Apple 元DR副社長ハイディー・ロイゼンの思い出
アップルのビジネスを、そしてそれらに関係する人々を魅力的に紹介する書籍や記事は多いが、当サイトで紹介しているAppleの元キーマンたちの思い出は、私自身が「ビジネスとしてAppleに直接関わり」「実際にその場にいた」リアリティを少しでもお伝えできればと思っている。 今回は元デベロッパー・リレーションズの副社長だったハイディー・ロイゼン氏の思い出である。
1996年7月9日と10日の両日、東京ベイ・ヒルトンホテルにおいてJDC(ジャパン・デベロッパ・コンファレンス)が開かれた。その際にアップルコンピュータ社の尽力により、来日していた当時のAppleデベロッパー・リレーションズの副社長ハイディー・ロイゼン氏とMOSAの役員および理事を含めたミーティングが実現することになった。
ハイディー・ロイゼン氏は、当時アップルのCEOであったギルバート・アメリオ氏の要請でAppleに入社したらしい。彼女はもともとT.Makerというアップル関連ソフトウェアのデベロッパーの社長であり、我々アップル関連製品を開発し販売する企業側の理論であったり、要望や思いというものを理解してもらえるはずだという大きな期待を一心に受けて就任した人だった。
当時アップルは業績が大変悪く、デベロッパーとの間もギクシャクしていた部分もあったので、彼女に直接会い、話が出来るチャンスは私にとっても大変貴重なものだった。

※壇上でワイングラスを片手に会場を盛り上げるハイディー・ロイゼン氏(左)。右の白いTシャツ姿はガイ・カワサキ氏
ミーティングはホテルの会議室で行われたが、確か1時間半程度のものだったと記憶している。それも通訳を介することもあり、事実上の意思疎通はその半分程度になってしまうことは明白だったが、ポイントを得たテンポのある語り口はなかなか魅力的だった。そして大変率直な人だった。
事実ミーティングはリラックスした中にも大変有意義な会話が続いた。ハイディー・ロイゼン氏は我々が考えていた以上にアップルの市場、コミュニティを活性化させるためにデベロッパーの存在が重要であるという点に理解を示していた。
「皆さん方の製品をいかに店頭に置くか、そして販売するか、それが問題なのです」と彼女は熱心に語り、そのためにかなりの予算をすでに確保したという具体的な話まで胸襟を開いて語ってくれた。
いかにしたらひとつでも多くの魅力的なアップル関連製品を市場に生み出し、それを顧客の手に渡すことが出来るかを真剣に考えている姿勢が伺えたことで、私は感激し少し安堵した。

※>ハイディー・ロイゼン氏と筆者のスナップ写真。実際は16人ほどの集合写真である
ミーティングが終わってから聞かされたことだが、実は彼女は前日から風邪をひき、熱があったとのこと。それをおして予定を違えず、当日の会議に出席してくれたのだった。
しかし現実には残念なことに彼女の努力にもかかわらず、いくつかの重要な具体策は実行されることはなかった。なぜならハイディー・ロイゼン氏はスチーブ・ジョブズ氏が復帰し、ギルバート・アメリオ氏が退任後すぐにアップルを去ったからである。
個人的にはCEOのギルバート・アメリオ氏が退任した時よりハイディー・ロイゼン氏がAppleを辞めたニュースに私はショックを受けたものだ。
最近特に思うことがある。
ご承知のようにアップルの歴史、アップルの内幕を紹介する本や記事は多い。それらの中ではOSの歴史などとシンクロし、Macintosh誕生前後から多くの技術者たちの魅力ある健闘ぶりや苦悩が紹介される。
それらにはスティーブ・ウォズニアク、ジェフ・ラスキン、ビル・アトキンソン、アンディー・ハーツフェルド氏などなどの名がよくあげられる。次に目立つのはジョナサン・アイブ氏を始めとするデザイン関係者だろうか...。
確かに彼(彼女)たちの努力がなかったら今のAppleやMacintoshは誕生しなかったし、存在しなかったかも知れない。しかし彼らと同様に彼らが開発し、商品化したものを一人でも多くのユーザーの手に渡すことに努力をしてきた営業や販売企画にたずさわる多くの人たちのことはほとんど表に出てこない。私にはこのことが不満でならない。
最新のテクノロジーに直接関わり、新しい製品を生み出す技術者たちの動向は目につきやすくまた紹介しやすいのは分かるが、経営者は別としていわゆる間接部門の人たちの支えと努力がなければ、Appleといえども企業を継続していくことはできない。
繰り返すがAppleの創業当時にAppleIIを作り始めた時とは違い、例え良い製品を開発したところで、それに適切なコンセプトを与え、市場性を考慮し、販売戦略を考えなければ物は売れない時代である。
そうした意味においてもAppleにはハイディー・ロイゼン氏のようにデベロッパーの立場はもとよりその苦悩と不満を親身になって感じ受け止めてくれる責任あるポジションの人がいまこそ必要だと思うのだが...。
1996年7月9日と10日の両日、東京ベイ・ヒルトンホテルにおいてJDC(ジャパン・デベロッパ・コンファレンス)が開かれた。その際にアップルコンピュータ社の尽力により、来日していた当時のAppleデベロッパー・リレーションズの副社長ハイディー・ロイゼン氏とMOSAの役員および理事を含めたミーティングが実現することになった。
ハイディー・ロイゼン氏は、当時アップルのCEOであったギルバート・アメリオ氏の要請でAppleに入社したらしい。彼女はもともとT.Makerというアップル関連ソフトウェアのデベロッパーの社長であり、我々アップル関連製品を開発し販売する企業側の理論であったり、要望や思いというものを理解してもらえるはずだという大きな期待を一心に受けて就任した人だった。
当時アップルは業績が大変悪く、デベロッパーとの間もギクシャクしていた部分もあったので、彼女に直接会い、話が出来るチャンスは私にとっても大変貴重なものだった。

