Appleフェローだった、D.A.ノーマンの思い出
これまでApple Computer本社のキーマンたちにお会いしたり、ミーティングをしてきたことは大変エキサイティングな経験だし貴重な体験である。また概してApple本社の人たちは個性が強く、印象に残っている人たちが多い。 今回は認知科学者としてもよく知られているドナルド・A・ノーマン氏の思い出をご紹介したい。
ドナルド・A・ノーマン氏は1996年にいただいた名刺によれば当時、Appleフェローであると同時に先端技術グループの副社長という肩書きだった。しかし彼の第一印象は他のApple役員たちとのそれとは異質なものを感じたがそれは彼がビジネスマンであるという以前に学者であるからだ。
カルフォルニア大学サンディエゴ校の心理学教授であったし認知科学研究所の所長、そしてアメリカ認知科学会の創設メンバーのひとりでもある。そうした経歴の持ち主がなぜAppleの職にあったかについては知るよしもないが、あのアラ ン・ケイもそうであったように、Macintoshという製品をよりよく使いやすい製品にするために請われたのだろう。
私自身、仕事にも関係するのでいわゆるヒューマン・インターフェースといったことには大きな関心を持っているし、少なからず勉強をしてきた経緯がある。そうしたなかでドナルド・A・ノーマン氏の名はよく知っていたが、まさか直接お会いし、話をする機会に恵まれようとは夢にも思わなかった。
1996年2月のMACWORLD Expo/Tokyoはなかなかに忙しかった。自社ブースを持っていたこともあり、その後の自社主催のパーティーの準備などで我々はてんてこ舞いだった。
記憶はあまり定かではないがアップルコンピュータ社のデベロッパー担当の方からExpo開催中に「アップル・フォーローのノーマン博士が来日しており会食の場を設けるから出席いただきたい」という依頼を受けた。これがどこかでプレゼンをしてくれといった類の依頼なら時間がないことを理由にお断りしたのだが、事がノーマン博士に会えるということで私は一気にミーハーモードとなり勿論了解してしまった(笑)。
Expo会場に隣接するホテル・ニューオータニのレセプションルームだったと思うが、数社のデベロッパーの代表者の方々と共に私も大きなテーブルの席についた。ドナルド・A・ノーマン氏の第一印象は「思ったとおり」といった感じだったが、そのヒゲモジャの表情は穏やかであり誠実そうで、特に眼鏡の奥のその目が印象的だった。
用意された食事をいただきながらの会談が続いたが、私たちの興味はAppleにおける博士のポジションであり、Appleについての未来図であった。そうした事柄について話すとき、ノーマン博士はコブシで軽くテーブルを叩きながらの大変力強い話し方になる。
現在のAppleという会社の長所と短所、そしてAppleという企業がどのような方向に向かいどのような製品を出すべきかなどについて博士は熱っぽく語ってくれた。
私はこうしたチャンスには意図的にいくつか質問する方なのだが、この時は自分から質問をした記憶がない。質問をする必要がないほどドナルド・A・ノーマン博士は私の知りたいこと、興味のある事柄について話をしてくれたように思う。
所定の時間がきたときアップルの担当者が十数冊の本をテーブル上に持ち出した。なにが始まるのかと思ったがその本はドナルド・A・ノーマン博士の著書「誰のためのデザイン?〜認知科学者のデザイン原論」(The Psychology of Everyday Things)の翻訳本(新曜社刊)だった。
嬉しいことに本の扉に "To Matsuda-san Tokyo feb.1996" という記述と共に、その場で博士はサインをしてくれたのである(^_^)。

※D.A.ノーマン博士の著書カバーと、そのサイン
お返しといってはなんだが、私はExpo自社ブースで販売するために製作したオリジナル腕時計を鞄の中に持っていたのでそれをノーマン博士にプレゼントしようと差し出した。博士はお世辞もなかなかにお上手で「これはAppleグッズの時計よりいいね」といたずらっぽくウィンクしながら受けとってくれた。
しかしそのドナルド・A・ノーマン博士もすでにAppleにいない......。
昨年(2005年)のあるとき、アップルコンピュータ社のY氏とお会いした際「Appleには驚くばかりの優れた技術者が多い」という話をされた。それはAppleという企業の明るい未来を示唆しての発言だった。
確かにそうかも知れないがスティーブ・ジョブズ氏がAppleに戻ってからはご承知のように新製品情報は厳重に封印され、事前に我々の耳に入ってこなくなった。その是非はともかく、結果としてどのような素晴らしい新製品が登場したとしても極論すれば「びっくり箱」を開けた感慨は味わえるもののアラン・ケイやドナルド・A・ノーマン博士が在籍していた時代のように「Appleは何を目指すのか」「Appleのビジョンは何なのか」といった近未来の目指す姿は見えてこない。
かつてAppleはKnowledge Navigatorなどでパーソナルコンピュータの未来を垣間見せるプロモーションにも力を入れていたが昨今はまったく未来のビジョンをアピールすることはない。
創業以来の良い経営状態の今こそAppleはアラン・ケイとかドナルド・A・ノーマン博士のような生産に直接寄与することではなく製品をよりよく未来に導くための人材が必要なのではないだろうか。いまその役割は想像するにスティーブ・ジョブズ氏本人が担っているように見えるが健康問題も含めて次の時代へ橋渡しができる人材がいるのかどうか、余計な心配をしてしまう。
しかし小耳に挟んだところによれば現在のスティーブ・ジョブズは、ひとりの天才より努力のチームワークを重視しているという。そして良くも悪くも現在のApple社成功の鍵は「dream (夢)」ではなく「actuality (現実性)」なのだからビジョンが希薄なのも仕方のないことなのかも知れない。
