Apple年次報告書から推察〜ジョブズとスカリーの関係2
私の手元にある1983年と1985年のApple決算報告書を元に当時のAppleがどのような状況にあり、スティーブ・ジョブズおよびジョン・スカリーの関係がどう変化していったかを追ってみた第2弾である。先般ティム・クック体勢が始まって以来の大きな人事異動が発表されたが、1985年にジョブズが退職するに至る当時のニュースは桁違いに我々を驚愕させ不安にさせたものだ。
前回ご紹介した1983年の年次報告書に続いて今回は1985年の四半期決算報告書をご覧いただくが、こちらは “First Quarter Report 1985” と記されているように対象期間は1984年10月から12月までの四半期決算を年が明けた1985年早々に報告書としてまとめたものとなる。

※Apple “First Quarter Report 1985” 表紙
まずこれらの報告書は株主に対して当該四半期の業績を報告すると共に自社の優位性や次期への展望などを示し、株主らに理解と支持を得るための資料であるが、この1985年第4四半期報告書は四半期のものだという点を考慮に入れてもページ数が12ページと前回ご紹介した1983年年次報告書の28ページに比較すると随分とシンプルなものだ。したがってAppleが最もアピールしたいあれこれが凝縮して記されていると考えて良いし無論触れられたくない部分はいかに隠し、話題を他に逸らせるかにも苦心するのは当然だろう(笑)。
さてそこに記されているスティーブ・ジョブズの役職名は1983年と同様に取締役会会長および上級副社長兼マック部門ジェネラルマネージャーだし、無論ジョン・スカリーは社長兼最高経営責任者だ。この点は変わっていない。
また2人のサインだが、1983年の時とは違って上下ではなく左右に列記されているものの今度は明らかに左に記されているジョン・スカリーの方が先と見て良いだろうし、事実最後のページにある "Officers" の記載を見るとスカリーがトップで次にジョブズの名が記されている。またスティーブ・ジョブズのサインは前回ご紹介したように1983年度の年次報告にはミドルネームが記されていたがこの “First Quarter Report 1985” にはそれがない。さらに印象的なのは前記した1983年の年次報告書のように2人並んだ写真は使われていない…。
こうした詮索は些細なことに見えるかも知れないが意外と当事者たちの心理やパワーバランスを表していることもあるので無視できないと考えている…。

※ジョン・スカリーとスティーブ・ジョブズのサインページ
“First Quarter Report 1985” の表紙は1984年4月にリリースされたApple IIcが使われている。また見開きのカラーで当時テキサスにあったApple IIc 製造ライン(自社工場)が紹介されているページが目立っている。


※当時テキサスにあった自社工場 Apple IIc製造ラインが見開きカラーで紹介されている
私見ながら1983年の年次報告書と比較してこの1985年第1四半期報告書はアップルフリークの眼で眺めても面白くない。
1983年のそれがダイナミック・デュオをアピールし、アップルの未来を明るいイメージに導こうとした印象だったのに対し、1985年の報告書は型どおり無難に収めた…といった感じだからだ。
繰り返すが表紙は自社製品の写真、内容も自社工場やユーザー事例としてなのだろう、才能ある若い人たちを支援するためのようだがScience Talent Searchという組織が主催した科学研究コンテストで入賞した女性をApple IIユーザー事例として紹介したりと何か大人しく納まった感じを受けるのだ。個人的にはもっと伝えるべき情報があってしかるべきだと思うが、どこかページ数をそれらで稼いでいると受け取るのは私の悪い癖か…(笑)。ともかくAppleらしい斬新さとか創造性といったエッセンスが感じられないのである。

※営業成績推移のデータが簡単なグラフで紹介されているページ
その原因・要因は前回で見てきたように、この頃Apple…特にエグゼクティブたちには暗雲が立ちこめていたからに違いない。報告書の細部にまで凝る余裕がなく制作会社任せになったのだろう…。
この1985年の四半期報告書は…繰り返すが、Appleがそうした軋轢にさらされていた時期のものだということを考慮に入れると、すでにジョブズとスカリーの仲はかなりギクシャクしていたに違いない。そして少しずつではあるが経営の実権はジョン・スカリーに移っていったのだろう…それが前記したようにサインの記載順にも表れていると思われる。
幸い1984年10月から12月までの1985年度第1四半期決算はクリスマス商戦に助けられたのか赤字は出ていないものの、Appleの社内は創立以来初めて大きな危機感が漂っていたはずなのだ。
そしてこの報告書が配られた前後には売れない Lisa 2/10 をMacintosh XLと改名し延命を図ろうとするが、これまた早々に出荷を停止するはめとなる。ましてやMacintoshの在庫も膨れあがり、その責任はスティーブ・ジョブズの言動にあるとして追求が始まりジョブズとスカリーの仲は修復不可能なまでとなり、同年の5月にジョブズは総ての職を解かれ、9月に辞表提出を余儀なくされた…。
くどいようだが、ここで2人のサインをもう1度確認するが、実は1983年のそれと比較して見ると面白いことが分かった。
前記したように1985年の四半期報告書のスティーブ・ジョブズのサインは1983年度年次報告書とは違い、ミドルネームがないことは明白だし両方のサインを比較してみれば明らかに別途書き直したものということが分かる。