※壇上でワイングラスを片手に会場を盛り上げるハイディー・ロイゼン氏(左)。右の白いTシャツ姿はガイ・カワサキ氏
ミーティングはホテルの会議室で行われたが、確か1時間半程度のものだったと記憶している。それも通訳を介することもあり、事実上の意思疎通はその半分程度になってしまうことは明白だったが、ポイントを得たテンポのある語り口はなかなか魅力的だった。そして大変率直な人だった。
事実ミーティングはリラックスした中にも大変有意義な会話が続いた。ハイディー・ロイゼン氏は我々が考えていた以上にアップルの市場、コミュニティを活性化させるためにデベロッパーの存在が重要であるという点に理解を示していた。
「皆さん方の製品をいかに店頭に置くか、そして販売するか、それが問題なのです」と彼女は熱心に語り、そのためにかなりの予算をすでに確保したという具体的な話まで胸襟を開いて語ってくれた。
いかにしたらひとつでも多くの魅力的なアップル関連製品を市場に生み出し、それを顧客の手に渡すことが出来るかを真剣に考えている姿勢が伺えたことで、私は感激し少し安堵した。

※>ハイディー・ロイゼン氏と筆者のスナップ写真。実際は16人ほどの集合写真である
ミーティングが終わってから聞かされたことだが、実は彼女は前日から風邪をひき、熱があったとのこと。それをおして予定を違えず、当日の会議に出席してくれたのだった。
しかし現実には残念なことに彼女の努力にもかかわらず、いくつかの重要な具体策は実行されることはなかった。なぜならハイディー・ロイゼン氏はスチーブ・ジョブズ氏が復帰し、ギルバート・アメリオ氏が退任後すぐにアップルを去ったからである。
個人的にはCEOのギルバート・アメリオ氏が退任した時よりハイディー・ロイゼン氏がAppleを辞めたニュースに私はショックを受けたものだ。
最近特に思うことがある。
ご承知のようにアップルの歴史、アップルの内幕を紹介する本や記事は多い。それらの中ではOSの歴史などとシンクロし、Macintosh誕生前後から多くの技術者たちの魅力ある健闘ぶりや苦悩が紹介される。
それらにはスティーブ・ウォズニアク、ジェフ・ラスキン、ビル・アトキンソン、アンディー・ハーツフェルド氏などなどの名がよくあげられる。次に目立つのはジョナサン・アイブ氏を始めとするデザイン関係者だろうか...。
確かに彼(彼女)たちの努力がなかったら今のAppleやMacintoshは誕生しなかったし、存在しなかったかも知れない。しかし彼らと同様に彼らが開発し、商品化したものを一人でも多くのユーザーの手に渡すことに努力をしてきた営業や販売企画にたずさわる多くの人たちのことはほとんど表に出てこない。私にはこのことが不満でならない。
最新のテクノロジーに直接関わり、新しい製品を生み出す技術者たちの動向は目につきやすくまた紹介しやすいのは分かるが、経営者は別としていわゆる間接部門の人たちの支えと努力がなければ、Appleといえども企業を継続していくことはできない。
繰り返すがAppleの創業当時にAppleIIを作り始めた時とは違い、例え良い製品を開発したところで、それに適切なコンセプトを与え、市場性を考慮し、販売戦略を考えなければ物は売れない時代である。
そうした意味においてもAppleにはハイディー・ロイゼン氏のようにデベロッパーの立場はもとよりその苦悩と不満を親身になって感じ受け止めてくれる責任あるポジションの人がいまこそ必要だと思うのだが...。
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