前Apple社 CEO ギルバート・アメリオの思い出
ギルバート・アメリオ氏は1995年2月から1997年7月までの間Apple社の会長兼CEOを務めた人物だ。彼は過去に米ナショナル・セミコンダクタ社を建て直し、再建家の異名をもつ実務派だった。アメリオ氏は確かにAppleを再建できなかったが、その種を残したという点でもっと評価されるべき人物だと思う。
事実当時の無能な重役たちを一新し、財政面でも資金調達を果たし、ユーザーやディーラーたちがAppleにとって一番の資産であると明言したCEOだった。
ここに1996年11月5日(火曜日)の日本経済新聞朝刊に載ったアップルの全面広告がある。アメリオ氏のバストアップの大きな写真と共に「メーカーの理論より、ユーザーの実感の方が、はるかに正しい」というコピーが印象的だ。ある意味ではこれまでのCEOの中で、一番ユーザーに目を向けたCEOだったといってもよいだろう。

※1996年11月5日、アップルコンピュータ社は日本経済新聞朝刊に全面広告を掲載した
実はこの新聞にはエピソードがある。
1996年11月5日という日は事前にアップルから招待状が届いており、アメリオ会長が来日するのでディーラーやデベロッパーの方々にご挨拶したいという主旨のパーテイーが開催されることになっていた。
その朝、出社し早速広げた新聞に先の広告が掲載されているのを見た私はひとつの決心をし、その広告ページを軽くたたみ込んでスーツの裏ポケットに押し込んだ。
会場に到着するとすでに大勢の人たちが出入りしていたが、何とアメリオ氏がアップルの人たちと共に入り口に並んで迎えに出ていた。単純な私はそれだけで「いい人だ...」と思ってしまった(笑)。何故ってこれまで多くの同種の集まりがあったが、そんな演出は一度もなかったからだ。
さて、その会場入り口に進む途中でアップルのデベロッパー担当者に出会った。挨拶を交わした後に私は彼に今日の作戦を話し、まずはアメリオ氏に紹介して欲しいと頼んだ。
早速担当者は型どおり私を紹介してくれ、先の作戦を実行してくれた。
それは「本日、あなたの写真が大きく掲載されているアップルの新聞広告が出たが、松田さんは今日の記念としてそこにサインが欲しいといっている」というお願いだった。なにしろ来場者が次々と入ってくる中での事だ...。
どんな反応が返ってくるか、私もちょっとドキドキしたがアメリオ氏は嫌な顔もせず、反対に満面のテディベアーみたいな笑顔で私の無粋な願いを受け入れてくれた。私はさらに、「申し訳ありませんが、ここに今日の日付を書いてください」とまで頼み、大きな暖かい手と握手をして部屋に入った。その時の新聞、その時のサインがこれなのである。

※ギルバート・アメリオ氏の直筆サイン
ギルバート・アメリオ氏とはその後、1997年2月のMacWorldExpo/Tokyoのときに幕張のホテル・ニューオータニのトイレで再会を果たした(笑)。
さて現CEOのスチーブ・ジョブズ氏の返り咲きがなかったらAppleはこれだけ劇的な再生を望めなかった事は確かだろう。しかし最悪の状態にあったCoplandの開発計画を止め、NeXT Software社の買収を決定し、NeXT社のOSをベースとした現Mac OS X開発のきっかけをつくる役割を果たしたのは間違いなくアメリオ氏であった。また周知のようにAppleの創立者であり、NeXT Software社のCEOだったスティーブ・ジョブズ氏をアドバイザーとして招き入れたのもアメリオ氏の決断である。
結果として彼はAppleを再生する重要な橋渡しをしたのだ。自身も熱心なAppleユーザーだったというアメリオ氏だがもし別のCEOだったらとっくに身売りをしていたかも知れない...。そうだとすれば無論今のAppleはない!
この辺の事情はウィリアム・L・サイモンがアメリオ氏にインタビューをしてApple在任中の17カ月間を綴った「アップル薄氷の500日」(1998年ソフトバンク刊)に詳しい。無論ここに展開されるAppleの姿はアメリオ氏側からの見方でしかないがAppleの存亡がかかった時期の一端を見ることができる。
事実当時の無能な重役たちを一新し、財政面でも資金調達を果たし、ユーザーやディーラーたちがAppleにとって一番の資産であると明言したCEOだった。
ここに1996年11月5日(火曜日)の日本経済新聞朝刊に載ったアップルの全面広告がある。アメリオ氏のバストアップの大きな写真と共に「メーカーの理論より、ユーザーの実感の方が、はるかに正しい」というコピーが印象的だ。ある意味ではこれまでのCEOの中で、一番ユーザーに目を向けたCEOだったといってもよいだろう。