※スティーブ・ジョブズのサイン。上が1983年、下が1985年
それに対してジョン・スカリーのサインは1983年のものと今回の1985年のものとをサイズや角度を合わせて重ねて見るとピッタリと符合するのである。これは明らかに1983年に使ったデータを1985年の四半期報告書にも再利用したことになり、深読みすれば余裕のなさと共に他人任せの感じがする。

※ジョン。スカリーの1985年のサインを1983のそれに重ねるとピッタリと符合する
まあまあ…相変わらず深読みが過ぎるかも知れないが、業績の悪化と共にジョブズとスカリーの関係は決定的な曲面を向かえることになり、残念なことはその後ジョブズが亡くなるまで2人の関係は修復されることがなかった。
後にジョブズはスタンフォード大学における有名なスピーチでアップルを離職したことは自分の人生にとってもっとも重要な出来事だったとポジティブに振り返った。無論心に大きな傷を受けたのはジョブズだけではなかった。スカリーにとってはその後「創業者を追い出した男」というレッテルが貼られたし、ことあるごとにあの時ジョブズを追いやったことは間違いだったと公言している姿は痛々しい。
そうそう…決算報告書の話をしてきたのに営業成績の結果にまったく触れないのはまずい…(笑)。まあ、今回の話題はあくまで数値ではなくApple社内の動向を考察したわけだが、最後に “First Quarter Report 1985” より同期比較の四半期決算の結果をご照会しておきたい。また四半期の時期は違うものの、先般発表された2012年9月29日を末日とする、2012年度第4四半期の業績も合わせて載せておくが、この約30年間でどれほどAppleが巨大な企業に成長したのかがこれらの数字だけでも分かっていただけるものと思う。
(各第1四半期/単位は千ドル)
・1983年 売上高 $316,229 純利益 $5,822
・1984年 売上高 $698,297 純利益 $46,099
(第4四半期/単位は千ドル)
・2012年 売上高 $36,000,000 純利益 $8,200,000
前回ご紹介した1983年の年次報告書に続いて今回は1985年の四半期決算報告書をご覧いただくが、こちらは “First Quarter Report 1985” と記されているように対象期間は1984年10月から12月までの四半期決算を年が明けた1985年早々に報告書としてまとめたものとなる。

※Apple “First Quarter Report 1985” 表紙
まずこれらの報告書は株主に対して当該四半期の業績を報告すると共に自社の優位性や次期への展望などを示し、株主らに理解と支持を得るための資料であるが、この1985年第4四半期報告書は四半期のものだという点を考慮に入れてもページ数が12ページと前回ご紹介した1983年年次報告書の28ページに比較すると随分とシンプルなものだ。したがってAppleが最もアピールしたいあれこれが凝縮して記されていると考えて良いし無論触れられたくない部分はいかに隠し、話題を他に逸らせるかにも苦心するのは当然だろう(笑)。
さてそこに記されているスティーブ・ジョブズの役職名は1983年と同様に取締役会会長および上級副社長兼マック部門ジェネラルマネージャーだし、無論ジョン・スカリーは社長兼最高経営責任者だ。この点は変わっていない。
また2人のサインだが、1983年の時とは違って上下ではなく左右に列記されているものの今度は明らかに左に記されているジョン・スカリーの方が先と見て良いだろうし、事実最後のページにある "Officers" の記載を見るとスカリーがトップで次にジョブズの名が記されている。またスティーブ・ジョブズのサインは前回ご紹介したように1983年度の年次報告にはミドルネームが記されていたがこの “First Quarter Report 1985” にはそれがない。さらに印象的なのは前記した1983年の年次報告書のように2人並んだ写真は使われていない…。
こうした詮索は些細なことに見えるかも知れないが意外と当事者たちの心理やパワーバランスを表していることもあるので無視できないと考えている…。

※ジョン・スカリーとスティーブ・ジョブズのサインページ
“First Quarter Report 1985” の表紙は1984年4月にリリースされたApple IIcが使われている。また見開きのカラーで当時テキサスにあったApple IIc 製造ライン(自社工場)が紹介されているページが目立っている。


