ラテ飼育格闘日記(770)
この時期になると毎年思い出すことがある。すでに15年前だから2006年のことだが、長年の夢だったワンコを飼う許可が女房から出たので早速初めての体験をすることになったときのあれこれだ。しかし気持ちばかりが逸るもののどこから手をつけて良いかが分からず今思えば笑止千万なワンコ探しだった。
そのときオトーサンたちは埼玉県の川口に住んでいた。住み慣れた地域でもあり本来ならそこでワンコを飼いたいと考えたが中型・大型犬を飼う条件がどうしても揃わない。
仕方がなくワンコと共に過ごすに適切な、そして女房の通勤にも具合の良い場所を探すこととなった。住居探しはもっぱら女房が担当したがオトーサンはワンコ探しだ。

※休憩中です
予備知識がなにもなかったオトーサンは当初どこかのペットショップで買おうかと漠然と考えていたが殺処分の可能性があるワンコが沢山いることを知りネットでそうした保護犬を斡旋しているボランティアのサイトを覗くようになった。
文字通り様々な犬種(といっても殆どは雑種)がずらりと並ぶ様に唖然としたが、好みもなにも自分に何らの基準すらないことに改めて気づく…。

※ハーネスを自分で取ろうともがいたあげくが(笑)
また当然だとは思う物の譲渡の条件もなかなかに厳しくサイトによっては高齢者や一人暮らしの人には譲渡できないといった制限があることもわかった。
いま思えば根拠も無く闇雲にとあるサイトでワンコの譲渡を求めたが返事はすでに決まってしまったということだった。そんなことを3度ほど経験した後、サイトの管理人の方から出来るなら是非当のワンコに会って相性を確認すべきだとアドバイスを受けた。

※帰省されていたので2週間ぶりにお会い出来たKファミリーのオカーサンと♫
一方住居の方は女房が多摩永山に適当な戸建て(テラスハウス)を見つけてくれた。すでにリタイヤしていたオトーサンは特にどこでなくてはならないといった制約も希望もなかったから二つ返事で決まった。そして環境は緑が多くワンコが走り回れる公園もあり、ワンコと生活するには最適な場所だった。
さてワンコを飼うと決心して住居は決まり引越の日取りも決まったものの肝心のワンコが未だあてもなく、ボランティアの方の勧めを受け11月12日(土曜日)のこと、横浜のとある動物病院を開放して行われた里親会に女房と参加することにした。
ラテとの出会いに関しては当日記に何度も書いたので端折るが、やはり運命…縁としかいいようのない出会いだった。

※散歩から戻り体を綺麗にした後のおやつタイム!
こうしてまだ生後5ヶ月ほどだという見るからに雑種犬が里親会の翌月…12月10日に茨城から連れて来られて我が家の家族となったのだ。
オトーサンはこの未経験の育児ならぬワンコとの日常を記録に止めておこうとこの「ラテ飼育格闘日記」なる連載を始めた。友人らの中には格闘は大げさではないかとの意見もあったが文字通り日々が格闘の場となった。猛烈な甘噛みに悩まされ、散歩に出れば引きが強く、目に付いた物は何でも口に入れようとするワンコに三日でオトーサンの肩と腕は痛み、1ヶ月ほどで左足の膝が壊れた…。
それからアッという間に15年だ…。オトーサンも歳を取ったがラテも同様だ。事実2007年自宅近くにあった広い公園にデビューした当時の友達ワンコは残念ながらほとんどと言ってよいほど虹の橋を渡ってしまった。特にお互い遠慮の無い遊び方をしていたビーグルのハリーちゃんやボーダーコリーのボーちゃんが亡くなったのにはラテならずともオトーサンも随分と気落ちしたものだ。