※1996年11月5日、アップルコンピュータ社は日本経済新聞朝刊に全面広告を掲載した
実はこの新聞にはエピソードがある。
1996年11月5日という日は事前にアップルから招待状が届いており、アメリオ会長が来日するのでディーラーやデベロッパーの方々にご挨拶したいという主旨のパーテイーが開催されることになっていた。
その朝、出社し早速広げた新聞に先の広告が掲載されているのを見た私はひとつの決心をし、その広告ページを軽くたたみ込んでスーツの裏ポケットに押し込んだ。
会場に到着するとすでに大勢の人たちが出入りしていたが、何とアメリオ氏がアップルの人たちと共に入り口に並んで迎えに出ていた。単純な私はそれだけで「いい人だ...」と思ってしまった(笑)。何故ってこれまで多くの同種の集まりがあったが、そんな演出は一度もなかったからだ。
さて、その会場入り口に進む途中でアップルのデベロッパー担当者に出会った。挨拶を交わした後に私は彼に今日の作戦を話し、まずはアメリオ氏に紹介して欲しいと頼んだ。
早速担当者は型どおり私を紹介してくれ、先の作戦を実行してくれた。
それは「本日、あなたの写真が大きく掲載されているアップルの新聞広告が出たが、松田さんは今日の記念としてそこにサインが欲しいといっている」というお願いだった。なにしろ来場者が次々と入ってくる中での事だ...。
どんな反応が返ってくるか、私もちょっとドキドキしたがアメリオ氏は嫌な顔もせず、反対に満面のテディベアーみたいな笑顔で私の無粋な願いを受け入れてくれた。私はさらに、「申し訳ありませんが、ここに今日の日付を書いてください」とまで頼み、大きな暖かい手と握手をして部屋に入った。その時の新聞、その時のサインがこれなのである。

※ギルバート・アメリオ氏の直筆サイン
ギルバート・アメリオ氏とはその後、1997年2月のMacWorldExpo/Tokyoのときに幕張のホテル・ニューオータニのトイレで再会を果たした(笑)。
さて現CEOのスチーブ・ジョブズ氏の返り咲きがなかったらAppleはこれだけ劇的な再生を望めなかった事は確かだろう。しかし最悪の状態にあったCoplandの開発計画を止め、NeXT Software社の買収を決定し、NeXT社のOSをベースとした現Mac OS X開発のきっかけをつくる役割を果たしたのは間違いなくアメリオ氏であった。また周知のようにAppleの創立者であり、NeXT Software社のCEOだったスティーブ・ジョブズ氏をアドバイザーとして招き入れたのもアメリオ氏の決断である。
結果として彼はAppleを再生する重要な橋渡しをしたのだ。自身も熱心なAppleユーザーだったというアメリオ氏だがもし別のCEOだったらとっくに身売りをしていたかも知れない...。そうだとすれば無論今のAppleはない!
この辺の事情はウィリアム・L・サイモンがアメリオ氏にインタビューをしてApple在任中の17カ月間を綴った「アップル薄氷の500日」(1998年ソフトバンク刊)に詳しい。無論ここに展開されるAppleの姿はアメリオ氏側からの見方でしかないがAppleの存亡がかかった時期の一端を見ることができる。
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