ドナルド・A・ノーマン氏は1996年にいただいた名刺によれば当時、Appleフェローであると同時に先端技術グループの副社長という肩書きだった。しかし彼の第一印象は他のApple役員たちとのそれとは異質なものを感じたがそれは彼がビジネスマンであるという以前に学者であるからだ。
カルフォルニア大学サンディエゴ校の心理学教授であったし認知科学研究所の所長、そしてアメリカ認知科学会の創設メンバーのひとりでもある。そうした経歴の持ち主がなぜAppleの職にあったかについては知るよしもないが、あのアラ ン・ケイもそうであったように、Macintoshという製品をよりよく使いやすい製品にするために請われたのだろう。
私自身、仕事にも関係するのでいわゆるヒューマン・インターフェースといったことには大きな関心を持っているし、少なからず勉強をしてきた経緯がある。そうしたなかでドナルド・A・ノーマン氏の名はよく知っていたが、まさか直接お会いし、話をする機会に恵まれようとは夢にも思わなかった。
1996年2月のMACWORLD Expo/Tokyoはなかなかに忙しかった。自社ブースを持っていたこともあり、その後の自社主催のパーティーの準備などで我々はてんてこ舞いだった。
記憶はあまり定かではないがアップルコンピュータ社のデベロッパー担当の方からExpo開催中に「アップル・フォーローのノーマン博士が来日しており会食の場を設けるから出席いただきたい」という依頼を受けた。これがどこかでプレゼンをしてくれといった類の依頼なら時間がないことを理由にお断りしたのだが、事がノーマン博士に会えるということで私は一気にミーハーモードとなり勿論了解してしまった(笑)。
Expo会場に隣接するホテル・ニューオータニのレセプションルームだったと思うが、数社のデベロッパーの代表者の方々と共に私も大きなテーブルの席についた。ドナルド・A・ノーマン氏の第一印象は「思ったとおり」といった感じだったが、そのヒゲモジャの表情は穏やかであり誠実そうで、特に眼鏡の奥のその目が印象的だった。
用意された食事をいただきながらの会談が続いたが、私たちの興味はAppleにおける博士のポジションであり、Appleについての未来図であった。そうした事柄について話すとき、ノーマン博士はコブシで軽くテーブルを叩きながらの大変力強い話し方になる。
現在のAppleという会社の長所と短所、そしてAppleという企業がどのような方向に向かいどのような製品を出すべきかなどについて博士は熱っぽく語ってくれた。
私はこうしたチャンスには意図的にいくつか質問する方なのだが、この時は自分から質問をした記憶がない。質問をする必要がないほどドナルド・A・ノーマン博士は私の知りたいこと、興味のある事柄について話をしてくれたように思う。
所定の時間がきたときアップルの担当者が十数冊の本をテーブル上に持ち出した。なにが始まるのかと思ったがその本はドナルド・A・ノーマン博士の著書「誰のためのデザイン?〜認知科学者のデザイン原論」(The Psychology of Everyday Things)の翻訳本(新曜社刊)だった。
嬉しいことに本の扉に "To Matsuda-san Tokyo feb.1996" という記述と共に、その場で博士はサインをしてくれたのである(^_^)。

※D.A.ノーマン博士の著書カバーと、そのサイン
お返しといってはなんだが、私はExpo自社ブースで販売するために製作したオリジナル腕時計を鞄の中に持っていたのでそれをノーマン博士にプレゼントしようと差し出した。博士はお世辞もなかなかにお上手で「これはAppleグッズの時計よりいいね」といたずらっぽくウィンクしながら受けとってくれた。
しかしそのドナルド・A・ノーマン博士もすでにAppleにいない......。
昨年(2005年)のあるとき、アップルコンピュータ社のY氏とお会いした際「Appleには驚くばかりの優れた技術者が多い」という話をされた。それはAppleという企業の明るい未来を示唆しての発言だった。
確かにそうかも知れないがスティーブ・ジョブズ氏がAppleに戻ってからはご承知のように新製品情報は厳重に封印され、事前に我々の耳に入ってこなくなった。その是非はともかく、結果としてどのような素晴らしい新製品が登場したとしても極論すれば「びっくり箱」を開けた感慨は味わえるもののアラン・ケイやドナルド・A・ノーマン博士が在籍していた時代のように「Appleは何を目指すのか」「Appleのビジョンは何なのか」といった近未来の目指す姿は見えてこない。
かつてAppleはKnowledge Navigatorなどでパーソナルコンピュータの未来を垣間見せるプロモーションにも力を入れていたが昨今はまったく未来のビジョンをアピールすることはない。
創業以来の良い経営状態の今こそAppleはアラン・ケイとかドナルド・A・ノーマン博士のような生産に直接寄与することではなく製品をよりよく未来に導くための人材が必要なのではないだろうか。いまその役割は想像するにスティーブ・ジョブズ氏本人が担っているように見えるが健康問題も含めて次の時代へ橋渡しができる人材がいるのかどうか、余計な心配をしてしまう。
しかし小耳に挟んだところによれば現在のスティーブ・ジョブズは、ひとりの天才より努力のチームワークを重視しているという。そして良くも悪くも現在のApple社成功の鍵は「dream (夢)」ではなく「actuality (現実性)」なのだからビジョンが希薄なのも仕方のないことなのかも知れない。
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