リュートのある暮らしを堪能
クラシックギターを独学で始めたのは高校1年のときからだったから大いに愛着を持っている。しかし不思議なことに近年弾きたいのはギターではなくリュートなのだ。まだ腱鞘炎の左手中指が思うように動かないが、愛らしい小品のいくつかを演奏したいとリュート練習を再開した…。
約5年ほど前までは6コースのルネサンスリュートを使っていたが、今度改めて手にしたのはあまり評判の良くないAria製のリュートだった。とはいえ発売されたのは40数年前も前のことで、手にした10コース・ルネサンスリュートも正確なところは不明ながらシリアルナンバーから推察するに1979年製と思われる。

※Aria製10コース・ルネサンスリュート
現在では歴史的古楽器としてのリュート研究も進み、往時の製作に沿った複製を製作できる作家も増えてきたようだが、特に国内では歴史的な楽器として認められるに見合ったリュートがどれほど出回っているかは心許ない気もする。
ましてや私という素人の個人が楽しむリュートはこれでリサイタルをするわけでも、またレコーディングして発売するわけでもなく、ただただその演奏を楽しみたいというだけであり必要十分だ。
そして内部がどのような設計になっているかは分からないものの検証の範囲では、工作精度は思っていたよりずっとよい…。
まず過度な装飾は施されていない。例えばロゼッタの装飾も魅力的なデザインで型抜きされてはいるが、いわゆる立体的な彫刻はなされていない。しかしボディはもとより指板やペグボックスなどを見ても雑な作りと思われる部分は皆無である。
まあ、この楽器から紡ぎ出される音が理想的なものであるかどうかは分からないが、個人的には相応の絃を選びきちんと調弦すれば満足の音が出ると感じている。
驚くべき事は、繰り返すものの40数年前に発売された楽器がほとんど無傷で手に入ったそのことだ。
申し上げるまでもなくほとんどが木材で出来ているリュートは傷つきやすく壊れやすい。そしてペグの数本が無くなっていたりネックが長年の湿度の問題で曲がったり、内部に剥がれがあってもおかしくない…。それが新品同様とは言い過ぎだが、表面板やラウンドバックに傷も見られず、無論剥がれやネックの反りも皆無のリュートが手に入ったのだから、当初かなりのリスクを覚悟していた当人が驚いたほどだ。
ということはほとんど使われずに結果としてまずまずの環境下で保存されていたということか…。無論専用ケースに入ってはいたが、ケースは密閉度ゼロだ。
勿論まったく難がなかったわけではない。当然のこととして10コース全19本の絃はすべて張り替えなければならなかったし、フレットもほとんど新たに巻かなければならなかった。
一番心配なのはペグである…。経時劣化なのか、1,2本のペグが弱くなっており力任せに捻ると捻じ切れてしまいそうだ。ただし現状ではきちんと調絃ができるので問題はないが…。

※ペグボックスもきちんとメンテした結果、調弦も問題なくできるようになった
そういえばドイツ後期バロック音楽の作曲家で音楽理論家・作家の顔を持つヨハン・マッテゾン(1681年〜1764)は自身の著作の中で「あるリュート奏者が80歳とすると、彼は60年は確実に調弦していたことになる。最悪なことは百人の内まともに調弦できるのは二人といないことである」等とリュートを酷評している。それもあってかリュートは調絃に時間がかかるというまことしやかな話しを鵜呑みにする人もいまだに多いという。
では事実はどうか…。無論そんなことはない。確かに10コースの場合6絃ギターと比べれば絃本数が3倍ほどあるわけで、物理的には時間がかかる理屈だ。しかし相応の耳を持ってすればそうそう面倒なことではなく、調絃それ自体も楽しみの内となろう。
マッテゾンの意見に反駁する形でリュート奏者のエルンスト・ゴットリープ・バロン(1696年〜1760年)が書き上げた「楽器リュートに関する歴史的・理論的・実践的研究」(訳書「リュート〜神々の楽器」東京コレギウム刊)の中で彼は絃が新しく十分に伸びていない場合は別にして、楽器をケースから取り出したときに絃の多くが狂ってしまっているといったことはあり得ないと反論している。

※E.G.バロン著/菊池賞訳/水戸茂雄監修「リュート 〜神々の楽器〜」東京コレギウム刊
ただしリュートは確かに繊細な楽器ではある。音量は小さいしラウンドバックの共鳴胴は丸くて抱えにくい。そしてバロック期を頂点にヨーロッパ古典音楽の花形楽器となったものの、さまざまな変形、発展形が創作されていく過程で絃の数が増え続け、それに原因するであろう扱いや奏法の困難さと共に小さな音量も時代に合わず鍵盤楽器や擦絃楽器に立場を奪われ、忘れ去られるに至った…。
しかしそんなリュートがいま無性に愛しい。朝起きて仕事部屋にぽつんと置いてあるリュート(10コース・ルネサンスリュート)に眼が向くと何故かほっとし笑顔になれる気がする。絵になるビジュアルでもある…。
リュートのようにあまり自己主張をしない、それでいてどこか奏者に寄り添うような楽器は少ないように思う。そしてこれまで、大正琴、ウクレレ、三味線、クラシックギター、エレキギター、フラメンコギターといった弦楽器だけでなくピアノ(1年半習った)や管楽器などなどを楽しんできたがいま最も心に馴染むのがリュートなのである。