※オトーサンが朝の散歩準備中にラテは女房の布団でうつらうつら…
ラテも加齢のために落ち着いたというべきなのか、初対面の人にも吠えずフレンドリーになったがオトーサンの勝手な思い過ごしかも知れないものの、気を許しあうワンコもいないしどこか寂しいような表情を見せるときがある。オトーサンの歳が後15年…20年ほど若ければ子犬とか子猫を迎えてラテに面倒を見させるという手もあるかも知れないが現状ではそうもいかず、ただただ毎日健康を気遣いながら安全に過ごすことが大切だと思っているのだが…。
そのときオトーサンたちは埼玉県の川口に住んでいた。住み慣れた地域でもあり本来ならそこでワンコを飼いたいと考えたが中型・大型犬を飼う条件がどうしても揃わない。
仕方がなくワンコと共に過ごすに適切な、そして女房の通勤にも具合の良い場所を探すこととなった。住居探しはもっぱら女房が担当したがオトーサンはワンコ探しだ。

※休憩中です
予備知識がなにもなかったオトーサンは当初どこかのペットショップで買おうかと漠然と考えていたが殺処分の可能性があるワンコが沢山いることを知りネットでそうした保護犬を斡旋しているボランティアのサイトを覗くようになった。
文字通り様々な犬種(といっても殆どは雑種)がずらりと並ぶ様に唖然としたが、好みもなにも自分に何らの基準すらないことに改めて気づく…。

※ハーネスを自分で取ろうともがいたあげくが(笑)
また当然だとは思う物の譲渡の条件もなかなかに厳しくサイトによっては高齢者や一人暮らしの人には譲渡できないといった制限があることもわかった。
いま思えば根拠も無く闇雲にとあるサイトでワンコの譲渡を求めたが返事はすでに決まってしまったということだった。そんなことを3度ほど経験した後、サイトの管理人の方から出来るなら是非当のワンコに会って相性を確認すべきだとアドバイスを受けた。

※帰省されていたので2週間ぶりにお会い出来たKファミリーのオカーサンと♫
一方住居の方は女房が多摩永山に適当な戸建て(テラスハウス)を見つけてくれた。すでにリタイヤしていたオトーサンは特にどこでなくてはならないといった制約も希望もなかったから二つ返事で決まった。そして環境は緑が多くワンコが走り回れる公園もあり、ワンコと生活するには最適な場所だった。
さてワンコを飼うと決心して住居は決まり引越の日取りも決まったものの肝心のワンコが未だあてもなく、ボランティアの方の勧めを受け11月12日(土曜日)のこと、横浜のとある動物病院を開放して行われた里親会に女房と参加することにした。
ラテとの出会いに関しては当日記に何度も書いたので端折るが、やはり運命…縁としかいいようのない出会いだった。

※散歩から戻り体を綺麗にした後のおやつタイム!
こうしてまだ生後5ヶ月ほどだという見るからに雑種犬が里親会の翌月…12月10日に茨城から連れて来られて我が家の家族となったのだ。
オトーサンはこの未経験の育児ならぬワンコとの日常を記録に止めておこうとこの「ラテ飼育格闘日記」なる連載を始めた。友人らの中には格闘は大げさではないかとの意見もあったが文字通り日々が格闘の場となった。猛烈な甘噛みに悩まされ、散歩に出れば引きが強く、目に付いた物は何でも口に入れようとするワンコに三日でオトーサンの肩と腕は痛み、1ヶ月ほどで左足の膝が壊れた…。
それからアッという間に15年だ…。オトーサンも歳を取ったがラテも同様だ。事実2007年自宅近くにあった広い公園にデビューした当時の友達ワンコは残念ながらほとんどと言ってよいほど虹の橋を渡ってしまった。特にお互い遠慮の無い遊び方をしていたビーグルのハリーちゃんやボーダーコリーのボーちゃんが亡くなったのにはラテならずともオトーサンも随分と気落ちしたものだ。

※オトーサンが朝の散歩準備中にラテは女房の布団でうつらうつら…
ラテも加齢のために落ち着いたというべきなのか、初対面の人にも吠えずフレンドリーになったがオトーサンの勝手な思い過ごしかも知れないものの、気を許しあうワンコもいないしどこか寂しいような表情を見せるときがある。オトーサンの歳が後15年…20年ほど若ければ子犬とか子猫を迎えてラテに面倒を見させるという手もあるかも知れないが現状ではそうもいかず、ただただ毎日健康を気遣いながら安全に過ごすことが大切だと思っているのだが…。
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