表し、4月にはジョン・スカリーが社長兼CEOに就任した年である。そして先走るが1985年はご承知のように5月、ジョブズはすべての仕事を剥奪され、同年9月に退職した年だ。
私の手元にある古いApple年次報告書をあらためて比較して見ると同社の売上高の推移比較は勿論だが、ジョブズとスカリーの関係を始めとして当時のAppleの内幕が垣間見られるような気がして大変面白い…。
というわけで今回は1983年度の年次報告書をご紹介するが、本題に入る前に復習として年次報告書とは何か…についておさらいしてみよう。
年次報告書(annual report)とは、証券取引所に登録されている証券の発行者に対し米国証券取引委員会(SEC)が指導要求する必須情報と共に年次あるいは四半期ごとの業績をSECと証券取引所に提出するための書類ということになる。これらは米国の証券取引所法で定められており、会計年度の終了後90日以内に提出するよう求められている。ただしこれらは一般的に株主へ送付される簡易的な報告書としての意義が強く、別途 “Form 10-K” と呼ばれるさらに詳細な情報を記したものも用意される。
参考のために一例として2006年9月を末日とするApple (当時はApple Computer, Inc.) の “Form 10-K” をご紹介しておくが、それは140ページを超えるもので企業の歴史から変革、製品別の売上、決算報告は勿論キャッシュフローの詳細、全役員の年齢と就任年度そして報酬額ならびに所有のストックオプションまで載っている。ちなみにこの2006年度のサラリーだがスティーブ・ジョブズは1ドル、ティム・クックは696,880ドル、フィル・シラーは494,942ドルですでにティム・クックが高い評価を受けていたことがわかる。

※2006年9月を末日とするAppleの “Form 10-K”と株主総会の案内状
さて前準備はこのぐらいにして問題の1983年の年次報告書を見てみよう。
“Form 10-K” とは違い、一般株主などにも分かりやすいようにと必要最小限のデータと共にカラー写真などをレイアウトした親しみやすいカタログのような出来になっているのが特長だ。ページ数も30ページと厚めのカタログといった仕様である。

※Apple、1983年の年次報告書表紙
そこには上下にスティーブ・ジョブズとジョン・スカリーの署名があるがジョブズの署名とサインが先に記されている。そしてジョブズとスカリーの役職だが、それぞれChaiman of the Board = 取締役会会長およびPresident and Chief Executive Officer = 社長兼最高経営責任者となっている。ちなみにスティーブ・ジョブズのサインだが別途1985年の年次報告書では “Steven Jobs” だが、この1983年の年次報告書では記名と共に “Steven P Jobs” とミドルネームが入っている。
またサインの年月日は1983年11月11日で本リポートは四半期のものではなく同年9月末日までの1年間の決算報告書である。

※Apple、1983年の年次報告書に記されているジョブズとスカリーのサイン
この1983年の年次報告書で興味深いのはスティーブ・ジョブズとジョン・スカリーが並んだ写真が載っていることだ。写真がいつ撮られたかは不明だが、スカリーの少々緊張した表情からしてまだAppleに来てから間もない時期に撮った写真なのかも知れない…。しかしジョブズは自然で自信に満ちた実に良い表情を浮かべているではないか。