※3Dプリンターと木質フィラメントでペグ、ストラップピン、ペグ回しなども作ってみている…
そういえば、このリュートを手にした当日から偶然ではあろうが長い間苦しんできた味覚障害が緩和した…。そんなこともあって摩訶不思議な縁を感じているがこのリュート、決して愛でているだけではない。高価な楽器では出来得ないことだろうが、ストラップホルダーやペグ、そしてベグ回しなどを3Dプリンターと木質フィラメントで作り、より自分にとって据わりが良い楽器になるようなことにも注視していきたいと考えている。
約5年ほど前までは6コースのルネサンスリュートを使っていたが、今度改めて手にしたのはあまり評判の良くないAria製のリュートだった。とはいえ発売されたのは40数年前も前のことで、手にした10コース・ルネサンスリュートも正確なところは不明ながらシリアルナンバーから推察するに1979年製と思われる。

※Aria製10コース・ルネサンスリュート
現在では歴史的古楽器としてのリュート研究も進み、往時の製作に沿った複製を製作できる作家も増えてきたようだが、特に国内では歴史的な楽器として認められるに見合ったリュートがどれほど出回っているかは心許ない気もする。
ましてや私という素人の個人が楽しむリュートはこれでリサイタルをするわけでも、またレコーディングして発売するわけでもなく、ただただその演奏を楽しみたいというだけであり必要十分だ。
そして内部がどのような設計になっているかは分からないものの検証の範囲では、工作精度は思っていたよりずっとよい…。
まず過度な装飾は施されていない。例えばロゼッタの装飾も魅力的なデザインで型抜きされてはいるが、いわゆる立体的な彫刻はなされていない。しかしボディはもとより指板やペグボックスなどを見ても雑な作りと思われる部分は皆無である。
まあ、この楽器から紡ぎ出される音が理想的なものであるかどうかは分からないが、個人的には相応の絃を選びきちんと調弦すれば満足の音が出ると感じている。
驚くべき事は、繰り返すものの40数年前に発売された楽器がほとんど無傷で手に入ったそのことだ。
申し上げるまでもなくほとんどが木材で出来ているリュートは傷つきやすく壊れやすい。そしてペグの数本が無くなっていたりネックが長年の湿度の問題で曲がったり、内部に剥がれがあってもおかしくない…。それが新品同様とは言い過ぎだが、表面板やラウンドバックに傷も見られず、無論剥がれやネックの反りも皆無のリュートが手に入ったのだから、当初かなりのリスクを覚悟していた当人が驚いたほどだ。
ということはほとんど使われずに結果としてまずまずの環境下で保存されていたということか…。無論専用ケースに入ってはいたが、ケースは密閉度ゼロだ。
勿論まったく難がなかったわけではない。当然のこととして10コース全19本の絃はすべて張り替えなければならなかったし、フレットもほとんど新たに巻かなければならなかった。
一番心配なのはペグである…。経時劣化なのか、1,2本のペグが弱くなっており力任せに捻ると捻じ切れてしまいそうだ。ただし現状ではきちんと調絃ができるので問題はないが…。

※ペグボックスもきちんとメンテした結果、調弦も問題なくできるようになった
そういえばドイツ後期バロック音楽の作曲家で音楽理論家・作家の顔を持つヨハン・マッテゾン(1681年〜1764)は自身の著作の中で「あるリュート奏者が80歳とすると、彼は60年は確実に調弦していたことになる。最悪なことは百人の内まともに調弦できるのは二人といないことである」等とリュートを酷評している。それもあってかリュートは調絃に時間がかかるというまことしやかな話しを鵜呑みにする人もいまだに多いという。
では事実はどうか…。無論そんなことはない。確かに10コースの場合6絃ギターと比べれば絃本数が3倍ほどあるわけで、物理的には時間がかかる理屈だ。しかし相応の耳を持ってすればそうそう面倒なことではなく、調絃それ自体も楽しみの内となろう。
マッテゾンの意見に反駁する形でリュート奏者のエルンスト・ゴットリープ・バロン(1696年〜1760年)が書き上げた「楽器リュートに関する歴史的・理論的・実践的研究」(訳書「リュート〜神々の楽器」東京コレギウム刊)の中で彼は絃が新しく十分に伸びていない場合は別にして、楽器をケースから取り出したときに絃の多くが狂ってしまっているといったことはあり得ないと反論している。

※E.G.バロン著/菊池賞訳/水戸茂雄監修「リュート 〜神々の楽器〜」東京コレギウム刊
ただしリュートは確かに繊細な楽器ではある。音量は小さいしラウンドバックの共鳴胴は丸くて抱えにくい。そしてバロック期を頂点にヨーロッパ古典音楽の花形楽器となったものの、さまざまな変形、発展形が創作されていく過程で絃の数が増え続け、それに原因するであろう扱いや奏法の困難さと共に小さな音量も時代に合わず鍵盤楽器や擦絃楽器に立場を奪われ、忘れ去られるに至った…。
しかしそんなリュートがいま無性に愛しい。朝起きて仕事部屋にぽつんと置いてあるリュート(10コース・ルネサンスリュート)に眼が向くと何故かほっとし笑顔になれる気がする。絵になるビジュアルでもある…。
リュートのようにあまり自己主張をしない、それでいてどこか奏者に寄り添うような楽器は少ないように思う。そしてこれまで、大正琴、ウクレレ、三味線、クラシックギター、エレキギター、フラメンコギターといった弦楽器だけでなくピアノ(1年半習った)や管楽器などなどを楽しんできたがいま最も心に馴染むのがリュートなのである。

※3Dプリンターと木質フィラメントでペグ、ストラップピン、ペグ回しなども作ってみている…
そういえば、このリュートを手にした当日から偶然ではあろうが長い間苦しんできた味覚障害が緩和した…。そんなこともあって摩訶不思議な縁を感じているがこのリュート、決して愛でているだけではない。高価な楽器では出来得ないことだろうが、ストラップホルダーやペグ、そしてベグ回しなどを3Dプリンターと木質フィラメントで作り、より自分にとって据わりが良い楽器になるようなことにも注視していきたいと考えている。
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