※当時テキサスにあった自社工場 Apple IIc製造ラインが見開きカラーで紹介されている
私見ながら1983年の年次報告書と比較してこの1985年第1四半期報告書はアップルフリークの眼で眺めても面白くない。
1983年のそれがダイナミック・デュオをアピールし、アップルの未来を明るいイメージに導こうとした印象だったのに対し、1985年の報告書は型どおり無難に収めた…といった感じだからだ。
繰り返すが表紙は自社製品の写真、内容も自社工場やユーザー事例としてなのだろう、才能ある若い人たちを支援するためのようだがScience Talent Searchという組織が主催した科学研究コンテストで入賞した女性をApple IIユーザー事例として紹介したりと何か大人しく納まった感じを受けるのだ。個人的にはもっと伝えるべき情報があってしかるべきだと思うが、どこかページ数をそれらで稼いでいると受け取るのは私の悪い癖か…(笑)。ともかくAppleらしい斬新さとか創造性といったエッセンスが感じられないのである。

※営業成績推移のデータが簡単なグラフで紹介されているページ
その原因・要因は前回で見てきたように、この頃Apple…特にエグゼクティブたちには暗雲が立ちこめていたからに違いない。報告書の細部にまで凝る余裕がなく制作会社任せになったのだろう…。
この1985年の四半期報告書は…繰り返すが、Appleがそうした軋轢にさらされていた時期のものだということを考慮に入れると、すでにジョブズとスカリーの仲はかなりギクシャクしていたに違いない。そして少しずつではあるが経営の実権はジョン・スカリーに移っていったのだろう…それが前記したようにサインの記載順にも表れていると思われる。
幸い1984年10月から12月までの1985年度第1四半期決算はクリスマス商戦に助けられたのか赤字は出ていないものの、Appleの社内は創立以来初めて大きな危機感が漂っていたはずなのだ。
そしてこの報告書が配られた前後には売れない Lisa 2/10 をMacintosh XLと改名し延命を図ろうとするが、これまた早々に出荷を停止するはめとなる。ましてやMacintoshの在庫も膨れあがり、その責任はスティーブ・ジョブズの言動にあるとして追求が始まりジョブズとスカリーの仲は修復不可能なまでとなり、同年の5月にジョブズは総ての職を解かれ、9月に辞表提出を余儀なくされた…。
くどいようだが、ここで2人のサインをもう1度確認するが、実は1983年のそれと比較して見ると面白いことが分かった。
前記したように1985年の四半期報告書のスティーブ・ジョブズのサインは1983年度年次報告書とは違い、ミドルネームがないことは明白だし両方のサインを比較してみれば明らかに別途書き直したものということが分かる。

※スティーブ・ジョブズのサイン。上が1983年、下が1985年
それに対してジョン・スカリーのサインは1983年のものと今回の1985年のものとをサイズや角度を合わせて重ねて見るとピッタリと符合するのである。これは明らかに1983年に使ったデータを1985年の四半期報告書にも再利用したことになり、深読みすれば余裕のなさと共に他人任せの感じがする。

※ジョン。スカリーの1985年のサインを1983のそれに重ねるとピッタリと符合する
まあまあ…相変わらず深読みが過ぎるかも知れないが、業績の悪化と共にジョブズとスカリーの関係は決定的な曲面を向かえることになり、残念なことはその後ジョブズが亡くなるまで2人の関係は修復されることがなかった。
後にジョブズはスタンフォード大学における有名なスピーチでアップルを離職したことは自分の人生にとってもっとも重要な出来事だったとポジティブに振り返った。無論心に大きな傷を受けたのはジョブズだけではなかった。スカリーにとってはその後「創業者を追い出した男」というレッテルが貼られたし、ことあるごとにあの時ジョブズを追いやったことは間違いだったと公言している姿は痛々しい。
そうそう…決算報告書の話をしてきたのに営業成績の結果にまったく触れないのはまずい…(笑)。まあ、今回の話題はあくまで数値ではなくApple社内の動向を考察したわけだが、最後に “First Quarter Report 1985” より同期比較の四半期決算の結果をご照会しておきたい。また四半期の時期は違うものの、先般発表された2012年9月29日を末日とする、2012年度第4四半期の業績も合わせて載せておくが、この約30年間でどれほどAppleが巨大な企業に成長したのかがこれらの数字だけでも分かっていただけるものと思う。
(各第1四半期/単位は千ドル)
・1983年 売上高 $316,229 純利益 $5,822
・1984年 売上高 $698,297 純利益 $46,099
(第4四半期/単位は千ドル)
・2012年 売上高 $36,000,000 純利益 $8,200,000
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