※3ページにはスティーブ・ジョブズとジョン・スカリーが並んだ写真が載っている
さらに面白いのは先にご紹介した報告書の表紙である。そこにはAppleとIBMを何らかの比較で表現しようとしたのだろうか…ホワイトボードに描いた図の写真が採用されている。
表紙に記されるくらいだから制作側として意味・主張があるのだろう。事実、表紙裏にプリントされている説明によればこのカバーは、視覚的に、パーソナルコンピュータ産業における現在(当時)の混乱とそれが何年か先に受けるかもしれない方向性を描写しているというが、具体的にどういうことなのかについての解説はない。したがって現時点では確証はないものの、もしかするとホワイトボード好きなジョブズだからしてこれはスティーブ・ジョブズが描いたものかも知れない…。
そして私が特に興味を持ったのは左サイドから1986年の…Appleの上に飛んでくる絵である。これは一見日本の国旗に見えるが、だとすれば日本のマーケットを意味しているのかも知れない…。
1986年に日本に関係する大きな出来事としては…この年Macintosh Plusのリリースと関連し漢字Talk 1.0が登場している。だとすれば「’86年には日本市場も漢字のサポートにより飛躍的に伸びる」という意味を込めた説明とも受け取れるが、スティーブ・ジョブズ自身は皮肉にも1985年に退職することになるわけで、私の解釈は少々話が巧すぎる(笑)。また総合的に見て問題の絵が日本の国旗であるという確証はない。
ただし些細なことが気になる私としては当該報告書にざっと目を通した限りでも、表紙の他にふと目を留めた点がいくつかある。
1983年といえば前記したようにAppleはLisa 1をリリースした年で、この報告書にも “Lisa” や “Lisa Technology” といったワードが飛び交うしLisaの写真も掲載されている。
しかし7ページは奇妙なのである。
上半分ほどにレイアウトされているLisa 1の写真だが、そこに本体と共に写っているマウスは正式なLisaマウスでないことだ。そしてマウスの説明に使われているイラストはLisaではなく我々にはMacintoshに見えるが、Macintoshは翌年1984年の1月24日の年次株主総会に発表された訳で、ジョブズらがサインした日付の時点ではまだ隠されていたはずなのだ。ただしこれはその年次株主総会を意図した配慮なのだろう…。

※7ページにはLisa 1の写真が載っているがマウスがLisaマウスではない。またLisaの解説ページにMacらしきイラストが描かれているのも奇妙だ
さらに9ページにはApple IIIとApple IIeシステムの写真が載っており、ここでも “Lisa Technology” の一端としてApple IIeにマウスが使われているものの、前記したLisaとは逆にここにLisa純正マウスが使われている。もしかすると撮影関係者がマウスを取り違えたのかも知れない。

※Apple IIeに使われているマウスはLisa純正マウス
もうひとつこの1983年年次報告書が貴重なのは現在ではほぼ忘れられている当時のエグゼクティブたちが写真付きで紹介されていることだ。
Del Yocamや昨年「ジョブズ・ウェイ」という本を出したJay Elliot他、Bill CampbellやAl Eisenstatら12人がそれぞれの役職と共に紹介されている。
なお勿論年次報告書だからしてバランスシートなど財務報告書の数値が多々記されているが、今回は取り急ぎ煩雑なのでその紹介は省かせていただく。

※当時のエグゼクティブたち12人が写真入りで紹介されている
ところでこの1983年から1985年に至る間、どのようなことがAppleであったのかを振り返って見よう…。
まず1984年1月にはMacintosh 128KのデビューがあったしスカリーがAppleに来て1年目を祝う席で当のスカリーは「アップルのリーダーはただ1人、スティーブ・ジョブズと私です」と発言し、2人の関係はダイナミック・デュオと称されるほど上手くいっていた。
しかし同年末の第4四半期決算でAppleは初めての赤字を計上し、社員の1/5ほどにおよぶ人員削減を余儀なくされ危機感をつのらせていた。そしてその大きな原因のひとつがスティーブ・ジョブズその人にあると幹部たちが考えるようになっていた…。
結局1985年4月10日に始まった取締役会でスカリーはスティーブ・ジョブズを上級副社長兼マック部門のジェネラルマネージャーから外し会長の座に追いやる。
スカリーはこれでジョブズも納得するだろうと甘い考えを持っていたようだが、ジョブズは大人しく引き下がる男ではなかった。スカリーの海外出張時を機会にクーデターともいうべき逆転劇を画策した。しかし結果スカリーに知られてしまい5月31日にジョブズはすべての経営権を剥奪され名目だけの会長職だけが残されたのである。
そうしたあれこれを念頭に入れ次回は “First Quarter Report 1985” と記されている1985年第1四半期年次報告書をご紹介しながらAppleの変化および当時のスティーブ・ジョブズとジョン・スカリーの立ち位置などを考察してみたい。
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